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さて、喚き十王岩ですが、その声の正体は谷から吹き上げてくる風だったとも言われております。
風が樹木や岩の間を抜ける時に笛のような音を出し、その響きが喚き声に聞こえたと言う訳ですが、何となく
腑に落ちないのです。
もしそうだとしたら、他の場所でも同じ様な喚き声がしていてもおかしくないでしょうに。
(↓)何故に喚くか、十王岩…?(後から見たところ。)
十王岩の謎に想いを馳せながらここからの素晴らしい眺望を堪能している時…。
(十王岩の眺望はかながわの景勝50選に入っております。)
謎が全て解けた!! (ような気がしました。)
(↓)十王岩から鎌倉市街を眺める。
どうですか、この眺望。
真ん中を通っているのが、鎌倉のメインストリートである若宮大路です。
つまり、ここは鶴岡八幡宮や幕府中枢部の真裏にあたり、鎌倉中心部全域が見通せてしまう戦略上
の重要地点なのです。
(↓)尾根の反対側からは遠くランドマークタワーも望める。
建長寺や極楽寺など、重要な切通しに有力寺院を配置したのは、いざ鎌倉の際にそこを防衛拠点とする為
だったとも言われております。先ほど通って来た展望台からはその防衛拠点の建長寺も眼下に収める事が
できますし、十王岩一帯は、敵の間者なんかを絶対に近づけたくない場所である事は間違いありません。
そこで幕府は一計案じ、喚き十王岩の怪談話を流布させ、みだりに人が近づかないように仕向けたのでは
ないかと、そんな風に思った訳です。
―少々うがち過ぎでしょうか。
(↓)十王岩のすぐ傍には、明らかに人の手が入った岩肌が。「監視所」みたいなものがあったのか???
真相はともあれ、喚き十王岩みたいなミステリアスな伝説があちこちに残っているのが鎌倉の良い所です。
十王岩に別れを告げ、ハイキングコースを今度は名月院へと下り、家路に就くTOでした。
(↓)春の紅葉。
さて、次回はどこに行こうかな♪
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2012年04月18日
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予報では雨が降る筈だった定休日の今日ですが、娘に「駅まで送って」と叩き起こされるとド・ピーカン。
雨が降ったら一日中寝てやろうと思ってはおりましたが、あまりの好天に誘われて、娘を駅に降ろした足で
鎌倉に向かいました。―そう、鎌怨散をしようと思い立ったのです。
振り返ると、随分久々の鎌怨散です。しかし、わざわざ略す方がめんどくさい。「かまくらおんりょうさんぽ」
で変換すれば、一発で「鎌倉怨霊散歩」と出るのに。まあどうでもいいですそんな事。
さて、今回は再開を祝して、怨霊指数がかなり高いスポットをチョイスしました。
その名も、「喚き(わめき)十王岩」です。
十王とは何者か?何故に岩が喚くのか?いかにも怨霊好きの興味をそそる物件ですが、まあまず現地に
行ってみましょう。
建長寺です。臨済宗建長寺派の大本山です。鎌倉観光でここを外す人はまずいない、有名寺院です。
平日にもかかわらず、参拝客が大勢いらっしゃいます。
歴史が深く、見所満載の素晴らしい寺院なのはもちろんですが、とりあえず今日はここには用はございません。
北条時頼(建長寺の開基)さんごめんなさい。
で、何故建長寺なのかと言うと、こちらが本日の鎌怨散の基点だからです。
拝観料300円也を払いながら、窓口のおばちゃんに「十王岩って、ここから行けますよね?」と聞くと、
おばちゃんはニコニコ笑いながら、道順を丁寧に教えて下さいました。すごく徳の高そうなお顔でしたが、
もしかしたら観世音菩薩の権現か何かかもしれません。ありがたや。思わず心の中で掌を合わすTOでした。
境内に入ると、ここには用はないと言いつつ、やっぱりあちこちにひっかかりながら時間ばかり食っているTO。
(↓)例えば、三門(三解脱門)。
この門には、施餓鬼に纏わる梶原景時の亡霊譚なんかが残っております。
事ほど左様に建長寺は建長寺で十二分に鎌怨散のネタになるので詳しくはまたの機会にしつつ、
先を急ぎましょう。
建長寺の境内から左手の道を進むと、半増坊への参道に入ります。
新緑が目にまぶしいです。この時点で、来て良かったと思うTO。
