UFOコーナー

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古今東西のUFO事件の揚げ足をとりまくり、いちゃもんをつけまくるコーナーです。好きだからイジメたくなるんです。
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昭和なUFOファンなら、ご存知でしょう。
 
誤認や偽造が大手を振って歩いているUFO写真の中でも、「ホンモノのUFO写真」と誉れ高いあの写真の事を。
 
そう、1950年にオレゴン州マクミンビルでトレント夫妻によって撮影された、2枚の写真です。
 
「トレント写真」とか「マクミンビル写真」とかと呼ばれております。
 
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のどかなところですね〜。
 


 
で、これが、その写真。
 
(↓)1枚目。
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(↓)2枚目。
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(↓)1枚目拡大。
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(↓)枚目拡大。
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冷戦初期の1950年5月11日木曜日。全米を沸かせたケネス・アーノルドの事件から3年後の話です。
 
 
オレゴン州マクミンビルで農業を営む、ポール・トレントと、妻のイブリンは、一日の農作業を終え、自宅に戻って
 
おりました。陽も落ちた19:30過ぎ、裏庭でウサギに餌をやっていたイブリンが、北東からゆっくりとこちらに向っ
 
てくる銀色の円盤に気付きました。円盤はちょっと傾いた格好で飛んでいて、音や煙は出していません。
 
イブリンが、「Darling.!Serious thing occurred、come early!!(あんた!!大変やで、はよ来てや!!)」と言ったかどうか
 
は記録に残っておりませんが、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンのポールも、「It is what …this ?(何じゃ
 
こりゃぁぁ?)」と叫んだかどうかは記録に残っておりませんが、 兎に角ビックリして、カメラを持ってくると、何と
 
か2枚の写真を撮りました。ポールによると円盤は、「ヒモがないパラシュートのようで、銀と青銅を混ぜたようにと
 
ても明るく輝いとったで」と言う事でした。
 
円盤は北西へと高速で飛び去り、ポールのお父さんもその様子を目撃しておりました。
 
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最初は、円盤の写真をそんなに重要なものだと思って
 
いなかったトレント夫妻でしたが、銀行家のフランクに
 
ふとその話をしたところ彼が食いつき、フランクから話を
 
聞いた地元紙『テレフォン・レジスター』が記事にしたとこ
 
ろ、1950年6月26日の『ライフ』誌で特集が組まれる程の
 
騒ぎになりました。
 
 
 
この、トレント夫妻の写真が「ホンモノのUFO写真」とされるのは、UFO現象に否定的な結論を出したコンドン委
 
員会のレポートに取り上げられて唯一否定されなかったUFO写真となったからです。同委員会で写真の分析を
 
担当していたウイリアム・K・ハートマン博士が、「地理的、心理学的、物理的に、すべての要因について調査され
 
ためったにない報告の一つである。金属的な光沢を持ち銀色に輝く、直径が10m以上ある円盤型をした明らかに
 
人工的で尋常ではない飛行物体が、2人の目撃者の前を飛んだと言う主張と一致している」とひどく肯定的に評
 
価したのです。
 
 
また、トレント夫妻は人望も厚く、この写真で金を稼ぐ訳でもなかった事が、信憑性を増した要因でもありました。
 
 
UFO研究団体のGSWによるコンピュータを使った分析でも、円盤を吊っている糸などは発見されず、円盤は直径
 
20〜30m、おそらく磨いた金属でできたものであるという結論が出されました。

 
ところが、生半可な事では納得しないのがアメリカの懐疑派連中です。
 
この事件でも、お馴染みのロバート・シェーファー、フィリップ・J・クラスなどが調査に乗り出しました。
 
 
シェーファーは写真を詳細に分析し、日没直後に撮影されたにもかかわらず、オイルタンクには光が照り返して
 
おり、後の建物の壁に影を作っている事に矛盾を感じ、その後の調査でその壁は東に面しているのを突き止め
 
ました。東向きの壁に日没後に影が出来る訳はないと言う事で、色々調べた結果、写真が撮られたのは19:30で
 
はなく、7:30だと確定しました。
 
 
クラスは、撮影時刻を偽ったのは、外に目撃者がいない事を怪しまれないようにするためだとしました。
 
また、トレント夫妻が嘘発見機での検査を拒否した事実も指摘しました。
 
 
これに対して、写真を分析して肯定的な結論を出した光学・物理学者にしてUFO研究家のブルース・マカビー博
 
士は建物の影は夕日を浴びた雲の反射光であろうとし、日没後の時間でもこの写真は撮影し得ると反論。
 
 
議論は決着を見ないままでした。
 
そんなところで、撮影されてから60年以上経っても、「ホンモノのUFO写真」とされているのです。
 

 
で、今更私ごときが何を調べても仕方がないんですが、一応調べてみました。
 
当日のマクミンビルの日没時間は西海岸時間19:34であるのは確認できたのですが、そうなるとやっぱり、
 
日没後の撮影にしては明るすぎないか???と言う疑問は沸いてきます。
 
 
当時のカメラで、どんなに絞りを開けたって、こう明るく撮れるものなのか。しかも、ポールは「とても明るく輝いて
 
いた」と言っており、露出が物体に合っていたなら周囲は暗くて写らないだろうし、逆に周囲に露出が合ってたな
 
ら、円盤は明るすぎてとんでしまい、こんな風には写らないだろうと。
 
だって、ポールの使ってたカメラって、こんなんですよ?
イメージ 5(←)カメラを手にするポール・トレント。いかにもやらされてる感漂う1枚。何となく照れてるッぽいけど、いい人なんだろうなぁ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、「雲の反射で影が出来た云々」とのブルース・マカビー博士の主張ですが、その後の調査で、当日マクミ
 
