千時千一夜

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宗像祭祀の解読

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 日本の神社、あるいは神社神道の祭祀には、七世紀末あたりから、新たな建国構想あるいは国家意志というものの強い反映がみられるようになります。
 以後の大枠の歴史見取り図をいえば、平安期には最澄・空海を主峰とする仏教徒たちが先頭に立ち、仮に名づければですが、「神仏混淆神道」の時代をつくります。中世には、最澄たちの護国仏教・国家仏教の影は薄まるものの、しかし、この混淆神道は、その後のさまざまな仏教・修験諸派のなかに生きつづけ江戸幕末までつづきます。
 明治期には、神仏分離の名のもとに、仏の背後の神の洗い出しがなされ、「皇朝ノ神祗」にふさわしくない神と認められた場合は差し替えが多くなされます(苫小牧市・樽前山神社ほか)。明治期以降、まさに「王政復古」的に、国家神道が国内(と植民地)に徹底化されてゆきます。これは強烈なマインドコントロールを伴う思想・信仰教化でしたが、一九四五年の日本の敗戦は、それまでのコントロール(国家神道)から自由になるよい機会ではあったものの、その機会が現実化することはなかったようです。いいかえれば、神道・神社世界に、さわやかな風が吹き抜けることはどうもなかったようです。
 ところで、なかには、明治期の神仏分離を待つことなく、早い時期に自主的にそれをおこなった神社もありましたし、神仏混淆そのものに一線を引いて、神祗祭祀に徹してきた神社もあります(大分県・闇無浜神社)。前者の例には、今ふれつつある宗像神社(宗像宮)があります。後者の闇無浜神社は、宇佐・宗像ほかの祭祀が、その祭祀中枢からはずした瀬織津姫神を主神としてまつりつづけてきた古伝由緒を公開しています。
 宗像宮(辺津宮)が神仏分離をおこなうのは江戸前期という早い時期でした。『宗像神社史』は、次のように書いています。
 
寛文五年(一六六五)以降、当社が吉田神道により、唯一神道に帰したことは、当社の祭祀の中から仏事を一掃させ、神道一本の祭祀に復帰する道を促進させるに至つた。
 
『神社史』は、この寛文五年をもって「国風祭祀の姿を回復する端緒を得た」とも記していますが、こういった早い時期の「神仏分離」から「国風祭祀」への回帰がみられるのは、ほかに出雲大社の寛文七年(一六七七)もあります。千家尊統『出雲大社』(学生社)の一文も読んでみます。
 
神仏習合の弊をのぞき、境内地にあった堂塔を廃して拡張整備し、社殿を高さ八十尺という古来の正殿式に復興して寛文七年(一六七七)にはほぼ現在のようなどうどうたる規模の偉容が完成した。出雲大社の神仏分離は、じつにこの時に行われたのであって、神仏分離といえば一般には明治初年のことと思いがちであるが、当社ではこのようにきわめて早い時代の事であった。
 
 神仏分離から国風祭祀への回帰は、つまるところ、「正史」所載の神話記述に依拠した祭祀を復興・再現するということを意味します。ちなみに、大島・中津宮の神仏分離は元禄十一年(一六九八)のことで、辺津宮の寛文五年から数えると三十三年後になります。この時間のズレは、辺津宮(惣社)と中津宮(と沖津宮)の祭祀が一体のものではなかったことを微証しているようです。
 ところで、『神社史』は、宗像大神には「御使命」があるとして、次のような国風祭祀への復古解釈を述べています。
 
 思ふに天神[あまつかみ]・高皇産霊神[たかみむすびのかみ]・伊奘諾尊[いざなぎのみこと]・天照大神の下し給うた神勅は、皇統・国体の根源を定め給うた天壌無窮の神勅をはじめとして、古事記上巻や日本書紀神代巻にいくつか見えてゐるが、それ等はいづれも上代国民信仰の方向を示すものとして、古来仰がれて来たところであること、今さらいふまでもない。而して右の天壌無窮の神勅とならんで特に重要なのは、天孫降臨に先だつて、天照大神が宗像大神を海北道中に鎮まりまさしめ給うた神勅である。この神勅は当社由緒の根本をなすものであり……〔後略〕
 
『神社史』は、「皇統・国体の根源を定め給うた天壌無窮の神勅」は「上代国民信仰の方向を示すものとして、古来仰がれて来た」との認識を記し、その「天壌無窮の神勅とならんで特に重要なのは、天孫降臨に先だつて、天照大神が宗像大神を海北道中に鎮まりまさしめ給うた神勅」だとつづけています。この二番めの神勅が「当社由緒の根本をなす」とされるわけですが、『神社史』は、この宗像大神への神勅は「日本書紀神代巻、瑞珠盟約章第一の一書」にみえるとして、当該文を引用していきます。『神社史』の引用は書紀の原文(漢文)で少し読みづらいですから、便宜上、岩波書店版の訓読文を次に掲げます。
 
