世界のふしぎコーナー

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え〜、ここの所とみに「子供の頃聞いた不思議話」にハマっておりますTOでございますが。

私の子供の頃の不思議話といえば、UFOや幽霊のみならず、ネッシーヒバゴンツチノコに雪男。

オリバー君なんてのもありました。

まあ、ともかく、そんな不思議話が流行ったのも、高度経済成長でとりあえず衣食は足りて、少々余裕が

出てきたと言う、時代の証でしょうなぁ。


そうそう、不思議話と言えば、こんな話もありました。

オールドマニアの方なら良くご存知のネタでしょう…。



「ご隠居、ご隠居、てえへんだてえへんだ底辺かける高さ割る2だ!!」

「なんだい熊さん、騒がしいねぇどうも。人ンちに駆け込んでくるなり三角形の面積を測ってどうすんだ
い。一体何が大変なのか、ほれ、落ち着いて話してご覧」

「これが落ち着いていられるかってんでぃ!!いやさ、ご隠居。八の野郎がね、とんでもねえ事を教えてく
れたんだけどよ、物知りのご隠居もさすがにこれは知らねえだろうと思ってよ。まあ老い先短けぇご隠居に冥土の土産代わりに教えといてやろうと、そう思って慌てて駆けてきたって寸法よ」

「老い先短いとはご挨拶だね。まあ、そんなに長くはないけども。しかし、そんなに慌てなくったって別段今日明日どうこうという訳でもないんだから」

「なにのんびりした事いってんのかねこのじじいは。いいかいご隠居、ご隠居の歳ともなれば、朝は達者に河川敷を散歩でもしてたところが、夕方には三途の川の河川敷を散歩しててもおかしかないんだよ」

「大きなお世話だよ。全く、熊さんに案じて貰うほど耄碌はしてないつもりだがね。ところで、八っつあんから聞いたってのは、どんな話なんだい」

「おう、それそれ。ご隠居、聞いて驚くなよ。何でもな、1963(昭和38)年11月19日の午前8時にな、藤代バイパスってとこを走ってた車が煙に巻かれたように消えちまったって事件があったんだってよ!!それを目撃したってのが銀行員ってお堅い商売が3人だってんだから間違いない。どうだ、驚いたか」

「驚くなって言ってみたり、驚いたかと言ってみたりややこしいね。ああ、その話なら知ってるよ。
いわゆる『藤代バイパス車両消失事件』って奴だ」

「―何だ。知ってやがったのか。ちぇ、つまんねえな」

「まあまあ。歳とりゃ色々耳に入ってるもんさ。時にお前さん、そんな話を真に受けてるのかい」

「真に受けるも何も、この話は天下の毎日新聞の記事になったってんだから、間違ぇねえだろうよ。
いいかい、ご隠居。念の為に事の顛末ってヤツを聞かせてやるよ。八んトコでメモってきたからよ。

え〜っと…。

1963(昭和38)年11月19日、天気は快晴。富士銀行葛飾支店の木下支店長代理(38)が運転する車が、同銀行斉藤次長と得意客を乗せ、茨城県竜ヶ崎市のゴルフ場に向けて走っていたと思いねえ。

富士銀行葛飾支店って、あそこのアレだろ?京成の立石駅の近くのみずほ銀行だろ?アレ、昔は富士銀行だったよな。まあいいやそんな事ぁ。

ごほん。葛飾区は金町あたりから、3人の車の前を東京ナンバーの黒いトヨペット・ニュークラウンが走っていた。後席には年配風の男が新聞を読んでいるのが見えた。車が松戸・柏と水戸街道をずーっと進んでも、黒いトヨペット・ニュークラウンは前を走ってたんで、3人とも良く憶えてたそうだ。午前8時過ぎ、車が藤代バイパスに入った時っ!!その時だぁ。

前を走行していたトヨペット・ニュークラウンから、突然白い煙の様なモノが噴き出した。煙は5秒程で消えたが、次の瞬間っ!!トヨペット・ニュークラウンは影も形も無く消えうせていたってんだよコンチクショウ。

何でも、現場は急カーブも横道も無いまっつぐな道路でよう、知らん間に分かれたとは考えられねえってよ。木下さんと斉藤さんが、その車が蒸発したらしい地点を見てみると、なぜか、そのへんだけが水をまいたように濡れていたそうだよ。目撃した3人は、決して見間違いなどではないと主張していたそうだ。

