心霊現象を科学する!!

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別に、否定するつもりはないんです。だだ、こう言う見方もあるよと、そう言う事です。
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昔から変わらぬ人気の「心霊写真」。
 
今でも「心霊写真本」が本屋に並び、ちょくちょくTVでも特集が組まれ、今年もそろそろシーズンですから、その
 
手の番組がまた放送されるでしょう。どんな「心霊写真」にお目にかかれるのか、楽しみです。
 
 
さて、日本で初めて撮影された心霊写真って、どんなものかご存知でしょうか?
 
これだけの人気分野にしては、意外に知られていない様です。
 


 
現存する日本最古の「心霊写真」は、1879(明治12)年に横浜の写真師・三田弥一が撮影した1枚だとされており
 
ます。これです(↓)。
 
イメージ 1
 
 
中央に写っているお坊さんは、横浜の保土ヶ谷にある天徳院の当時の住職で、小山
 
天領と言う方(とされています)。
 
そのお坊さんに被さる様に女性の霊が写りこんでおります…。
 
 
 
 


 
この写真には、それなりの曰くがあります。こんな感じの…。
 
ある質屋の娘が住職に嫁いで来たが、夫婦仲は良くは無かった。妻は病気がちで寝込むようになり、医者代もかさむようになった。 嫌気がさした住職は病床の妻に水も与えずに放置し、ついには衰弱死させてしまった。いまわのきわに妻は、「覚えていろ、いまにとりついてやる」と、恨みの言葉を吐いたと言う。
その後、住職は横浜の写真館で写真撮影をしたが、出来上がった写真には死んだはずの妻の姿が写っていた。驚いた住職は、そのまま悶死した…。
 
また、別バージョンも。
 
住職は元は武士だったが、妾を誤って殺してしまい、菩提を弔うために仏門に入った。 後に天徳院の住職になる話が持ち上がったが、横浜の写真館で撮ってもらった自分の写真に、死んだ妾の姿が写っていた。供養の甲斐なく妾は成仏せず、亡霊として自分に取り憑いていると知った住職は衝撃を受け、悶死した…。
 
―まったく内容の違う話が並立しているのが、この手の話の常ですが、後者は、まだ住職になってない時に死ん
 
だ事になっているので、辻褄が合ってない様な気がします…。
 


 
実は、この「心霊写真」は、撮影されて間もなくネタばれしております。
 
明治12年1月14日付『仮名読新聞』によれば、写真に写っていた女性は住職の妻でも妾でもなく、住職が供養し
 
た女性だと言う事です。
 
この写真は単純な二重写しで、三田弥一はたまたま女性の生前に写真を撮っており、それを住職の写真と合成
 
して「幽霊写真」を作ったのです(当時は「心霊写真」ではなく「幽霊写真」と呼んでいたらしい)。
 
三田弥一は、この写真を客寄せの道具としていたらしく、写真館の店頭に飾っていたのだとか。
 
評判(?)が良いので高値で売り出した所、10日で300枚も売れたそうです。
 


 
しかし何故、天徳院のご住職が、インチキ心霊写真のモデルにさせられてしまったのでしょうか?
 
調べた所、天徳院には、「餅きらい地蔵」と呼ばれる秘仏があるそうで、それにはこんな逸話があります。
 
いつの頃にか、この寺の住職某が餅を貰ってこれを喰ったところ、餅がのどにつかえて、住職はまもなく他界した。檀家の誰彼と言わず、境内で餅を喰うと大抵は死ぬ。息づまりがしないにしてもどこかで怪我をしたり、又は家に帰ってからあとで病気に罹(かか)ったりする。故に、この寺では餅は禁物である。
 
この話が元になって、住職が悶死した…と言うエピソードが付け加えられたのではないかと思います。
 
当のご住職にとっては、傍迷惑なお話ですが。
 
 
イメージ 3(←)神戸山 天徳院 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
モロにインチキ臭い写真に、ありそうでなさそうな妖しい曰くをくっつけて、商売にする…。
 
