オーパーツ・コーナー

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オーパーツ(Out Of Place ARTifactS、場違いな加工品)とは、考古学上その成立や製造法などが不明とされたり、当時の文明の加工技術や知見では製造が困難であるか、あるいは不可能と考えられる、主に出土品を指す用語である。ただし、正式な考古学用語ではなく、そういった出土品の存在を強調して考古学上の通説に疑義を唱える意図で良く使われる。

―世にあまた転がっているオーパーツを徹底検証!!子供の頃からの疑問が全て解けます!!(たぶん。)
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一般的に電池は、18世紀後半に発明されたといわれていますが、バクダッドにあるパルティア遺跡から奇妙な壷が発見され、これは約2000年前のもので電池と同じしくみをしていると考えられています。「バクダット電池」と呼ばれているこの世界最古の電池は、レプリカ作成により約5ボルトの発電ができると実証されたのですが、2000年もの昔、何に使用されていたか、その目的ははっきりしていません。
                                                      (ソニー製品情報HPより)
 
たまたま覗いたソニーさんのHPにこんな記述があったので、ビックリして思わず記事にしてしまいます。
 
 
バグダッドの電池」は、オーパーツの本なんかには必ず出ている有名物品です。私の子供の頃にも、「世界の
 
不思議」系の本に良く出ておりました。
 
                              (↓)これです。
イメージ 1
 
日本を代表する電機メーカーであるソニーさんのHPに、オーパーツが載ってるなんて!!
 
―と少々驚いた次第です…。
 


バグダッドの壷とは?
 
この壷が発見されたのは、1932年。民家遺構の中から、呪文が書かれた3つの鉢と一緒に出土したそうです。
 
高さ10cm・直径3cmほどの小さな壷は、アスファルトの詰めもので口を封印されており、中には銅で出来た円
 
筒形の容器が入っていて、さらにその容器の中心部には鉄製の棒が入っていると言う、奇妙な構造をしておりま
 
した。発掘当初は、一体何にこの壷を使ったのか、さっぱり判らなかったそうです。
 
1938年、バグダッドにあるイラク博物館の研究員であったヴィルヘルム・ケーニッヒは、「この壷は古代パルティ
 
ア人(BC248年〜AD226年)が装飾品に金メッキを施す際に使用した『電池』だ」と主張する論文を発表。
 
証拠の一つとして、鉄の棒が酸化して腐食していた事が挙げられました。これは、何らかの電解液が壷に入れら
 
れていた為だと考えたのです。
 
その説を基に、1978年に西ドイツで開催された展示会でこの壷が「パルティア時代の電池と推定される器具」とし
 
て展示され、世に出る事になったのです。
 
 
実際、バグダッド近辺からは金メッキを施したと思われる装飾品が出土しており、この「電池説」を裏付けました。
 
しかも、電池メーカー大手のボッシュが、壷のレプリカとバルティア時代でも入手可能な電解液(酢やブドウ果汁
 
など)を使って行った実験では、微弱ながらも電流が発生する事が証明されたのです
 
同時に、数時間かけて銀製品に金メッキを施す実験にも成功しました。
 
 
そうなると、2000年以上前に電気が利用されていたと言う事になり、科学史が覆されてしまいます。
 
 
オカルト・ブームの中では、この壷は古代に高度な科学文明が栄えていた証拠であるとか、宇宙人が電気の使
 
い方を古代人に教えたとか、そう言う説の物証の一つとして採り上げられる様になりました。


本当に電池なの?
 
しかし、この壷の存在を、即「高度な科学文明」や「宇宙人の来訪」に結び付けるのは、論理の飛躍と言うモノで
 
す。何しろ、証拠は「電池」と「金メッキされた装飾品」しないのです。電池に繋ぐ電線すら発見されておりません。
 
 
本当にこの壷は「電池」として使われていたのでしょうか。
 
実は、ケーニッヒの説や、ボッシュの実験には多くの反論が為されているのです。
 
 
まず、ボッシュの実験では、壷の口を封印していたアスファルトは除かれ、壷を開放した状態で行われました。
 
つまり、オリジナルではない状態で実験が行われたのです。
 
発見された状態(口を密閉した状態)で実験を行うと、化学反応に必要な酸素が遮断され、すぐに電流は止まっ
 
てしまいました。
 
また、金メッキされた装飾品についても、電気を使わずとも金メッキする方法はずっと以前から知られており、
 
この壷が電池である事の証明にはなりません。【注1】
 
 
長い年月土中に埋まっていた壷は、当然ながら劣化・損傷しており、水分が浸入し得る状態だったので、中に入
 
っている鉄の芯が腐食していても何の不思議もありません。鉄芯の腐食の原因に、わざわざ電解液を持ち出す
 
方が不自然なのです。
 
 
―つまり、この壷が「電池」であると考えるには、相当な無理があるのです。
 


壷の正体!!
 
