千時千一夜

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宗像祭祀の解読

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 天応元年(七八一)、辺津宮の地に「惣社」ができます。それまで、沖津宮・中津宮・辺津宮に三女神をそれぞれ分配祭祀していたものを、ここに三女神をまとめてまつる社殿ができたということのようです。
『宗像大菩薩御縁起』をみますと、この惣社の祭神配置と本地仏の関係は、以下のように記されています。
 
第二者 湍津姫、居左間。本地釈迦如来 小神織幡
第一者 田心姫、居中間。本地大日如来
第三者 市杵嶋姫、居右間。本地薬師如来 小神許斐
    已上奉号惣社。
 
 惣社の中心神は第一宮(沖津宮)の田心姫(本地大日如来)で、第二宮(中津宮)の湍津姫(本地釈迦如来)と第三宮(辺津宮)の市杵嶋姫(本地薬師如来)、これらは配祀の形式をとり、それぞれに「小神」(従神・眷属神)の名が登場してきます。
 惣社において、三女神が同格祭祀でなかったことは、この惣社と同時に「中殿」、つまり第二宮(中津宮)を中心とする社殿もつくられたことに表れています。『御縁起』の記載を引きます。
 
第一者 居左間。本地大日如来 小神地主明神〔本地普賢〕
第二者 居中間。本地釈迦如来
第三者 居右間。本地薬師如来 小神所主明神〔本地文殊〕
    已上奉号中殿。
 
 中心神(ここでは第二宮=中津宮の湍津姫)には「小神」(従神・眷属神)を置かず、左右の配祀二神のみにそれを置くという特徴がみられます。もっとも、この「小神」の付加は、宗像祭祀の外部からの眼でいいますと、少し複雑になってきた印象を受けます。しかも、その「小神」が地主明神・所主明神などと表記されていて、この二神は別神なのかどうかもはっきりしない怪しい表示とみえます。
 惣社と中殿の中心神には「小神」を配さないという特徴が指摘できるも、従来の辺津宮(地主宮)においては、この法則(?)は適用されなかったようです。
 
第一者 居左間。本地大日如来 小神浪折〔本地観音〕
第三者 居中間。本地薬師如来 小神正三位(是志賀大明神)〔本地文殊〕
第二者 居右間。本地釈迦如来 小神御鎰持〔本地毘沙門〕
    已上奉号地主。    小神上袴〔本地不動〕
 
 旧辺津宮の宮地に「惣社」と「中殿」がまつられ、旧辺津宮は第三宮として「地主」(宮)とみなされました。これら三宮がそれぞれに三女神をまつり、しかも、本地仏と小神を配していますから、とても複雑な祭祀にみえます。神仏の、こういった複雑な配置に、どれだけ合理的理由があるかといえば、わたしは相当に怪しいとおもいますし、あるいは、あまりに恣意的ではないかとさえおもえてきます。
『宗像大菩薩御縁起』は、以上の三社殿祭祀の複雑さを記したあと、次のように書いています。
 
如御託宣、三神一所仁有御遷座。此則居海辺、向異国事者、顕三神一体、倶体倶用、一致幽明霊徳、尽未来際施本朝鎮護異国征罰(伐)之霊験也矣。
 
 要約しますと、宗大神の御託宣のごとくに、三女神を一所に遷座した。これは田島の海辺にあって異国に向かい、「三神一体、倶体倶用、一致幽明霊徳」をもって、未来永劫にわたって「本朝鎮護異国征罰(伐)之霊験」を施すためだといった内容でしょうか。
 三女神三殿祭祀とそれにまつわる神仏の複雑な配置関係には「無理解」を通させてもらいますが、その複雑祭祀の意図が「鎮護国家」や「異国征罰(伐)」の「霊験」の発露にあったということは、宗大神がそれを望んだかどうかは別のことですが、一応「理解」はできます。
 さて、以上の怒濤の複雑祭祀を一身に受けることになった、かつての辺津宮(第三宮)の神ですが、この旧辺津宮が特に「地主宮」とみられていたことに、少し掘り下げの理解をしてみたいとおもいます。
 鎌倉時代末に成る『宗像大菩薩御縁起』でしたが、『宗像神社史』は、この『御縁起』ができる前の健治三年(一二二七)成書の「宗像三所大菩薩宮々御在所御座次第」には、惣社・中殿・地主宮の各「御正体」(御神体)の記述があることを紹介しています。それによりますと、惣社・中殿には菩薩像がみられるも、「第三宮(地主)の御正体は石体で、床上に彩色した三重の地盤があり、その上に奉安せられ、その傍には青瑠璃色の石箱がおかれてゐる」とされます。第三宮(地主)だけは「石体」を「御正体」としているらしく、したがって、「第三宮は最も古態を存する」との指摘もなされ、いかにも「地主宮」にふさわしい神体のようにおもえます。神社史の記述を読んでみます。
 
第三宮(地主)の大菩薩は御正体が石体にましまし、他の二所(惣社・中殿…引用者)のやうに造像でなく、加ふるに傍らには「その内においては、人これを知らず。」(前掲御座次第)といふ神秘の石箱が置かれてゐる。右の御正体である石体は、今日も辺津宮境内摂社第三神社の内陣に奉安せられてゐる。ピラミッド型のもので、高さ七寸程の海石の如く拝される。ただし青瑠璃色の石箱は今日は残されてゐない。
 
