先々週だったか、取材に行ったきり記事にするのを忘れていました。
以前、記事にした場所の実地検分です。この場所の曰くは
【前の記事】をご参照下さい。
さて、現地を訪れたのは11月4日の頭だったでしょうか。
朝に家を出る時は細かい霧雨がそぼ降り、これはなかなか趣のある取材になりそうだと思ったら、現地に着く
頃には一天にわかに晴れ上がり、絶好の行楽日和となってしまいました。いや、なって全然いいのですが。
現地は、京急の戸部駅から歩いて10分くらいでしょうか。西区役所の近くの、何の変哲もない坂道です。
この先が「暗闇坂」です。ランドマークタワーが見えてます。都会的な「心霊スポット」です。
明るい陽光の満ちる坂道をテクテク歩いていくと…
(←)くらやみ坂の石標がありました。
その背後には、小さな祠が2つ。
暗闇坂一帯が明治32(1899)年まで監獄及び刑場だった事は前に記事で書いた通りです。
由来が書かれた看板一つ立っていないこの祠は、やはり刑死者の霊を祀るものなのか。だとしたら、これは御霊
信仰による祟り封じではないのか?等と勝手に思ったりするのですが、記録が全くないのでその辺のところは良
く判りません。祠には真新しい花が供えられていて、周りも綺麗に掃除されており、今だ大事にお参りされている
事を伺わせます。
かすかに、刑場の跡を感じさせるのはこの祠だけ。戸部刑場には「南無妙法蓮華経」と彫られた慰霊碑が建って
いたそうですが、今はその姿はありません。
時計を見ると昼休みの頃です。隣接する西中学校からは生徒達の若々しい騒ぎ声が閑静な住宅街に響いてお
ります。「心霊スポット」的な雰囲気は微塵もありません。ここなら私でも深夜に来れます。生首が飛ぶの飛ばな
いのと噂もある様ですが、それはやはり「元刑場」との土地の曰くから発生した御伽噺ではないでしょうか。
ちなみに、前の記事で西中学校は刑場の跡地だと書きました。大概の資料にもそう書いてあるのですが、その
後の調査の結果、それはどうやら間違っていたみたいです。
『ものがたり西区の今昔』(西区の今昔編集委員会編・西区観光協会1973年)にはこんな証言が出ていました。
「西中に刑場があったというのば誤りです。坂の右側には牢や刑場はありません。 きれいな山でした。あの
山は私たちの山でした。刑場は一番高い三角地の所にありました。当時もここだけはのぞくことができませんで
した…」(海老塚氏夫妻談)
色々調べて現地に行った結果、刑場が何処にあったのかはほぼ特定できましたが、書くのは止めておきます。
そんな事を今更はっきりさせても、得をする人は一人もいませんし。
さて、これでおしまいでもつまらないので、暗闇坂に因縁のあるもうひとつの場所に足を向けます。
暗闇坂からすぐ近くの法亀山願成寺です。真言宗のお寺です。開山は天文7(1538)年だそうですが、由来は
もっともっと古い。天平年間(729〜749年)、この地を通った行基(また出ました)が喉の渇きに水を探していると、
渓谷から亀が這い出て来たのでそこを掘ってみたら清水が沸き出たと。そこで、行基はこの地を法亀山と名づけ
て草庵を結んだのが始まりだそうです(願成寺の案内板より)。
願成寺には、戸部刑場で処刑された3人の咎人の墓があります。せっかくですから、お参りさせて頂きましょう。
静謐な境内に、お寺の幼稚園から、明るいちびっ子のはしゃぎ声が響いておりました。
丁度お迎えの時間だったらしく、境内を抜けるお母さん達から「こんにちは〜」と何度も挨拶を頂きました。
(↓)延命の井戸。ここが、行基が掘ったら泉が沸いたところだそうです。
一口飲めば、たぶん2〜3年は寿命が延びたでしょうが、そう長生きをしたいとも思ってない私は、あえて口にし
ませんでした。
墓所に入って案内板の通りに行くと、ございました。
戸部刑場で処刑された、左から鳶の小亀、間宮一、清水清治の墓です。
この人たちが、何故に戸部刑場の露に消えたかと言うと、こう言う事件(↓)を起こしたからです。
これは、「鎌倉事件」と言われる、攘夷事件です。
小亀が市中を処刑を前に市中を引き回された日には、横浜中の芸者や鳶職が総出で繰り出し、木遺音頭を唄
い、冥土への花道を飾ったといわれております。外国人の横暴に腹を据えかねながらも手を挙げる事の出来な
い横浜の庶民の目には、小亀の行為が英雄的に映ったのでしょう。
そんな小亀は兎も角、清水と間宮は今風に言うと只のテロリストじゃん。
―との印象を持たれる方も多いかとは存じますが、実は鎌倉事件には、少々の裏があります。
鎌倉事件とはこんな事件でした。
その日、長谷の大仏を見物した帰りの英国士官ボールドウインとバードが若宮大路のあたりで2人の浪人風に切
り殺されました。幕府は英国公使オールコックの圧力によって迅速な対応をとらざるを得ず、事件の1週間後に
共犯者と思しき2名を捕縛しすぐに処刑。主犯格とされた清水も逮捕し、市中引き回しの上、戸部刑場で英国側
の立会いのもとに斬首しました。清水の生首は3日間にわたって吉田橋に晒されたそうです。
ところが翌年、間宮が真犯人として名乗り出てきたからさあ大変。幕府は今更そんな事言われても…と頭を抱え
ながら、それでも自首してきた男を追い返す訳にも行かずにやむを得ず逮捕しました。間宮は共に英国人を討っ
た男の名前も出しますが、処刑してしまった清水らの冤罪を認める事も出来ない幕府は、間宮も極秘裏に処刑
してしまいました。全くもって酷い話です。
そんなこんなの過去を見下ろす様に、お寺の杉がそそり立ち…。
そしてそれをさらに見下ろすかの如く、ランドマークタワーがその向こうにそそり立っておりました。
横浜の新旧を一望した思いのTOでした…。
と、ここで終わりかと思いきや、そうではないのが今回のしつこい面白いところ。
願成寺を後にした取材班(相変らず一人

)は、ぷらぷら散歩をきめこんで横浜駅に向かいました。
平沼の廃駅でも見ていこうかな…と思ってたら、ひょんな所でひょんなモノに出会ってしまいました。
ジャジャーン!!
何と、戸部刑場に建っていた慰霊碑(↑)に出会ってしまったのです。
たまたま通りがかった久成寺と言うお寺さんの敷地内
に、戸部刑場の慰霊碑が移設されていたのです。
いやあ、心底ビックリしました。
こんなブログやってると、たまに不思議な思いをするも
のですが、今回も偶然とはいえ…。いやいや、もしかし
て、この石塔に呼ばれてしまったのでしょうか???
(←)眠いので寝ます…。