ンビルは雲ひとつない晴天だった事が判明し、論拠が崩れております。
 
―やっぱり、朝に撮ったのでは????と思えてきます。
 
 
コンドン・レポートでは肯定的な分析を示したハートマン博士も、シェーファーの見解を入れ、「インチキの可能性
 
は除外できない。(トレント写真について)大きな矛盾が見つかった。」と述べて態度を変えております。
 
 
また、建物の壁に出来た屋根のひさしの影を精密に分析すると、微妙に違っており、2枚の写真がほぼ同時に連
 
続して撮影されたとは考えられないと言う、まさに重箱の隅の隅のそのまた隅っこを突くような指摘もあります。
 
さらにまた、最近になってジョエル・カーペンターと言う人がコツコツコツコツ調べた結果、この円盤は
 
旧式のトラックのミラーであると突き止めてしまったのです。
 
 
おそろしや、欧米のUFO研究家…トレント写真がホントかウソかと言う事よりも、何でそこまでの執念を燃やせる
 
のかの方が、よっぽど興味が出てきますな…。
 
 
と言う訳で、色々な海外のサイトを拙い英語力で漁ってみましたが、今ではこの写真を「ホンモノのUFO写真」で
 
あると信じているのはかなり少数派のようです。
 

 
事件が有名になった後、イブリンは「過去3回UFOを見たけど、この写真を撮るまで誰も信じてくれなかった」と、
 
地元紙のインタビューに答えております。
 
 
また、1967年に同じ新聞から受けたインタビューでは「あの写真を撮ってからも、たびたびUFOを目撃してるけ
 
ど、あまりにも早く消えてしまうので、写真は撮れてないのよ」と語っております。
 
 
こういう事実を知ってしまうと、アーノルド・フィーバー以来空飛ぶ円盤にかぶれてしまった朴訥な夫婦の姿が思
 
い浮かんでしまったりするのですが…。
 
 
あくまで、私の想像ですが、決して悪気は無かったんだろうけど、近所の人に円盤目撃を認めさせたくて仕込ん
 
だちょっとした悪戯が新聞に出る羽目になり、騒ぎになって…、と。
 
円盤の写真を、最初はそんなに重視してなかったのも尤もで、ちょっと近所の連中に見せてやろうと言う程度の
 
ものだったのでは?−と。
 
 
イブリンさんは1997年、ポールさんも後を追うように1998年と相次いで鬼籍に入られておりますので、今となって
 
は確かめようもありませんが…。
 

 
―ところで、旧式のトラックのミラーって…
 
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…?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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……!?
 
 
 
 
 
 
 
 

 
『宇宙人とUFOとんでもない話』(皆神龍太郎著/日本実業出版社)
 

(2012年12月19日追記)
 
UFOの写真を撮った同じフィルムには、こんなコマもあったそうです。
 
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空模様からして、「UFO」を撮影した当日に撮られたものと思われます。
 