こりゃあ、1964(昭和39)年3月4日の毎日新聞夕刊で記事になったんだ。銀行員が見たって言って、新聞にも載ったんだから、車が消えちまったのは間違ぇねえよ。

異次元ってのか?トヨペット・ニュークラウンはそう言う所に落っこちまったんじゃねえかって、八の野郎も言ってたぜ」

「ふんふん、概略その通りだね。しかしね、熊さん。頭冷やして考えると、そんな、車が丸ごと目の前から消えちまうなんて事があると思うかい?冬場の幽霊じゃあるまいし」

「―何でい、その『冬場の幽霊』ってのは」

「寒いからすぐ消えちまうんだよ。まあそんな与太話を頭から信じ込む前に、ちょっと私の話をお聞き。
まず、その話でおかしいのは、『事件』の舞台となった藤代バイパスだよ。藤代バイパスってのは実を言うと、その『事件』があった1963(昭和38)年には、まだ出来てないんだよ。藤代バイパスは1980(昭和55)年から工事に着手して段階的に建設され、完成したのが2005(平成17)年3月の事だ。
1965(昭和40)年に出された小松左京の名作SF『果てしなき流れの果てに』の中でも、この話はエピソードの一つとして使われているが、そこには藤代バイパスなんて名前はなかったよ」

「何だってぇ!?出来てもねえ道をどうやって走ったんでえ???」

「まだあるんだ。よく毎日新聞の記事で…何て言われているが、正確にはこの話は記事ではなく『赤でんわ』と言うコラム欄に書かれたものなんだ。大体記事で出るにしては事件が起こってから4ヶ月も経ってからって言うのはおかしいだろ。しかも、そのコラムでは、木下さんとか斉藤さん等と言う人名は一切出ていない。また、コラムには事件が起こった日付も明記されておらず、ただ午前8時という時間が書かれているだけなんだよ。つまり、伝わっている話ってのは、元ネタに随分と尾鰭がついているって事だ。
道路が濡れていた云々と言うのもその類だ」

「へえ。何だ、雲行きが怪しくなってきたねどうも」

「実はね、この話が世に広まったのは、『ミステリーゾーンを発見した』と言う、1976(昭和51)年に出された本に載ってからなんだ。書いたのは佐藤有文氏。佐藤氏はその後、1990(平成2)年に出した『謎の四次元ミステリー』と言う本の中でもこの話を採り上げている」

「誰なんでぇ、その佐藤なんとかって野郎は」

「その筋では有名な人なんだが、主に児童向けに四次元や妖怪を扱った怪奇本を書いていた人なんだ。
佐藤有文氏の本は、1970年代には多くの子供達に読まれていたんだよ。挿絵や記述にやたらとインパクトがあって、佐藤有文の名は知らずとも絵を見れば一度はこんなの見た事がある、と言う人は多い筈だよ。
しかし、いくら子供向けと言っても、記述がいい加減過ぎるきらいがあるのも事実なんだ。ゴヤの絵画を食人鬼の絵として紹介したり、ありもしない妖怪・怪物の類を数多くでっち上げたりとね」

「ははあ、しょっぺえ野郎なんだなその佐藤ってのは。佐藤じゃなくて、塩だな、そいつは」

「いやいや、一概に佐藤氏の態度を否定する訳ではない。実際に、当時の子供はそれで大いに好奇心を刺激され、楽しんだのだからね。しかし、いい大人がそんな話を頭っから信じ込むのもどうかと思うよ」

「そう言われりゃそうだな。車1台消えちまったら、普通だったら大騒ぎだよな」

「そうそう。『消失事件』については、毎日新聞にもその後の報道は無い。もともと毎日はオカルトチックな話が比較的に好きな新聞だ。よく、どこそこに幽霊が出た、なんて記事が載っていたものだよ。

大体、昭和30年代はまだまだ車は庶民にとっては高嶺の花でね。街を走っているのはタクシーか会社の社用車かって位で、個人所有のものは殆ど無かった。そんな時代に黒塗りのトヨペット・ニュークラウンでしかも後席にふんぞり返った金持ちが失踪したらそれこそコラムどころか1面に載る記事になっちまう。
でも、そんな事は終ぞなかった」

