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1965年3月18日、伊丹発広島行東亜航空87便コンベアCV-240型機が、瀬戸内海上空を飛イメージ 1行中に奇妙な発光体
 
と遭遇した。
 
(←)東亜航空のコンベアCV-240
 
伊丹離陸後10分弱が経過した19:06、同便が姫路を通
 
過したあたりで、稲葉義晴機長と馬嶋副操縦士は左前
 
方に奇妙な発光体を発見した。
 
それは最初オレンジ色に発光しており、機長らは他の
 
航空機かと思った。衝突の危険を感じた稲葉機長はタクシングライトを点滅させて合図を送るも、発光体からの
 
応答はない。オレンジ色の明かりが消えた発光体は、乳白色の球体のようにも見えた。発光体は急速に同便に
 
接近してきた為、稲葉機長は機を右60度ターンさせ危うく衝突を回避した。その後、発光体は同便の左翼脇に並
 
んで飛び、翼の3分の1ほどが発光体の光に青白く包まれた。発光体の大きさはおよそ40mと推測された。
 
3分ほどそのまま飛び、同便が家島群島上空に差し掛かった頃に、発光体は消え去った。
 
イメージ 16
 
その直後、「高松市北端部を飛行中、謎の発光物体に
 
追跡されている」と興奮した声が無線機に飛び込んで
 
きた。東京航空のパイパーアパッチを操縦するパイロ
 
ット・根岸穣治の声を傍受したのだった。
 
 
 
(←)パイパーアパッチ
 

 
「大空には我々の知識常識以外の何物かが存在するのを確信致しました」と稲葉機長は報告書で述べている。
 


 
またまた、昭和のUFO事件です。最近のネタより味わい深くて好きなんですよね、やっぱり。
 
この事件も、いかにも「謎の遭遇事件」と言った趣で、しかも、旅客機のパイロットが目撃者で、信憑性も非常に
 
高い(ような気がする)。子供の頃は、この手のハナシに触れるにつけ、ああやっぱり宇宙人は地球に来てるんだ
 
ぁ〜と胸をドキドキさせたものでした。
 
 
1965(昭和40)年と言えば、「元気ハツラツ!!」のキャッチコピーと共にオロナミンCが発売され、加山雄三が「ぼか
 
ぁ死ぬまで君をはなさないぞ」と歌いつつも、ベトナムでは北爆が開始され、中国では文革が始まった年。
 
前年に日本人の海外渡航制限が解除されたのを受けてジャルパックが売り出され、いよいよ一般庶民にも海外
 
旅行に手が届こうとしていた時代です。
 
イメージ 6
(←)ジャルパックのカバンがみんなの憧れ
 
だった頃…。
 
 
イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10ちなみに、東亜航空は広島に本社を置き、中四国九州
 
を中心に路線を展開していた航空会社です。1971年に
 
日本国内航空と合併して東亜国内航空となり、それが
 
日本エアシステムとなって、後にJALに吸収合併されま
 
す。左の広告で「コンベア240増強!」と張り切ってます
 
が、実はこの飛行機もなかなか大したもので、アメリカ
 
では大統領候補者の専用機として使われていたりしま
 
す。あのJ・F・ケネディーも1960年の選挙時にコンベア
 
240を使っておりました。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
海外と共に宇宙にも日本人の目が向き始め、この年放送開始されたアニメなんかは、「宇宙パトロールホッパ」
 
「宇宙人ピピ」「宇宙少年ソラン」「宇宙エース」「遊星少年パピィ」などなど、宇宙モノが数多くありました。
 
(ちなみに、「ジャングル大帝」「オバQ」が放送開始されたのも昭和40年でした。)
 
イメージ 11
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イメージ 15
(←↑)一連の「宇宙モノ」。懐かしくも見分けがつきません。
 
 
 
 
 
 
 