では、この壷は一体ナニモノなのでしょうか?
 
 
実は、ケーニッヒは考古学の専門家ではなく、本職は画家。その為か、論文の中で壷の年代特定を誤ってしまい
 
ました。この壷の様式は3〜7世紀のサーサーン朝時代の物で、ケーニッヒが唱えた時代よりもずっと後に造られ
 
たものだったのです。
 
同様の壷は、他の遺跡からも多数発掘されており、中にパピルスの繊維が入っている壷が幾つも見つかりまし
 
た。考古学者は、壷の構造からして、「鉄の芯にパピリスを巻きつけ、それを銅製の容器に入れて更に素焼きの
 
壷に入れていたもの」と考えました。つまり、「バグダッドの壷」はパピリスの保管容器だったのです。【注2】
 
 
これらの壷は、まず例外なく建物の基礎部分に埋められている事から、呪文の様なものを書いたパピリスを入
 
れて埋めた、つまり、魔よけや招福のととして使われていたのではないかと考えられています。鉄の芯や銅
 
の容器が使われたのも、ソポタミアの人々が「金属には魔力がある」と考えていたからだと思われます。【注3】
 
 
つまり、「バグダットの壷」は、古代に栄えた高度な科学技術の賜物でも、宇宙人からの贈り物でもな
 
く、古代バビロニア人の信仰(迷信)の産物だったのです。
 
「伝説」と正反対の結論が出ると言うのは、オーパーツ・ネタにありがちな事ですね。
 


 
―と言う訳で、天下のソニーさんがそんな事知らない訳でもないでしょうに…と言うオチでした。
 
 
しかし、HPに、(私が好きそうな)怪しげなオーパーツを載せるとは…ソニーさんの社内で「超能力の研究」が
 
行われていたと言うのは有名な話ですが、やっぱりこの手の話が好きな社風なのかな…?
 
 
 
 
【注1】当時の金メッキは、水銀を混ぜて行なう無電解の「アマルガム法」などが使われていた。
【注2】同様に、壷をパピルスの保管容器として使う事例は、ヨルダンやイスラエルなどでも多く見られる。
【注3】考古学者エメリッヒ・ペッツォリの説。
 
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
(↑宜しければ、クリックして下さいまし…)

キリストの墓2

さてキリストの墓のお話ですが、この「伝説」は大昔から戸来村に伝わっていた話かと言うと、実は

そうではないのです。


1935年(昭和10年)8月初旬。皇祖皇太神宮を復興し天津教の開祖となった竹内巨麿氏が戸来村を訪れた

折に、2間〜3間の長方形の盛り土を見て、「十来塚」と呼ぶようにと村長に話しました。

その後、巨麿さんは「竹内文書」に「キリストが戸来村にやってきて、そこで没した云々」の記述がある

と主張し、それが「キリストの墓」伝説の始まりであり、全てになりました

それまでは、村には「キリスト終焉の地」の伝説は、何一つ無かったのです。


ちなみに「竹内文書」とは、いわゆる「古史古伝」と言われる古文書の一つ。

「古史古伝」とは、「日本書紀」などの正史とは異なる歴史を伝えるモノとされ、またの名を「超古代文書」。

―だんだん、胡散臭くなって参りました。

「竹内文書」については、多くの体系的な批判がなされており、詳しくは省きますが、早い話が「偽書」

とされております。(古文書のくせに「ニューヨーク」「ヨハネスブルグ」などの現代の地名が出てきた

りします…苦笑)




―さて、どう言う事か、ちょっと詳しく見て行きましょう。


観光開発に熱心に取り組んでいた昭和初期の戸来村村長。

しかし、期待していた十和田湖国立公園の指定地域から、戸来村は外れてしまいます。

取り立てて観光資源らしいものは何もない村。

戸来村出身の画家・烏谷幡山は、村長から何か良い観光PRはないかと相談を受けていた様です。

烏谷幡山と言う人、実は「超古代史マニア」でもあり、知人に酒井勝軍と言う人物がおりました。

この酒井勝軍さんこそ、「日本にもピラミッドがある」と言い始めた、最初の人!!

