旅の怪

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日常から離れた旅の空。怪異はそこにも潜んでいました。
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船旅2

そうこうしている内に船は、中継地であるロードス島の桟橋に着いた。パブで飲みはじめたハリーは全く興味がないようで、追加のビールをオーダーしている。あらかじめ貰っておいたランディングカードとパスポート、いくばくかの現金を身につけ上陸する。小さな港を取り囲むように城壁が建っていた。その向こうには古い石造りの城が見える。海岸から城壁をくぐると小さな町があり、これまた小さな広場に面した雑貨屋でタバコと食料を買いだす。滞在時間は1時間しかないので、これと言って何も見て回れない。しばらく砂浜でボンヤリ海を眺めるだけだった。船に戻ると、ここから乗ってくるらしい身なりのよい客が何人かいた。彼らはアッパーデッキの客だ。ランディングカードを係りのおっさんに渡す時、雑貨屋で買った袋も改められた。やる事はきちんとやっている。
 
船は3時過ぎに出航。藍色に深く澄んだ海面に、またイルカが跳ねている。水面下を泳ぐイルカの流麗なシルエットも透けて見えた。甲板の手すりには真新しい塩が結晶している。寝床でしばし昼寝すると、船は夕焼けに染まっていた。昼間は甲板で日向ぼっこを決め込んでいた連中もギャラリーに戻り、また賑やかになってきた。ハリーは、ずっとパブで飲んでいたらしく、ベロベロになって、ガターンと大きな音をたてて椅子から崩れ落ち、そのまま眠ってしまった。ホールには酒がまわり、兄ちゃん達がギターを鳴らし、どうやらアムステルダムの奴が持ち込んだらしきハッシシの煙が漂い、皆手を叩き、空き缶を鳴らして騒いでいる。そんな中で、じっと本を読む奴、ととっと寝る奴、飯を食う奴、考え込む奴、日記を書く奴、女を口説く奴と、好きな事をして寛いでいる。ふと見ると、暗い船窓を鏡代わりにして散髪をしている奴までいた。私も、イタリア人と、アメリカ人とユダヤ人とパレスチナ人と一緒に飲んで騒いで、そして寝た。
 
夜が明けると、日本で言う大晦日の日。朝方まで騒いだのに、8:00には目が覚めた。今日もいい天気だ。ふと見ると、ハリーはすでに飲んでいる。甲板に出てみると、名も知らぬ島が白い岸壁を見せながら通り過ぎていく。ようやくみんなも起き出し、またギャラリーが賑やかになってきた。トイレの脇に設置されていたシャワーを浴び、久々にサッパリした。11:00、キプロスに入港。予定で13:00の筈だったが、船脚が速かったらしい。ランディングカードを貰う時、停泊時間を聞くと、18:00までに帰って来いと言う。ドラクマも使えると言うので、余った小銭減らしに丁度いい。港の周りには何も無く、まだ新しい街道をてくてくと歩く。やたらと車屋やバイク屋が多い。何となく日本の郊外に似ている。「Town centre」の看板を頼りに5Kmも歩いて、やっと市街地に入った。古い家屋の残る旧市街と言った趣。土産物屋やカフェもある。その先には古城、その先には海。真っ青な海を行きかう貨物船を眺めながら、日光浴をする。片手には船から持ち出したビールがある。何時間か眠ってしまったらしく、潮風に目を覚まし、街道沿いの果物屋で新鮮なオレンジを買って船に戻った。今年最後の夕陽が港の向こうに沈み、船に明かりが灯る。いつもの如く、いつの間にか岸壁を離れた船は、星降る海に漕ぎ出した。
 
大晦日のサービスなのか、ギャラリーにも夕食が配られた。想定外のプレゼントに皆大喜びでかぶりつく。それを食い終わった頃、皆が集まりだした。ワインとフルーツカクテルがまわり、だんだんと盛り上がってくる。私も、イタリア人とアルメニア人とポーカーをしたが、イタリア人にタバコを全部巻き上げられてしまった。年明けの瞬間、ギャラリーの盛り上がりは最高潮に達し、男女を問わずハグとキスとハッピーニューイヤーの嵐が巻き起こった。それからみんな踊りだし、ラバンバを大声で歌いながら、船内を練り歩き、船長主催のニューイヤーパーティーで上級船客たちがダンスを踊っているホールにまで雪崩れ込んだ。そうして船が沈むかと言うほどの大騒ぎを繰り広げた上で、初日の出はイスラエル領海上で迎えた筈だが、それを見たものは皆無だっただろう。
 
 
初夢は泥酔の彼方に消え、それでも私は朝早くから下船の準備をしていた。イタリア人も、割としゃんとして荷をまとめていた。ふと見ると、ハリーの姿が無い。姿どころか、ハリーの寝床だったソファーは、何事も無かったように、綺麗サッパリとしている。あの男がこんなに早起きする訳はないが…。昨夜もハリーは…あれ?昨夜あの騒ぎの中にハリーはいたっけ?イタリア人に訊くと、そう言えば、見なかったなぁと言う。窓を覗くと、ハイファの町並みが迫っている。あれがイスラエルか…と感慨にふける間もなく、7:00丁度に船は接岸した。タラップは使われず、車が並ぶガレージから降ろされた。ほとんど真っ先に降りた私とイタリア人は、パスポートコントロールに入る前でハリーが降りてくるのを待っていた。お互い急ぐ旅でもない。最後にお別れの握手くらいしたかったのだ。
 