左は、トレント夫妻の息子さん。右は子供が乗っていた脚立が倒れているところ。
 
息子さんも悪戯を手伝っていたのでは? と思わせる写真です。
 
 
相変らず気になるのは、「棒」の位置がショットごとに変わっているところ…。
 
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(参考) The Bragalia Files
 

1989年5月7日13:45 南アフリカ海軍のフリゲート艦が、領空に接近するUFOを捕捉した。UFOはケープタウン
 
の海域から南アフリカ本土に向って9,000Km/hの超高速で接近しており、地上のレーダーでも探知された。
 
13:52 UFOは南アフリカの領空に侵入。無線での接触にもUFOは無反応だった。直ちに空軍にスクランブルが
 
命じられ、ヴァルハラ空軍基地から2機のミラージュ戦闘機が飛び立った。UFOは軍用機では追尾が不可能な
 
速度で急激な空中機動をした。
 
13:59 迎撃に飛び立ったミラージュ戦闘機編隊長はUFOをレーダー、目視でUFOを捕捉したと報告。
 
ミラージュ戦闘機に、実験的に搭載していたレーザー兵器での攻撃命令が下った。ミラージュ戦闘機は、カラハ
 
リ砂漠上空でレーザー砲「トール2」を発射し、UFOに命中した。
 
14:02 UFOはふらつきながら北へ向っており、1秒間に900mづつ高度を下げていると報告が入った。
 
その後、UFOはボツワナ国境の北80Kmのカラハリ砂漠中央部に墜落した。
 
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空軍情報部と軍の技術部隊が現地に急派された。
 
現場には直径100m、深さ12mのクレーターが開き、墜落したUFOは直径約18m、高さ約8.5mの円盤型だった。
 
周囲では強力な磁場と放射能の為電子機器が使用不能になった。UFOからは、2体のエイリアンが生きたまま
 
回収された。エイリアンは大きな頭部と目を持ち、手の指は3本で指の間には水かき状の膜があった。
 
エイリアンはUFOの残骸と共に、詳しい調査の為にアメリカのライトパターソン空軍基地に運ばれた。
 
墜落現場は事件の隠蔽工作が行われ、クレーターは元通りに埋め戻された。
 
イメージ 3この事件は南アフリカ政府の極秘公式文書
 
「シルバーダイヤモンド文書」に記載されてい
 
る、紛れもない事実である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(↓)カラハリ砂漠。
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先日、コメントでご指摘いただいたUFO事件です。
 
「カラハリ事件」とか「カラハリ砂漠UFO撃墜事件」などと呼ばれております。
 
「UFO VS 地球上の戦闘機」ネタは数あれど、いつもいつも地球側が叩き落されてばかりで憤懣やる方なかっ
 
たのですが、天晴れ南アフリカ空軍、遂にUFO野郎に一矢報いてくれました!!
 
マンテル大尉、見ていてくれましたか?あなたの無念を見事晴らしましたよ!!―って、江戸の敵を長崎で討つみた
 
いな話ですが。
 
 
飛行機ファンにとっては、ミラージュ戦闘機って、ⅢとF-1どっちなんだろう?(当時、両方とも南ア空軍に配備さ
 
れていた)とかそんなハスな部分が気になったりしますが、個人的にはミラージュⅢの方が好きなので、ミラージ
 
ュⅢがUFOをやっつけたと言う事にしておきましょう。
 
(↓)ミラージュⅢ戦闘機。
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(↓)ミラージュF-1戦闘機。
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しかし、ミラージュⅢもミラージュF-1も、当時の戦闘機としてもかなり小さな部類に入るのですが、1980年代にそ
 
んな小型戦闘機に搭載できるレーザー砲なるものが存在したのか?スクランブルする戦闘機に実験的な兵器を
 
積んでると言うのも解せないし…。
 
―と言うしごく当然な疑問がまず湧いてきます。
 
 
1980年代、航空機搭載のレーザー兵器は、まだまだ研究の初期段階でした。アメリカでNKC−135Aなどの
 
試験機に低出力のレーザーを搭載して実験が行われていた頃です。低出力とはいえ、レーザー発振装置は大
 
きく重く、4発の大型機でないとテストベッドにならなかった時代です。
 
(↓)NKC-135A。こんなにでかいレーザー装置でも飛行機を撃ち落すにはほど遠い出力だった…。
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2000年代になってより進んだ空中発射レーザー兵器システム(ABL)が開発され、メガワット級の高出力を持つ
 
COIL(酸素ヨウ素化学レーザー)を積んだ試験機YAL-1が開発されました。
 
(↓)YAL-1。ブタ鼻からレーザーを発射する。あんまりカッコよくない。
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(↓)21世紀のテクノロジーでも、これだけの大掛かりな仕組みが必要…。
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ABLは弾道ミサイルや巡航ミサイル、低軌道の衛星などを攻撃目標として想定しておりました。
 
しかし、レーザー発射!!→ビヒューン→命中!!ドッカーン!!みたいな派手な攻撃が出来るほどではなく、
 
敵ミサイルの表面にレーザーを照射して脆く壊れやすくして、飛行中の圧力などによる機能不全が起こるのを待
 
つ…と言う、やや悠長な攻撃しかできません。このレベルでも、UFOに太刀打ちできる代物ではありませんな…。
 
 
最近になってようやく実戦的なレーザー兵器が開発されつつあり、実用化の目処もついてきておりますが、それ
 
でも地上配備型ならセミトレーラー3台分もの規模になります。
 
(↓)MTHEL(移動型戦術高エネルギーレーザー)
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と言う訳で、とてもじゃないが、時9,000キロ(ざっとマッハ7.5ですよ)で飛ぶUFOを一発でぶち落とすような高出力
 
レーザーとそのエネルギー供給システム及び火器管制システムが1980年代に存在し、しかもそれがミラージュ
 
のような小型の単座機に装備可能なほど洗練されていた筈は、全く、微塵も、毛の先ほども、ございません。
 
 
大体、この事件でマッハ7.5で飛ぶUFOが最初に発見されてから、ミラージュが接敵するまで14分かかっており、
 
その間にUFOは2,200キロほど先に行っちゃってる筈なので、とてもカラハリ砂漠の上空で撃墜するのは無理な
 
話です。UFOがまっすぐ北に飛んだとしたら、その頃はザンビアかアンゴラあたりの上空ですから…。
 


 
さて、いきなり与太話くさくなってきましたが、日本で最初にこの事件を大々的に紹介したのは、あの「矢追純一
 
UFOスペシャル(第4弾)」だった!!―と言う事実も、与太話くささに拍車をかけます。
 
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「矢追純一UFOスペシャル(第4弾)」と言え
 
ば、あまりに内容が無茶苦茶だったため新聞
 
雑誌でも批判され、ミステルが記者会見を開
 
いて弁明した…と言う、曰くつきの番組です。
 
その時ミステルは「あくまでエンターテインメン
 
トなので、本気で見ないでくれ」と言うような事
 
を言ってしまい、墓穴堀になっちゃったりしてい
 
ます。
 
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ライリー・マーティンが出てるぅ!!
(子供の頃UFOにされわれて、ずっと忘れてたけど最近UFOの連中がコンタクトしてきて思い出したと言い張るオッサンです。超マイナー!!)
 