「日ユ同祖論」(日本人の先祖はユダヤ人だ、また逆に、ユダヤ人の先祖は日本人だ、と言う説。真逆な

話が同時に成立しているのがミソ)にハマって、中東にモーゼの十戒石探索に出掛けた事もある程の怪し

いモノ好きな方です。

烏谷さんは、酒井さんが「比婆山はピラミッドだ」等と言い張っているのを知り、

「ピラミッドなら、ここにもありますよ」と、酒井さんを戸来村に招待します。

案の定、碌な調査もせず、山の形とか、転がっている石等の見た感じだけで「これこそ、日本のピラミッドだ!!」と

認定する酒井さん。

呼ぶ方も呼ぶ方なら、言う方も言う方と言う、どっちもどっちといった、この展開…。

あとは、この石はナントカ石。こっちはカントカ石。と思いつくまま由来を付けて一丁あがり。


―'お寒いですが、これが、「大石神ピラミッド」の曰くです’。

(「太陽のピラミッド」とか言ってたらしいですが、ユダヤは太陽神信仰ではないのですが…?)


しかしこれで、観光客が呼べると喜んだのは、村長さんでしょう。

昭和9年の《東奥日報》には《太古日本、第二のピラミッド発見〜三戸村戸来村に於いて》という烏谷さ

んの手記が掲載されました。


そして、いよいよ真打・竹内巨麿さんがやって来ます。酒井さんに呼ばれて

かねてから天津教だのと言う、巨麿先生の活動に影響を受けていた酒井さんは、巨麿さんとも旧知の仲。

酒井さんの招きで戸来村を訪れた巨麿さんは、竹薮の中に埋もれかけていた「土饅頭」を指し、

これを「十来塚」と呼ぶよう村長に具申します。

その後、自身が発見したと言う例の「竹内文書」の中に、先述のキリスト渡来の話が出ていると主張し、

「十来塚」はキリストの墓であると認定します。

(巨麿さんは、キリストは「イスキリス・クリスマス・福の神」と言う、とてつもなくお目出度い名を名乗っていたと

仰います…。)

自分の指定した場所を自分でキリストの墓だと認定するのですから、随分と手前味噌な話です。

しかも、巨麿さんたら、それ以前にも、日本にはお釈迦様の墓もある、モーセの墓もある、と主張してい

た方です。

この人を放っておけば、日本中が世界の偉人の墓だらけになってしまう。

しかし、恐らくそんな事は露知らなかったであろう戸来村村長以下村民の皆さんは、半信半疑ながらも

「おらが村にも、こんな偉い名所が出来た」と喜んだ事は想像に難くありません。


さらに、この「キリストの墓」を全国に広めたのは、山根キク女史

女史が書いた「光は東方より」(昭和12年)、「キリストは日本で死んでいる」(昭和33年)の両著で、

巨麿さんの主張に学術的補足をします。つまりは、もっともらしい説明をつけたのです。

山根女史の本は共にロングセラーとなり、世に「キリストの墓」の存在を知らしめる事になります

しかし、残念ながら、山根女史も正統なアカデミズムに属する方ではなく、クリスチャンの山根女史は

布教活動を通じて知り合った巨麿さんの説にどっぷりハマった「信者」の一人だったのです…。

山根女史は、真摯に現地を調査し、執筆したのですが、お膳立ては全て上記の皆様が行なっていたので、

結果は目に見えておりました…。


しかも、山根女史は、沢口家当主の彫りの深い風貌をして、「キリストの子孫に間違いない」と迂闊に

もお墨付きを与えてしまいました。恐らく、その場の思いつきか、リップサービスで。

しかし、クリスチャンの女史は「やっぱり、キリストが子供を残すなんておかしい」と考えを戻します

が、その頃にはもう後の祭りで、「キリストはユミ子という女との間に子供をもうけ、長女が沢口家の先

祖の妻となった」などと尾鰭の付きまくった文献が出回っていたのです。

誰がやったか、おおよそ想像はつきますが…)




―と、言う訳で、誇大妄想気味の教祖様とそれをとりまくオカルト・マニアの方々が、青森の片田舎で勝

手におっぱじめた騒動が、「キリストの墓」伝説の顛末だった様です。

(巨麿さんは(文字通りの)確信犯的ですが、村長さんや鳥谷さん、酒井さんや山根女史には、そう悪気

はなかった様な気はしますが…。)