130年前の日本で、現代に通じる「オカルト写真業界」のビジネスモデルが既に完成されていたとは驚きです。
 
三田弥一さんは、韮○さんや矢○さんらの偉大なる先達と言って良いでしょう。
 
 
それ以降、この業界に進歩がないのもまた驚きですが…。
 
 
(補足)かの井上円了は明治11(1878)年に、熊本鎮台の一兵士が撮影した「幽霊写真」を見たそうです。それはいるはずのない兵士の姿がぼんやりと写った物で、西南戦争の戦死者が写ったものではないかと地元で評判だったそうです。これが記録にはっきりと残る最初の「心霊写真」ですが、今に残っていないので、三田弥一の写真が「現存する日本最古の心霊写真」といえる様です。
 


 
(参考)タイキ・グループHP「保土ヶ谷 神戸山天徳院」 『心霊写真』 小池壮彦著・宝島社新書
 
 
イメージ 2
 
 
 
(↑)カイギストも、ビリーバーも、仲良くクリックしましょう!!

お菊人形の謎に迫る!!

髪の毛が伸びる「生き人形」…お菊人形の話を一度も耳にした事の無い方は、いらっしゃらないのでは。
 
今回は、その超有名ネタをやってみます。
 
イメージ 1
 


 
お菊人形は、北海道空知郡栗沢町の萬念寺と言う浄土宗のお寺に安置されております。
 
萬念寺の伝わる「お菊人形の由来」はこうです。
 
大正7年、札幌市に於いて開催された大正博覧会を見物に8月15日出札(札幌へ出掛けること)
狸小路の商店で、妹「菊子」にお土産として買ってきたオカッパ頭の胸の鳴る人形であった。
「菊子」は大変喜び、毎日人形と共に楽しく遊んでいたが、不幸にして大正8年1月24日、3才にして死亡。葬儀の際、大切にしていた人形を棺の中に入れてやるのを忘れ、出棺後見つけたのでお骨と一緒に仏壇に祀り、生前の「菊子」を思い出しながら朝に夕に回向しているうちに、いつともなく髪の毛が伸び出した。その後、樺太に移転することになり、昭和13年8月16日「菊子」及び父親助七のお骨と人形を萬念寺に頼み出発…
終戦後、引き揚げて追善供養のため萬念寺に参詣。
納骨した時より髪の毛が伸びており本当に不思議なことと思い、お人形を万念寺に 納め先祖代々供養をお願いした次第です。 
鈴木永吉
※鈴木永吉氏入館以後「お菊人形」と号し本堂に安置す。
 
