「心霊スポット」の旅

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最近、「心霊スポット」にハマっているので、分離独立!!
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イメージ 4イメージ 1イメージ 2イメージ 3最近このブログ、幽霊とかUFOとか全然やんないジャン。

ホントにオカルトブログなのか?コレ。

とお嘆きの貴兄貴女。

ご安心下さい。

私TO、腐ってもクサイ、腐らなくてもクサイ加齢臭。

いや、腐ってもオカルト好き、やって来ましたこの場所へ。






いつものように飲んでたら、いつものように公共交通機関がなくなり、

どっかに泊まんなきゃなぁ  と、いつものように、そして僕は途方に暮れた訳ですが、

そこいらの藤四郎は、スマホとかで宿探しをすんでしょうが、こちとら年季が違わぁ。

いい宿はいい飲み屋で見つかる。   世界中どこ行っても、これが鉄則な私TOは、

いかにも常連が溜まってそうな、良さげな飲み屋に突っ込み、ベロベロ飲んで

常連さんからこの宿をおしえてもらいました。


電話しとくから。泊まれるのは泊まれるよ。

た。だ。し。

出るよ。あそこ。それでもいい?


泊まりましょうとも。

出ると聞いて、腰を引く私TOでもありますまい。



そんな訳で、その、「出る」宿にいるんですが、どうなんでしょうか?

冒頭にアゲた画像は、曰く、血みどろのカップル霊が出るとされるフロア。

私TOが泊まってる 階なんですが。

深夜、ここを徘徊するとの事。血みどろが。

何でも、ここで心中してどうのこうのーという曰くがあるとかどうとか。


イメージ 5




























で、これが私TOの寝床。


エアコンをMAXにしても、ジメッと蒸し暑苦しいこの部屋。

丁度、草木も眠る丑三つ時、何となく、この部屋が血みどろカップルの心中部屋じゃねえのか?

だって、土曜の夜に空いてて、紹介とは言え、格安。

と、そんな風に思っている矢先に、変な足音が聞こえてるし。


てな訳で、久々の突撃でした。


なんかあったら、またご報告申し上げます。


もう、眠くて眠くて



Xmasに心霊スポットに行く奴もないもんだ。
 
しかし、取材班は行く。…たった独りでも・・・。
 


 
藤沢。 湘南をシンボライズする江ノ島を擁するので、一般的には、海、湘南のイメージがあるらしい。
 
しかし、実は南北に長く、つまり、市域の8割くらいは内陸な訳で、
 
実際住んだりしてみると、あまり海とか湘南とかに縁のない生活を送る事になる。
 
 
そんな藤沢市には、結構内陸の方に大庭城の城跡があり、
 
今は城址公園に整備されているのだが、そこが以前から結構な心霊スポットとなっている。
 
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旧くから、こんなブログに来て頂いている方々には薄々知れているが、実は私TO、
 
以前は大庭城址のすぐ近くで働いており、しかも、ここはご先祖様の所領地だった
 
という事で、何かの縁を感じるとともに、何度も何度も大庭城址には行っていたのである。
 
 


 
さて、我がご先祖様ゆかりの大庭城址に、どんな幽霊がでるのであろうか。
 
 
昔からの噂&ネット上で囁かれているのは、やはりと言うか芸がないと言うか、落武者。
 
城跡=落武者って、分かり易いがありきたりと言えばありきたりではある。
 
 
また、黒い影(複数)が出ると言うのもある。このあたりは、昔、酔っ払っては
 
大庭城址に行って、夜空を見ながらごろ寝していた私(と友人たち)にとっては、
 
たぶん我々のような酔っ払いか、暖かい時期にはほぼ必ず1組や1組はいる、
 
色気づいたカップルを見間違えたのではないかと言う気もしないでもない。
 
 
また、ここでは、ちょくちょく自殺とかそんな事件があるらしく、それが元になったハナシも
 
あるようだ。(足だけが歩く・・・とか、うめき声が・・・とか、そんなの。)
 
まあそれも、何処にでもあるハナシの域を出ておらず、今ひとつオリジナリティーに欠ける
 
心霊スポットではある。
 


 
のっけからそんな事を言ってしまうと、心スポ突撃もへったくれもなくなってしまうので、
 
イブなのに何も予定のない取材班は、取敢えず行ってみた。久々に。
 
 
(↓)道中、大庭大橋から、白化粧の富士山が望める。
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大庭城址は、海抜40mの小高い台地である。
 
