千時千一夜

お読みいただき深謝します。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

(つづき)
 さて、空海が伊豆山へやってきた弘仁十年(八一九)の記録には、引用において「中略」とした部分に、次のような逸話が挿入されていました(最初の部分から引用します)。

弘仁十年己亥、弘法大師、社殿に詣し、結檀念誦し玉ふこと三夜に及ぶ時、二人の神童現れて曰[いはく]、吾は是権現の王子なり、世澆季[すへ]に及び、人弊漫[へいまん]を懐[いだ]くが故に、権現今神宝を深くをさめんとし玉ふ、和尚[くわしやう]こゝに来る事さいはひなりといひて、秘所八箇の神穴に誘引しければ、大師乃[すなハち]神鏡を赤色[しやくしよく]の九條衣につゝみ(「つゝみ」は当該漢字がなくひらがなにて表示…引用者)、南の窟[いはや]に納め、神体をば東の窟に蔵[をさ]め、法華経二部を書写して、前[さき]の両窟に安置す、こゝにをひて又、宝珠・霊剣を埋[うづ]めて、邪徒を降伏[かうぶく]し、四域を結界し、神窟の前にをひて、心経[しんぎやう]秘鍵[ひけん]を講誦[こうじゆ]し玉ひければ、窟中[くつちう]鳴動すと、云云、〔豪忠記、縁起第三之大意〕、(大師重[かさね]て勅命を奉じ、当山を管[つかさど]り云々とつづく)

 空海(弘法大師)が「三夜に及ぶ」社殿での「結檀念誦」のとき、「二人の神童」が出現したとされます。彼らは「(伊豆)権現の王子なり」と自己紹介し、空海の来訪を歓迎する旨を述べます。神童たちは「(伊豆)権現今神宝を深くをさめんとし玉ふ」ゆえに、その納品を空海に託すとして、「秘所八箇の神穴」に案内し、空海は、南の窟と東の窟にそれぞれ「神鏡」と「神体」を納め、さらに「法華経二部を書写して」、南・東の両窟に「安置」したとされます。空海はまた、「宝珠・霊剣を埋めて、邪徒を降伏し、四域を結界」し、そこで心経(般若心経)の奥義を講説すると「窟中鳴動す」と書かれ、この逸話は終わります。
 これを空海の夢想譚として読み飛ばすことも可能ですが、しかし、「秘所八箇の神穴」や「南の窟」は、伊豆山のほかの縁起書にも重要な聖域として散見されますので、神童(権現の王子)たちの出現をわざわざ仮装した空海の夢想譚は、それなりに重要な意味があったものとおもわれます。
 たとえば「秘所八箇の神穴」については、「走湯山縁起」第五(の表縁起)が記すところの、「根本地主」の一神「早追権現」が「日々夜々」往来しているとされる日金山(久地良山…伊豆山)地底の「八穴道」のことでしょう。
「走湯山縁起」第五(の裏縁起)では、龍体が「生身千手千眼也」と明かされたあとに、この「八穴道」がどういうものなのか、具体的に書かれています(以下、筆者読み下しで引用)。

この山(日金山)は、これ補陀洛山九峯院の内別院、明鏡これなり。この山底に八穴道がある。一路は戸蔵(戸隠)第三重巌穴に通ず、二路は諏訪の湖水に至り、三路は伊勢大神宮に通ず、四路は金峯山上に届き、五路は鎮西阿曽(阿蘇)の湖水に至り、六路は富士山頂に通ず、七路は浅間の巓に至り、八路は摂津州住吉(に通ず)、

