千時千一夜

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 円空にとって高賀山での滝大明神(瀬織津姫神)との出会いは、この神を終生の信仰的伴侶とする大きなきっかけとなったのではないかとわたしなどは考えています。
 また、高賀山六社のうち、現在確認できるという条件でいっても、たとえば高賀神社や星宮神社には平安期の男女神像が所蔵されていて、円空の最初期の彫像(天照皇太神と阿賀田大権現という男女神像)に明らかに技法的な影響を与えているようです。彼はその後も天照皇太神像をいくつも彫ることになりますが、これらがすべて鬚をはやした男神像であることはよく知られるところです。
 円空は天照大神という神を明らかに男神と認識していたわけで、この男系・天照大神と一対となる女神(高賀山滝大明神と同神)の存在も当然ながら熟知していました。しかし、これらは神道世界においては秘神・秘祭化されることが歴史的な常態といってよく、それは高賀山信仰圈では「乙狩之社」を唯一の例外とするも、高賀山他社においてもいえます。
 円空にとって、信仰的故郷として高賀山があったことはまちがいありませんが、乙狩・滝神社の神のおかれた立場をおもえば、円空の心中、おだやかならざるものがあったと想像されます。
 高賀山の山域には円空の修行場がいくつもあります。たとえば、星宮神社近くの山中には、円空岩、円空洞と伝えられる、おそらく円空一人のための行場があります。
 円空岩の前は清流で、籠るときの水の確保は容易だったでしょう(写真1・2)。円空洞は、案内によれば(写真3)、洞の横には約十メートルほどの滝もあったようです。ここも水を得ることに不自由はなかったでしょう。わたしが円空洞を訪ねたときは、滝跡しか確認できませんでしたが(写真4)、円空のおもう滝神(高賀山滝大明神)は「心の声」とともにありましたから、この小さな滝にも自らの「心の神」を投影していただろうことはまちがいないものとおもいます。
 北ははるか蝦夷地(現在の北海道)にまで、円空は美濃国から彫像行脚をしていて、彼が彫る、特に十一面観音は、各地で秘神・秘祭化された山岳霊地の神、つまり「心の神」の鎮魂供養のおもいから彫られたものでした(円空の、この鎮魂供養を主眼とする全国行脚の旅の追跡は『円空と瀬織津姫』に譲ります)。
 円空は、幾度も高賀山へもどってはまた彫像の旅に出ることをしていました。そして、最晩年、すべての鎮魂供養をなした自覚のもと、「入定」の心準備のために千日籠ったのもやはり高賀山でした。円空の「旅」は、高賀山にはじまり高賀山におわるといっても過言ではありません。
 ところで、「滝の権現」(熊野の滝神)は、自分は高賀山に「幾世久しくわれありと知れ」という「御神歌」を残していました(美並町・熊野神社)。
 この「滝の権現」は、乙狩の滝神社においては「高賀山滝大明神」といわれ、悪魔祓いの弓矢の神といった性格が強調されていました。高賀山に、この神は「幾世久しくわれあり」でしたから、現在、たとえ瀬織津姫祭祀が高賀神社から表面上消えているとしても、そこには、この神の祭祀痕跡がなくてはなりません。
 高賀神社には、文化九年(一八一二)九月吉日の(改書の)日付をもつ「高賀宮記録」という由緒書があります。巻末には、「文治二年(一一八六)四月改書写」にはじまる書写の歴史が列記されていますが、そこには、次のように記されています(「高賀癒しの郷」HP)。

永正十四年六月二十三日夜大火で、蓮華峯寺、護摩堂、諸堂坊三ヶ寺悉く焼失。同年八月十五日弓矢神の祭りに立ち会ってこれを記す。

 永正十四年(一五一七)八月十五日という放生会の日に「弓矢神の祭り」がなされていたようです。また、文化九年九月吉日の項にも、次のようにあります。

この書は大般若経の中にあったので久しく見る人が無く、今年の八月中旬より弓矢のお祭りでこれを見れば、高賀宮の記録であった。神社伝来の宝物等を失った事を憂いて今般表紙箱を求めてお宮に奉納した。〔後略〕

 ここでは「八月中旬より弓矢のお祭り」とあります。江戸期までのことですが、高賀神社には「弓矢神の祭り」「弓矢のお祭り」が確認でき、「滝の権現」の「御神歌」(託宣)はどうやらでたらめではなかったようです。
「高賀宮記録」の内容から、この「弓矢神」の祭祀をさぐってみますと、次のような記述が眼にとまります。

若宮は、福部ケ岳へ降臨した神が、下津盤根の河原の辺りで弓を作って来るように言われ、この弓をご神体として、甲弓山鬼大王神、月弓の神、八幡大神ご本神として鎮座、この宮を高賀宮弓矢の神社と言う。天暦元年正月二十八日に遷宮。
高賀宮弓矢之神社 号高賀山若宮大明神

