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【集会案内】文化象徴天皇への変革を!:村岡到
報 告:村岡  到(季刊『フラタニティ』編集長)
−文化象徴天皇への変革を!−
司会 佐藤和之(佼成学園高校教員)
日時:4月13日(土)午後6時
場所 :文京区民センター 3D
(地下鉄後楽園、春日駅)
資料代 : 700円
主催 ロゴスの会
<参考文献>
村岡到『文化象徴天皇への変革』ロゴス、158頁 定価1500円+税
(戦前の)天皇制の廃絶と象徴天皇制の成立
第1章 歴史の無知とその報い
第2章 日本史における天皇の位置と明治維新による天皇制の成立
第3章 敗戦と象徴天皇制の成立
第4章 象徴天皇制を捉えられない左翼
第5章 文化象徴天皇への変革を
崩れゆく象徴天皇制
〈ノモス〉を追求する意義─「尾高・宮沢論争」に学ぶ

<レジュメ>

文化象徴天皇への変革を 村岡 到 2019.4.13

元号改元騒ぎ

4月1日に「令和」と発表 5月1日から

元号:その時の支配者が「時間」まで支配する狙いで制定

中国由来 現在では日本だけ

象徴天皇制の護持

不便きわまりなし 2020年オリンピック JRの切符は西暦 年齢換算不便

天皇制 言葉の由来

一九三一年に日本共産党の「三一テーゼ」で、敵を否定・打倒する用語として

それまでは「君主制」と表現

万世一系のごまかし 天皇制は明治維新以後 戦前の七七年間だけ

奈良時代には天皇が支配していた

奈良時代以後:七〇〇年に近い長期間、天皇家は存続し、その一定の機能(前記の叙任など)を持続したが、天皇が日本の政治を支配していたことはない。日本人の多くは天皇の存在さえ知らなかった。

敗戦後には熊沢天皇をはじめ「我こそが天皇」と名乗る者が一〇人余もいた

象徴天皇制の成立 1947年に新憲法施行による

左翼における歴史認識の弱さ

A 明治維新による天皇制の成立

一八八九年二月一一日に大日本帝国憲法が明治天皇によって発布された。 大日本帝国憲法の「第一章
天皇」の第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第三条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。

国家神道との結合 日本人の宗教観がその基礎となっていた。

学問への弾圧も凄まじい 宗教弾圧:大本教、創価学会、天理教

天皇制の特徴・本質・帰結

第一:教育勅語による洗脳や治安維持法・軍部による弾圧

第二:欧米の政治制度から学ぶことも含め、大きな包摂力

と異端への厳しい排除・弾圧。

第三:官僚や当該機関の責任を曖昧不明とする強固な官僚制

第四:国家神道と結びつき、宗教的求心力を保持

第五:地主階級と資本家階級の経済的利益を体現・追求。

第六:「富国強兵」と相次ぐ戦争

天皇制の本質:天皇の権力が日本の階級支配において絶対無比

天皇制の帰結:アジア太平洋戦争の〈敗北〉という大規模で悲惨な結果

重大な責任=戦争責任は重く天皇と天皇制に帰せられるべきである。


B 敗戦と象徴天皇制の成立

一九四五年九月二日、東京湾に停泊するアメリカの軍艦ミズリー号上で、日本は降伏文書に署名して、アジア太平洋戦争の敗戦が確定した。

敗戦の惨状、その酷さ

敗戦の年には日本の軍隊は約三五〇万人──このうち一九〇万人が中国に

天皇をめぐる敗戦直後の言動

一九四六年一月一日に、天皇の「人間宣言」(正式には「新日本建設に関する詔書」)

二月一九日に、天皇が神奈川県に巡幸した(以後、五四年八月八日の北海道まで、沖縄を除く全都道府県を巡幸した)。

五月三日より極東国際軍事裁判が開始され、〔その〕前後より、天皇の戦争責任──ことに『道徳的責任』が内外で大きく論じられはじめた

南原繁東京大学総長が、四月二九日の天長節の式典で天皇の戦争責任に論及

世論調査:四五年一二月九日には、「天皇制を支持する」が九五%、「否定する」がわずか五%


C 憲法の制定経過

一九四七年五月三日、新憲法が施行された。憲法は、明治憲法(大日本帝国憲法)の第七三条の改正手続きによって成立した。「第一章
天皇」の「第一条」は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」

社会党案:天皇の大権を制限し、民主化された天皇制のもとに民主主義的社会主義の実現を追求

共産党:「人民に訴う」の声明で「天皇制打倒」を主張


D 「象徴天皇制」の成立過程

なぜ象徴天皇制は成立したのか:GHQの戦略が決定的

実務を遂行したマッカーサーは、「一九四六年一月二六日に、米参謀長アイゼンハウアー宛てに機密の電報をう」ち、「天皇を戦犯として裁判にかける」と、「大変な動揺を日本国民の間に引き起こす」と予測し、「天皇はすべての日本人を統合するシンボル(象徴)です」と書いた。

第一の根拠:敗戦後に日本を間接統治したGHQあるいはアメリカの支配層にとって、天皇の利用価値が極めて高かったこと。

第二の根拠:明治維新いらい七七年間の天皇制による支配によって作り出され深く蓄積されてきた、日本人の天皇崇拝の意識の広範な存在である。

第三の根拠は、社会を国家として支配あるいは統治するさいに、国民を統合する手段・制度として、何かを「象徴」にすることが有効に働くことにある。

第四の根拠は、日本人の生き方の一つの特性としての何事も曖昧に許容・受容する生活態度である。

一例を上げると、日本人はウサギを一羽二羽と数える。なぜか?