駐車場から緩い坂道を登っていくと・・・
 
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途中、冬枯れの梢の合間から富士が覗け・・・
 
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台地の上には広々とした公園が広がる。
 
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鎌倉権五郎景政がこのあたりを開拓⇒子孫の大庭景宗が築城⇒息子の景親(我がご先祖様)
 
が軍事拠点として重用⇒景親さん、頼朝旗揚げの時には平氏について石橋山でケチョンケチョンに
 
やっつけちゃったので、頼朝がイケイケになった時に捕まって斬首⇒扇谷上杉氏が所有、
 
あの!!太田道灌が改築⇒北条早雲に攻められ落城。その後は後北条氏が所有。⇒後北条滅亡と
 
共に廃城。(後北条時代は、玉縄に堅牢な城が出来たので、殆ど使われてなかったらしい。)
 
そんな感じの歴史を歩んだと云われる大庭城。
 
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城ができるずーっと前から、ここには人の生活があり、縄文以降各時代の遺跡が発見されてる
 
そうである。
 
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何故か、足跡がいっぱいあるモニュメント? もある。
 
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いい感じに落ち葉が積もる。
 
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空堀や
 
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館址などの遺構も残る。
 
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しかし、である。
 
何度も何度も、深夜にここを訪れ、昼間も仕事サボって昼寝しに来ていた取材班は断言する。
 
ここに、落武者とかってのは、ないんじゃない? ―と。
 
ここは、ただの、気持ちの良い城址公園である。
 
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世間はメリークリスマスなので、根っからブディスト(浄土真宗)な私TOにしては珍しく、教会ネタを。
 
先に申し上げておきますが、前置きが長いですよ〜。いつものことながら。
 
師走でバタバタしている方は読まないで下さいね。 時間の無駄ですから。
 

 
中央区明石町…っつっても、よっぽど都内か近在かの方以外は、「え?どこそれ」でしょうが、
 
それを築地と言えば、まあまあ誰でも知っていると思います。
 
市場があり、何と言っても吉牛1号店がある所ですから。
 
 
明石町は、今や「歩くとちょっとある」程度に築地感がないのですが、
 
江戸〜明治時代くらいの昔は十把ひとからげに築地であり、
 
むしろ、鉄砲洲のあたり…と言ったほうが通りが良かったらしいです。
 
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そもそも、「築地」って地名自体が埋め立てによって造られた土地を指すっぽく、
 
100万都市なのに捨てるものが殆どなかったと言われる超リサイクル・シティー大江戸八百八町で、
 
殆ど唯一捨てるしかなかった火事の廃材なんかで埋め立てたのが始まりらしいです。
 

 
現在の明石町と言えば、聖路加国際病院(以下、聖路加)です。
 
私の勤務先とも程近いのですが、明石町、とは誰も呼ばず、聖路加のへん、と呼びます。
 
聖路加は、政界財界芸能界、果てはやんごとなきお方まで受診され、
 
あのサリン事件では多くの被害者の方を救護し、
 
はたまた、先日は、元ビートルズの外タレが来日後体調不良になって公演をドタキャンした折も、
 
ここに一時入院したほどの超一流病院です。
 
 
一部では金持ち御用達としてやっかまれてるらしい聖路加ですが、実は
 
私もお世話になったんですよね〜。
 
正確に言うと、私の知人が大怪我をして、深夜に付き添って行ったのですが、スタッフ皆様の
 
明るくフレンドリーにして、手厚い看護には感動したものです。
 
その知人は日本人ではなかったのですが、金払いができるかどうかとかなんて一言も訊かず、
 
暖かく迎えてくれると共に迅速に治療を開始してくれ、深夜なのに、パパパのパと診断し、
 
即座にレーザーとかの最新医療機器で傷口を縫合しちゃったりするんですよ!!
 
あまりのことに、「俺も死ぬときゃここで死ぬわ」と、可愛い(ホント可愛かった)看護師さんに言ったら、
 
ニッコリ笑って、「生きるために来てくださいネ」と返されたのを記憶しております。
 
キリスト教の良いところ、つまり博愛精神が溢れてるなぁと、一向衆な私TOと言えど、感服したものです。
 
 
(↓)夜の聖路加。
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そして、聖路加を中心とする明石町界隈は、都内には珍しく、ヨコハマっぽさと言うか、よくある
 
”後からくっつけられた異国情緒”ではない、真性のバタくささが漂うのです。
 
 
それもそのはず、明治の初めから、このあたりは、「外国人居留地」として供用されていたからです。
 
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日本側としては、外人にあまりあちこちウロついて欲しくはないので、いささか周囲と
 
