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多くの方々のお目に触れる以上、必要と思い、このブログをやって行く上での方針を表明致します。
一 嘘つかず。
一 否定せずとも信ぜず。
一 怪談は文化である。
…と言っても良く伝わらないと思うので、簡単にご説明をさせて頂きます。
一 嘘つかず。
作り話はしません。と言う事です。当ブログは、私が人から聞いたお話が主になります。ここに乗せる記事は、どこかで誰かか私に話した、と言う事だけは事実です。ただ、昔に聞いた話なんかを再構成する上で、多少の補足・省略・脚色は致しますが。また、口伝えでの話を文章にすると言うのは、難しいですね。やって初めて判りました。聞いた話と印象が随分違う風になってしまいます。(これは、只々私の文章下手のせいですが。)
一 否定せずとも信ぜず。
頭から否定する位ならこんなブログは始めませんが。よく「怪談を科学する」と言った様な本に、認知バイアスがどうの、ハイウエイ・ヒポノーシスがどうしたと言う、怪談の「原因分析」があります。(物凄く大雑把に言えば、怪談は全て見間違い・思い込み・記憶違いだ、と言う事らしいです。)それはそれで面白い説ですが。しかし正直な所、私にとって大事なのは、その怪談が現実かどうかでは無く、怖いかどうか、面白いかどうか、なのです。
逆に言えば、信じ込み過ぎるのも腰が引けます。何でもかんでも霊の所為、と言うのも余り面白くないのかな、と。ハマり過ぎると危ないと言うのは、オウムの例を持ち出すまでも無いですし。
つまり、怪談を聞いて、多少の論理的矛盾には目を瞑りつつ、「おおーっ、怖ええー!」等と盛り上がりたいと、それだけです。
一 怪談は文化である。
勝手な推測ですが、人が文明を手にして以来、何時の時代も「怪談」は連綿と語り続けられていたと思います。屈葬等の風習は、死者が生者に及ぼす災いを防ぐ為との説があります。古代人の頃から人は、幽霊・お化けを恐れていた、と言う事です。怨霊が災いを成した、と言う古い記述・伝承は世界中に見られます。(日本で言えば、早良親王や菅原道真の祟り等が有名処でしょうか。)
つまり、我々には死人を敬いつつも畏れると言うDNAが、くっきりと織り込まれているのです。そのDNAが怪談を、ある時は教訓として、ある時は娯楽として、語り継がせたのではないか、と、この様に思う訳です。…何か、言ってる事が良く判らなくなって来たので、この辺で止めときます。
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