象徴天皇制の機能

‥傾腸箸梁限魁↓天皇を尊崇する傾向の創出、「平和の象徴」としてイメージ作り、す餡氾諸行事による「権威づけ」、ソ勲や園遊会による優越感の植え付け、諸外国の元首などの接待・交流、外国訪問、А峙榁羣怎」による神道の伝統の保持、┯宜翹,寮立過程での推進のテコ、の八つである。そしてこれらの機能を果たすために年間約三〇〇億円を国家の財政から支出している。


E 象徴天皇制と日本共産党

結党時からの幹部であった野坂参三:中国で組織した「日本人民解放連盟」の綱領では、「天皇打倒」をかかげていない。野坂は、「大衆から孤立する危険」を考慮した


一九四五年一〇月二〇日に、再刊された「赤旗」第一号では「人民に訴う」の声明で「天皇制打倒」を主張した。

宮本顕治は四六年二月に『前衛』創刊号論文「天皇制批判について」を発表。

一九六一年の第八回党大会「綱領」で、「アメリカ帝国主義は、日本の支配体制を再編するなかで、天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした」。「君主制を廃止し……人民共和国をつくり」と、目標を定めた。

二〇〇四年の第二三回党大会での綱領改定で初めてその「誤り」を曖昧ながら認め、捨てた。

この新綱領では、「四、民主主義革命と民主連合政府」で次のように確定した。

「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

二〇一六年 国会開会式での天皇挨拶に出席・敬礼

近年、天皇についての報道、極端に少ない 判断停止

新左翼の共産主義者同盟の「綱領」には天皇制についての言及なし


F 文化象徴天皇への改革を

天皇、皇后、皇太子は、戦争への反省と憲法の大切さを説き、憲法を守るとさえ何回も公式に表明している。

美智子皇后:宮内庁記者会見への回答メッセージで「五日市憲法草案」に触れた。二〇一三年一〇月二〇日、七九歳の誕生に当たり

NHKでは、一五年二月二〇日に行われた、五五歳の誕生日を前にした皇太子の東宮御所での記者会見の報道から、彼が憲法に言及した部分を報道せず

最大の問題は、前記のす餡氾諸行事による「権威づけ」、ソ勲や園遊会による優越感の植え付けにある。この大きな弊害を除去するためには、象徴天皇制を廃絶するほかない。その上で、天皇を〈日本文化の象徴〉として存続させることがベターであると提案する。

私は二〇〇七年に「憲法はなぜ大切か」で「私たちの憲法改正要求」の「第一は、憲法第一章(天皇)の全面削除である」と書いた

象徴天皇制を廃絶するためには、憲法を改正して、「(旧)憲法第一章はすべて廃棄する。皇室典範も廃棄する。他の法律において天皇にかかわる部分も廃棄する」と明記したうえで、新しい第一章を制定する必要がある。

第一章は「日本国の理念」とする。

第一条 日本国の理念は、日本に住む市民の幸福を願い、他の諸国や諸民族との平和と友愛を希求する。

第八条 天皇は日本に住む市民の文化の象徴とする。天皇に関する制度については、法律によって定める。

第一に、天皇一族の範囲について。この憲法改正の直前まで「皇族」とされていた人びとに限定し、その子孫とする。ただし、数代に限定する必要がある(現在は天皇家、四つの宮家など、二〇人)。

第二に、そのいわば家長に当たる者は天皇家の会議によって決定する。家長に当たる者には定年がある。家長の家族は、三重県の伊勢神宮内に転居する(これは、佐野学の提案と同じである)。

第三に、天皇家の財政については、前記の「皇族」の範囲までは一定の水準を確保し、国家から給付する(これは〈生存権所得〉の特例といえる)。ただし、天皇拠金を新設して、この制度に賛成する国民からの自発的拠金を集める。毎年集計して、拠金が支給額よりも少ない場合には、その差額を国家財政から負担する。

第四に、天皇委員会を新設する。この委員会の規模、構成員の選出などは法律で定める。天皇は、天皇委員会の助言を尊重しなければならない。

第五に、天皇、その妻、その子ども、および定年で家長を退いた者は、選挙権と立候補権を与えられない。政治的言動は慎重に行う。

第六に、天皇らの公的行事については、天皇委員会がその参加の適否を判断する。諸外国の国賓との交流や公的な外国訪問も同様である。

第七に、天皇は、天皇文化賞を年に一度発表する。等級はない。受賞者を誰にするかは、天皇委員会が決定する。「勲章」はこれを廃止する。

宮内庁や皇宮警察や宮内庁病院は廃絶され、現在の憲法に規定されている「国事行為」はすべて廃絶される。年間経費は大幅に縮減される。

さらに、天皇の存在をめぐる制度について、五〇年に一度、国民投票にかける。厳密にいえば憲法第一四条とバッティングするが、例外的制度として容認するしかない。日本人はなお、何らかの〈象徴〉なしには社会を統治できない段階を生きているからである。

もう一つの理由は、日本社会が当面している政治制度上の変革は、象徴天皇制だけではなく、〈対米従属からの脱却〉も焦眉の課題であり、この重要課題での変革の必要性とその内実についても、新しい提案と合意が求められているからである。自衛隊の〈国連指揮下での平和隊〉への改組、〈非暴力抵抗権〉の確立も重要な課題である。さらに、経済システムでは、〈賃労働─資本〉関係の変革が求められている。

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