 
この人形、耳くらいまでのオカッパだった髪の毛が、肩まで伸び、腰の辺りまで伸び続けたのです。
 
寺に預けられてからも、人形の髪は伸び、時々切り揃えられたとも言います。
 
 
3歳で早すぎる死を迎えた菊子ちゃんの魂が人形に乗り移ったに違いない…持ち主だった幼子の名前を借り、こ
 
の人形は「お菊人形」と呼ばれる様になりました。
 
―哀しくも不思議なお話です。
 


 
今でも時々、TVや雑誌などで採り上げられるお菊人形ですが、元々は北海道の片隅にひっそりと安置されてい
 
た人形が、どうやって全国的に知られる様になったのでしょうか。
 
別冊宝島415「現代怪奇解体新書」の中で、怪談研究家の小池壮彦氏が発表したレポートに、その辺りが詳しく
 
書かれているので、簡単にご紹介します。

 
小池氏によると、『週刊女性自身』1962(昭和37)年8月6日号に、この人形の話が出ているそうです。
 
 
記事を書いた北海道放送の馬渕豊記者は、当時のご住職と鈴木さんの隣家の方に取材しております。
 
この記事では、この人形を寺に預けたのは鈴木永吉さんの父親・助七さんで、寺が人形を預かったのは昭和33
 
年となっております。人形を預け、本州に出稼ぎに行った助七さんは、そのまま帰らなかったそうです。
 
人形の髪が伸びているのに気付いたのはご住職で、人形を預かってから3年程して、夢枕にずぶ濡れの助七さ
 
んが立ち「娘の髪の毛を切ってやってください…」と訴えたので、しまい込んでいた人形を改めると、髪が伸びて
 
いるのを見つけたと言う事です。
 
しかも、持ち主だった女の子の名前は、「菊子」ではなく「清子」となっています。
 
恐らくこれが、大手マスコミにお菊人形(この時点では「お清人形」と呼ぶべきか…【注1】)が採り上げられた最初
 
の事例ではないかと思われますが、話の内容は現在伝わっているものとはかなり異なっているのです
 
 
更に馬渕記者は、『ヤングレディ』1968年7月15日号で同じ人形を記事にしておりますが、何故か話の内容は、
 
6年前の記事とかなり変わっております。
 
ここで、大正博覧会に行った折に永吉さんが人形を買った…と、初めて大正時代のエピソードが加わります。
 
しかし、寺に人形を持ってきたのは助七さんで、それは昭和13年の事。樺太の真岡の炭鉱に行く事になった
 
助七さんが寺に人形を預けた事になっています。
 
そして、髪が伸びているのに気付いたのは、ご住職。昭和30年の春に、大掃除している時に気付いたと言う事で
 
す。(17年間も気付かなかったとは…!!)
 
そして、持ち主だった女の子の名前は「菊子」となります。ここで初めて、「お菊人形」と言う言葉が生まれたの
 
です。【注2】
 
 
同じ記者が書いているのもかかわらず、年代から名前から、何故こんなにコロコロと話の内容が変わ
 
るのか?人形の髪が伸びるのと同じ位に不思議です。
 
更に私の拙い調査力で調べてみると、馬渕記者の記事には他にも疑問符が付く記述がありました。
 
○大正7年に札幌で「大正博覧会」は開催されていない。開催されたのは「開道50周年記念北海道博覧会」であ
る。(大正7年8月1日〜9月19日)
○樺太には真岡と言う地名はあるが、そこは港町で炭鉱街ではない。WIKIの「樺太の鉱山一覧」には、真岡の地名はない。(九州に真岡炭鉱と言うのがあるが…。)
 
 
―と言う訳で、馬渕記者のあげた2つの記事は、信憑性に(かなり)欠けると言わざるを得ません
 
(元々が、女性週刊誌のゴシップ記事ですから…。『女性自身』の記事なんて、「あっ!今の声は幽霊だった…」
 
とか言う、意味不明のタイトルだし。)
 
 
さてその後、1970年8月15日付の『北海道新聞』に「怪談お菊人形」と言うコラムが掲載されます。
 
冒頭に挙げた、萬念寺に伝わる「お菊人形の由来」は、ほぼこの記事の内容に準じています。
 
ここで、「お菊人形の由来」は完成に至ります。大元は馬渕記者の2回目の記事がベースになっている様です
 
が、細部はかなり異なり、「朝夕回向する内、髪が伸びだした」と、宗教色が若干濃くなっております。
 
イメージ 2
 

 
「お菊人形の由来」の成立には、それをそのまま鵜呑みに出来ない経緯がある…としても、実際に髪は伸びてい
 
るので、この辺をどう説明しましょうか。
 
 
ちょっと、調べてみました。
 
結果、人形の髪は伸びる・もしくは伸びた様に見える事は良くある―と言う事が判りました
 
 
お菊人形は、「市松人形」と呼ばれる人形で、昔から女の子達の遊び相手として、広く普及していたものです。
 
こう言う人形の髪の毛には、戦前くらいまでは、一般的に人間の髪が使われていたそうです。
 
(化学繊維が普及した今でも高級品になると人毛を使う場合があるとか。)
 
