千時千一夜

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 大楠と水霊神の関係にこだわってみるならば、同じく境内にある大楠「能因法師雨乞いの楠」をみるべきかもしれません。『略誌』は、次のように説明しています。
 
能因法師雨乞いの楠
 伊予守藤原範国の命により祈雨のため大三島へ詣でた能因法師が「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」と詠じて幣を奉ったところ伊予国中に三日三晩降り続いた(金葉和歌集)という。宇迦神社前の古木がこれである。
 
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 能因法師は、雨乞い祈願するにあたって、大山積神がまつられる本殿ではなく、この大楠に「幣を奉った」とあります。また、「天の川苗代水にせきくだせ天降ります神ならば神」にしても、本殿神ではなく大楠に宿る神への奉納歌でしたから、能因法師は、この大楠に、大三島の水霊神(雨を司る神)が宿ることを認識していたものとみられます。
『略誌』は、「宇迦神社前の古木がこれである」と書くのみで説明がありませんが、宇迦神は龍神で、ここに三嶋龍辰虜怎があるようです。『大三島詣で』は、この宇迦神社について、次のように書いています。
 
宇迦神社
鎮座地 本社境内(放生池の島)
祭 神 宇賀神
例祭日 三月十五日
 木造・素木・流れ造り・屋根銅板葺き。池をはさんで木造・素木・屋根銅板葺きの拝殿。現在の社殿は昭和五十七年十二月新築。
 例祭のほか、本社の例大祭にさきだち、旧暦四月十五日から二十一日までの七日間、大祭期間中の好天を祈る祈晴祭が、当日晴天のときには旧暦四月二十四日に祈晴奉賽祭が行なはれ、その神饌は放生池に投供される。
 古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神社として信仰されており、雩の神事には安神山頂の龍神社にお籠りをし、つづいて宇迦神社の放生池(土地の人が、べだいけんと呼ぶ)をさらえ、境内で千人踊りをした。
 
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▲放生池の中島にまつられる宇迦神社
 
 かつて、勅命によって旧社地(横殿宮)から新社地(現在地)へ遷宮するにあたって、先住の蛇神(大蛇)を放逐し、安神山の頂上に龍神(龍王)をまつった、また、この大蛇放逐を機に放生会をはじめたと書いていたのは『三島宮御鎮座本縁』です。この放生会開始には、当時の小千(越智)玉澄による、大三島の先住神に対する鎮魂の想いが込められていたことはいうまでもありません。
 その放生会ゆかりの池(放生池)の中島にまつられるのが宇迦神社ですが、これは、安神山頂の龍神社の里宮的境内社でしょう。雩[あまごい]の神事が、安神山頂の龍神社へのお籠もりから宇迦神社の放生池をさらう(掃除する)ことというように、一連の神事としてあることが、宇迦神社の性格をよく表しています。
 この宇迦神社は「古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神社」とあります。『本縁』は、保延元年の「祈晴」に格別の神威を表したのは大山積神(大山祇神社本殿神)としていて、「古来祈雨・祈晴の霊験あらたかな神」は、宇迦神(三嶋龍叩砲本殿の大山積神のどちらなのかといった根本的な問いを喚起させます。こういった自己矛盾を内胎したまま、あるいは口を閉ざしたまま、「日本総鎮守」、「四国唯一の国幣大社」(『大三島詣で』)などと自賛的に語るのが大山祇神社(の現在)です。
 もっとも、こういった矛盾する二重祭祀構造を抱えているのは、大山祇神社一社に限られるものではなく、その筆頭と濫觴を挙げれば、いうまでもなく皇祖神をまつる神宮(伊勢神宮)があります。神宮の祭祀思想(朝廷の祭祀思想)に準じた大山祇神社が、神宮の基層神・先住神と同体でもある三嶋龍辰鮑怎の中心におかなかったこと、このことを、ここで機械的・短絡的に批判するつもりはありません。この程度の方便祭祀の受容は、その祭祀氏族である越智氏が生き延びるためには、必然の受容であっただろうと想像されるからです。
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 大三島の祭祀表層からは消えた三嶋龍辰任靴燭、この神は、大水上神社の伝承においては、滝宮神・滝神であるとの主張がなされていました。讃岐国では、その名も滝宮神社に、まさに滝神である瀬織津姫神の祭祀がみられますが(観音寺市大野原町井関)、この滝神を大三島に見いだすことは現在できません。
 大山祇神社の神仏習合時代、月光山神宮寺の最盛期には二十四坊があったとされます。『本縁』は、天正五年(一五七七)には「検校東円坊、院主法積坊、上大坊、地福坊」の四坊しか残っていなかったとしていて、早くに廃絶した坊が多かったことが記録されています。ちなみに、『大三島詣で』は、往時の二十四坊の名を、次のように記録しています。
 