「でもよう。コラムとは言え、新聞には載ったんだろ?だったら、銀行員達は何かを見たのは間違いないんじゃぁ?」

「そこだ。まあ、今となっては年月も経ちすぎて、手懸りも無いからはっきりとした事は言えないがね。
可能性が大きいのは、『ハイウェイ・ヒプノーシス』ではないかと言われている」

「はい?…ぴぷ? 何だいそのキノコの出来損ないみたいなのは」

「ハイウェイ・ヒプノーシスだよ。高速(道路)催眠現象とも言われるがね。高速道路なんかをずーっと走っていると起こると言われる、眠気などを催して幻覚幻聴などを見聞きする現象の事だ。事件当時の状況がまさにこのハイウェイ・ヒプノーシスが起こるのにうってつけなんだ。

まず、早立ちして車を走らせ、丁度眠くなってくるのが8時位だろう。助手席や後席の人はうとうとしていても全然おかしくない。今ほど車が走っていない時代だ。淡々と水戸街道を走る内、運転したいた人も単調な環境の中で、半ば幻覚を見たのかもしれない。前の車が煙に包まれるなんてね。当時の車は今よりオーバーヒートしやすかったから、水蒸気を噴き出す車のイメージが潜在的にあったのかもしれないね。
―で、ふと我に返ると、車が目の前から消えている。それも、うつらうつらしている内に追い越してしまったのかもしれないし、向うが勝手に横道に逸れて行ったのかもしれない。それに気付いてない訳だ。

そこで、『わあ、みなさん、前の車が消えました』同乗者も『ホントだ今まで前に車がいたのに』と相成って、消失事件のイッチョ上がり。―そんな所がオチだと思うね、私は」

「なあるほどねぇ。そう理詰めで説明されちゃあ、納得しちゃうね、何となく。寝不足で目の下にクマつくって車を走らせてりゃ、幻の一つも見るってもんだ」

「だろう。しかも、当時は黒いクラウンは良く盗まれていたそうな。それがそこかしこで犯罪に使われていたんだな。ようやく車を買ったはいいが、ある日パッと車は消えてなくなっている。『消える黒いクラウン』と言うのは、当時良く口にされていたフレーズらしい。佐藤氏はそんなイメージも加味して、上手く消失話を演出したんだろう。ちなみに、『藤代バイパス』と言う枕詞が付いたのは、1990(平成2)年の『謎の四次元ミステリー』以降ではなかろうか。一般道よりバイパス道の方が、脇道が無い=見失う訳が無い、ってイメージが強いからね」

「ほおお。よ〜し判った。こりゃひとつ、八の野郎に教えてやろう。てめえ、そんな与太な話があるもんかってな。ありがとよご隠居。せいぜい長生きするがいいや」

「全く、人が丁寧に教えてやりゃあ、なんて挨拶だろうね。おいおい、そんなに慌ててちゃ、熊さんの方が消失しちまうよ」

「てやんでい。心配いらねえや。寝不足だけに熊は消えない」



お後が宜しいようで…



モアイ

私が子供の頃は、イースター島のモアイは古代に来訪した宇宙人が造った事になっていました。

少なくとも、子供向けのUFO本の中では。

それは、モアイに限らず、ギザのピラミッドやナスカの地上絵なんかも同じくでしたが。

少々不思議な遺跡はどれもこれも宇宙人作。そんな安易な時代でした。


モアイ宇宙人製作説の一つの根拠は「イースター島には殆ど木が生えていない」と言うものです。

つまり、内陸の石切り場から、モアイの並ぶ海岸沿いまで大きなモアイを運ぶ上で必要不可欠な

丸太が作れない。つまり、丸太を並べてその上を転がして運んだと言う説は採れないと言う主張です。

まあ、UFOの反重力ビームか何かで運んだ、と言いたい訳です。

確かに、現在のイースター島は、森林など無い荒涼とした大地が広がっています。

そこだけ見れば、宇宙人説も「そうかもね」程度の説得力を持ちます。


ところが、考古学者や生物学者、植物学者などの数多の人達が地道に研究した結果、

イースター島は過去、ヤシ類の森林が生い茂っていたと言う事が、花粉分析等で明らかになっています。


以下に、かなり大雑把なイースター島の歴史を書いて見ます。(娘の教科書の受け売りですが…)

