|
強い者が集団で弱い者をいじめる。食物連鎖の一番上にいる人間にとっては、人間にとって
敵がいないことが、共食いともいえる状況になっているのではないかと思う。
いじめは学校に限ったことではなくて、社会に出ても存在している。
私の時代にもあった。質は違うかもしれないけど、日替わりに近い状態で仲間はずれにあったり、
いじめられっこっていうのは存在として、常にクラスにいた。
自殺について思うこと。
離婚っていう人生の中で辛い時期があって、いろんなものを切り捨てたことがありました。
その時に思うことは、やはり死ぬことってないんじゃないかなと思います。
私は高校の時、いじめとは関係ないけど、登校拒否になったことがあります。
無気力というか、理由もなく学校を休んでいました。友人は数人いましたが、クラスでは当然の
ことながら孤立しておりました。出席日数ギリギリの私がテストで赤点取っていたら進級は
できませんので、テストだけはしっかり受けていました。そして成績もそこそこだったので、
余計に「ロクに授業に出てこないのに自分よりいい点とりやがって」と思うことはあると思います。
でも、友達がいないわけではなかったので、たとえクラスの人がシカトしてても気になりません。
行きたくない時は行かないのです。
最初は学校に行くふりをして、もうなくなってしまいましたが、古い映画を三本立てくらいで
やっている映画館に行って1日時間をつぶしていました。共働きだったので、母が出ていくのを
待ってから、自宅に帰ったこともあります。
もちろん学校から連絡が来たりしてばれます。
でも、母は何も言いませんでした。
素直に行きたくないと言ったときは、学校に休むと連絡してくれました。
そのかわり、家事を手伝わされましたが・・・
死にたいと思うなら、死ぬ気で何かしてみればいい。死を意識したとたんに怖いものなんて
なくなってしまう。相手をやっつけるもよし、学校やめるもよし。子どもが命をはって
訴えていることをわからない親なんていない。小さくたって私は真剣に生きてきた。
母は、たとえどんな結果になったとしても、何も言わなかったと思う。
そうやって私に逃げ道を作ってくれたことで、結果的に私は学校を放棄することなく卒業することが
できた。勉強は好き、学校は嫌いというおかしな人間であったけど。
自分の周りには大事なものがたくさんあって、どれも捨てられないと思ったけど、
いろんなものがたくさんありすぎて、どれが大事でどれがどうでもいいものだったのか
わからず、ただ欲張ってなんでもかんでも捨てられないって思っていた。
でも、望んでいたわけではないけど、離婚という状況に直面した時は、3日分の着替えと
子どもたちだけを連れて出てきてしまった。
ああ、これだけで私は人生やり直せるんだって思った。
本当に大事なもの、家族だったり友達だったりすると思うけど、それさえ失わなければ
学校なんて大事かね?学校じゃなくたって勉強はできるんだし。留学するもよし、
転校するもよしだ。
今子育てをしていて、心配なことは、いじめられることももちろんだけど、いじめる側に
なることだ。集団でやっていると、一人一人が加害者だという自覚がなく、よりエスカレートして
残酷なことを平気でやることになる。そして歯止めがきかなくなる。
それは虐待にも言えることなんだけど、よく虐待する母親が、泣くまでやるという。
だんだん子どもは感覚が麻痺してきて、泣かなくなる。そうするともっともっと痛めつけて
しまいたくなる。
いじめられていれば、洋服が乱れたり、ノートに落書きされたり、子どもの様子でわかる。
でも、いじめる側についているとその変化はわからない。
それでもきっと信号は出ているのだと思う。イライラしたり小さな変化も見逃さない。
そんな気持ちで子どもたちを見ていよう。
たくさんの子どもが被害者になるニュースを見て思ったのでした。
|