日神、〔中略〕先[ま]づ所帯[みはか]せる十握剣[とつかのつるぎ]を食[を]して生[な]す児[みこ]を、瀛津嶋姫[おきつしまひめ]と号[なづ]く。また九握剣[ここのつかのつるぎ]を食して生する児を、湍津姫[たぎつひめ]と号く。又八握剣[やつかのつるぎ]を食して生す児を、田心姫[たこりひめ]と号く。凡[すべ]て三[みはしら]の女神[ひめかみ]ます。〔中略〕乃[すなは]ち日神の生[な]せる三[みはしら]の女神[ひめかみ]を以[も]て、筑紫洲[つくしのくに]に降[あまくだ]りまさしむ。因[よ]りて教[をし]へて曰[のたま]はく、「汝[いまし] 三[みはしら]の神、道の中に降[くだ]り居[ま]して、天孫[あめみま]を助け奉[まつ]りて、天孫の為[ため]に祭[まつ]られよ」とのたまふ。
 
『神社史』がいう、宗像宮の「由緒の根本」をなす「天照大神が宗像大神に降し給うた神勅」とは、引用文中「汝[いまし] 三[みはしら]の神、道の中に降[くだ]り居[ま]して、天孫[あめみま]を助け奉[まつ]りて、天孫の為[ため]に祭[まつ]られよ」を指します。特に「天孫の為[ため]に祭[まつ]られよ」(原文は「而為天孫所祭也」)の解釈が妥当かどうか微妙なものがありますが、『神社史』は、この神勅の「 」内のことばについては、次のように訓じています。
 
[いまし]三神[みはしらのかみ]、宜しく道中[みち(の)なか]に降居[くだりま]して、天孫[あめみま]を助け奉[まつ]りて、天孫に祭[いつ]かれよ。
 
『神社史』は、この訓読をもって「最も妥当のものとすべきであらう」と自己肯定しています。これは、宗像三女神が「天孫に祭[いつ]かれ」るのは、書紀が記すところの天照大神の神勅によるもので、当然なことだという自己解釈になります。『神社史』の認識のことばを読んでみます。
 
 按ずるに、日神はいふまでもなく天照大神である。道の中は、神代紀のこの章、他の一書に、「海北道中[うみのきたのみちのなか]」とあるに同じく、朝鮮への道中、即ち九州北辺の海中のところ、こゝでは具体的には沖ノ島・大島及び海辺の田島をさすと考へられる。天孫は皇統正系の方々〔具体的には歴代天皇〕である。即ち三女神は永く海北道中に鎮り坐[ま]して、天孫の聖業を輔翼し、国家を守護せられるとともに、それに対して、歴代皇室の渥[あつ]い祭祀を受けさせられよ。換言すれば、皇室は宜しくこの三女神に対し奉つて、特に奉祀の途を執らせらるべきであるといふことに外ならない。
 
 ここには、読みようによってはかなり危うい認識が書かれているといえます。書紀の一書(一文)の「神勅」のままに、宗像宮はその三女神の祭祀を励行してきた、その神勅には、天孫(歴代天皇)もまた三女神に崇敬の気持ちをもって奉祀することが書かれている、したがって、「皇室は宜しくこの三女神に対し奉つて、特に奉祀の途を執らせらるべきである」といった論理展開となっていて、これでは神勅を楯にした皇室への崇敬喚起、あるいはやわらかな恫喝とさえ読めるからです。戦前、宗像宮はこの神勅解釈を以て「官幣大社」の社格に上りつめますが、この解釈は宗像祭祀に関する「結語」においてもくりかえされています。
 
宗像祭祀の根本義は、天照大神の三女神に下された神勅、即ち海北道中に道主貴[みちぬしのむち]と坐[いま]して、「天孫を助け奉りて、天孫に祭[いつ]かれよ。」と仰せられたことにあるは、言ふを須[ま]たない。而して、その具体的な祭祀としては、わが国は今日、天皇を日本国並に日本国民統合の象徴として、これを仰ぎ奉つてゐるから、皇室を助け奉り、皇祚の無窮を祈る祭祀が第一義であることは当然であり、これに次いでは、天孫に祭[いつ]かれる、即ち皇室がこの三女神を親しく祭らせらるべきことである。さらにこれに加へて、海北道中の道主貴と仰いで、海内・海外の守護と交通の安全とを祈請する祭祀を斎行することである。これらのことは、換言すれば、敬神愛人の祭祀であり、人倫的には互助互譲の祭祀であるといへる。されば、これを根底として、汎[あまね]く国の内外の永遠の平和と繁栄とのために、不断に懇祈を抽[ぬき]んでるところに、その根本義が存するのである。
 
 祭祀者側が自認する「宗像祭祀の根本義」は、ここに尽きているといってよさそうです。ただし、この「根本義」の認識の成立は、宗像祭祀にとって、とても大きな代償を払った上でのことです。そんな代償など最初から払いもしなかったかのごとくに、「敬神愛人の祭祀」や「人倫的には互助互譲の祭祀」といった美談的、つまり、空疎な祭祀認識を上塗りしていっても、宗像祭祀のもう一つの「根本義」、あるいは秘伝的「根本義」にまでは、ついにことばが届くことはありません。江戸期の仏徒のことばのほうが、まだしも「正直」を含んでいたようです。
『宗像神社史』は、巻頭の「凡例」において、本書の「編纂に当つては、学問的研究的なることを旨とし」云々と、その編纂方針・姿勢を明言しています。これは大変重要な編纂方針・姿勢の表明ですから、よく記憶しておきたくおもいます。

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