お菊人形も、「人間の幼児の頭髪」が使われているそうです。【注3】
 
人の髪が使われている等と言うと、薄気味悪く感じる方もいらっしゃいましょうが、死人の髪を使う事は無く、
 
生きた女性の髪の毛を使っていました。方々を回って、髪の毛を買い付ける問屋さんもあったそうです。
 
当時の女性達は、生活費の足しにか、自分の髪を切り売りし、それが人形師に供給されていたのです。
 
髪の毛は、切られた後でも伸びるものなのだそうで、人形師は、市松人形を造ってからしばらく手元に置
 
ておき、伸びて不揃いになった髪の毛をもう一度切り揃えてから出荷していたそうです。
 
 
また、人形の髪を植え付ける方法として、長い髪を真ん中でU字型に二つ折りし、その部分を糸で結ん
 
植えると言う方法があるそうです。
 
人形が高級品でない場合など、この植え込みが杜撰な事があり、人形の頭を撫でたり髪を梳いたりを繰
 
り返すと、髪が引っ張られて、不揃いに伸びた様になる事が多々あるそうです。
 
お菊人形が、そう高級品であるとは考えにくいので、この説が当てはまる可能性は大だと思います。
 
 
しかし、耳くらいの長さだった髪が腰まで伸びるものなのかとお思いの方も多いでしょうが、そもそも、お
 
菊人形の髪は耳くらいの長さのオカッパだったのか?馬渕記者の記事の信憑性を考えると、それすら怪
 
しくなります。市松人形を色々調べたのですが、大多数は髪の長さが肩から胸くらいまであり、耳くらい
 
のオカッパ頭のものはレアケースでした。
 
 
―とまあ、いろいろ書いてきましたが、お菊人形の髪がどう言う風に植えられているのか?今まで何回くら
 
い髪を切ったのか【注4】?実際に人形をお寺に預けたのは誰なのか?人形の持ち主の本当の名は?…その
 
辺は現地に行って詳しく聞き込みをし、現物を詳しく調査しないと判らないので、決定的な結論は出せません。
 

 
しかし私は、調べて行くうち、「お菊人形の話」は完全な捏造とは言わないまでも、馬渕記者なる人が大幅に脚
 
色し創作を加えた、「造られた伝説」なのではないか―と言う印象を持った事を否定しません。
 
○髪の長さは元々肩から胸くらいあったが、「伸びた」事を強調する為、「最初はオカッパだった」とした。
○物語の神秘性を高める為、昭和の話を大正時代にまで遡らせた。
○「ずぶ濡れの父親が夢枕に立つ」等、怪談色を強めている。
○持ち主だった幼女の名前を「お菊」に変えた。(「皿屋敷」のお菊さんにダブらせ、馴染みやすくしたのか?)
 
―この辺が、馬渕記者が脚色・創作した部分ではないでしょうか。
 
 
ありていに言うと、萬念寺に預けられた後も、本当に人形の髪は伸びたのか?と言う疑問すら出てきます。
 
「今でもお菊人形の髪は伸び続けている」と書かれている本やサイトもありますが、実は、お菊人形の髪の毛は、
 
現在では伸びてはいないそうです。加えて、昔に撮影された写真と、最近撮影されたものを比べても、髪の長さ
 
や、ボサツキ具合は殆んど変わっていない様にも見えますし…。少なくとも、髪の短い(髪を切りそろえた状態で
 
の)お菊人形の写真と言うのは、今のところ1枚も見つかってはおりません。
 
 
(昔)恐らく昭和40年代の写真。            (最近)平成に入ってからの写真。
イメージ 4
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
     殆んど髪の毛に変化はない様に見えますが…
 
 
 
 
 
 
真実を知るのは、ただお菊人形のみです…。
 
 
 
 
【注1】記事中の人形の写真には「万念寺の生き人形」とキャプションが付いております。
【注2】記事のタイトルは、そのものズバリの「いまも髪が伸びつづける”お菊人形”」です。
【注3】前出の『北海道新聞』の記事より。
【注4】馬渕記者の『女性自身』の記事には、人形の髪を切るおばさんたちの写真に「年に一度、信者の手で髪が切られるが」とのキャプションがありますが・・・。

 
参考)謎々文庫(老舗人形店のブログ) 世界の謎・超常現象徹底解析「お菊人形の祟り」 超常現象の謎解き・「お菊人形」 歴史資料館・「大正博覧会」 Wikipedia・「樺太庁」 別冊宝島415「現代怪奇解体新書」
 