 
―そんな事はどうでもいいとして、では、この事件の出所はどこの誰さんだったのでしょうか?
 

 
1989年7月、つまり、「カラハリ事件」から2ヵ月後に、イギリスのUFO研究家アンソニー・トッドの許に、南アでUFO
 
撃墜の報が入り、その後「シルバーダイヤモンド文書」が郵送されてきました。文書をもたらしたのは、南アフリカ
 
空軍のヘリコプターパイロット、ジェイムズ・ヘンドリック・フォン・グルーネン大尉と言う人物でした。
 
 
トッドは89年10月にフランクフルトで開催されたUFO国際会議でこの「衝撃の事実」を発表し、事件が世界中に伝
 
わって、全米最大のUFO研究団体であるMUFONなどが本格的な調査に乗り出しました。
 
グルーネン本人は、トッドの招きで家族を引き連れて英国に来たはいいが、トッドの共同研究者の家に2週間も
 
居座った挙句、不審を感じたトッドがグルーネンの身元を洗い出すと南アフリカに帰ってしまうという、滅茶苦茶
 
アヤシイ振る舞いを見せておりました。
 
 
その後、何やかにやと理由をつけてMUFONからドイツ行きのチケットをせしめたグルーネンは、今度は一人でや
 
ってきて、国には奥さんと2人の子供がいるくせに、馴染みのドイツ娘とデート三昧の日々を送った上で「この娘
 
と結婚してドイツに住みたい」と言い出す始末。当初はドイツに来たらUFO撃墜に関する500ページの機密文書を
 
渡すと言う約束だったのが、やっこさんはそんな約束何処吹く風でのらりくらり。業を煮やした関係者から詰め寄
 
られて仕方なく「機密文書」なるものを出してはきました。
 
 
しかし、調査では、グルーネンが出してきた「機密文書」はことごとく稚拙な捏造品だと言うことが判明しました。
 
一部の文書には2ページの中に16箇所もスペルミスがあったり。文書のレターヘッドがグルーネンのパスポート
 
のものと完全に一致したり。文書に押された日付印もグルーネンの出生証明書のコピーだったり。
 
文書に出てくる南ア軍幹部などとされる人物達も、調べてみたら、UFO研究家や自称コンタクティー、グルーネン
 
の友人の名前ばかりでした。当然、グルーネンの身元も調査され、南ア軍のヘリ・パイの大尉と言うのは肩書き
 
詐称だと言う事も露見してしまいました。
 
 
ホラ話がばれたグルーネンは南アに舞い戻り、その後別のUFO事件に偽名でかかわったり(この時の肩書きは
 
「博士」、しかも性別は!!)しておりましたが、いつの間にか性転換してホントに女になったらしく、2丁目系の
 
ナイトクラブにデビューしたとか。
 
インチキUFOマニアから南国の夜の蝶へと、華麗なる脱皮を遂げた訳ですね。
 

 
しかしまあ、UFO事件にアヤシゲでヘンチョコリンな人物が絡むのは往々にしてある事ですが、その中でも
 
グルーネン(おネエ)さんは最も訳のわからん人物の一人ではないでしょうか。
 
 
ミステルもミステルで、「矢追純一UFOスペシャル 第4弾」が放映されたのは1991年10月13日で、その取材をし
 
ている頃にはグルーネンのホラ話はあらかたバレており、まともなUFO研究者からは相手にされていない事を
 
ミステルも知っていたはずなのに(番組ではアンソニー・トッドにインタビューまでしている)、いけしゃあしゃあと番
 
組を作って、本まで出して荒稼ぎしてしまう。しかも批判されたら「本気で見ないでよ」とケツを捲くってお仕舞い。
 
 
UFO業界には、煮ても焼いても食えない連中が多いですねぇ…。
 
信じる者は救われませんね、こりゃ。
 

 
『宇宙人とUFOとんでもない話』(皆神龍太郎著/日本実業出版社) 『‐改訂版-大予言の嘘』(志水一夫著/データハウス)
 
 
 
 
 
 
資料を集めたんだけど、あまりにヘンすぎて記事にする気にもならなかった宇宙人ネタが結構溜まっておりまし
 
たので、大蔵ざらえと行きましょう。
 


 
1901年、20世紀最初の年です。明治34年です。日本では田中正造が足尾銅山鉱毒事件で衆議院議員を辞し、天皇陛下に直訴した年です。官営八幡製鉄所が操業を開始し、日本が近代化を推し進めていた時代、さすが産業革命を起こした先進国イギリスは違いますね、こんな宇宙人がすでにやって来ておりました。
 