西暦400年頃、丸木舟での遠洋航海を盛んに行っていた海洋民族・ポリネシア人が

初めてイースター島に上陸します。これは、取りも直さずイースター島に史上初めて、哺乳類が

進出した瞬間でした。

それまでは、絶海の孤島であるイースター島には、過去泳いで到達できる哺乳類がいなかったのです。

そのかわりに、島の大森林には多種多様な鳥が棲息していました。


実は、この時、ポリネシア人と共に上陸した哺乳類がもう1種ありました。

ネズミです。

ネズミは、航海中の蛋白源として、食用に丸木舟に乗せられていたのです。

島に着いた船から脱走したネズミ達は、天敵が全く存在しない楽園で野生化し繁殖します。


さて、島に入植した人々は、農地にする為に森林を切り開きました。同時に、蛋白源である

魚介類を獲る為にヤシ類の巨木を伐採し、丸木舟を作ります。


そして同時に、宗教的・文化的な目的でも森林を伐採しました。

衣食が足りてくると、祖先を敬う為の巨大彫刻の制作が盛んになったのです。


それがモアイです。


モアイは西暦1000〜1600年の間に建造されました。

(1600年と言うと、日本では関が原の戦いがあった年ですね…蛇足ですが。)

石切り場から、自らの父祖がやって来た海までモアイを運ぶ為、更に森林を切り開いていったのです。


モアイを造る石工は専門職となり、農業・漁業の従事者が、豊かな森を利用し彼らの生活を支える

と言う構図となっておりました。


彼らは、丸木舟で400キロも離れた島に遠征し、無尽蔵とも言える海鳥のコロニーを狩り、

海ではサメなどの大型の魚を獲る技術も持っていました。


十分な蛋白源に恵まれ、現代まで残る驚異的な巨石文化が栄えたのです。

最盛期には島の人口は7〜8000人にまで膨らんだと推定されています。


しかし、その繁栄は、入植後1200年程で潰えてしまいます。


森が無くなったからです

普通に考えれば、高温多雨の熱帯の事。7000人程度の人口が如何に木を切ろうが、森はすぐに

再生されます。

しかし、イースター島には、ヤシ類の再生・更新を妨げる大きな要因がありました。


人と共に上陸したネズミです。


ネズミは天敵・競争者のいない島で爆発的に繁殖していました。

増えすぎた彼らがヤシ類の実を食べつくすので、木々は新たな芽を出す事が出来なかったのです。


1722年、ヨーロッパ人が初めてイースター島に足を踏み入れた時。

森は影も無く、森林が守っていた豊かな表層の土壌も流亡し、畑も枯れておりました。

もはや船を造る丸太も無いため、魚や海鳥を獲る事もままならず、島は飢餓状態に陥っておりました。

人口も2000人程まで減り、部族間の争いが絶えず、食人風習まで起こっていたそうです。

このイースター島の歴史は、様々な示唆・教訓を現代の人々に与えていると思います。


人類の英知と愚かさの象徴の一つでもあるモアイ。


それを「宇宙人が作った」と一言で片付けられては、イースター島の歴史が未来の人類に残すものは

何も無くなってしまう。私は、そんな風に思います。
イメージ 1

―念の為申し上げますが、宇宙人が観光でモアイ見物に訪れている事は、否定致しません。
実は、これも「真実」が判明してしまいました。


この逸話は、アーサー・マッケン(イギリスの小説・怪奇小説家)が書いた『弓人』(The Bowman)

と言う小説の内容をほぼトレースした物なのです。


この小説は、第一次大戦中に発表され、戦地のイギリス兵士の間で実際の話と混同される事と

なった為、書いた本人が「これは事実ではなく、小説ですよ」と噂を否定すると言う野暮な展開と

なりました。


日本でも、少女マンガの影響を多大に受けた女の子達が、「私の前世はムーの戦士で、名前はラベルダ。

友達のよっちゃんは同じくムーの巫女でユートリア。転生した現世でアトランティスの転生者と戦うの!!