ちなみに、「髪が伸びる人形」は結構あちこちにあります。山梨県北巨摩郡須玉町の東漸寺、和歌山県
 
加太の淡島神社、青森県東津軽郡の湊久庵、大分県の某お寺さんにもあるそうです。個人宅にもかな
 
りの数がある様です。
 
 
イメージ 3
 
 
(↑)面白いと思われたら、バナーをクリックして下さいまし…
だんだん調子に乗ってきました。

手前味噌で恐縮ですが、以前「心霊スポット突撃」で横浜市栄区の瀬上池に行った事があります。

ここには、池の水面に母子の霊が立つ…との噂があり、「心霊スポット」紹介のサイト等にも良く採り上

げられる場所です。

瀬上池に限らず、全国各地に水面に現れる霊の話がありますが【注1】、定番の怪談と言えるでしょう。

事例

小学5年生のK君が、夏休みに友達3人と肝試しをする事になり、夜の学校へ向かいました。その日は朝方雨が降って蒸し暑かったのですが、夜には風もない良い天気になりました。学校に着くと、其々コースを決めて、一人で校内を回る事になりました。
K君がプールに差し掛かった時です。このプールはお墓だった場所に造られたと言われていて、土葬された女性が幽霊となって現れるという噂がありました。K君もその噂を知っていたので、急いで通り過ぎようとすると、目の前に何か白いものが映りました。プールの方を見たK君は腰を抜かしそうになりました。プールの水面に、和服を着た女性が立っていたのです…。
これは、TVでも採り上げられた有名な話です。ご存知の方も多いでしょう。

検証

夜中にプールに立つ和服の女…しかも、水面に…。元々女性の幽霊の噂があった事から、こればっかりは

どう考えても、本当に幽霊が出たとしか考えられません。

―と、思いますよね!?

実は、このプールの水面に立つ幽霊の正体は、目撃者のK君本人だった可能性が高いのです。

何を訳の判らん事を言ってんだTOは?熱でもあるのか?と皆様があきれ返る姿が目に浮かびます。

幽霊の正体見たり…

この事例は、「ブロッケン現象(Brocken spectre)」で説明できます。

「ブロッケン現象」とは、光が背後からさしこんで、影の側にある雲や霧によって光が散乱され、見る人

の影が現れる現象です【注2】。山岳の気象現象として有名ですが、平地でも川霧等に現われる事がある

そうです。

                    水面に現れた「ブロッケン現象」(↓)
イメージ 1


当日の夜は晴れていて霧は出ていなかったのですが、調査の結果、プール周辺にだけ局地的な霧が出てい

た可能性が高いことが判明しました。


その夜の学校周辺は、気温は32度・湿度は80%と蒸し暑く、反面プールの水温は(地下水を使っていた

為)15度と、通常のプール水温(22度以上)に比べてかなり低い温度でした。結果、湿った空気がプール

の水に冷やされて霧が発生していたと考えられたのです。これは「目の前に何か白いものが映った」との

K君の証言にも符合します。


しかし、霧が出ただけでは「ブロッケン現象」は起こりません。K君の背後からの光源が必要です。

周囲の建物や道路の位置関係から、この光源は学校裏手の道路を走る自動車のヘッドライトではないかと

推測され、実験の結果【注3】により裏づけが取れました。【注4】


もちろん、「ブロッケン現象」で現れたK君の影が、はっきりと「和服の女性」の姿になる事は有り得ま

せん。しかし、「土葬された女性(≒昔の人≒和服)が幽霊となって現れる」と言う噂が刷り込まれて

いたK君には、影が「和服の女性」に見えてしまったのだと考えられます。


―と、幾つかのサイトに書かれている事の受け売りを書いてきましたが、冒頭で紹介した瀬上池も、実は

この事例の環境に非常によく似ているのです。山あいの湿地帯で霧が出やすく、一方が市街地に向けて開

いているので背後の光源も状況により確保できる。しかも、「母子が入水自殺した」と言う噂がある。


案外、肝試しに行った人が、自分の影に恐れおののいているのかもしれません。

(検証終わり)