イメージ 11901年夏、英国ウエストミッドランドのボーンブルックスに現われた宇宙人。
フランクと言う青年が遭遇した。軍服の様なユニフォームを着て、二本のワイヤーが突き出たヘルメットをかぶっていた。
かわいい
 
 (地図A)
 
 
 
 
ケネスだアーノルドだと騒がれる46年も前に宇宙人が訪れるとはさすがブリテン。あなどれませんわ。
 

 
1954(昭和29)年、日本では第5福竜丸事件が発生し、ゴジラ一作目が公開され、核兵器への恐怖感が蔓延していた時代。そんな事は何処吹く風で、南米ベネズエラではこんな奴がウロウロしていました。
 
イメージ 2
 
1954年11月28日、カラカス郊外で球形UFOから出てきた宇宙人。全身剛毛。
手にかぎ爪。身長90cm〜1.2mと言うから、グレイが着ぐるみで人を驚かそうとしてたんじゃないかと思える。
 
 (地図B)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その翌年、1955年です。ワルシャワ条約機構が結成され、いよいよ冷戦が激化していきますが、そんな事はお構いなしに、オハイオ州ではこんな間抜けな連中が目撃されました。
 
イメージ 3
 
1955年5月25日、ブランチヒルに3人連れで現れた宇宙人。
身長1mくらい。右脇が異様に膨らんでいるのが特徴。
得意げに掲げているのは夜店で売ってる光るチューブか?
意味がわからんこと甚だしい連中だ。
 
ニコニコ笑ってるのが妙に癇に障るなあ
 (地図C)
 
 
 
 
 
 
 この年はヘンな宇宙人の当たり年で、こんなもんじゃあ終わりません。
 
イメージ 4
1955年8月22日、カリフォルニア州リバーサイドに出現した宇宙人。
子供たちが遊んでいるとUFOが降りてきて、こやつが出てきたそうです。
半透明で、後の家が透けて見えてたとか。
こうなると、宇宙人なんだか幽霊なんだか。まあどっちでも構わんが。
 
(地図D)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
1960年代は割愛して、70年代にいきます。70年代はヘンな宇宙人の黄金期ですから。
 
 
1972年、昭和47年は沖縄が返還された年ですね。グアム島で横井さんが発見されたのもこの年でした。
そんな中、アルゼンチンではこんなヘンテコな宇宙人が発見されました。
 
 
イメージ 8
1972年9月27日、サンタイザベル市の自動車工場従業員エンリケ・モレノが
工場内で出会った宇宙人。身長2.4mくらい。乗っていたモーターサイクルの調子が急に悪くなり、停まったところに立っていた。その後、今度はモーターサイクルが勝手に走り出し、普段は時速5kmくらいしか出ないのに、時速50Kmほども出て、危うく壁にぶつかりそうになった。
てか、時速5kmしか出ないならチャリの方が速いじゃん。と言う方向に食いつくのは私だけだろうか?
 
 (地図E)
 
 
 
 
 
 
 
 
1973年、昭和48年は日本国内の出生数がピークを迎え、209万人の赤ちゃんが誕生しました。団塊ジュニア世代ですね。2011年の出生数が105万人ほどだと言いますからその倍近くの子供が生まれたのです、少子高齢化なんて夢想だにしなかった時代でしょう。
 
そんな事を知ってか知らずか、ジョージア州ではこんな輩が…。
 
イメージ 5
1973年10月19日、アシュバンの道端に車を停めた女性のもとに何処からともなく現れた宇宙人。しばらくその辺をうろついたあと去って行った。動きがギクシャクしており、金属製のロボットのようだったと言う。つまり、当時の宇宙人のロボット・テクノロジーはASIMO君以下だったと言う訳だ。
 
 (地図F)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本も負けてはおりません。翌年の1974年、宇宙戦艦ヤマトがTV放映を開始した年ですが、静岡に宇宙人が。
 
イメージ 6
 
1974年5月から富士市の運送業Sさん(当時42歳)は、富士市内で宇宙人と会って以来、数度のコンタクトを重ね、挙句の果てには大型円盤で金星や土星に連れてってもらった。
(←)この方は、国鉄富士駅の裏でSさんが会った宇宙人。
最初はベンツに乗ってやって来たらしいが詳細は不明。
駅の裏といいベンツといい、やってる事がいちいち人間くさい。
 
耳が尖っていると言うことは、オーストラリアの水死宇宙人の同類か?いやもしかすると、張本人かもしれない!!
 
 (地図G)
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし、富士市の宇宙人もやはり本場アメリカにはかなわない。同じ年、ワイオミング州では…
 
 
 
イメージ 71974年10月25日、ローリンズで石油掘削技師カール・ヒグドンをさらった、ちょっとパンクな宇宙人。O脚で顎がなく、頭が傾いており、右手がドリル。−って、ゲッターロボ2号かお前は!!
 