隔離出来るとこ…つまりは、埋立地で人払いも比較的容易で、川や運河に囲まれて交通も不便な
 
鉄砲洲のあたりはうって付けだったのでしょう。
 
 
(↓)通りの名にも残っている。
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ちなみに、ここには、あの!! 時節柄にもピッタリの!! 浅野内匠頭の屋敷もあったのです。
 
 
(↓)よくワカランと思うが、それを伝える石柱。
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浅野家がここに屋敷を造る時、幕府側からは「切り取り放題」つまり、好きに敷地をとっていいよ、と
 
言われたとか。つまり、地価が相当安そうな感じの所で、実際、かなり淋しい場所ではあったらしい。
 
外国人居留地を造る時に立ち退く居住者にも、「代替え地はそのうち探すからね」的な事を言った
 
きりだったとか…。
 
 
そんなこんなで、明治元(1868)年にこの地に外国人居留地が開設されたのでありました。
 

 
蛇足ですが、当時も外人と日本人の軋轢は色々あって、有名な所では生麦事件
 
なんてのも起こったりしましたが、割と、かなり普通に、深刻だったのが実は、屎尿、つまり、
 
ウンコオシッコの問題だったとか。
 
すみませんねぇ、イブにこんな話で。
 
 
江戸では大多数の人口は長屋住まいで、長屋には共同便所があり、そこに溜まった糞尿は
 
近隣の農家が買い取って肥料にしておりました。
 
つまりは、人糞も立派な農業資源。まさに金糞。素晴らしき大江戸リサイクル社会。
 
  
そんな訳で、ウンコオシッコ満載(すみませんねぇ、イブにねぇ…)の肥たごを担いだ農民が
 
へっこらおっこら通りを歩く…ってのは、江戸っ子にとっちゃぁ当たりめぇだったのが、
 
ゲェジンは、やれ不潔だやれ文明国にそぐわねぇだといいやがる。
 
あげくは、表を通った糞尿運搬の臭気が館の中に入って困るなんて、幕府にクレームを
 
つける輩も出てきやがる始末で、てめぇらだって中世には二階三階の窓から通りの真ん中に掘られた
 
排水路にクソションベン(重ね重ね申し訳ない…イブなのに…)放り捨ててペストとかを流行らせた
 
クセしやがって…と、当時の江戸っ子が言ったかどうかは知りませんが、とかく外圧に弱い我が国
 
の事、応急的かつ現実的対処として、とりあえず肥たごに蓋をする…としたとの事です。
 
 
(↓)江戸の小便買い。現金や農産物との交換で下肥を買ったそうな。
 
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同時に、ゲェジンが指摘したのは”立ちションベン”。(ホントすみまんせん。イブに。)
 
アレは今でも欧米行くと御法度らしく、酔っ払って立ちションするのはドイツ人と日本人だけ、なんて
 
言われたりしますが、江戸にはいわゆる公衆便所と言うものはなく、と言うか、でものはれもので、
 
ションベンなんてどっかそのへんですりゃぁいいじゃねぇかと、大らかな文化だった。
 
当然、江戸っ子(♂)にとって、立ちションなんてなぁ、罪悪感の欠片もなぇどころか、野糞すら
 
日常茶飯事。
 
 
(↓)辻番の脇に立ちションベン。
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そこで、明治になって、東京府ってのが出来たと思えば、「外人は綺麗好きで、悪臭を嫌うので、
 
ドブさらいをちゃんとして、ゴミをそのへんに捨てないで、立ちションとかもしちゃダメだお」的な
 
お触れを出します。そして、いわゆる”公衆便所(立ちション用)”が造られたりもしましたそうな。
 
  
そんなこんなで、外国人居留地のクソションベンの問題も神経を使ったらしく、一応下水道なんかも
 
敷設されたそうです。
 

 
ええと、何のハナシでしたっけ?
 
ああ、心霊ですね。 心霊心霊。
 
 
築地の居留地には、当然ですが、病院や教会もありました。
 
前者は聖路加になるのですが、後者も今も続いております。
 
ここでやっと、タイトルの場所までたどり着きましたが、それが「築地教会」です。
 
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築地教会は明治7(1874)年に、東京で初めてのカトリック教会として献堂式が行われたと言う
 
由緒正しき教会。
 
 
教会の敷地内には孤児院や小学校も置かれたそうですが、明治10年頃、その小学校に
 
化け物が出た…と、教師である小川某伝道師が書き記しているそうです。
 
 
ある夜、木村という12〜3才の生徒が夜中に起きたところ、ガラス窓一面にシワだらけの
 
化け物が大きな口を開けて睨んでいた。「おおお、お化けが出たァ〜」と叫んだ声に、
 
目を覚ましたのがコックの渡辺。
 
布団に潜って震えている木村くんに「どこだ化け物は!?」と聞き、布団の中から木村くんが
 
指差す方を見ると、確かに恐ろしい化け物の顔が浮かんでいる。
 
渡辺コックは「化け物もクソもあるか!!」 (また、クソか!! イブなのに!!)
 