泉楽坊・本覚坊・西之坊・北之坊・大善坊・宝蔵坊・東円坊・瀧本坊・尺蔵坊・東之坊・中之坊・円光坊・新泉坊・上臺坊・山乗坊・光林坊・乗蔵坊・西光坊・宝積坊・安楽坊・大谷坊・地福坊・通蔵坊・南光坊
 
 この中で、盛衰はあったものの、現在にまで法燈をつないでいるのは、今治市の南光坊(隣接して別宮大山祇神社〔地御前〕がある)と大三島の東円坊の二坊ですが、二十四坊のなかに「瀧本坊」があったことが、大三島におけるわずかな滝神祭祀の痕跡といえるかもしれません。
 瀧本坊は、熊野における那智大滝を統括していた坊名としてもあります。しかし、現在、この熊野・那智との関係を記した文書を拾いだすことはできません。したがって、以下は、わたしの想像ということになります。
 
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▲安神山
 
 大山祇神社の神体山で、龍神社を山頂にまつる山が安神山ですが、この山は大山祇神社本殿およびかつての神宮寺(現在の祖霊社)の右後方に聳える山です。神社側からみて、この山の背後にある、もう一つの神体山・鷲ヶ頭山との間にあるのが、「入日の滝」です。瀧本坊は「滝」にちなむ坊名とみられ、大三島において、修行・信仰の対象となりうる滝は、この「入日の滝」をおいてほかにはありません。「入日の滝」は、大山祇神社のかつての神域内に存在していたはずで、現在、ここには無住の滝山寺(入日の滝寺)があり、その本尊は十一面観音とされます。滝山寺には古い供養塔などがみられ、その鎮守社は小さな祠であるものの、祠内には「出雲大社」の神札がみられます。
 
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▲出雲大社(滝山寺境内)
 
 大山祇神社一の鳥居の横にある観光案内板は、この「入日の滝」について、「鷲ヶ頭山の山麓にあり、高さ一六m男瀧女瀧にわかれている。その飛沫が夕陽に映じて美観を呈する夢幻境で俗塵が洗われる。古くから蛍の名所として知られている」と書くのみで、滝山寺にしても入日の滝にしても、その歴史をたどることはできません。大山祇神社の現由緒書においても、この滝を解説したものはなく、大山祇神社は「入日の滝」とは無関係としたがっているようです。
 しかし、現地を訪ねてみれば瞭然なのですが、ここは観光案内が「俗塵が洗われる」と書くように、明らかに聖域・霊域です。「入日の滝」の滝神は、その本地仏を十一面観音とし、出雲大神を滝神と見立てているようです。この神仏習合関係は、熊野・那智と酷似しています。那智において、大滝の神(飛滝権現)の本地仏は十一面千手観音でしたし、熊野那智大社は、那智大滝の神を「大己貴命」、つまり、出雲大神としています。また、滝山寺の御詠歌には、「大三島西国第一番台[うてな]の瀧山」とあり、これは、熊野那智(那智山青岸渡寺)が西国三十三観音巡礼第一番札所であったことを擬したものでしょう。「入日の滝」の滝神が、熊野那智の滝姫神を投影させたものであることは明らかで、熊野那智の滝信仰が、大三島の「入日の滝」にはまるごと再現されているようです。
 
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▲滝山寺本堂と御詠歌
 
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▲滝山寺本尊
 
 三嶋龍神の「雨」を司る神格は大山祇神社境内の「宇迦神社」にみられ、三嶋龍辰梁豕椰澄β貎世箸靴討凌棲覆蓮崙日の滝」にあるとみられます。
 滝山寺は、かつての瀧本坊を再興したものだろうという仮説を、ここに記しておきます。
 この大三島の滝は、その命名を「飛沫が夕陽に映じて美観を呈する」ことに拠っているとのことです。ここで想起されるのは、『古事記』の天孫降臨段における、ニニギのことば──「此地[ここ](竺紫[つくし]の日向[ひむか]の高千穂[たかちほ]の久士布流多気[くじふるたけ]…引用者)は韓国[からくに]に向ひ、笠沙[かささ]の御前[みさき]に真来[まき]通りて、朝日の直刺[たださ]す国、夕日の日照[ほで]る国」でしょうか。『古事記』の表現にならえば、入日の滝は「夕日の日照[ほで]る」滝となります。「笠沙の御前」には、天孫に国譲りをすることになる「大山津見神」がいます。
 因果な話となってきました。わたしが訪ねたときは滝の水量はわずかでしたが、それでも、この「夕日の日照る」滝に、大三島の最重要な神の姿を投影させることはじゅうぶん以上に可能でした。
 
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▲夕日の日照る滝──入日の滝

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