また、「ナニャドヤラ」と言う伝承歌が、ヘブライ語で読めると言う話ですが、これは別に戸来村だけで

歌われている訳ではなく、広く岩手、秋田にまたがって歌われています。

このネタを供給したのが、川守田英二さんという牧師さん。

自ら著した「ヘブル詩歌の研究」と言う本の中で、日本全国にヘブライ語の痕跡が見いだせるとの説を書

き、その一例として、「ナニャドヤラ」を取り上げたのです。

しかも、前書きには「キリスト伝説とは関係ありません」と、思いっきり書いてあるのです…。

考えてみれば、キリストはアラム語を使っていたと言うのが定説なので、ヘブライ語の歌詞が戸来村に

残る訳がないですね。


また、「ダビデの星」の紋様も、日本では「篭目紋」などと呼ばれ、戸来村に限らず各地に分布しており

ます。これは、元々木で籠を編んだ時に出来る紋様を図案化したもので、やはり「魔除け」になるとされ

ています。

(よく身の回りを見ると、手ぬぐいや和服の柄など、あちこちにこのデザインが使われています。)

蛇足ですが、「ダビデの星」は六角形ですが、「ダビデの星」と酷似すると言われる沢口家の家紋は五角

形の星です…。
                            
                            ↓「ダビデの星」
イメージ 1


                            ↓「篭目紋」
イメージ 2

                            ↓「沢口家紋章」
イメージ 3

―これでは、沢口家の紋章はアメリカ軍のマークだ!!と言った方が、近い様に思われます。



しかし、この地とキリスト教が全くの無関係だったかと言うとそうではなく、「当代記」によると

慶長18年(1613)12月、家康が出した禁教令により、翌年2月には、改宗しなかった京都・大坂のキリシ

タン70人余が、津軽流刑に処されたとされます。

当時、重大な政治犯の流刑地であった津軽へ流刑となったキリシタンの中には、高貴な身分の武士も含ま

れており、彼らはいくつかの集落に分かれて居住させられ、弘前藩の監視のもとに置かれた(H・チース

リク編『北方探検記』)そうです。

流刑されたキリシタン達は厳しい環境の中でも信仰を続けたとされ、戸来村に伝わる一風変わった風習

などは、その頃の名残なのかもしれません。

実際、旧戸来村にはクリスチャンが多く、冠婚葬祭をキリスト教式で行う家は珍しくないのです。

その様な土壌もあって、「キリストの墓」が地元の方々に好意的に受け入れられたのだと思います。



―と、まあ、「キリストの墓」は単なる与太話だったにせよ、それを知ったからこそなお行ってみたく

なりました


そう言う意味では、往時の関係者の方々の観光PRにまんまと乗せられている私です。


(蛇足ですが、「キリストの墓」と云われる場所は、世界中あちこちにあるそうです。)

キリストの墓

青森県三戸郡新郷村戸来(へらい)地区。


町村合併前の戸来村という地名の方が通りが良いかも知れません。

ここは、私もかねてから一度は行って見たいと思っている場所です。

なぜなら、ここには、「キリストの墓」があるからなのです。


「日本にキリストの墓がある」と言うお話は、誰でも一度は耳にした事があるのではと思います。

しかし、大抵の場合、「へぇ」「ふ〜ん」で終わってしまい、詳しくは良く判らないままスルーする

のが常ではないかと。


―そこで、将来の戸来探訪の下準備として、少し詳しく調べてみました。


戸来の「伝説」によると…。

ゴルゴタにて磔にされたのは、実はキリストの弟・イスキリで、本物のキリストは密かにシベリア〜アラスカ経由で日本に渡り、八戸へ上陸。
「十来太郎大天空」と名を改め陸奥国 戸来村に移住し「ミユ子」という婦女を娶り三人の女子をもうけ106歳の天寿を全うした。
そうです。 戸来地区に残る「十来塚」と呼ばれる塚は、キリストの墓であり、隣の「十代墓」にはイスキリの耳と聖

母マリアの髪が納めてあるとされます。

また、戸来周辺には、ユダヤ民族との関係を思わせる傍証があります。

〇「戸来」の村名は、「ヘブライ」に由来する。(と言う説がある)
〇現地の伝承歌である「ナニャドヤラ」はヤハゥエを讃えるヘブライ語の歌である。(と言う説がある)
〇近くに「大神山」という古代のピラミッドがある。(と言う説がある)
〇「十来塚」がある土地を代々受け継ぐ旧家(沢口家)の家紋は、ユダヤのシンボル「ダビデの星」と酷似している。
〇魔除けとして、子供の衣類などに「ダビデの星」を縫い付ける風習がある。
〇父親を『アヤ(ダダ)』母親を『アパ(ガガ)』と呼ぶ。これは、「アダム」と「イブ」につながる。
〇子供が生後10ヶ月を経て、初めて戸外に出す時に、子供の額に墨で十字を書く。
〇手足が痺れたとき人差し指にツバをつけて額に十字を三回書くと痺れが直るといわれている。
〇その他諸々。