と言いつつ、自分も布団を引きかぶってしまったそうな。
 
 
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(←)シワだらけの化け物(想像再現図)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(↓)往時の築地教会。
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また、築地教会の神父さんが、信者夫婦に取り憑いた大入道に悪魔祓いで対抗した…
 
なんて話も、小川伝道師は書き残しているそうです。
 
 
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―え? そんだけ? とお嘆きの貴兄貴女。
 
そんだけ、なんです。すみません。
 
 
勿論、築地教会は今では心霊スポットでも何でもない、聖なる祈りの場ですので、
 
タイトルに「元」をつけた次第でございます。
 

 
 てな訳で、改めて、ウイウッシュアメクリスマス、ハッピーハッピークリスマスでございます。
 
 
 イメージ 11(↓)ライトアップされた勝鬨橋。
 
 
(↓)勝鬨橋からの隅田川夜景。
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(↓)聖路加ガーデンのクリスマスツリー。
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(参考) 『伝説探訪 東京妖怪地図』 田中聡/著 荒俣宏/監修 祥伝社黄金文庫 他
 


(Xmas特別付録)サンタ小噺
 
①サンタさんが煙突を降りると、その部屋にはうら若き美女が全裸で眠っていた。
しばらく呆然と美女の寝姿に見とれていたサンタさんは、こう呟いた。
「どうやら部屋を間違えてしまったらしい…。しかし困った。罪を犯せば天国に戻れなくなるし、
罪を犯さないと、狭い煙突に引っかかって戻れなくなる…」
 
②「ねえ、聞いて聞いて!! イブの夜、薄目あけたらサンタがママにキッスしてたのよ!!」
「うちなんか、サンタとママがレスリングしてたわ」
 
初冬の横浜、馬車道。
 
師走とはいえど、この通りは、相変わらず落ち着いた大人の面持ちである。
 
イメージ 1
 
これで雨でも降っていれば、 ♪嗚呼 時折雨の降る 馬車道あたりで待っている…
 
と口ずさんで洒落込むところだが、幸か不幸か、冬晴れである。
 
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さて、そんな馬車道に、神奈川県立歴史博物館は在る。
 
取材班の、本日の突撃先はここなのである。
 
 
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威風堂々、格調高き佇まいもむべなるかな、この建物は今から110年も前、明治37(1904)年に
 
横浜正金銀行本店として創建されたものなのである。
 
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ネオ・バロック様式の本格的西洋建築で云々…とか、横浜正金銀行は…と言うくだりは、
 
Wikiでも参照して頂くとして、何故、我々(一人じゃん)取材班がこの地を突撃するかと言うと、
 
取りも直さずここが、港・横浜、ブルーライトヨコハマ、追いかけてヨコハマ、そのヨコハマ有数の…
 
心霊スポット だからである。
 
 