 乙狩の高賀山滝大明神(悪魔祓いの弓矢の神)は、「甲弓山鬼大王神、月弓の神、八幡大神ご本神」といくつもの名で記されるも、この神は「高賀山若宮大明神」と号され、「高賀宮弓矢之神社」にまつられているようです。
 それにしても「甲弓山鬼大王神」とは鬼神に対する最大級の讃辞を込めた神名でしょうし、「月弓の神」は月読神、つまり月神をいったものでしょう。また、この月神が「八幡大神ご本神」でもあったとしますと、この「ご本神」は宇佐神宮(宇佐八幡)の比売大神を表していることになります。
 熊野の「滝の権現」、つまり「高賀山滝大明神」こと瀬織津姫神は、宇佐(八幡)の比売大神でもあったことはすでに、これも秘伝史料(「鎌田家文書」)が伝えていることでした。また、宇佐の比売大神は月神であり宇佐氏の祖神であるとは、宇佐大宮司家の末裔・宇佐公康氏が語っていることでもありました(『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』木耳社)。
「高賀宮記録」は、弓矢神の名として瀬織津姫神の名を書き記すことはしていなかったものの(高賀山滝大明神としては記載)、神道世界、あるいは神道の裏世界にある程度通じている者にはわかるように、異称を列記するという仕掛けをしていたようです。
 甲弓山は高賀山の転かどうかはともかく、「鬼大王神」は、一方で鬼神でありながら、一方で悪魔祓いの弓矢神でもあるという両義性をもつ神とみられ、この両義性は、「粥川鵼[ぬえ]縁起神祗大事」において、すでに円空が把握・認識していることでした。
「甲弓山鬼大王神、月弓の神、八幡大神ご本神」つまり「高賀山若宮大明神」をまつるのが「高賀宮弓矢之神社」でしたが、では、この「弓矢之神社」は、いったい高賀神社内のどの社をいうのかという問いも浮かんできます。
「高賀宮記録」は、高賀山信仰の関係社を、以下のように列記しています。

高賀宮 高賀神社大本宮
高賀宮 高賀山若宮大明神
磐座社 高賀山峰児大明神
雲居社 高賀山地蔵嶽大明神
大平社 高賀山福部ヶ岳大明神(別所六ヶ所)
菅谷社 高賀山矢作大明神
乙狩社 高賀山滝大明神
形智社 高賀山蔵王大明神
粥川社 高賀山星宮大明神
藤谷社 高賀山本宮大明神
岩屋社 高賀山新宮大明神     末社百三十七社也

 高賀宮(高賀神社)は「高賀神社大本宮」と「高賀山若宮大明神」(高賀宮弓矢之神社)の二社で構成されていることがわかります。
 元禄九年(一六九六)の高賀神社の社殿図(洞戸村教育委員会『ほらど村の円空』所収)をみますと、向かって左の「八幡宮社」と右の「虚空蔵社」が並祭・一対の形式で大きく描かれています。『洞戸村史』は「神社本殿には御神体の男女神像二躯がある」と書いていましたが、同社案内には、この男女神像をまとめて「高賀権現」としています。並祭社殿は、この一対の男女神像に対応するものとみられます。
 江戸末期の「高賀宮記録」では、元禄時代の八幡宮社が高賀山若宮大明神へ、虚空蔵社が高賀神社大本宮へと表記変更され、つまり、神仏混淆を廃して神道化された表記に変更されていることがわかります。高賀山若宮大明神は「八幡大神ご本神」とも説明されていましたから、八幡神の祭祀は江戸期を通して継続していたこともわかります。
 現在の高賀神社をみますと、その本殿も実は二殿構成で、高賀山若宮大明神は、向かって左の社殿をいいます。「平安末の作」とされる「御神体の男女神像」が「高賀権現」とみなされていることに高賀山祭祀の本質はありますが、それを示唆するのは並祭社殿のみというのが現在の姿のようです。
 ただ、神仏習合時代における高賀山をみますと、本殿横には蓮華峯寺という別当寺があり(明治期に撤去)、案内によれば(写真5)、この寺は「行基作の大日如来を安置するための本地堂」だったとのことです。また、ここには「天暦元年(九四七)の銘が入った十一面観音」もまつられていました。乙狩神明宮の本地仏は大日如来、乙狩滝大明神のそれは十一面観音(と不動尊)でしたから、高賀神社にも同系の、つまり一対となる神々の祭祀があったとみることができそうです(写真6〜9)。
 それはともかく、高賀山滝大明神(瀬織津姫神)は、その名を幾重にも伏せられてはいるものの、高賀神社本殿(右殿、向かってならば左の社殿)にまつられていることはたしかなようです。参道・社頭の鳥居とはちがって、本殿(二殿)前の鳥居がともに神宮と同形式の鳥居であるというのも示唆すること大きいといえましょう。
 ところで、瀬織津姫神は、かつては熊野本宮および那智・滝宮の神でもありました。神仏混淆時代は熊野三山・三所権現の「奥の院」、現在は「熊野奥宮」といわれているのが玉置神社です(奈良県吉野郡十津川村玉置川1)。
 熊野三山・三所権現のうち二山・二所に瀬織津姫神の祭祀がかつてあって、その「奥の院」「奥宮」と、この神の祭祀がまったく無縁とはとうてい考えられません。玉置神社の現祭神は、国常立尊ほか伊弉諾尊・伊弉冊尊・天照大神・神日本磐余彦尊とされますが、玉置神社には、その例大祭(十月二十四日)に奉納される「弓神楽」という特殊神事があります。これは祓いの神事でもありますが、この「弓神楽」で詠われる歌詞が、御神符(お札)に、次のように記されています。

  熊野成玉置宮弓神楽弦音須礼波悪广退散
  (熊野なる玉置の宮の弓神楽弦音[つるおと]すれば悪魔退散[しりぞ]く)

 歌詞中「熊野なる玉置の宮」は「大和なる玉置の宮」と詠われる場合もあるようですが、いずれにしても、高賀山乙狩の悪魔祓いの弓矢の神(高賀山滝大明神)は、熊野奥宮・玉置神社においては、弓神楽の奉納神事に詠まれる悪魔退散の弓神と過不足なく重なってきます。
 瀬織津姫神が神宮(伊勢)で秘祭神化されて千三百年ほどたちますが、この神についての理解は長く深い霧に閉ざされてきたものの、江戸時代初期、おそらく千年に一人ともいえる希代の深き理解者として円空が登場してきます。円空創作の縁起と歌が放った「神通し」の矢は、はるか熊野の奥宮にまで届いていたようです。

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