【注1】水面の霊の例(洒落か?)=愛知県犬山市・入鹿池にはトランペットを吹く少年の霊が現れ、長崎県・西海橋では夜中に橋から水面を見ると白い影が見えたりするそうです。

【注2】厳密に言うと、影の周りに現れる虹の様な光の輪の事を言うのですが、何故か人影の方がフューチャーされております。

【注3】実験=プール上にスモークを流し、裏手道路から照明を当てたところ、現象が再現できたそうです。照明で証明するとは洒落が効いています。



―以上はあくまで事例に対する合理的解釈の一つであり、真実性を保証するものではありません。
信じるか信じないかは、アナタ次第です…。
真夜中の病院…オフィス・ビル…奇妙な足音が響く。…しかし、誰も居ない…。

怪談の定番中の定番です。

事例1

【某怪談サイトより、ある医師の証言】
私が以前勤めていた病院は、カルテ庫に「出る」と言う噂でした。当直の夜、気持ち悪かったのですが、どうしても資料を探さなければならなくなり、一人でカルテ庫にこもっていました。夜中の2時ごろでしょうか、廊下から足音が聞こえてきました。そろそろ巡回の時間だったので、てっきり警備員さんの足音だと思っていたのですが、どうも妙なのです。その足音はぺちゃん、ぺちゃん…とまるで濡れた裸足の足で歩く様な音なのです。患者さんが徘徊しているのかと思って、廊下を見ると、そこには誰もいません。ゾッとして、慌てて当直室に戻り、布団をかぶりました。
(以上は、これから難癖つける事になるので内容を多少いじっておりますが、大筋は変えていません。)

検証

深夜の病院、誰も居ない廊下で、濡れた足音がする…誰がどう見たって幽霊と思います。

が、しかし!!本当に誰も居なかったのでしょうか?

証言を読むと、足音が聞こえた時間帯は警備員の巡回時間と一致している様です。

と、言う事は、その場ではないにせよ、病院内を警備員が歩いていたと言う事です。

そう。この足音は、警備員の足音だった可能性が高いのです!!


えー、でも、廊下には誰も居なかったし、足音だってどう見ても警備員の足音じゃないだろう。それとも

警備員は透明人間で【注1】、裸足で歩き回るのか!?―とのツッコミが聞こえてきそうですが…。

幽霊の正体見たり…

この事例は、「フラッター・エコー(flutter echo)」で説明できます。


「フラッター・エコー」とは、極々簡単に言うと、平行に向き合った堅い面がある場所で拍手・足音など

の衝撃性短音を発したとき、壁・床・天井に音が何度も何度も反射を繰り返し(多重反射)し、音源とは

違う音(ピチピチとかブルブルとかビィーンとか様々)に聞こえるという現象です。
イメージ 1

有名なのは日光東照宮薬師堂の鳴き竜【注2】。手を叩くと天井に描かれた龍が鈴の音の様な声で鳴くと

言うやつです。
イメージ 2

病院は、限られた建築空間により多くの患者さんを入れる為に、押並べて天井が低く設計されています。

また、機能性重視で廊下や部屋は真四角に作られる事が多い為、「フラッター・エコー」が発生しやすい

のです【注3】。


この事例の場合、見通し外の(廊下を曲がった先とか、階段の上とか)建物内を歩く警備員の足音が反響

し、「フラッター・エコー」を起こして、ぺちゃぺちゃと濡れた足音に聞こえたものと考えられます。


また、この事例でも「深夜の病院」「出ると言う噂」と言うファクターにより、バイアスがかかってより

「濡れた足音」の様に感じられたものと思われます。

(検証終わり)


【注1】ソッチの方がネタとしては面白い。

【注2】鳴き龍=江戸時代から鳴いていたのかと思いきや、龍が鳴くのが発見されたのは意外に近くて、1905(明治38)年の事。天井に住み着いたハトを追い出そうとして、手を叩いた時に発見されたそうです。
関係ありませんが、「哭きの竜」はマージャンを知らない私でも読んでて面白かった名作だと思います。
「悪いナ それロンだ」―ロンって何?