 
大正12(1923)年9月1日11時58分32秒。
 
相模湾沖を震源に発生した、M7.9の巨大地震が、首都圏を襲った。
 
大正関東地震と、それに伴う関東大震災の発生である。
 
横浜の被害も甚大であり、多くの家屋建物が倒壊し、市内各所は大火災により灰燼に帰した。
 
 
正金銀行本店は、「補強煉瓦造・石造」つまり、煉瓦を主に構造され、それを鉄材で補強し、
 
外板に厚みのある石材を貼る、と言う堅牢な作りが幸し、地震の激しい揺れにも倒壊しなかった。
 
 
地震発生直後から避難してきた人々や行員含めて約340名は、入口の鉄扉はもとより
 
窓のシャッターも閉めて内部への延焼を防いでいた。
 
それでも、上階から回った火が1階の内部まで焼き尽くす中、地下室に篭もり、
 
皆で励ましあい耐え忍んだ結果、一人の死傷者も出さずに生還できたと言う。
 
正金銀行本店は、嵐の如き火災にも耐え切ったのである。
 
 
ところが、である。
 
門扉が閉じられた後に正金銀行本店に辿りついた人々は、悲惨な運命を辿る事となった。
 
地獄の業火がようやく鎮火した後、正金銀行の周囲には、多くの焼死体が横たわっており、
 
その数140柱とも言われ、多くは激しい損傷のため人物特定も不可能な状態だった。
 
 
鎖された扉や窓を目前に、焼け死んだ人々の苦痛苦悶はいかばかりか。
 
開けてくれ、助けてくれ、と叫んだ人も多かったのではないだろうか…。
 
 
イメージ 3
 
 そんな訳で、旧横浜正金銀行本店、現神奈川県立歴史博物館には、
 
曰く「夜な夜な呻き声が聞こえる」 
 
曰く「建物の壁を、ガリガリと引っ掻く音がする」
 
曰く「地下のホールに出る」 
 
曰く「3階に開かずの部屋がある」 
 
曰く「震災の日には亡者が徘徊する」 …
 
等等のウワサが流れ、それは今日まで続いているのである。
 
 
ちなみに、旧来の心霊系サイトの多くはこれを「神奈川県立博物館」と表記しているが、
 
「神奈川県立博物館」は平成7(1995)年に、現「神奈川県立歴史博物館」に改称されている事を
 
付け加えておく。
 

 
さて、数々の「心スポ」を踏破し、その度逃げ帰った百戦錬磨のヘタレである取材班も、
 
このネオ・バロック調の本格的…(Wiki参照)を目前にすると、いささかの緊張を隠せない。
 
イメージ 5
 
 
いささかで思い出した蛇足ではあるが、サザエさんちの隣に住んでた、
 
いささか先生が小説家であり、その担当編集者がノリスケさんであるのはご存知の通りであるが、
 
いささか先生が恋愛小説家な事は余り知られていない。
 

またまた蛇足だが、原作では、いささか先生愛飲のヒロポンをカツオとワカメが飲んで大騒ぎ…
 
との、心温まるエピソードがあった事もまた、余り知られていない。
 
ヒロポンとは、メタンフェタミンという薬物であり、「疲労がポンととれる」のでヒロポン。

手っ取り早く言うと、シャブ、覚醒剤である。
 
「第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、
 
士気向上や疲労回復の目的で用いられた。21世紀初頭の近年、世界各国においてその蔓延の
 
急速な進行が確認されており、一例としてアメリカ合衆国では、『最も危険なドラッグ』

として語られるものとなっている…」とはWikiの解説である。


終戦直後の日本には「ポン中」と呼ばれる中毒者がいっぱいいたという。

本土兵器‼︎ の一つとして大量に生産・備蓄されたのが市中に出回ったらしい。

当時は合法薬で、普通に薬屋で買えるシロモノだったのである。

昭和26年施行の覚醒剤取締法により厳しく規制されるようになったが、

現在でも、G能界とかプロ野Q界なんかでは半ば公然と愛好されてるらしい。)
 
 
イメージ 4(←)いささか先生。エロもとい恋愛小説家にしてジャンキー
 
もとい、過激な疲労回復剤のヘビーユーザー。
 
人は見かけによらない…と言う事だ。
 
 
 
 
―そんな事はどうでも良い。
 
神奈川県立歴史博物館のハナシである。
 
イメージ 9
  
イメージ 10
 
(↑)実質「地下」にあたる、地表面下の窓。上の画像の塀の下にある。
 
元銀行らしく鉄格子が嵌っており、恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
 
 
(↓)分厚い、鉄の扉。…恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
イメージ 11
 
さあ、ハマ有数の「心スポ」に、いよいよ踏み込む取材班の面々(一人だけどさ)。
 
レッドカーペットと旧態依然のドアが我々を迎える。
 
イメージ 8
 
 ちなみに、この入口は「馬車道口」である。正面口はほかにある。
 
しかし、神奈川県立歴史博物館にご来館の折は、是非とも馬車道口からお入りになることを
 
お勧めする。
 
 
(↓)正面口はそれなりに立派で近代的だが、同時に、どこにでもあるような設えであるから。
 
イメージ 22
 
という事で、馬車道口から突撃を試み、ギギイ…と音を立てそうな古びた扉を開け、中に入る取材班。
 
いやが上でも高まる期待感!!
 