凄いですね。


―しかし、もし、「キリストの墓」がホンモノで、しかもキリストが子をもうけていたと言うのが事実で

あれば、キリスト教的には、「ダヴィンチ・コード」など足元にも及ばない大大大問題です。

(妙にさらっと「三人の子をもうけ…」等と言っている所がコワイ…)

と、言うより、キリスト教の存在基盤を揺るがす大脅威です。

バチカンは何故この問題を放っているのか?それとも、余りにヤバいネタなので、黙殺しているのか?

(実際、そう言う説もあるようですが…)


もしかしたら私は、大いなる歴史の暗闇に足を踏み入れてしまったのか!?

こんな記事を書いて、闇の暗殺教団か何かに狙われやしないか???

そんな恐怖に襲われつつ、もう少し調べていくと、面白い事が判りました。

パレンケはメキシコにあるマヤ文明の古代都市遺跡で、世界遺産に登録されております。

ここには、有名なオーパーツがあります。

ジャジャジャン!!

イメージ 1

1952年6月15日に発見された、紀元7世紀の王・パカルの石棺の蓋に彫られたレリーフです。

パレンケの宇宙飛行士」等と呼ばれています。

私が子供の頃からUFO本等に再三採り上げられていた、お馴染さんです。


鼻に酸素チューブの様なものを着け、手は機械を操作するように描かれ、足はペダルを踏んでいる。

機体前部には飛行コンピューターが搭載され、尾部のノズルからはロケットの噴射炎が噴出している…。

まさに、ロケットのパイロットを描写したとしか思えない彫刻です。

この事から、古代マヤ文明に対し、地球外生命体から何らかの影響が及ぼされた証拠とされています。



…しかし、実はこのレリーフ、この様に「縦」に見るのが(↓)正しい見方なのです。
イメージ 2

これは、この石棺の置き方が、墓室入り口から見て縦置だと言う事からも明白です。


そして、レリーフに描かれた「模様」はそれぞれ意味があります。
○一番上の鳥の紋様=マヤ文明の聖なる鳥「ケツァルコアトゥル」。この鳥は天上の世界を表しているとされ、他の神殿のレリーフにも、生命の樹の頂上にとまっている姿が描かれている。
○真ん中の部分=「生命の樹」と呼ばれるトウモロコシを様式化したもので、十字架を表している。
イメージ 3
                   「生命の樹」のレリーフ ○人物=パカル王。胎児のような姿勢なのは、夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わるというマヤ文明の考え方による。 ○パカル王が腰掛けている部分=「四分交差の支配者の記章」 ○ロケットの炎の様な部分=地下世界の守護者である「地の怪物」が大きく口を開けてパカル王を飲み込もうとしている様子を表している。 このレリーフは、パカル王が死に際して地下世界と天上世界の間で宙吊りになっている状態を表されていると解釈されています。

つまり、古代の宇宙飛行士と言われるこのオーパーツも、「ぱっと見、そう言う風にも見える

だけだった…と言う事です。

(オーパーツには多いですね、このパターン。)


更に、UFO本等では、先に私が描写した様に「酸素チューブの様なもの」とか「手は機械を操作するよ

うに描かれ、足はペダルを踏んでいる」(実際は手には何も持たず、ペダルも無い。)とか「飛行コンピ

ューター」等等、読む人をミスリードさせる表現を使う為、素直な人ほど「なるほど、そうかいな」

と思ってしまいがちなのです。


大体が、宇宙飛行士の癖に、半裸でヘルメットも被っていない時点でアウトの様な気がします…。
オーパーツ・ネタ、続いては「水晶ドクロ」です。

「黄金ジェット」が東の正横綱なら、「水晶ドクロ」は西の横綱!!

しかもインディー・ジョーンズ最新作でネタにされているので、人気再燃が予想されるアイテムです!!