(↓)いかにも鎌倉らしい、崖のくりぬき方。いいなぁ。
のんびりと歩いていると、やがて急な石段が現われ、明日の筋肉痛覚悟で登りに入ります。
鳴き方も上手くなったうぐいすの声が閑静な森に響いております。
木々を縫う風は爽やかで、汗ばみ始めた肌に心地よいです。
ヒーヒー言いながら登っていくと、半増坊に到着。
天狗の像がお出迎えしてくれます。
半増坊は、明治23(1890)年に勧請された建長寺の鎮守、つまり、守り神です。祀られているのはその名の
通り半増坊、後醍醐天皇の子にして臨済宗の僧となった人です。半僧半俗だったので、半僧坊と呼ばれる
との事ですが、神通力が強く、いつしか天狗として祀られるようになったとか。
と言う訳で、天狗なのです。
(↓)半増坊からの眺望。春の霞で見えませんが、この先に富士山がそびえています。
ここまでで、いい加減に息が挙がっているヘタレTO、日ごろの運動不足とビールとタバコを恨んでも後の祭り、
英語で言うとアフターフェスティバルで、十王岩はまだ先です。
さらにヒーヒー言いながら登り尽くすと尾根筋に出て、展望台に到着。同時に天園ハイキングコースに
合流します。
(↓)展望台から建長寺を見下ろす。殆どエベレスト登頂の気分。
ハイキングコースには若いお嬢さんコンビ、ご年配のご夫婦、妙齢のご婦人グループと、様々な方が歩いて
おられます。すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶を交わしながら、天園方面へ。
整った山道には、散った桜で薄紅の絨毯が敷かれています。
そんな気分のよい道をものの数分も歩かずに、見えてきました。十王岩が。
(↓)十王岩。
この岩には「地獄の十王」が彫られているのが、十王岩の名の由来なのですが…。
この岩が、夜な夜な悲しげに泣き喚く事から「喚き十王岩」と呼ばれるようになったそうです。
その声は時に激しく、時に切なく響いたとか。
(↓)風化が酷く原型を留めておりませんが、左から如意輪観音(観音菩薩)・地蔵菩薩・閻魔大王だそうです。
あとの七王は風化して無くなってしまったのか?欠け落ちてしまったのか?その辺はよく判りません。
ちなみに、十王とは地獄で亡者の審判をする裁判官役の尊格。
地獄の裁判官と言えば閻魔様ですが、他に9人もいるんです。
そのラインナップたるや…
秦広王(不動明王) 初江王(釈迦如来) 宋帝王(文殊菩薩) 五官王(普賢菩薩) 閻魔王(地蔵菩薩)
変成王(弥勒菩薩) 泰山王(薬師如来) 平等王(観音菩薩) 都市王(勢至菩薩) 五道転輪王(阿弥陀如来)
と、銀河系最強どころではない錚々たるメンバーによって構成され、秦広王が初七日・初江王が二七日…
五道転輪王が三回忌と、節目ごとに審理をするのだそうです。おちおち死ねませんねこりゃ。
で、何でこの岩に十王が掘り込まれたかと言うと、この尾根下の谷が地獄谷だったから。
地獄谷とは、鎌倉時代の庶民墓地の事です。
墓地と言っても、当時の庶民の埋葬方法は、よく言えば風葬、悪く言えば辺地に放置して終わり、でした。
鎌倉においての辺地とは、市街地と外界を隔てる切通しのあたりと、浜辺でした。
今でも、由比ガ浜あたりをちょっと掘ると人骨がざくざく出てきて、某ハンバーガーチェーンの店が撤退したのは
その祟りのせいだとのプチ都市伝説もあったりましますが、それは浜辺が庶民の墓地だったから。
建長寺周辺もそのような場所だったのです。
(↓)十王岩周辺から見下ろした谷。画像では良く判りませんが、かなり急峻で深い谷間です。
このような谷あいに、庶民の遺体は棄て置かれたと言われております。
鎌倉時代は、幕府が成立してからも有力御家人同士の殺し合いが続き、多くの庶民が巻き添えを食って
命を落とし、また、飢饉・疫病・天変地異が庶民を襲い、その度多くの人々が死んでいきました。
決して満足して死んだ人ばかりではなかった訳で、そんな人々の為に、誰そがこの岩に十王像を彫ったので
しょう。「預修」と言って、生前に十王を祀れば死して罪を減ぜられるとの信仰もあったそうですから。
地獄谷は同時に処刑場でもあったそうです。そんなこんなで、十王岩の喚きは、不遇の死を遂げた人々の
怨嗟の声とされたであろう事は容易に想像できます。
と言うところで、画像の容量が足りなくなりましたので、続きにします…。
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