 
そんな中で、アメリカから輸入された新アイテムである「空飛ぶ円盤」も人々の耳目を集めており、この事件も新
 
聞や雑誌で大きく報道されたそうです。
 
イメージ 2
(←)昭和40年3月21日付毎日新聞
 
やっぱりこの頃のは「UFO事件」と言うより「空
 
飛ぶ円盤騒ぎ」と言った方がしっくりきますね。
 
 
 
 
 
 

 
 さて、この発光体・空飛ぶ円盤の正体は、割りと早く明らかになっております。
 
東大宇宙航空研究所(当時。現宇宙科学研究所)によると、この発光体は、同日ほぼ同時刻に鹿児島県は
 
内之浦の宇宙空間観測所から打ち上げられた「ラムダ3・ロケット」を誤認したもの…だそうです。
 
イメージ 3(←)東大宇宙研の見解を報じる平凡パンチ
 
ラムダ3は、当時の3段式ロケットとしては最高性能を
 
誇っておりました。全長19.1mで、1964年から65年にかけ
 
て、3機の打ち上げに成功しました。ラムダシリーズのロケ
 
ットは後に日本初の人工衛星「おおすみ」を遠地点5,151k
 
m、近地点337kmの楕円軌道に上げております。
 
(↓)ラムダ・ロケットの発射シーン
イメージ 4
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この時のラムダ3・ロケットは、日本初のX線観測装置を積み、高度1,000Kmにまで到達しました。
 
と言う訳で、東亜航空87便と内之浦の位置関係を見ると…
 
イメージ 17
 
西(広島)に向って飛ぶ87便の左前方に見えた…との証言に合致しますし、オレンジ色の明かりが消えたと言う
 
のは、ロケットの第一段の燃焼が終了したからでしょう。その後、南東に向けて飛ぶラムダロケットの第二段が
 
「乳白色の球体」に見え、87便が右旋回したことでラムダロケットが真横に見える形になり、それは暗くなった空
 
の中で高高度に残る太陽光を浴びて激しく輝いていて、より大きく見えてしまったのでしょう。
 
 
ちなみに、同日19:00頃、広島市近郊にある中国電力府中営業所の社員三名が、「三角形のような形をして、頂
 
点から明るい光を放っていた」物体を目撃しています。これこそまさに、上昇するロケットの姿に他なりません。
 
イメージ 18
 
(←)「三角形の頂点から云々」に合致するロケットの飛翔
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 念の為、1965年3月18日夜の天気を調べてみると、西日本全般に快晴でした。
 


 
オチとしては、まあそんな事だろうと思った程度のものですが、しかし今でもYouTubeなんかでロケットやミサイ
 
ルの飛翔を「ワームホールから出てきたUFO」だの何だのと騒ぐ人もいらっしゃる。その手の誤認の最初期のも
 
のとして、貴重な事例ではあると思います。
 
 
また、この事件には面白い偶然が重なっているのも記事にした理由一つです。
 
例えば、まさしくこの日、バイコヌール宇宙基地から有人宇宙船ボスホート2号が打ち上げられ、アレクセイ・レオ
 
ーノフが人類初の宇宙遊泳を成功させており、また、この事件から1ヶ月後の4月15日に横浜市でオギャアと生
 
まれた男の子が、大人になってから日本人として最長の宇宙滞在記録を持つ宇宙飛行士になります。
 
そう、その男の子とは、野口聡一さんです。
 
 
(↓)レオーノフ宇宙飛行士。人類初の宇宙遊泳は、ぶっつけ本番、命がけの20分間だった。
イメージ 8
 
(↓)野口宇宙飛行士。日本人として初めてISS(国際宇宙ステーション)での船外活動を行った。
イメージ 9
 
 
世界に扉が開かれたはいいが、その世界がどうもろくでもない事になっていた時代、日本人はそんな世界
 
を跳び越して、宇宙の彼方から飛来した空飛ぶ円盤に想いを馳せていた…とは考えすぎですね、たぶん。
 


 
 
イメージ 5「ああ!!」
 
帰って来たベテじい。クリックしてやって下さい…。
 
 

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