仲間は私の元に集まって!!」等と言い出して、勉強も部活も放りだしてしまった為に親から苦情が殺到。

作者が「これは、ただの漫画よ!!嘘なのよ!!」と読者に呼びかける破目になったそうですが。

古今東西、似たような事が起こるのですね。


それは兎も角、マッケンも魔術結社「黄金の黎明団」という団体に入っていた事があり、神智学協会の

ファーマー軍曹もこの手の話に多大なシンパシーを感じていたのでしょう。

(キリスト教的土壌の醸成されていない私には、魔術結社も神智学協会も良く理解できない集団

ですが。)

「教皇庁でも研究」と言うのは尾ひれでしょう。もう完全にネタは割れているのですから。
これも、第一次大戦中の戦場で発生した、神秘的な事件です。

概略は次の様なものです。
1914年8月ドイツ軍と戦っていた連合軍はドイツ軍に圧倒され、危機に陥っていました。
この塹壕戦ではほんの数メートル前進しただけで何千もの兵士達が死んでいきました。

とりわけフランスとベルギーの国境付近のモンスの戦いは過酷でした。
ドイツ軍の数が連合軍のイギリス兵よりはるか勝っており、僅か2連隊を残すのみとなった連合軍の敗北は決定的になっていました。

もはや絶体絶命と思ったその時でした。

金の髪をなびかせ、黄金の鎧を身につけ、白馬にまたがった、大天使ミカエルのような光の霊的存在が連合軍の上空に現れたのです。兵士達のほとんどがその光体を目撃したと証言しています。

そしてそれは、聖ミカエル、もしくはフランスの守護聖人ジャンヌ・ダルク、イギリスの守護聖人ジョージだったと言われています。

この金色の髪をなびかせた大天使は光の天使の軍団を引き連れ、連合軍を助けたといいます。
ドイツ軍の兵士の乗る馬は天使達を見て前進するのを嫌がり、戦場から逃げ去ってしまいました。
そしてこれが転換点となり、連合軍兵士の命を救う事になったのでした。

連合軍、ドイツ軍双方の兵士達は世間の嘲笑を恐れずこの出来事を報告しました。
そして多くの兵士達が、聖ミカエルや聖女ジャンヌ・ダルクの絵を求めたといいます。

多くの人間が同じ不思議な光景を目にした事は今も謎のままです。

この事件は「モンスの天使」として教皇庁でも研究が続けられています。
(某サイトに見事な記述がありましたので、殆どそのまま引用しました。)
イメージ 1

                 ↑この街です


なんと神秘的で(キリスト教的に)美しい出来事なのでしょう。

ドイツ軍にはたまったものではありませんが。

これは、神智学協会に出席していたファーマー軍曹と言う人が、この不思議な体験について語った事が

発端となり、世に広まったそうです。

不思議な事件ですね〜。
この事件は、第一次大戦中、ドイツとトルコが戦火を交えるガリポリ半島で発生した、
「大規模消失事件」です。事件のあらましは次の通り。
イメージ 1

第1次大戦中の1915年8月21日 総勢266名の将兵で構成される英軍のノーフォーク大隊が、
ガリポリのスブラ湾上陸作戦に参加し、トルコの防衛線に向かって前進中、山上で静止していたピンク色の異様な形の霧塊の中へ行進していき、それきり姿を消した。

イギリス軍は戦後、トルコに対して捕虜の返還を求めたが、トルコ側の返答にノーフォーク大隊はいなかった。

1965年、イギリスが機密事項として伏せていた英王立委員会の報告書が期限切れで公開された。
なんと、そこには1919年にガリポリ半島を調査したイギリス軍が122名のノーフォーク兵の遺体を発見したが残り半数以上の遺体は確認できなかった、と記録されていた。

この出来事から50年程たった頃、一部始終を目撃していたニュージーランド兵が現れ、証言している。

「ノーフォーク大隊が霧の中に入ったあと、『霧』は地面からゆっくりと浮き上がり、風に逆らうようにして移動していった…」
イメージ 2

                   ↑ノーフォーク大隊

これは、英BBCの番組で報道され、あっという間に世間に知れ渡った事件です。

その規模の大きさから、数ある「消失事件」の中でも一級の信憑性があると評価されています。

「戦争に介入したUFOが、生存者を連れ去った」「異次元の『エア・ポケット』に迷い込んだ」と

言う説もあります。

不思議な事件ですね〜。

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