しかし、彼は降りて来なかった。
全ての乗客が居なくなり、係員から促されて私達がその場を立ち去る時まで。
彼は降りて来なかった。

船旅

いよいよアテネを離れる朝が来た。これから私は船でイスラエルに行く。
 
長く世話になった、『Pella In』との看板がぶら下げている安宿をチェックアウトするが、人懐こい宿のオヤジが泣きそうな顔をしている。なにしろ、ここには何ヶ月いただろう。古ぼけた建物のが群がる一角に、そこだけ小奇麗なその宿は、世界中から集まる貧乏旅行者で常に賑わっていた。アテネの安宿としては大したもので、ヒーターはきちんと機能し、シャワーからも熱い湯がほどばしる。思い返せば、アクロポリスの麓で一服していた白バイの若い警官と仲良くなり、紹介してもらったのがこの宿だった。警官が紹介するくらいだから間違いないだろうと思って訪ねたら、本当に間違いなくいい宿だった。愛想のいいオヤジが構えるレセプションの壁には、白バイに跨った若者の写真が誇らしげに飾られていたが。何の事はない、あの白バイ警官の実家だったのだ。
 
それは兎も角私はこの宿を大変気に入り、途中でエジプトに行ったり、トルコに行ったりしたが、拠点はここに置いていた。そんな遠出の時は、不急不要の荷物を預かってくれたりもした。そして帰ってくると、「お帰り。今度は何泊だい?」と、オヤジがニコニコ顔で迎えてくれたものだ。数日前に迎えたクリスマスの日には、「日本語で『メリークリスマス』はどう言うんだ?」 とオヤジが聞いてくるから、「『メリークリスマス』だ」と答えたら、周りに居た女の子達に大うけしたっけ。泣きながら抱きついてくるオヤジに、残りの宿代としてドラクマ札を渡しながら、「Να μας ξανάρθετε(また、来るよ)」と、おぼえたてのギリシャ語を残し、エルム通りをシンタグマ広場に向った。
 
そこでバスの乗ろうと思ったのだが、港行きのバスが見つからない。仕方なく、オモニア広場にある地下鉄の駅まで歩いた。地下鉄(と言っても殆どの区間は地上を走っていたが)に20分も揺られると、古代のポリス時代から栄えたピレウスの港に着いた。古くからの港の常で、灰色を基調とする煤けた風景に、活気と怠惰が溶け込んでいる。東洋の果てから辿り着いた旅行者などは無視するかの如く、港には何の案内板もなかった。一体全体、私が乗るべきイスラエル行きの船はどこにあるのか。さっぱり判らない。地下鉄の駅に戻ると、フランス系らしき船会社のオフィスがあったので訊ねると、さもめんどくさそうなレディーが、「中央税関で聞いたら?」と、いい怪訝な地図を走り描いてくれた。カチン!!とボールペンのフタを閉めた音がオフィスに響き、それはとっとと出て行けとの意思表示に他ならない。
 
これが地図と言えればの話だが、地図を頼りに、潮風と油の匂いとディーゼルの騒音と男達のだみ声、それに海鳥の鳴き声が混じり合う埠頭を彷徨うように歩く。すると、不釣合いに立派な建物が見えてきた。あれが中央税関のようだ。行って見ると、立派なのは遠目だけで、半分廃虚化した古ぼけたビルだったが、とりあえず中央税関の建物である事には違いなかった。中に入っても受付も何もなく、がらんとしたロビーがあるだけだ。廊下にはいくつかのドアが並んでおり、とりあえず一番手近なドアをノックする。出てきた小太りにイスラエル行きの船はどこだと聞くが、早口のギリシャ語でまくし立てられただけで、何を言っているかさっぱり判らない。すると、廊下を歩いてきた初老の紳士が、「ちょっと、耳に入ったから来たんだが…」と話に割り込んできて、上手な英語で親切に船乗り場の位置を教えてくれた。彼は何度か日本に行っており、日本人の友人も多い親日家だそうだ。
 
教えられたとおりに歩くと、パスポートコントロールの建物があった。そこでパスポートに出国のスタンプが押され、その先で荷物のX線検査があり、建物を出た先に船が泊まっていた。地中海をハイファまで3日かけて渡る船なので、それなりの大きさを想像していたが、それよりは随分小さく、阪九フェリーよりも小さそうな勢いだ。そうは言っても、こちらは船の大小を言える身分ではない。私は部屋や席もない、「デッキ・クラス(甲板で寝ろ)」の乗客なのだ。乗船までの数時間を埠頭で待つが、冬のギリシャは結構寒い。もちろん寝袋や防寒衣料は持っているが、これでデッキだと相当キツイなぁと思いながら景色を眺めていると、周囲には、私と同じ様な貧乏旅行者が三々五々集まってきた。ようやくゲートが開けられる頃には、それは100人近くになっていた。
 
もう一度パスポートのチェックを受け、係員から「他人から預かった物はあるか?」としつこく聞かれた。お人よしの日本人が見ず知らずの人から物を預かってイスラエルに持ち込むケースは多い。見ず知らずの人は大概テロリストで、預かる物は大概爆弾だったりする。今まで国境でこんな事を訊かれた事は無かったが、さすがはイスラエル行きの船だけの事はある。ようやくチェックを終えてタラップを上ると、私達デッキクラスの乗客…いや、荷物は船頭に誘導された。そこには、「ギャラリー」と呼ばれる船内のパブリックスペースがあり、片隅に小さなパブが設えられていた。日本風に言うと「大広間」だろうか。壁際にソファー並び、ホールにはテーブルと椅子が配置されている。どうやら慣習的にここがデッキクラスの「荷物」置き場になっているらしく、「荷物」たちは皆それぞれテーブルの下やソファーの上に自分の居場所を造っていく。私も壁際のソファーを寝床とし、両隣で同じ事をしている銀髪のオヤジと、明らかにイタリア人と判る兄ちゃんに挨拶した。
 
そこから3泊の船旅が始まったのだった。「ギャラリー」のパブには無愛想な姉ちゃんと、そこそこバリエーションに富んだ食い物、そして酒とタバコが置いてあった。一段落する頃、いつの間にか船は埠頭を離れ、港は暮れなずんでいた。時計を見ると、1時間ほど遅れて出航したようだ。デッキに出ると、船は狭い水路を縫いながらピレウスの灯を後方へ押しやろうとしている。湾内なのに波は高く、揺れる。遠ざかる陸の灯を見送りながらタバコをふかし、寒くなってきたので寝床に戻ると、ギャラリーの住人達は殆ど寝袋にくるまい、芋虫のように床に転がっていた。私も寝袋に納まり、酔っ払いとその子供がじゃれる声を聞きながら眠りに落ちた。
 