イメージ 12
 
おう、館内の、この、いささか重苦しい雰囲気!! 期待を裏切らないこと甚だしいやんけ。
 
イメージ 13
 
イメージ 14
 
 …出ても、おかしくはない…と思わせるほど、面妖な空気感が、いささか漂う…ような気がする。
 
 
(↓)いささか、歴史を感じさせられる、館内の扉。
 
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 イメージ 16(↓)いささか、いい感じの、館内軽食店。思わず、入ってしまう。
 
 (↓)軽食店内の船舶模型。窓の手回し把手も、いささか、味わい深い。
イメージ 17
 
朝飯を食ってなかった取材班。
 
軽食店のウリらしい「博物館のサンドイッチ」をたのんだら、気の良さそうなおばちゃ…ご婦人が、
 
「ゴメンなさいね〜。これからパンを買いに行くのよ〜」と朗らかに仰るので、じゃ、カレーで。
 
カレーも、サラダとコーヒー付きで500円ちょっとで、しかもとても美味しゅうございました。
 
いささか、特した気分になった取材班。
 
 

 
 
さて、腹も満ち、受付で300円也を支払い展示室に踏み込んだ取材班。
 
「発掘された御仏と仏具」なる特別展もやっており、立派な冊子も頂いた。
 
冊子だけで300円以上の価値はある!! 
 
 
常設も神奈川県内の歴史を古代から辿る安心感のある構成で、順路もわかり易い(コレ大事)。
 
石器〜縄文の出土物から、特にやはり中世期つまり鎌倉系の展示が充実していて、
 
取材班なんかには、いささかの快感を与えてくれる。
 
そしてやはりヨコハマらしく、開港期の展示も頑張ってる感があり、好感度大であった。
 
 
特筆すべきは、各階に待機するボランティアの解説員さんが皆さんフレンドリーにお声を掛けて下さり、
 
非常に興味深いお話を聴かせて下さった事。
 
色々質問すると、あちらにも判らない事も出てきて、しかしそこで、ああではないかこうではないかと
 
歴史談義に花が咲き、いささか楽しい時間が流れる。
 
 
ここも週末には立て込むそうだが、平日空いている時に行き、国宝とか歴史的発見とかではないが、
 
昔に生きていた普通の人々の痕跡に、今に生きる普通の人々が、ゆっくりのったりとふれ合い
 
味わうと言うのは、実はとても良いのではないかと思う取材班である。
 
 
(↓)トイレの窓の、いささか味わいのある設え。
イメージ 18
 
 イメージ 19(↓)歴史的保存中につき、立ち入り禁止らしき階段。いささか、重みがある。
 
 イメージ 20(↓)館内の。そこここに、いささかの歴史を感じさせるデティールがある。
 
 
イメージ 21
 
いやしかし、ここは、神奈川県民なら一度は訪れる価値はある。
 
銭金ではないが、たった300円で、この歴史的建造物の中に入れ、しかも、郷土の歴史を、いささかにも
 
実感出来るのであるから。
 

 
え〜っと?
 
何のハナシだったっけ? ああそうそう。心霊心霊。
 
 
実は、神奈川県立歴史博物館側も、そのようなハナシがある事は、いささかにすれ、認めている。
 
イメージ 23
 
 この件について、具体的に、職員の方々が、その様な体験をなさっているのか?
 
と、学芸員さんに質問した取材班。
 
 
学芸員さん 「個人的には、そのような体験はありません。」 
 
取材班 「では、やはり、単なる、『学校の怪談』的な、怪談話だと?」
 
学芸員さん 「はい。個人的には、そのような体験はないので…」
 
取材班 「個人的には…と言う事は、他の、例えば歴代の職員さんとかには、そのような体験を
 
された方も、いらっしゃるんですか?」
 
学芸員さん 「(やや複雑な声色で) いやぁ…。個人的には何もないので…、何とも…。」
 
取材班 「(質問を変えて)この怪談は、最近ネットで流布してますが、これは、震災直後から
 
巷で囁かれていたとの認識で宜しいでしょうか?」
 
学芸員さん 「そのようなご認識で宜しいと思います。」
 
 
お忙しい中、取材班の下らない質問に真摯にお答え頂いた学芸員さんに感謝するとともに、
 
真摯さ故、そのお答えの中に、いささかの言質をとったような気がするのもまた事実ではある。
 

 
イメージ 24
 
 ミュージアムショップで「赤い靴チョコ」を買い子供達へのお土産としつつ、現場を後にする取材班。
 
お化けが出るかどうかは兎も角、近在の方々でまだここを訪れた事のない方は、是非行ってみて
 
頂いたいと、改めて思いつつ、記事を終えるのである。
 

 
(↓)ヨコハマ土産のお菓子といえば、いささかこれか?
こんなブログをやっていながら、今まで記事にしておりませんでした。
 
「腹切りやぐら」 「小坪トンネル(逗子だが)」と並んで、鎌倉最恐スポットに数えられる、
 
散財、いやもとい。それは飲んだ時の私TO。
 
散在が池 、通称鎌倉湖を…、です。
 
 
子供の霊が多く見られるというウワサは、私がそれこそ子供の頃からありました。
 
自殺や死体遺棄が何度かあり、割と最近も白骨死体なんかが発見されたりして、
 
そんな事がこの場所を「最恐心霊スポット」の地位に押し上げてしまった事はまず間違いないでしょう。
 


 
秋の透き通った青空に誘われ、鎌倉に入った取材班。
 
いつものように、朝比奈からアプローチするが、八幡宮界隈の人混み!!
 