今のうちに先取りしておきましょう!!
イメージ 1

1927年、探検家のフレデリック・アルバート・ミッチェル・ヘッジスと養女のアンナは、マヤ文明の遺跡を発掘していた。
ある日の昼下がりの休憩時間中、アンナはルバアンタンの廃墟にあった祭壇の下で、光り輝くものを発見した。それは水晶で作られた人間の頭蓋骨だった。ドクロの下顎は取り外す事ができた。

その日は丁度、アンナの17歳のバースデーであった。

アンナは1970年代後半、この水晶ドクロを「ヒューレッド・パッカード社」へ分析を依頼。
結果は、頭蓋骨と下顎は1つの同じ水晶から作られており、工具を使った形跡は全く見つからなかった。同社の社内誌『メジャー』では、工具なしでこの水晶ドクロを作った場合、300年はかかると見積もられた。

さらにアメリカ先住民の伝説によれは、世界には全部で13個の水晶ドクロが存在し、それらが全て集まったとき、「人類の起源、目的、運命に関する情報、そして生命と人類の謎への解答」を知ることができ、世界は救われるのだという。

アンナの水晶ドクロも、この伝説の13個のドクロのうちの1つと言われ、「ヘッジス・スカル」と呼
ばれている。


さらには、この「水晶ドクロ」は地球に来訪した宇宙人が作ったとも云われる。

工具を使った跡が無いのは、宇宙人が特殊なレーザーで瞬時に水晶塊を加工したからである。
―と言うのが、最も有名な「水晶ドクロ」に纏わる伝説です。

幾つ集ると〇〇になる、とは里見八犬伝かドラゴンボールか、と言うノリですね。


実は、「水晶ドクロ」は各地で十数個発見・確認されており、とうの昔に世界が救われていてもおか

しくないのですが、未だそうはなっておりません。



いつも通り、少し詳しく調べると、アンナちゃんの「水晶ドクロ」も、どうやら眉唾臭いものでした。

どう眉唾臭いかを、大雑把に書くと、次の通りです。

〇「水晶ドクロ」が発見された時、アンナは現地にいなかった事が同行者の記録で確認されている。
(アンナは入国すらしていません)

〇1943年、シドニー・バーニーという美術商が、件の「水晶ドクロ」をロンドンのサザビーズに競売に出した。しかし彼は、希望価格がつかなかったので、自己落札して買い戻した。
その後、1944年にミッチェル・ヘッジスが400ポンドでこの「水晶ドクロ」を買い取った。
この売買はロンドン美術館の記録にも残っており、アンナ自身も認めている。
アンナは「父が借金のカタとしてドクロを預けていたら売られそうになったので、慌てて買い戻した」のだと主張するが、ヘッジス氏は大きな資産を持つ富豪だった為、あまり説得力はない。

〇1980年、アメリカの水晶彫刻家フランク・ドーランドが、アンナから6年契約で「水晶ドクロ」を借り受け、再び詳しく調べた所「水晶ドクロの歯の部分の表面に機械を使って磨いた跡」が確認された。
フランク・ドーランドの結論は、「ヘッジス・スカル」はまず古代のバビロニアかエジプトの職人集団により大ざっぱに成形加工され、近代になって、下顎の部分が切り離されて、さらに彫り削られた。その結果この部分だけに機械的な研磨の跡がはっきりと残ることになった、と言うものである。

〇「水晶ドクロ」の製作は、手作業でも比較的短期間(数ヶ月)で可能と言う説もある。

〇アメリカ先住民の伝承・伝説の中に「13個のドクロ云々」と言う話は無いと、ネイティブ・アメリカン民俗研究者からの報告がある。
とまあ、そんなところだったらしいです。


他の「水晶ドクロ」にも色々な曰くや由来は語られているものの、一つ一つ調べていくと、

似たり寄ったりの胡散臭いものばかりの様です。


やっかいなのは「宇宙人が造った『水晶ドクロ』はアトランティスを経由して我々のもとにやってきた。

『水晶ドクロ』はホログラフィックイメージを生成したり奇妙な音を発するといった魔力を秘めている」

とか何とか言われて、良からぬ輩によりインチキ商品の販売や様々な詐欺に悪用されている事です。


何をどう信じようが人それぞれですが、あんまり突拍子も無い事は、まずは疑ってかかった方が無難かも

しれません…。



ついでと言っては何ですが、その他の「水晶ドクロ」の皆様にもご登場願いましょう!!
イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

画像は「超常現象の謎解き」さんから拝借しました。

壮観ですねえ…。人生色々、ドクロも色々、と言ったところでしょうか。




蛇足ながら、このお方の「水晶ドクロ」は無いのかな?
イメージ 8

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