朝8:00。ソファーの上も寝心地は悪くなく、熟睡して目が覚めた。窓の外は真っ青な海と空が広がっている。並も穏やかで、揺れは殆ど無い。一夜明けたギャラリーは、まるで難民船の様相を呈していた。床一面、ごちゃごちゃとした生活感が漂い、まるで何年も前からこうだったかのように感じられる。まあ、こっちの方が気を遣わなくていいが。
デッキに出ると、船はエーゲ海の島々を追い越し、舳先ではイルカの群れが跳ね飛びながら随行している。野生のイルカって初めて見たが、まるで陳腐な映画の1シーンだ。陽光が燦燦と降注ぎ小春日和の中で、する事もないので、タバコとビールで時間を潰す。お隣さんのイタリア人が「カードでもしようぜ」と誘ってくるので、銀髪オヤジとその辺にころがっていたトルコ人をさそってポーカーをする。小銭をかけてやっていたが、どうもイタリア人だけ勝ちまくるので、銀髪がニヤリと笑って「手口はわからんが、イカサマだろう」と、片言の英語で言った。彼は、ドイツ人だそうだ。見た目がクリント・イーストウッドに似ていたので、周囲から「ダーティー・ハリー」と呼ばれ始めていた。ハリーの言葉にイタリア人は、「俺はナポリでこれで食ってたんだ」と笑う。私がカードを切りながら、「じゃあ、次はAのフォーカードだ」と言って配る。ハリーと、トルコ人と私がイタリア人の手元を注視しながらゲームは進むが、何らあやしいところはない。そうして、トルコ人がフルハウスを嬉しそうに広げると、イタリア人は「Aの…」と言いながらカードを広げた。「フォーカードだ」。これには、暇つぶしに後ろで見ていた連中も感嘆し、次々とリクエストを出し始めた。イタリア人はそれに応えて次々とフラッシュ、ストレート、フルハウスを披露していく。さすがにロイヤルストレートフラッシュは無理だろう。そんな声に彼は笑いながら「そう言われるだろうと思って、作っておいた」と言った。開けられたカードはロイヤルストレートフラッシュだった。どうやってるんだ!?との周囲の問いには彼は笑って答えなかった。イタリア人は、私達から巻き上げた小銭で酒を買い、ご馳走してくれた。
 
(文字制限の為、続く)
 
 
 
 

王家の谷奇聞2

 
穴に入って暫くは外の明かりでぼんやりと周囲が見えたが、壁面には何のレリーフもない。そのまま進むとやがて外の光も届かなくなり、足元が覚束なくなる。ドイツ人は、こいつそんなもん持ってたんだと驚かされたのだが、いつの間にか懐中電灯を手にしていた。実は私も必ず小型の懐中電灯をザックの中に入れており、それを取り出して点灯した。穴の入り口からずっとまっすぐ道が続いている。と言うことは、これは盗掘跡などではなく、正規の羨道なのか。しかし、他の墓と違って、落とし穴とか、偽の玄室などはなく、ただ延々とトンネルが続いているだけだ。もう、数10mは進んだ筈だが、まだ奥には闇が続いている。トンネルは傾斜することも無く、まっすぐ水平に闇の中に通じていた。
 
何で、こんな特異な遺跡が放置されているのか?私は不思議でならなかった。奥に進むに連れ、空気中の埃は消え、ややひんやりとしてきた。ドイツ人が照らす先を見ると、薄く砂埃が堆積している。ドイツ人が歩を進めるたびに、その足元にふわとかるく砂が舞い、彼の足跡が残る。そこで、ふと私は思った。何故今まで気づかなかったのか。ドイツ人の持つ懐中電灯の照らす先には、人の足跡などは無いのだ。つまりは、随分長い事、ここに人は立ち入っていないのだ。 私の胸中には、徐々にどす黒い不安感が広がり始めていた。この先に何があるのか。本当に入ってよい場所だったのか。このまま進んでいいのか。
 
 
 
帰れなくなってしまうのではないか…。
 
 
 
そんな事にはお構いもなしに、ドイツ人はむしろ歩調を速めていく。振り返っても、もう、入り口の光は遠く、漆黒の夜空に輝く一つ星の様に見えるだけだ。たまらず私が「ヘイ…」と声を掛けると、彼は立ち止まり、振り返った。私の懐中電灯に照らし出される彼の顔は、改めてしげしげ見ると、日本人の美的感覚で言うとハンサムな方だ。鼻が高く、碧眼で金髪。ゲルマン人の特徴を良く表している顔立ちだ。しかし、何処と無く野暮ったく、とっつきやすいドイツ人の気質を持っている。しかし、その時の彼は、今までのそれとは違い、何か、大事なものを見つけた様な、満足感と期待感に満ちた、そんな凛々しい表情をしていた。そんな顔を見ていると、恐怖感は霧散していった。
 
―彼は、首のロザリオを外すと、私に差し出した。ああ、彼はカトリックだったんだと、今更ながらに思いつつ、私は無言でそれを受け取った。気づけば、いつの間にか、トンネルの奥の闇の中から低く小さく連続した重低音が響いていた。文字で表すなら「ヴー」と言った感じか。何故だか判らないし何の根拠もないが、彼はもっともっと遠くへ行こうとしているのだと、そう感じた。エジプトよりもっともっと遠い所へ。私はそれを止める気も起こらず、ただ彼の目を見つめるだけだった。すると、彼の背後、つまり、トンネルの奥から、目もくらむばかりの青白い光が差し込み、彼のシルエットを浮かび上がらせた。トンネル内での最後に見たのは、光に向かって歩いてき、そして光の中に溶ける様に見えなくなった、ドイツ人の後姿だった。そしてますます強くなる光は、私の視界を奪い、記憶も奪った。
 