―以上はあくまで事例に対する合理的解釈であり、真実性を保証するものではありません。
信じるか信じないかは、アナタ次第です…。(一度言ってみたかったセリフ)

事例

1984(昭和59)年5月15日の午前7時25分頃、静岡市産女(うぶめ)の県道で女性が運転する乗用車が集団登校中の児童の行列に突っ込み、児童数人を跳ね飛ばしてガードレールに激突するという事故がありました。

運転していた女性は、三つ辻の道路の左側に奇妙な老婆が立っていて、その老婆を避けようとしてハンドル操作を誤って事故になったと証言しました。

事故現場である「産女」と言う地名は、江戸時代に死んだ妊婦の霊が何度も現れた事に由来するとされ、その怨念を鎮めるためこの地には「産女明神」が祀られております。

民俗学者の宮田登氏は、産女という名の土地に現れた妖怪・ウブメ【注1】が働きかけたことが事故の原因であり、ウブメのような妖怪変化があらわれる辻のもつ霊的な力が民間伝承として現代に出没していると語っています。
                          産女(↓)
イメージ 1

検証

まず、産女と言う地名の由来から。産女明神の縁起を調べると、実はこんなお話でした。


難産で亡くなった武士の妻。その霊が夜な夜な現れ「お産を助けて下さい」と頼むので、「助けて差し上げたいが、どうすれば良いでしょうか」と村人達が尋ねた。妻の霊は「夫の兜の内側に、わが家に伝わる千手観音を秘めてございます。その御仏に祈ってくださればよいのです」と言う。そこで、村人達は千手観音を見つけだし、寺に納めて祈った。すると再び霊が現れ、「これからは、子どもの恵まれない方、お産みになさる方は、この御仏にお祈りしてください。必ず、お守り下さいます。私も、この村をお守りしたいと思いますので、私を山神(さんじん)として、祠(ほこら)をお建てください」と言い残した。村人達はお宮を建てお祭した後、村ではお産で苦しむ者がいなくなった【注2】。


と言う事は、この地の産女は土地の守り神であり、「産女明神」はその依り代なのであって、決して「怨

霊を鎮める為」ではないのです。守り神が、何故交通事故を引き寄せるのか?単にウブメと言う語感だけ

で妖怪扱いされたとしたら、長年土地を護ってきた霊も浮かばれないのではと思います。


まあ、それは良いとして、科学的にこの事故を検証してみましょう。

この事故のキーマン(キーウーマンか?)は、加害者女性が目撃した「奇妙な老婆」ですが、実は事故の

目撃者で「奇妙な老婆」を見た人は一人も居ないのです。かわりに、目撃者は「加害者の車がオートバイ

を追い越そうとして事故になった」と証言しております。

つまり、加害者女性はオートバイを「奇妙な老婆」と見間違えていたのです

幾らなんでも、バイクと老婆を見間違うか!?とツッコミが聞こえてきそうですが、その可能性は十二分に

あるのです。

幽霊の正体見たり…

状況からすると、この加害者女性は「高速道路催眠現象【注3】」の状態にあったと考えられます。

「高速道路催眠現象」とは、車の中など周囲の環境から孤立した状態で単調な視覚刺激下に一定時間おか

れると、人間は一種の催眠状態に陥り、幻覚(感覚遮断性幻覚)を見やすくなると言う現象です。大脳へ

の感覚刺激量が減り、覚醒状態を保てなくなる為に起こると言われています。

「高速道路催眠現象」の有名な事例は、ある婦人科医のケースでしょう。興味深いお話です。
まだ日本の道路に車が少なかった時代。ダッジの中古車の出物を100万円で買った婦人科医のK氏は、ある朝早くその車で往診に出かけた。ごみごみした街中を出てたK氏のダッジは、野原の真中をまっすぐに突き抜けているバイパスを走っていった。途中は対向車1台だけという空いた道で、この世はまるでK氏の為だけにあるような朝であった。しばらく行くと急に霧が立ちこめだし、みるみる濃くなって視界が10メートルくらいになってしまった。速度を落として走るとやがてその霧も晴れ、再びもとの清々しい朝に返った。