どこもかしこも人だらけ!! 嫌気がさした取材班はそのまま北鎌倉に向かうが、
 
ここも多くの観光客や修学旅行の小僧小娘が群れており、情緒もへったくれもない。
 
大体やねぇ、毎日毎日東京で人混みに揉まれれてやねぇ、休みの日にまで
 
人混みの中に入る気はさらさらないんやねぇ。(誰なんだ?)
 
 
―と言う訳で、やって来たのは、散在が池。取材班の世代では、鎌倉湖と呼んだ方が通りが良い。
 
イメージ 1
 
ひと気がない…と言うより、誰もいない。
 
誰かいろよ。心細いやんけ。
 
先ほど、観光客の群れに毒づいていたのもコロッと忘れ、
 
明るい秋の午前中にもかかわらず、いきなりビビくる取材班である。
 
イメージ 10
 
限りなく透明に近いブルーな空とは対極的に、仄暗い水の底からっぽい雰囲気を漂わせる水面。
 
さすが「最恐スポット」、ウエルカムな空気は全く感じられない。
 
 
さて、何処のどいつが云いだしたのかは知らんが、「一周すると不幸が訪れる」とされるこの池、
 
よりによって一周する遊歩道がある。
 
散在が池を擁するこの公園を管理運営するのは(公財)鎌倉市公園協会。
 
そんなに人を不幸にしたいのか、(公財)鎌倉市公園協会ッツ!?
 
決して幸福な人生を歩んでいる訳でもない取材班は、敢えてこの挑戦を受ける事にした。
 
今更不幸の一つや二つ増えたって、どってこたねぇぜ。
 
取材班の心中に、痩せ我慢の言葉が虚しく響く。
 
 
その時、イメージ 2と、不気味な水音が…取材班の耳に入った。
 
水面を見るも、何もない。
 
空耳か…空耳といえば、空耳アワーのジャンパー、アレ、欲しいよなぁ…と思いを馳せる
 
取材班の耳に、またしてもイメージ 3
 
 
空耳ではないッツ!! 何か、何かがいるッツ!!!! この、仄暗い水の中にぃ!!
 
イメージ 4
 
いた。
 
鯉が。
元気な奴が跳ねていた。イメージ 12
 
 
さて、取材班は、散在が池”呪いの”一周コース踏破に向かう。
 
池の西側に「馬の背の小径」と名づけられた遊歩道が伸びている。
 
その「小径」に雄々しく踏み込むのである。
 
「小径」っつー位だから、じいさんばあさんでも鼻歌まじりで歩ける程度の道だろう
 
…とタカをくくっていた取材班は、直後、後悔することになる。
 
 
険しい!! 結構、険しいのである!!
 
 
当て事とふんどしは向こうから外れる。
 
後悔先に立たず。
 
兎も角、行くしかない!! と、急峻な山道を体力を尽くして登る取材班。
 
徒歩5分、既に水面が遠く下になり、取材班の足は、ナイツのネタを聞いた時の如く、
 
激しく笑い始めている。
 
イメージ 5
 
 「馬の背」とはよく言ったもので、山道の両側は鵯越もかくやの急斜面。
 
つまり、狭隘な峰の稜線なのだ。
 
さすがの九郎殿もここは馬では降れまい。
 
転落すれば、マキロンとバンドエイドでは済まない大怪我はまず免れないであろう。
 
(公財)鎌倉市公園協会さんよぉ…やってくれるじゃねぇか…こんなキケンな道を
 
「小径」と称してイタイケな取材班を誘い込んでくれるとは…な。
 
 
その時、ゼイゼイ呻きながら登る取材班の耳に、背後から、歌声が聞こえてきた…ッツ!!
 
♪ふんふふん ふんふふん…
 
女性の、歌声だ。
 
 
散財が池には、白い女性の霊も出ると云う。
 
♪ふんふふん ふんふふん…
 
近づく歌声。 白昼堂々、出たか!? 白い女性霊ッツ!! 
 