 
気がつくと、私は砂漠の中のアスファルトで一人自転車をこいでいた。長く眠っていてやっと目が覚めた様な、そんな清々しい倦怠感が身体を覆っていた。あれ、俺は何してるんだっけ?ああ、そうか、王家の谷から帰る途中なんだ。
 
陽は、西の砂丘のすぐ上まで降りてきており、空は藍色に染まりつつ、東からは漆黒の夜が染み出してきていた。さっきまであんなに暑かったのに、いまや風は秋のものになりつつある。早く帰らなくては、フェリーが無くなる。そして、夜の冬がやってくる。エジプトでは、一日のうちに四季が巡るのだ。朝が春、昼間は夏、夕方は秋、そして夜は冬。やや焦り気味にペダルを踏む私が、サトウキビを積んだトラクターを追い越そうとすると、運転していたおっさんが、「ほれ、持って行け」とサトウキビを一本くれた。それを齧りながら走る。力を入れてこいでいたら、ペダルが片方ぶち壊れた。
 
やっと着いた船着場には、まだまだ観光客が大勢いた。そんなに急ぐ必要もなかったのだ。おかげで、明日誰かが片方のペダルに苦労する事になった訳だ。船着場で座り込んでサトウキビを齧っていると、身なりの良い日本人の団体がやって来た。若い女の子達が「あの人、日本人かなぁ」「えーちがうでしょー、何か汚いし」等と、私を評している。聞こえてるぞ馬鹿。すると、その団体の中からいい年の紳士が近づいてきて、サトウキビの齧り方を教えてくれた。子供の頃、良くそうやってサトウキビを噛んでいたそうだ。「頑張ってるなぁ、お兄さん。一人で来てるの?うらやましいよ」と、別れ際にその紳士は言った。
 
一人?いや、そう、一人だ。私は一人で旅をしているのは間違いないのだが、心の中に何かひとつ欠けている様なもどかしさがあった。そして、出航したフェリーの手すりに凭れて景色を眺めるうち、ちょっとした疑問が沸き起こった。―そう言えば、何でこんな時間になってるんだ?王家の谷に入ったのは、午前中だったのに、それから何時間も歩きまわった訳でもないのに…何でもう日が暮れてるんだ…?しかし、肌寒ささえ感じるナイルの風を浴びるうち、まあ、そんな事はどうでもいいかと、そう思う様になった。ここはエジプト、色んな事が起こる国だ。
 
対岸に戻ると、ナイルの向こうに、溶鉱炉から吐き出される銑鉄の色をした夕陽がどんよりと沈んでいった。天を仰ぐと、オレンジともピンクともつかない残照が空を覆い、気の早い星たちが輝きを増しつつあった。とりあえずホテルに自転車を返し、飯を食ってくると言い残して夜の帳が降りた街へ向かう。
 
ふと見ると、私が置いた自転車の脇に、見慣れた気がする自転車が置いてあった。その自転車は、黄色のペンキが荒く塗りたくられていた。
 
昨日も晩飯を食った、「マキシム」との看板が出ている、地元の人が集う食堂で夕飯を食う。あれ、昨日も一人で食ったっけ?いや、誰かと一緒に食った様な気がするが…。昼間の暑さのせいか、外人用に用意してあるビールを一気に呷ったせいか、どうも頭がぼけているらしい。説明のつかない懐かしさが胸にこみ上げてきた。人知れず涙を拭いて、さあ、明日はどうしようかと思いを馳せる。もう1、2泊してもいいし、バスか列車でアスワンに向かうのもいい。兎も角、今日は何故か凄く疲れたので、早く寝よう。
 
―その夜は、宇宙から地球を眺めおろす夢を見た。ついさっき見たものを思い出したかの如く、やたらとリアルな夢だった。
 
翌朝、宿のオヤジが、昨夜夜遅くにUFOが出たと騒いでいた。聞くところによると、王家の谷の上空に、金星の何倍もの大きさの光が輝き、東の空へと飛び去っていったそうだ。宵っ張りの観光客も含めて、大勢の人が目撃したらしい。そんなものが見られるなら、早寝なぞするのではなかった。その前の晩は、日付が変わるまで飲んでいたのに。―え?誰と?一人で飲んでいたんだっけ?いや、誰かが一緒にいた筈だ。でも誰と?
 
 
―まあ、いいけど…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
さて、何処へ行ったのかは知らないが、いつかは彼も帰ってくる事があるのだろうか。
 もし帰ってきたなら、是非会ってみたいものだ。名も覚えていない彼だが、人の縁とは不思議なものだ。いつかどこかで彼に会えると、そんな確信めいたものが私にはあるのだ。彼から預かったロザリオは、それまで大事に保管しておこう。
 


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王家の谷奇聞

そのドイツ人の事を思い出したのは、実を言うと、つい最近の事だ。もう、あれから20年以上も経つ。思い出したとは言え、彼とは何処で出会ったのか、カイロから乗った夜行バスの中だったか、それとも列車の切符を買う長蛇の列だったか…良く憶えていないのだ。ルクソールに着くまでも、数日間も一緒に旅した筈なのに、その間の記憶がまるで無い。名前さえも思い出せない。当時の写真を見ても、彼の姿は何処にも写っていない。彼と過ごした旅の想い出は、私の妄想なのだろうか。いや、そうではないだろう。あの時彼から貰ったロザリオが、ガラクタの中から出てきたのだから。そのロザリオを見て、彼の事を思い出したのだから…。
 