 (地図H)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1975年にはエッチな宇宙人がノースダコタ州に出現しました。
 
イメージ 9
ファーゴに住む35歳の未亡人をUFOに連れ込んで全裸にした挙句に○○○や○○○○を行ったと言う うらやましい いやらしくも言語道断なミイラ面。(本当に顔に包帯を巻いていたらしい…)
やっぱり宇宙人も好きか。未亡人が。
 
しかし、こんなハナシを欲求不満の妄想と片付けずに、ちゃんと未知との遭遇話にしてくれるんだから、ビリ系の人って優しいよなあ…。
 
 (地図Ⅰ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、息つく暇なくヘンテコ野郎どもは地球に押し寄せてきます。
 
イメージ 10
 
1975年10月27日、メイン州オックスフォードでドライブ中のデイビッド・スティーブンスが遭遇したマッシュルーム頭。紙のようなペラペラな服を着ていたそうな。典型的な貧乏宇宙人旅行者だ
 
 (地図J)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 111976年5月2日、フランスのカリニャンで目撃されたカエル型宇宙人。
ご丁寧にも手足に水かきがついていた。
こういうのを見ると、何かもうどうでもよくなってくるなあ。
 
 (地図K)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いやいや、こんなんでめげてちゃいけない。世の中、(↓)こんな奴もいるんだから。
 
イメージ 12
1977年9月15日、ブラジルはリオデジャネイロのバレンシアでバスの運ちゃんアントニオ・ラ・ルビアをUFO内に連れ込み、血液採取した宇宙人。
頭のアンテナが高速で回転していたそうだ。ああそうですか。
 
…脱力…。
 
 (地図L)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いかん、がんばれTO!!もう少しまともな宇宙人だって居るはずだ!!
 
イメージ 14ほら。
 
−って、どこがまともやねん!!
 
1978年12月6日、イタリアのトッリーリャでガードマンをしていたフォーチュナード・ザンフレッタをさらった見た目からして悪い奴。(宇宙)人を外見で判断してはいけないと言うが、これはどう見ても悪役面である。身長3m。
 
第三銀河から来たと主張してたらしいが、
第三銀河って何?
 
(地図M)
 

 
この先、宇宙人業界ではグレイが幅をきかせ、ヘンチョコリンなのは少なくなって行き、さびしい限りなのですが、
 
2000年代に入っても、こんな奴が出てきてくれるから宇宙人マニアはやめられません。
 
イメージ 13
2002年6月4日、トルコのウシャク県ナーリ村で農家の夫婦の前に現れた体長60〜70cmの小柄な宇宙人。石を投げたら宙を飛んで逃げたそうだが、どこからどうみても
 
ガチャピンだろ、これ。
 
(地図N)
 
 
 
 
 
ここまできたら、ついでにヘンな宇宙人の出現場所をプロットしてみました。
 
[北米]
イメージ 15
[南米]
イメージ 16
[欧州]
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[日本]
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だからどうしたと言われると、返答に困りますが。
 

 
しかし、今だからこそコイツをヘンな宇宙人呼ばわりして笑ってられますが、私の子供の頃のUFO本なんて
 
この手のヘンチョコ宇宙人のオンパレードだったんですよね〜。
 
(↓)おどろおどろしくも、どこかユルいこの感じが堪りません。イメージ 19
 
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しかし、この手の原色イラストを見ると、あの頃を思い
 
出して心がときめきますね。
 
宇宙にはこんな生物がいるんだと、心底不思議に思っ
 
ておりました。センス・オブ・ワンダーってやつですか。 
 
それがずっと心に残っていたから、こんなブログを始
 
めたんでしょうね、きっと。
 
子供の頃の不思議を今調べるのは、ホントになかなか
 
楽しいものです。
 
大抵の場合ホラ話か壮大な勘違いだったりするので
 
すが、それはそれで真相がわかると「へぇ〜、そうだっ
 
たんだ」と40年越しの謎が解けたりして、これまた楽し
 
い。と言う訳で、もうしばらく宇宙人ネタには飽きそうも
 
ありません。
 

 
(参考) 超魔界帝国 UFO事件簿 他
『宇宙人の謎』(並木伸一郎著/学習研究社)
 
(↓)こんな下らない記事読んでこれ押してくれる人なんかいないよなぁ。
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えらく昔の記事(これ)で、オーストラリアで水死した宇宙人がデスマスクをとられたという話を書きましたが、
 
今更ながらそのデスマスクの写真が入手できましたので、ご紹介しときます。
 
イメージ 1(←)これ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
改めて、デスマスクをとると言うひちめんどくさい事をやっておきながら、宇宙人そのものの写真を撮ってない
 
のは何故なのか? この宇宙人はどこに埋葬されたのか? 医者なり何なりにみせなかったのか?
 