生身の女では、この過酷な山道で歌を口ずさむ余裕などある筈はない!!
 
 
―その次の瞬間!!
 
 
身構える取材班の横を、颯爽と追い越しがてらに「こんにちは〜」と会釈する老夫婦。
 
奥さんはまた、♪ふんふふん ふんふふん…
 
と歌いながら、スタスタと軽い足取りで「馬の背」を登って行く。
 
 
「こんにちは…」と挨拶を返す取材班であるが、じいさんばあさんでも鼻歌まじりで歩ける道
 
だったんだ、ここ…と、今更ながらに自らの体力のなさを知らしめられたのであった。
 
(公財)鎌倉市公園協会さんよぉ…疑って、悪かったな…。
 
 
それは兎も角、遊歩道には定間隔的に植生などについての説明版が設置されている。
 
イメージ 6
 
これらは総じて、とても解り易い。
 
遊歩道を一回りするだけで、これでアナタも森林博士!! になれること請け合いである。
 
気がきくじゃねぇか、(公財)鎌倉市公園協会さん…。
 
 
「馬の背」の西側には、閑静な住宅街が迫る。いかにも鎌倉らしい風景である。
 
イメージ 7
 
幾度か、このような風景を当ブログでも紹介して来たが、何故これが”鎌倉らしい”のか。
 
 
市域の狭い鎌倉、歴史的景観と開発の狭間で常に苦労が絶えず、住民や企業に多少なりとも
 
不便を強いながらも、何とかかんとか、”その場所だけは、雰囲気を保つ”ことに努力を続けざるを
 
得ないのである。
 
そういう訳で、どんな神聖かつ歴史的な場所でも振り向けば普通の街、と言うのが、鎌倉の
 
鎌倉らしさなのである。
 
 
歴史的な場所、と言ったが、この散在が池もそのひとつである。
 
実は、この池は自然の造形物ではなく、人造湖なのである。
 
かと言って、鎌倉湖だからって鎌倉時代からある訳でなく、明治初期に造成されたのである。
 
その由来については、書くのが面倒くさいので、下の画像を参照されたし。
 
イメージ 9
 
子供の霊が出る…と云うのも、割かし歴史的背景があるのが解り、大変興味深い。
 
つまりここは、由緒正しい心霊スポットなのだ。
 
有難うよ、(公財)鎌倉市公園協会さん…。
 
 
【神次の話】
昔、今泉村の長者がいて、なかなか子に恵まれずようやく授かった息子神次は、大きくなるにつれ、
しばしば池に遊びに行くようになりました。
この池には化け物ウナギが棲んでおり、村人は一人で遊びに行くのは恐ろしいことだとうわさしました。
ある夜、長者に「神次を池にやってはいけない」と夢のお告げがあったため、神次を部屋に閉じ込めました。
すると神次は見るみるうちにやせ細りってしまったのです。
衰弱した神次に「もう一度だけ池を見せてくれ」とせがまれた長者はついに池に行くことを許してしまいました。
神次は一目散に池へ行くと、そこへ身を投じたのです。 それきり、神次は浮かんできませんでした。
とほとほ道中記さんより)
 
 
そんなこんなで、散在が池一周を無事完遂した取材班。
 
いつしか風が出てきており、水面にはさざ波が湧いていた。
 
イメージ 8
 
「一周すると不幸が訪れる」の呪いとは、たぶん2日後に襲ってくる足の筋肉痛であろう…。
 
取材班は、ため息をつきながら、足取りも重く、散財が池を後にするのであった。
 
イメージ 11
 

 
散在ガ池はもともとは農業用水池の
役割を果たしていましたが、
今では「鎌倉湖(かまくらこ)」とも呼ばれています。

春は桜・秋は紅葉を澄んだ静かな湖面に映し出す様は
神秘的なものを感じさせ、世間の喧騒を忘れ
ゆったりと落ち着いた気持ちにさせてくれる
自然の癒しスポットとして愛されています。

比較的なだらかでゆったり歩ける
「のんびり小径」と起伏があり
健脚者向きの「馬の背の小径」が池をぐるっと廻り、
途中に「パノラマの小径」散策コースがあります。
また、池から流れる小川には「せせらぎの小径」と
名付けられた水辺の散策コースもあり、
植物や野鳥などの自然観察にも適しています。

鎌倉アルプスとも呼ばれる天園ハイキングコースへの
入り口が近くにあり、鎌倉ハイクの
出発・終着点としてもよい公園です。

 

 
 (↓)鎌倉ファン必携!! どうぞお買い求め下さい!!

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