 
日本人は時間に正確で、これは自他共に認める所ではある。しかし同じくらいに時間に正確と世間的には言われているドイツ人ではあるが、そのドイツ人と約束した930に彼の部屋をノックすると、彼はまだ起きたばかりだった。あと15分、時間をくれと言う。ドイツ人が几帳面に時間を守ると言われているのは嘘だと気づいたのはドイツを旅している時だったが、どの国の人間が「時間に正確」と言うドイツ人評を作り上げたのか。恐らくイタリア人かフランス人だろう。あるいは、イギリス人かもしれない。ルーマニア人やポーランド人にとっては、ドイツ人は時計が歩いている様に見えるかもしれない。どの国の人間がそう言い出しかは永遠の謎だが、しかし、それはあくまで彼らの基準によるものであり、日本人からしてみれば、ドイツ人は時間にルーズと言わざるを得ない。しかし彼も、昨夜私と遅くまで飲んでいたので、情状酌量の余地はある。まあ、エジプトには時間とナイル川の水だけはたっぷりとあるのだ。焦る事も無く、待つ事にした。
 
ルクソールの街外れの安宿。ピラミッドの時代から置いてあるんじゃないかと思わせる程に古ぼけて壊れかけたソファーが一脚置いてあるだけの、ロビーとは名ばかりのロビーで30分待った。そして、もう放っといて行っちゃおうかと思い始めた頃に、彼が階段を降りてきた。「やあ、待ったかい?」と私より下手な英語で言う。30分も待たせておいて、待ったかいもないものだ。待ったに決まっているではないか。「いや、ちっとも」と私も下手な英語で返す。この辺が、日本人の日本人たる所以だ。和を以って…と言う奴だ。
 
私と彼との会話は、其々の母国語が理解し合えないので、いきおいお互いに下手な英語で交わす事になる。下手同士だけあって、小難しい単語や言い回しは出てこないので、これがまた思いの外良く通じるのだ。
 
時間にルーズと言うのは時としてありがたいものだ。遅れてきたドイツ人が朝飯を食ってから行こうと言うまでは、朝飯を食ってなかった事に気づいてなかった訳だが、とうにサービスが終わっているはずの安宿の食堂は何故かまだ細々と給仕をしていた。パンとハムとチーズしか出ないだろうと思いきや、卵が付いていたのには少々驚かされた。安物の筈のコーヒーは、香りが濃く、旨かった。
 
飯を食った後、二人で出かける。安宿で借りた自転車で。ぼろではあるが、何とか今日一日くらいは持ちそうだ。明日にどうなっているかは、明日この自転車を借りる者の運にかかっている。ドイツ人にあてがわれたのは、どう見ても何台かをつなぎ合せた様な、ちぐはぐの自転車だった。ちぐはぐを誤魔化す様に、塗れる所は全て黄色のペンキが塗りたくってある。まあ、走ればいいさと、ドイツ人はギシギシとペダルを踏んだ。
 
ウンターパレスで野暮用を片付け、ナイルを渡るフェリー乗り場へ。観光客用のフェリーはやたら高く、Pt50。片道でだ。まあしょうがないと乗り込むが、なかなか出航しない。客が集まるのを待っているのだ。一応、タイムテーブルはあるらしいのだが、それはとりあえずあるだけの存在になり果てているらしい。まあまあぽちぽち客が乗船し、気づけば船はナイルを斜めに渡りはじめていた。ナイルは相変らずこげ茶と緑が混ざった色で、どっちが上流か判らないほどゆったりと流れている。何千年もエジプトを養ってきたナイルだが、取り合えず今は川面を渡る風を涼しくしてくれている。朝方は曇り勝ちだった空は、いつの間にか水蒸気を吸収しつくして、真っ青になっていた。旅の空が晴れるのは喜ばしい事ではあるが、ここではそれは同時に、強烈な日差しによる日射病と脱水症状の危険を示唆するものだ。大枚はたいたツアー客なら兎も角、我々貧乏旅行者は、自分で自分を守るしかない。気をつけねば。
 
 
西岸に着くと、船着場はみやげ物の露天、観光バス、ロバ、羊、地元のおっさんとガキ、そしてスリと観光客で賑わっていた。このあたりはナイルの恩恵を大いに受けており、緑の農園に椰子の木が生い茂っている。一見すると砂漠の国には見えないが、どうせ何分も歩かないうちに砂と岩しか見えなくなるのだ。王家の谷に入るには、ここでチケットを買う必要があり、その代金は名目上は遺跡保護に使用されるとなっているが、ここはエジプト、一体その何割が本来の目的に使われているのかは判らない。しかし、好むと好まざるとにかかわらずここで数ポンドを払わなければ、谷に入ることは出来ないのだ。チケット売り場を探して歩き回り、やっとみつけたそれはアメンホテプ3世の坐像が2つ並ぶ広場の先にあった。目の前には王家の谷に続く岩山がそそり立っている。首尾よくチケットを購入した日本人とドイツ人は、ギコギコきしむ自転車を連ねて、谷を目指した。
 
砂漠の事、早朝は肌寒かったが、そろそろ高み達しつつある太陽が、今は肌をじりじりと焼きつつある。エジプトに入ってからもう1ヶ月も経っただろうか。そのお陰でいまや私はエジプト人以上に浅黒くなっていた。通り過ぎる村には、手を大きく振ってくる子供達の姿がある。片手に握りしめているのは、「昨日発掘した出土品」だろう。あれを1ポンドで観光客に売るのが彼らの仕事なのだ。ロバの背にサトウキビを山ほどくくりつけて、その上にちょこんと乗っかって鞭を振るう子供もいる。子供たちからは、たまに「バクシーシ!!(チップちょうだい!!)」と声がかかるが、大抵は「ハロー、ジャパニーズ!!」と笑顔で叫んでくれる。エジプトでは柔道人気がすさまじく、概して対日感情は良好だ。カイロでは、やたらと「サラバジャ」「セッシャ」と声を掛けられて、良くそんな言葉を知ってるなぁと不思議に思っていたら、何の事はない、つい最近TVで何週も連続で「黒澤特集」をやって高視聴率を博していたそうだ。特に「七人の侍」の回が人気だったとか。良いものはどの国の人が見ても良いものなのだ。しかし、何故私を一目見ただけで日本人と判るのだろうか。こんな汚い格好をしているのに…。と思いながら自転車をこぐが、何度も脇を猛然と追い越していく観光バスに引っ掛けられそうになる。確かに、砂漠の真ん中に伸びる舗装道路は良く整備されていて大したものだが、道幅はそう広くない。たぶん、過去何人ものチャリンコ貧乏旅行者が観光バスの餌食になっている筈だ。表には出てないだけで。観光バスの猛追に、いい加減嫌気がさしてきた頃に上り坂にさしかかり、もう引き返して帰ろうかと言う気分になりかけた時、ようやく王家の谷に着いた。
 