往診を終え病院に戻ると、程なくして警察が訪ねて来た。今朝発生した轢き逃げ事件について、K氏の車を調べさせて貰いたいと言う。全く心当たりの無いK氏は、申し出を承諾し、車はガレージに入ってますからと、警官にキーを渡した。しばらくして戻って来た警官は、車両を検分した所、K氏が轢き逃げ犯である可能性が非常に高いとして、同行を求めてきた。驚いて反論するK氏を警官がガレージに連れて行った。K氏は気付いていなかったが、改めて指摘されると、ダッジには血痕・凹みなどが残っていた。またK氏のダッジと同じ車が農道で農婦をはねた所を目撃した人も居るとされ、K氏も自分が人をひいた事を認めざるを得なかった。

罪を償った後も、K氏は自分の過失が信じられず、色々と調べてまわった。すると、当日の朝、現場付近に霧は発生していなかった事が判った。また、ダッジの履歴を辿ると、元々はアメリカ某所で乗られていた車で、何度か人をひいて死なせている過去があり、それが流れ流れて日本で売られていたのだ。100万円と言う、破格の値段で買えたのはその為だったのだ。
ダッジの祟りで人身事故を起こした…。などと思われがちな例です。

しかし、調査の結果、そのダッジはガラスが薄く青みがかっている為に外光の刺激が少なく、座席もふか

ふか。非常に快適なのは良いが、反面外からの刺激が少なく「高速道路催眠現象」を引き起こすにはうっ

てつけの車だという事が判りました。

K氏は、早朝まだ完全な覚醒状態になっていない時に刺激の少ない道を走っていた為、催眠状態に陥った

と考えられます。「霧が立ちこめだし、すぐ濃霧になってしまった」というのは、すでにこの時催眠状態

に陥っていた事を示唆します。「速度を落として走っていたら、霧が晴れてきた」というくだりは、まさ

に眠りに入る寸前、道路にいた農婦をはねた衝撃で「再びもとの清々しい朝に返った」、すなわちK氏の

意識が覚醒したという事です。車が重量の重いアメ車だったこともあり、衝突のショックも比較的軽くて

事故を認識できなかったのです【注4】。


周知の通り、高速道路が緩やかな曲線(クロソイド曲線)を多用して設計されているのも、運転者の脳に

適度な刺激を与えて「高速道路催眠現象」の発生を防止する為です。それほど、「高速道路催眠現象」は

ごくありふれた現象であると言えるのです【注5】。


「産女」の事例も、事故が発生したのはまだ朝も早い時間帯。加害者女性は脳が完全に覚醒する前に車を

運転したので、容易に「高速道路催眠」状態に陥ったものと考えられます。つまり、幻覚によりオートバ

イが「奇妙な老婆」に見えてしまい、それに驚いて事故を起こしてしまったのだと考えられるのです。

(検証終わり)



【注1】産女、姑獲鳥(うぶめ)は死んだ妊婦が化けた妖怪で、憂婦女鳥とも書きます。 バリエーションは多く、日本中に様々なタイプの産女が分布しております。しかし、産女から抱かされた赤ん坊がドンドン重くなるのを耐えていたら力持ちになったとか、いつの間にか抱いている赤ん坊が黄金をたくわえた壷になって金持ちになったとか、産女ってどっちかと言うと、是非会いたい妖怪なんですが…。

【注2】産女観音HPより。

【注3】高速道路催眠現象(ハイウェイ・ヒプノーシス)=別に高速道路でなくても起きます。アメリカで高速道路網が発達していった時代、天気がよく見通しのいい高速道路で自殺同然の事故が多発した事で調査・研究が行なわれ、この現象が見出されたのでこの名があります。


【注5】運転中にボーっとしてきたら、早目に休憩をとりましょう。


しかし、この説をとると、車に纏わる心霊現象のかなりの部分が説明できてしまうのです。

困ったもんだ…。

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