 かつての辺津宮である第三宮(地主)の「御正体」である「石体」について、その形状は「ピラミッド型のもので、高さ七寸程の海石の如く拝される」と書かれています。この形状の「石体」から、わたしが酷似しているなとおもったのは、内宮の禊ぎ場(御手洗場)近くにポツンとまつられている滝祭宮の「石体」です(『エミシの国の女神』の裏表紙に写真)。滝祭宮と荒祭宮は同体の神をまつるもので、前者は石体、後者は鏡を神体としています。
 なお、第三宮(地主)には、この「石体」の隣りに、中味は「人これを知らず」とされる「神秘の石箱」があったというのも興味深いです。神社史は、この石箱の中味について、「敢て推測するならば、西海道風土記逸文に見える「表[みしるし]」の類が奉安せられてゐたのではあるまいか」と、傾聴すべき指摘・推測をしています。風土記逸文を再読してみます。
 
西海道[さいかいだう]の風土記に曰[い]はく、宗像大神、天より降[くだ]りまして埼門山[さきとやま]に居[ゐ]ましし時、青蕤[あをに]の玉を以[も]ちて、奥津宮[おきつみや]の表[しるし]に置き、八尺瓊[やさかに]の紫玉[むらさきだま] を以[も]ちて中津宮[なかつみや]の表[しるし]に置き、八咫[やた]の鏡を以[も]ちて辺津宮[へつみや]の表[しるし]に置き、此の三つの表[しるし]を以[も]ちて神のみ体[み]の形[かた]と成[な]して、三つの宮に納め置きたまひて、即[やが]て隠[かく]りましき。〔後略〕
 
 風土記時代(天平時代)、奥津宮(沖津宮)・中津宮には二種の「玉」がまつられ、辺津宮には「八咫の鏡」がまつられたようです。鎌倉時代には、すでに「その内においては、人これを知らず」と、その中味を見ることが禁忌(タブー)とされていたらしい辺津宮(第三宮=地主宮)の「神秘の石箱」の中に、この「八咫の鏡」が納められていたと想像しても、それほどの狂いはなかろうとおもいます。なお、この「八咫の鏡」を見ることの禁忌性とも関わるはずですが、『宗像大菩薩御縁起』は、西海道風土記(逸文)を引用して、そのあとに、次のような付記をしていました。
 
或記曰、此八咫鏡者、三種之神器之中、内侍所鏡土同体異名也、云々。仍当神與内侍所一体異名也。然則本朝鎮護之霊宝、三韓征伐之霊神也。天下仁有怪異時者、此二玉一鏡霊光於放玉恵利。
 
 要約を試みますと、辺津宮にまつられる八咫鏡は、三種の神器のなかの鏡(と同体)をまつる宮中内侍所の鏡と「同体異名」である。よって、当神(辺津宮の神または宗像大神)と内侍所にまつる神とは「一体異名」である。すなわち、この鏡は「本朝鎮護之霊宝」であり、これに憑依するのは「三韓征伐之霊神」である。天下に怪異あるときは、この「二玉一鏡」は霊光を放ちたまえり──。
 内侍司は、女官のみで構成される後宮十二司の一つで、天皇の勅命等を太政官に中継ぎ的に告げる(逆もありですが)、いわば天皇の第一秘書といった役割を担っています。そこに、三種の神器の一つである八咫鏡と同体鏡が奉安されていて、その鏡に憑依する神と辺津宮の神は「同体異名」「一体異名」だとの認識が語られています。宗像大神が神宮祭祀といかに深く関わっているかがよく伝わってきますが、「或記」はさらに、この辺津宮神(宗像大神)は「三韓征伐之霊神」だともつづけています。
 辺津宮=第三宮(地主)の主神(中心神)は『日本書紀』本文に準拠して「市杵嶋姫」とされています。しかし、この神を「三韓征伐之霊神」とする所伝は、「正史」のどこを探しても出てくるものではありません。ただし、書紀の前の成書である『古事記』をみるならば、辺津宮の神は「多岐都比売命」とあり、また、この記の所伝は書紀の一書(第二)にも採用されていますから、それらの所伝を重視して、辺津宮神を多岐都比売命=湍津姫命とみなすならば、「三韓征伐之霊神」と無縁ではないという認識は成り立ちます。もっとも、これには、湍津姫をまず同体異名の瀬織津姫神に読みかえ、さらに、この神を「三韓征伐之霊神」と見立てられた天照大神荒魂に読みかえるという、二つの面倒な手続きを経る必要があります。あるいは、辺津宮神とされる「市杵嶋姫」を瀬織津姫命の「別名」とする静岡市の瀬織戸神社の由緒を挙げれば、もっとシンプルな話になるのかもしれません。
 以上は、宗像三女神の祭祀にはいくつもの揺らぎや不整合性があるということの一考察ですが、湍津姫を「海浜[へつみや]に居す者」と記していた書紀一書(第二)の所伝で想起されるのは、やはり、青森県八戸市の御前神社に伝わる、かつての祭神・瀬織津姫についての歌(秘歌)です。
 
みちのくの 唯[ただ]白幡旗[しらはた]や 浪打に 鎮りまつる 瀬織津の神
 
 陸奥[みちのく]の東海の「浪打」(海浜・海辺)に鎮祭された、「白幡旗[しらはた]」(白幡・白旗)を依代とする「瀬織津の神」へ捧げた、御前神社宮司の万感を込めた歌の意は、宗像田島の海浜(辺津宮)にまでよく届いているものとおもいます。

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