ここでも相変らずみやげ物の屋台が並び、いかにも遺跡から出てきた様な彫り物をかざして「安いよ安いよ」と売り込んでくる。それをやり過ごして、入場門でチケットをもいで貰って、いよいよ王家の谷に入る。王家の谷とはよく言ったもので、そこは高い崖に囲まれていた。白く埃っぽい風景が、強烈な太陽を受けてとても眩しい。まず手始めにラムセス6世墓に入る。岩の中にくり抜かれた入り口の周りを彩色されたレリーフが囲っている。岩石砂漠の中でその鮮やかさはオアシスの様だ。羨道は美しい線画で満たされ、その奥の玄室の天井には天の女神ヌウトが描かれている。かつてはここも金銀財宝で埋まっていたのだろうが、全て盗掘された今は石棺が残るのみだ。次はツタンカーメン王墓。かの有名な−と言うか、恐らく日本人はこの人とクレオパトラ以外のエジプト王の名は知らないのではないかと思える程の有名人。しかし、その墓はさして大きくもない。ツタンカーメン人気は世界的で、谷の中では一番混み合っている。玄室の中の石棺には、実は今もツタンカーメンのミイラが眠っているのだが、その事実はあの黄金のマスクほどには知られていない。身包みはがされたまま石棺の中にいるツタンカーメンには、色々な意味で同情したくなる。次から次へと押し込まれて来る見物人に押され、ゆっくり見る間もなく、ところてんの様に墓を押し出されてしまった。ツタンカーメンは呪うと言うが、さすがにこんな大勢が毎日押し寄せてきたら、いちいち呪う暇もないだろう。ドイツ人に、下手な英語で「これじゃぁ、日本に来たモナリザと同じだ」と言ったら大笑いしていたが、たぶん通じてなかっただろう。彼は私が何かジョークを言ったと察して、意味も判らずウケてくれたのだ。
 
そうして、あっちこっちの墓をブラブラ覗いて回っているうち、いい加減に墓の中の暑さに辟易としてきた。墓の中には外の埃っぽさを持ち込んだ群衆の人いきれで充満しており、外に出た方がさっぱりするくらいだ。あまりの暑さに、レストハウスに逃げ込む。食い物はパンケーキ位しかなかったが、コーラがとても旨かった。ドイツ人は一人でまた墓巡りに行き、私はぶらぶらとその辺を散歩。さて昼飯をどうしようかなど思っていると、エジプト人の家族連れに取り囲まれて、記念撮影。カイロで買ったエジプト軍の帽子がウケている様子で、親父が「これは、スペシャル・フォースの帽子だ!!」と教えてくれた。その親父はポリスマンだそうで、ジャンパーを開いて見せてくれたのは、胸のホルスターに収まるブローニングだった。エジプト人はみんなそうだが、やたらと人懐こい家族で、別れ際には「グッバイ、ジャパニーズフレンド!!」と家族全員で手を振ってくれた。
 
そうこうしているうちにドイツ人が戻ってきて、ちょっと一緒に来いと言う。昼飯の相談も忘れて、何何?どうしたと訊くと、いいから来いと言う。カイロのスークで値切りまくって買ったエジプト軍払い下げの砂漠帽をかぶり直してついていくと、谷の外れの、観光客の姿もない瓦礫の地に引っ張って行かれた。何だ、ここは?と問おうとする前に、ふとそれが目に入った。岩壁に開いた、墓の入り口。そんなものは王家の谷には掃いて捨てるほどあるが、いや、捨ててはいけないが、何故かここだけは全く観光客用の整備がなされておらず、ただぽっかりと穴が開いているだけだ。墓の入り口と言うには何の装飾もなく、単なる洞穴の様に見える。さては盗掘の跡かと思ったが、未だに王家の谷にそんなものが放置されているものなのだろうか。ドイツ人は、入ってみようぜと言う。入ってはいけないとは何処にも書いてないので、入っても怒られはしないだろうから、2人して入った。
 
(文字制限に引っかかったため、続きにします。)
 


 
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(↑)デカ過ぎる様な気がする…
 
 