 日金山(久地良山…伊豆山)の地底(山底)にある「八穴道」が通じているとされる八所(の聖地)が書かれています。先に、伊豆権現が伊豆山から失踪して籠っていたとされる戸隠山も「戸蔵第三重巌穴」と書かれています。
 ここには、全国の数ある聖地から特にセレクトされたであろう八所が書かれています。これら八所(の聖地)すべてをここで検証することはできませんが、たとえば空海が、自らの密教的聖地として大日如来を習合させた「伊勢大神宮」をみますと、その「根本地主」は、伊豆権現=走湯権現に秘されている(封印されている)神と同神であるとはいえます。戸隠山については先にふれましたが、「諏訪の湖水」をみるなら、ここと通底している伝承をもっているのが遠州の桜ヶ池で、この池神・水神をまつるのが池宮神社(主祭神:瀬織津姫神)です。つまり、「根本地主」の位相にまで降りるならば、伊豆権現(の地主神)と、これら八所(の聖地)の祭祀は、まさに「通底」している可能性があります。
 各地の表層祭祀とは異なる、いわば「根本地主」(神)の祭祀をみようとするとき、この「八穴道」の記載は、途方もないことを示唆しているのかもしれません。「走湯山縁起」第五(の裏縁起)が「深秘」「不可披見」とされる所以は、おそらくここにあるのでしょう。
 さて、空海が神鏡を埋めたとされる日金山中の「南の窟」についてですが、「走湯山縁起」第五(の表縁起)に、「密伝曰」として、「松岳南麓之地底十二丈」に「宮闕之閣」があり、その中心に「七星台」があって、そこに「千手観音」が坐す、すなわち「補陀洛山九峰の別院是也」との記載があります。
 この表縁起の作者(延尋)は、「この一ヶ条は、弘法大師が真済に語る口伝である」と記していて、そういえば裏縁起の「八穴道」云々にしても「已上高雄寺清涼房真済之記也」とありましたから、空海の夢想と密教理念は真済を媒介として「走湯山縁起」に多大の反映をもたらしているようです。
 それにしても、「補陀洛山九峰の別院」は表裏の両縁起に記されていますから、この二つの縁起からみえてくるのは、「根本地主」の一神であり、天下の善悪吉凶、王臣政務の是非を取捨勘定する「早追権現」(女形)は、その姿態は龍体とも千手観音(「千手千眼」観音)とも表現されていることです。
 延喜四年に記されたという「走湯山縁起」巻第三には、「夢中異人」のお告げとして「吾是走湯権現也、本地千手千眼」とあり、「二六時中に十方の善悪・邪正を裁断し玉ふ」(「伊豆山略縁起」)という神徳をもつ伊豆権現=走湯権現と早追権現は、その神徳ばかりでなく仏の姿態においても共通しています。
 ところで、「根本地主」二神のうち白道明神は「男形」、早追権現は「女形」でした。「走湯山縁起」巻第五(表縁起)は、「権現女体(の)事」の項を設けるも、その本性については「幽玄にして、人、これを知り奉らず」、また本地は「弥陀如来(阿弥陀如来)」だとしていて、ここでは千手観音ではありませんから、読む者を一瞬混乱させます。縁起は、権現が日金山頂にいるとき、嶺の東南に「女体社」を営み、そこに「弥陀如来」を安置し、山頂から「湯浜上」へ降りたとき、頂上の古社檀を「本宮」と号し、女体権現の御在所を「新宮」と呼んだとしています。また、この女体権現は、その形像は天女の如きで、手には天扇をもち、白蓮の花に坐していると、観音を連想させる美化の形容も忘れていません。
 縁起は、つづけて、この女体権現にまつわる不思議な逸話も記しています(筆者読み下しで引用)。