疑問がふつふつと沸いてきます…。
昭和UFOも今回は国内ネタでいきましょう。昭和45年の出来事です。
 
宮城県栗原郡(現栗原市)に住む高校1年生の少年が鮮明なUFOの写真を撮ったと騒がれた事件です。 
 


 
昭和45(1970)年と言うと、今から42年前ですね。 
 
 
この年は、3月14日に大阪万博が開幕し、三波春夫が能天気に ♪こんにちは〜こんにちは〜 と歌っている
 
傍からよど号ハイジャック事件が発生し、テロリストまで♪こんにちわ〜。
 
新聞テレビは万博とハイジャックで埋め尽くされ、そうこうしているうちに4月になってビートルズが解散。5月には植
 
村直己さんがエベレストに日本人として初登頂したかと思うと瀬戸内海シージャック事件が発生、犯人が大阪府警
 
のスナイパーからの狙撃で射殺されると言う衝撃的な結末を迎えました。
  
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イメージ 13上から、大阪万博の会場風景、よど号ハイジャック事件、植村さんのエベレスト(この頃はチョモランマとは誰も呼ばず、エベレストと言っていましたね〜)登頂、左は瀬戸内海シージャック事件。そして、ビートルズ最後のアルバム「LET IT BE」。
 
 
 
 
9月13日に万博は閉幕しますが、総来場者はなんと6,421万8,770人を数え、これは2010年の上海万博まで長く
 
万博の最多来場記録だったそうです。6,400万人って、今のイギリスの人口よりも多いんですよ!!スゴイですけ
 
ど、ホントにちゃんと数えたのかなコレ。上海万博は恐らく最初から総入場者数は決まっていたんでしょう。見に行っ
 
た友達はガラ空きだったって言ってたし。―まあいいや、終わった事です。
 
 
そして、11月25日には市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乱入した三島由紀夫が割腹自殺を遂げ、12月には沖
 
縄コザで大規模な反米騒動が発生し、紅白で美空ひばりが「人生将棋」でトリをとって1年が終わりました。
 
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イメージ 15三島由紀夫の演説はへりの音と自衛官の嘲笑にかき消され、沖縄では米軍の専横に対する住民の怒りが爆発した。
 
 
 
 
 
 
 
 
宇宙に目を向けると、国産第一号の人工衛星「おおすみ」が2月に打ち上げられた(運用期間は僅か33時間…)
 
かと思うと、4月11日にはアポロ13号が打ち上げられ、月に向かう途中の事故で半死半生になりながらも奇跡的
 
に地球に帰還し、中国も日本に負けじと中国初の人工衛星「東方紅1号」を打ち上げました。
 
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(左上)日本初の人工衛星「おおすみ」。
(右上)中国初の人工衛星「東方紅1号」。
(左)生還したアポロ13号の飛行士ラベル、スワイガード、ヘイズ。
 
 
 
 
 
 
 
 
ちなみにこの年発売されたヒット商品は、花王石鹸の「メリット」、ライオン歯磨「ホワイト&ホワイト」、タイガー炊
 
飯ジャー「炊きたて」、トミーからミニカーの「トミカ」、ヤクルトの「ジョア」などがあります。
 
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イメージ 12 初代「メリット」、トミカ1号車「ブルーバード」、初代ジョア。

 
 
 
 
 
 
 
 
この頃、私は4歳かそこいらです。生まれ故郷の北九州は若松から横浜に出てきた頃です。
 
万博は殆ど憶えてません。行ってないし。トミカで遊んでたけど、ジョアは飲んでなかったなぁ。何となくあのドロ
 
ッとした感じが×だったんですよね〜。
 
 
こうして記事にして初めて気付いたのですが、この頃の記憶は殆ど歌謡曲とテレビで占められていますね、私の
 
場合。
 
この年流行った「黒猫のタンゴ」とか「ドリフのずんどこ節」なんかはよく歌ってた憶えがあります。「圭子の夢は
 
夜ひらく」なんかもこの年ですが、何故か凄く耳に残っておりますね〜。うちのオヤジが酔っ払って歌ってたから
 
かもしれません。
 
 
テレビでも、「ラブラブショー」の事をおばあちゃんが「ブラブラショー」と呼んでたり、「細腕繁盛記」とか「金メダ
 
ルへのターン」なんかは観た記憶があります。トビウオターン!!とかウズマキターン!!とか叫びながら畳みの上で
 
バタバタやっていましたっけ。「ありがとう」は毎週欠かさず観ていたような。私、当時はチータの大ファンだっ
 
たそうです。「アテンションプリーズ」なんかを観て、ジャンボジェットに憧れたり、スチュワーデスのおねえさんに
 
憧れたり。
 
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左上から「細腕繁盛記」、「金メダルへのターン」(トビウオターンの瞬間!!)、「ありがとう」、左が「アテンションプリーズ」ですが、スッチーのスカート丈の短かいこと短かいこと!!何ていい時代だったんでしょうか。
「ありがとう」はシリーズ化され、チータが看護婦になったりしてましたね〜。
 
 
 
 
 
 
 