巴里18区の幽霊宿2

この建物は、戦前から売春宿だった。

国家公認のな。公認する代わりに、税金を課す。

当時は、こんな売春宿からの税収で国庫はずいぶんと潤ったらしい。

修道院の修理費を稼ぐのに、尼さんも身体を売ってたって時代さ。

どうせやるなら‥って訳だ。


戦争が始まって、ナチに占領されていた時は商売どころではなかったが、

パリが解放されると、連合軍の兵隊相手に随分と繁盛した。

戦後になってもしばらくは続いたが、ビドーの頃に売春宿が禁止されると、廃れちまった。

その後、普通の宿になって、現在に至るって訳だ。
 
 
ここに住み着いている幽霊は3人いて、みな戦前から戦時中にここの売春宿にいた娼婦達だ。
 
平和な頃は、La traviata(椿姫)とまではいかないが、彼女達はそれなりに上流に得意客がいて、

そこそこ稼いでいたようだ。

しかし、ナチがやってくると、金蔓はみな殺されたかスイスやスウェーデンに逃げた。
 
そして、どうやら、パリが占領されていた時にレジスタンスに協力していたのがバレで、

3人ともナチに殺されたのさ。ーどういう風に殺されたかなんて、考えたくもないけどねー


てな訳で、元が娼婦だけに女の宿泊客の前に出ることは無く、

幽霊に出会うのは男の客ばかりだ…。
 
 
なるほどなあ。売春宿だったのか。

道理で周りの建物と毛色が違っている訳だ…と変な所に納得した私に、あんちゃんは

「どうする?もう1泊する勇気はあるかい?もし出て行くなら金は返すけど…」と聞いてきた。

「いや、もちろん、もう一晩世話になるよ」と答える私に笑いかけながら、

「へえ。幽霊に会った客は、大抵出て行くけどね。あんたも物好きだね」と、

あんちゃんは呆れた声を出してみせた。

 
念の為だが、フランスでは売春宿が禁止されているだけで、行為そのものは禁じられていない。

本当にいい国だ。(当時)

 
レセプションに鍵を置いて外出する初老の男性をやり過ごし、その背中を見ながら

「あの人の所には出なかったのかな?」と呟くと、あんちゃんはこう言った。

「ああ、あのお客さんはドイツ人だ。彼女達はドイツ人を嫌っているのか恐れているのか、

ドイツ人の前には姿を現さないんだ」


―なるほどなあ。また私は納得した。
 
 
その日、当然ながら特にあても用も無かった私は、そう言えば今日は週末だという事を思い出し、

クリニャンクールの蚤の市を覗いてみる事にした。

まあ、売っているのは大体がガラクタばかりなのだが、

こじゃれた商店街を歩くより私にとってはなんぼも面白い。


週末になると、パリのあちこちに市がたつが、クリニャンクールが一番大きい様だ。

あのあたりはスリの巣窟と言われているが、私は一度も被害に会った事は無い。

要は、すられる物を持っていなければいいのだ。

幾許かの紙幣と小銭をポケットに押し込み、その他の貴重品は宿の金庫に入れて、私は宿を出た。

 
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蚤の市には、何に使うのか判らないガラクタが、

相変わらず沢山並んでいた。

古びたドアノブとか、錆びたスプーンとか。
 
だれが読むのか、古い手紙の束とか。

たまに、電気製品なども売っているが、


恐らくまともに動く事は無いだろう。

いんちきジーパン屋があったので、着替え用に偽ブランドのジーンズを1本買った。


それからもぶらぶらと市の中を彷徨っているうち、私は良い物を見つけ、

散々値切った挙句にそれを買った。
 
 
 