応和元年辛酉夏、ここに神託ありて、女体、雷電御宮に入御す、その後五箇年を経た康保二年、御本社に還御す、これ皆(女体権現の)神託によりて執行するところなり、

 女体権現がなぜ「雷電御宮」(本社若宮)に入御し、五年後にまたもとの「御本社」にもどったのか、その行為の理由がただ「神託」とされるのみで、もやもやとした話です。しかし、縁起の作者は、「女体、雷電御宮に入御す」のあとの割注で、「走湯権現、早追権現と通い交わるため、その嫉妬云々」と、これも歯切れのわるい注ではあるものの、走湯権現と早追権現の親交に、女体権現が「嫉妬」したらしいことが書かれています。
 ここには、神を神のままにまつらずに、それを権現に置き換え、さらに走湯権現と早追権現というように二様の権現へと分化させ、この二様の権現化に取り残された、元の神(女神)にもっとも近いイメージをもつ女体権現が「嫉妬」をしたとされています。こういった分化分身の発想は、空海が大日如来を二分身化した発想をベースとしています。このように、真言密教には、一つの単体(神)があるがままの姿を封じられ、部外の者には恣意的としかいいようのないものですが、無限分身化の発想があります。その結果、それぞれの分身が独自の存在理由・感情をもつとさえみられることにもなります。ここでは、そういった分身権現が独自の感情をもつと想像されたがゆえに、つまり「三角関係」といってよいのですが、そこに生じた「嫉妬」の感情関係が述べられているようです。
 権現たちの三角関係・嫉妬の話は、根本地主(神)に焦点を定めて読もうとすれば、もともと陰気な封印の上での話となりますから、下世話に笑う気にはなれません。
 ところで、空海の夢想譚には、神窟に「宝珠・霊剣を埋めて、邪徒を降伏」したと書かれていました。伊豆山には「邪徒」がいたことがわかりますが、ここでいう「邪徒」とは、空海の密教理念あるいは鎮護国家の思想に異を唱える者たちをいうのでしょう。もともと、伊豆権現=走湯権現の神体である「円鏡」は「東夷境所」を示現する「神鏡」だとありました。また、伊豆山の最古の縁起書である「走湯山縁起」にしても、その書き出しは、「走湯山は人王十六代応神天皇二年辛卯、東夷相模国唐浜礒部の海辺に三尺余の一円鏡現る」で、走湯権現の神体とされる「円鏡」は、「東夷」ゆかりの「神鏡」でした。
 空海が「邪徒」とみなした人々は、もともと「東夷」であったゆえに、「勅命」を奉じた空海は、王化のための仏法をもって教え諭す必要があったのでしょう。これは、いいかえれば、伊豆権現=走湯権現に封印されている「神」は、「邪徒」「東夷」の人々が信奉する神でもあったことを示唆しています。この鏡が「東夷境所」を示現する「神鏡」とされるのは、伊豆山が西からの王化と「東夷」との境界に位置する重要な祭祀場であったゆえとおもわれます。
 空海は、この「邪徒」(「東夷」)を「降伏」するために、神窟に「宝珠・霊剣」を埋めたとされます。この「宝珠・霊剣」をもつ女神の神像を有するのが北海道の滝廼神社や川濯神社ですが、両社ともに、遠野・伊豆神社と同神(瀬織津姫命)をまつっているというのは偶然とはいえないはずです(写真:滝廼神社神像、中心の女神像の両手の持ち物を参照ください)。
 伊豆山の根本縁起(最古の縁起)が「走湯山縁起」なのですが、その表題は伊豆山ではなく走湯山としていて、この「走湯」、つまり「走り湯」こそが伊豆山祭祀の要諦にある聖域観念、いいかえれば絶対神域の観念かとおもわれます。
 これまでにみてきたところでいっても、「根本地主」早追権現の龍体を述べたときのことば、つまり、尾は「筥根(箱根)之湖水」(芦ノ湖)にあるとするも、頭は「日金嶺之地底温泉沸所」にあるとされていました。この「温泉沸所」に龍体(地主神)の頭があるという観念[イメージ]に「走り湯」という神聖観念の淵源があります。
 この「走湯[はしりゆ]」(の神)に、もっとも親近・崇敬の感情をもって相対したのは、空海が伊豆山に「勅命」でやってくる弘仁時代の百年以上前、文武三年(六九九)、空海の立場とはまるで対極的ですが、伊豆(大島)に「配流」(島流し)されてやってきた役小角(役行者)でした。
(つづく)

この記事に


.


みんなの更新記事