 
アニメでは、やっぱり「明日のジョー」ですか。打つべし打つべしと言いながら友達とぺしぺし殴り合ってました。
 
あとは「いなかっぺ大将」ですね。ニャンコ空中三回転ニャンパラリ!!と叫びながら二階から飛び降りたり。
 
私はお花ちゃんと菊ちゃんでは、菊ちゃん派だったなぁ。にーしはじめぃ(西一)とか、とんまるきさんとか、(と
 
んまるきって、「豚丸木」と書くって今回初めて知りました!!)とか、キャラが立ちまくってましたね〜。お花ちゃんの
 
胸元にもぐりこむニャンコ先生が羨ましかった…。
 
そしてそして、「チキチキマシン猛レース」もこの年に日本での放映開始だったそうです。
 
ブラック魔王とケンケンはアニメ史上に残る名コンビではないでしょうか。
 
 
♪サンドォ〜ヴァアクにぃいいい(By尾藤イサオ)   ♪ひとっつひっとよりちっからもち〜(By天童よしみ)  
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♪チキチキマシン チキチキマシン もおレエェェス〜ウ、ウ〜ウ、ウ〜ウ〜ウ(Byケーシー浅沼)
 
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1番ガンセキオープン、2番ヒュードロクーペ、3番マジックスリー、4番クロイツェルスポーツ、5番プシーキャット(いいのか?)、6番タンクGT、7番ギャングセブン、8番ポッポSL、9番ハンサムV9、10番トロッコスペシャルで00番がゼロゼロスペシャル…やばい、全部憶えてる…。シーシシシ。
 
 
猛レースから車の話に無理やりつなげると、昭和45年あたりは、ようやく一般庶民も「マイカー」を持つ事ができ
 
るようになりつつあった時代です。それまでは、車と言うのは社有か、もしくはそれなりのお金持ちかしか持てな
 
かった贅沢品だったのです。この年、トヨタからはカリーナとセリカが、東洋工業(マツダ)からはカペラが発売さ
 
れております。しかしながらガソリンは高価で、大体のところではレギュラーでリッター45円くらい、ハイオクで55
 
円くらいだったそうです。何だ、随分安いじゃないかと思わないで下さい。その頃は50円も出せばラーメンが食べ
 
られたそうですから。
 
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(←)初代カペラ・ロータリークーペ。
ゼロヨンでこれを上回るのはポルシェ911だけだった!!
けど燃料バカ食い…ゼロヨン一回でラーメン何杯かは食えたかも?
 
 
 
 
 
 
…何を言ってるんだか全く判らない方も多いかと思いますので、そろそろ本題に入ります。
 
UFOの記事でしたね、コレ。忘れてました。
 


 
と言う訳で、昭和45年は、良い事もそうでない事も、派手な事件が多く、相当に気ぜわしい1年だったようです。
 
 
そんな中でもそれなりに騒がれたと言うこの事件。
 
昔流行ったUFO本などではこのように(↓)紹介されていたネタです。
 
イメージ 1「ハッキリとカメラがとらえたUFO!」なんつって、今では
 
珍しくも何ともないですが、当時はそれなりに貴重だっ
 
たんでしょう。
 
 
昭和45年4月4日午後1時過ぎ、自宅庭でUFOを目撃し
 
たS君(当時高校1年生)が写真撮影に成功。
 
S君は写真部の友達に現像と引き伸ばしを頼みました。
 
そこで、S君の写真が写真部の顧問をしていた化学教
 
師の目にとまったのが騒ぎの発端でした。
 
「合成の形跡がない。これはホンモノだ!!」と確信した化
 
学教師が騒ぎ出し、天文台に鑑定を依頼までしたもの
 
だから騒ぎは大きく広まり、遂には新聞や雑誌に載るま
 
でになりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(↓)騒ぎの中心となった、S君が撮影したUFOの写真がこれです。
 
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う〜ん、味わい深い、良い写真ではありませんか。
 
いかにも空飛ぶ円盤然としたこの佇まい。
 
 
最近のやたらゴテゴテしてたりするUFOとは風格
 
が違います。情緒と言うか、侘びさびと言うか、
 
日本のUFOはこうでなくてはいけません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ところがどっこい、困ったのはS君です。
 
何故ならこの写真、S君がイタズラで作ったインチキ写真だったから。
 
アルミの灰皿を2枚重ねて糸で吊っただけの、他愛もない「UFO写真」で友達を驚かそうとしたのですが、
 
はやとちりの先生のお陰で騒ぎが大きくなり過ぎてしまい、真相を言うに言えなくなってしまったようです。
 
 
まあ、最後にはS君がカミングアウトして騒動は収まったようですが、いつか記事にした貝塚事件といいこの事件
 
といい、当時は子供のイタズラを大人が勝手に大騒ぎするケースが多かったように思えます。
 
 
これから先、日本ではオカルトブームが盛り上がっていくのですが、こんな大人達が作ったブームであれば、
 
其々のネタの信憑性は推して知るべしってところですかねぇ。
 
 
 
 
―本題の方が随分と短かいですね。すみません…。


(参考) インチキUFO写真展 他
 
この年、巨人はV6を達成!!このあと3年も連続して日本一になるなんて、何ていい時代だったのでしょう…。
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しかし、「旧き良き昭和」のツケが政治的にも経済的にも何でもかんでも今に回ってきているんですよねぇ…。 
 
 
 
 

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