その夜。


部屋でじっと幽霊を待つのも飽きてきた私は、夜の宿を探検してみる事にした。

探検と言っても小さな宿の事、4階から1階まで隈なく歩いても10分とかからないが。

ともあれ、私は階段を下りて、ワンフロアづつ見て回った。

 
あんちゃんに聞いたところでは、今日は3〜4組の客が入っているそうだが、

何故か各階とも人の気配がない。

シンとした空気が宿を支配している。

 
時計はまだ11時前。週末だし、客は皆夜のパリを楽しんでいるのだろう。

週末のパリで、幽霊と戯れようとしている酔狂者など、私くらいのものだ。


本来なら、今夜あたりはフォルショー通りかピカール通りあたりへ街娼を冷やかしに行く所だが、

そんな事はいつでも出来る。それに、出てくる幽霊も娼婦なら、似たようなものだろう。

いや、生身の街娼よりは剣呑でないかもしれない。

フォルショーの女ときたら、100ドルも獲っておきながら、事を致すのは、路地に停めた

古びたルノーの中でだったりするのだから。
 
 
さて、何事も無く下まで着く。

あんちゃんは奥に引っ込んでいるのか、レセプションは無人で、ただテレビに

お笑い番組が垂れ流されているだけだった。


そう言えば、この宿に入ってから、従業員と言えば彼にしか会っていない。

年恰好から、宿のオーナーと言う感じではないし、まさか、一人で切り盛りしている訳でも

ないだろうが、朝から晩まで、四六時中、彼は一人で宿の中にいた。
 
彼の名前は何と言ったっけ。宿にいる間は名前で呼んでたのだが、どうしても思い出せない。
 
 
しばらく、貧相なソファーに座っていても何事も起こらないので、やや飽きてきた私は、

部屋に戻ろうと階段を上り始める。
 
すると、2階まで来た時、ゴワンゴワンとエレベーターが動き出した。
 

―私はぎくりとした。    エレベーターは壊れてる筈だ…。

 
ゴンドラは、ギシギシギイイと軋みながら、1階から上がってくる。

そして、私の目の前を通り過ぎ、なおも昇って行った。
 
 
―いた。いた。いた。いたよ、いたいた。
 
 
ゴンドラの中には、今となってはこの安宿には場違いな、黒いドレスを着た女がいた。

美しかった。この世のものとも思えぬほどに。

 
私は、一瞬、その女と目が合ったのだ。

何とも冷たい目で、こちらを見ていた。

 
私は、階段を駆け上がった。

たぶん、女は最上階まで行った筈だ。

私には、そんな確信めいたものがあった。
 
息急き切って階段を駆け上り、最上階へ踊り場を回った所で、

私は思わず足を止めた。


そこには、昨夜の、あのきつい、安物の香水の臭いが充満していたのだ。
 
むせ返りそうになりながら視線を上げると、階上には3人の女が立ち、私を見下ろしていた。


いや、正確には、立っている、とは言えない。

良く見るまでもなく、彼女らのハイヒールは、其々床から20〜30センチほど浮いているのだ。


昨夜の出来事を、私は思い出した。

ああそうか、廊下をウロウロしてたのに、そう言えば足音がしなかったのは、

浮いてたからか。なるほどなぁ。

今更ながら、私は妙に納得した。


3人の真ん中にいるのは、やはりエレベーターに乗っていた黒いドレスの美女だ。

 
もう2人は、それぞれ原色の派手なドレスを着ていた。

仰々しいが顔の造りに似合った化粧をしている。

この辺がプロっぽさを感じさせる。

二人とも、やはりなかなかの美人だが、どことなくやさぐれた雰囲気を漂わすのは、

彼女達が娼婦…の幽霊、だからであろうか。


黒いドレスの美女は、他の二人より若い感じで、下手すれば十代の様に見えた。

しかしそれはそんな気がしただけで、どうだかは判らない。

娼婦の年齢を当てる事など、どんな男にも出来はしないのだ。
 
 
幽霊なのだろう。

それはたぶん間違いないのだが、浮いている事以外は生きている人間と全く変わらず、生々しい。
 
艶と言うか、色気さえ感じる。

3人は、無関心なのか、それとも興味を持っているのか、何とも判然としない表情で

じっと私を見下ろしていた。

興味が無ければ出てこないだろうから、それに、じっと見つめたりはしないだろうから、

やはり私に多少なりとも興味はあるんだろうと思う事にした。

幽霊とは言え、美人のフランス女に興味を持たれるのはまんざらでもない気がする。

 
しかし、一向に恐怖を感じないのは何故だろう。

目の前にいるのは、幽霊なのに。

私は割と冷静でいる自分が一番不思議だった。


それはそうと、しばらく無言で見つめられるのに居心地の悪さを感じた私は、

何か気の利いた事でも言わなきゃ、と思って口をあけた。

すると、思いがけずも、やたらと間の抜けた言葉が出てきた。
 
 
「Bon soir(こんばんは)」
 
 
突然、彼女達は甲高い声で笑い出した。

笑い声は廊下や階段に反響する。
 
それは、まさに、昨晩と同じ、狂気じみた、あの、笑い声だった。
 
 
今の挨拶はそんなに場違いだったのか。それとも私の発音が可笑しいのか。
 
彼女達は、長い事、笑い声を止めなかった。

客がいれば、部屋から出てきそうな、高い笑い声だ。


下のあんちゃんにも聞こえてる筈だが、階段を上ってくる気配も無い。

それとも、もう慣れっこになっており、今更いちいち見にくるつもりもないのだろうか。

私は、どうしていいのか判らず、笑う娼婦達を、ただただぼけっと見上げているしかなかった。

 
そして、笑い疲れたのか、3人の娼婦は、笑い声と共に、ふっと消えてしまった。

 
私の鼓膜には、しばらくの間、甲高い笑い声の残響がへばりき、

階段には、安物の香水が漂い続けていた。
 
 
私は、狐につままれた気分で、部屋に戻った。

バタン、カチャ、ドサ。ふぅぅ〜。

幽霊だったよなあ、今の。

浮いてたし、消えたもんなあ。

酔ってないよなぁ、俺。まだ、酒飲んでないもんなぁ。

幻覚とかじゃないよなぁ、アレ。

 
スチーム・ヒーターには、さっきのせておいた洗濯物がもう乾いている。
 
ヨーロッパで助かるのは、こうして洗濯物がすぐに乾く所だ。

もともと乾燥した気候もあって、ろくに絞っていない厚手のジーパンも、

スチームに乗せておけばすぐ乾く。

そのかわり、やたら喉が乾くから、寝るときは必ずエビアンを枕元に置いておく。

あ、エビアン買っとくの忘れてた。

 
…いや、そんな事はどうでもいい。
 
今、私は、たぶん幽霊に遭遇したのだ。   いや、確かに。

全く、実感は湧かないが。

 
それから深夜まで、またしてもワインを開け、チーズとハムを齧りながら、

私は彼女達の訪問を待ち続けていた。
 
しかし、それきり笑い声が聞こえる事も、香水が漂う事も、ボトルが宙に浮く事も無かった。

 
仕方なく、蚤の市で買ったものをテーブルの上に置き、そのまま私はベッドに入った。
 
明日からはまた、場末の宿を探し歩いて、相部屋で眠る日々が始まる。
 
せいぜい、独りきりの豊かな眠りを堪能しよう。

程なく睡魔がやってきて、前も後もなく、私は深い眠りに落ちた。
 
 
そして、翌朝目覚めると、テーブルの上に置いたものは無くなっていた。

彼女達は、私の好意を受け取ってくれたらしい。
 

それは、安物の、3つのブローチだった。

 
次にどこに行くあてもなく、私は荷物を背負って、名残惜しくも部屋のドアを閉めた。
 
いつものように、レセプションに居場所を決めているあんちゃんが待っていた。


「とても楽しかった」と礼を言うと、「へえ。そうかい。やっぱりあんたは変わってるねえ。

それとも日本人はみんなそうなのかい?」と、人懐こい笑顔が返ってきた。

チップを弾んで、「いい旅を」の言葉に背中の荷物を押されて、私は石畳の歩道に踏み出した。
 
 
去り際、私の背中に、「昨夜も出たみたいだな」と、あんちゃんは声をかけてきた。
 
やはり、あの笑い声は彼にも聞こえていたのだ。私は片手を軽く挙げて応えた。

そうして、私は、パリ18区の幽霊宿を後にした。
 



 
また泊まりたい宿だが、それは叶わないかもしれない。

あんちゃんが言うには、この一帯の再開発が決まっており、

そのうち近々、この宿も取り壊されるそうだ。
 
 
パリには、そこだけ時間の流れが止まってしまった様な場所が幾つもあり、

この宿もそんな場所の一つだと思っていたが、どうやらそれは私の思い込みに過ぎなかったらしい。

どんなものも、移ろい消えていくのだ。
 
 
たぶん、人の魂以外は。
 
 
この宿が瓦礫になってしまった後は、あの3人の娼婦達や、人の良いあんちゃんは

何処に行ってしまうんだろう。

 
それだけが、気がかりだった。
 
 
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