
北上川の実質的源流山が七時雨[ななしぐれ]山ですが(写真1)、この山の西麓に鎮座するのが桜松神社です(八幡平市荒屋新町字高畑89)。ここは、不動尊を「本地仏」とする瀬織津姫祭祀で、列島最北部に確認できる社でもあります。「平成の大合併」で八幡平市となりましたが、以前は二戸郡安代町でした。
岩手県神社庁編『岩手県神社名鑑』(昭和六十三年刊)には、由緒等が次のように記されています。
櫻松神社
通 称 お不動様 旧社格 郷社
鎮座地 二戸郡安代町荒屋新町字高畑八九
祭神 滝津姫命
例祭 五月三日
由緒
元和元年(一六一五)現宮司村上家の祖先がこの地に不動明王を祀りし時より始まる。明治の初めまで櫻松不動明王として尊崇し奉仕してきたが、明治初年(一八六八)宮司村上藤之進が神社を創立し祀官として奉仕す。
明治四年(一八七一)郷社に列せられる。
境内地 二、九六三坪
宝物 絵馬
氏子 五〇〇戸
崇敬者 一〇、〇〇〇人〔後略〕
氏子「五〇〇戸」を抱えるというのは、それなりの規模で、それゆえ、戦前の社格が村社より一つ上の「郷社」と認定されたのでしょう。しかし、その代償というべきか、祭神を瀬織津姫命ではなく「滝津姫命」と表示することになり、名鑑にまで、この祭神表示が踏襲されているようです。
もっとも、滝津姫は宗像三女神の中心神・湍津姫と同音同義ですから、これはこれで、なかなかしたたかな祭神表示と読めなくはありません。
現在、社を訪問してみれば歴然としていますが、大きな一の鳥居をくぐって安比[あっぴ]川にかかる橋を渡ろうとすると、次のような歌碑が出迎えるように、瀬織津姫の名は公然とわかるようになっています(写真2・3)。
すゞやかな瀬織津媛のいざ奈ひに朱の匂う橋渡り行く奈里
(すずやかな瀬織津媛の誘[いざな]いに朱の匂う橋渡り行くなり)
神域の静寂な杜の参道を進んでいきますと、縁結びの木やら小さな祠があります(写真4〜6)。この小さな祠は「鏡」を前立てとしているようで、ここはかつて不動尊と習合していた「神」の祠かなとおもって近づくと、祠の横には真っ黒な蛇(マムシ)がいて驚きました。奉納されている絵馬にも黒い蛇が描かれていて、この黒蛇が祠の神を護っている印象を受けます。
さて、かつての「櫻松不動明王」の祭祀の名残りで、滝の横には「不動堂」の看板を掲げた社殿(お堂)があります(写真7)。この「桜松」という名称については、名鑑の由緒には説明がありませんが、これは、次のような伝説に基づいています(『岩手の伝説を歩く』岩手日報社)。
昔、荒屋が里の高畑村に、おじいさんとおばあさんが住んでいた。ある日、二人が川に水くみに行くと、川上の松の木に、桜の花が咲いているのが見えた。不思議に思った二人は、川沿いに上って行くと、川が二またに分かれた。
右の川底にきれいな姫が映って見えたので、そちらに進んで行くと滝があった。おじいさんは、荘厳な滝の力強さに不動明王の姿を、おばあさんは白糸の機を織る姫の姿を感じて、不動明王と瀬織津姫をまつった。それからお不動さん、桜松さんと呼ばれるようになったという。
不動明王と瀬織津姫が「滝」の二様の化身の姿であることを、これほど美しく伝説化した話はほかに聞いた(読んだ)ことがありません。瀬織津姫は伊勢の桜神でもありましたから、この伝説の作者(おそらく修験者)は、伊勢と熊野双方の神まつりをよく認識していたものとおもわれます。
さて、桜松神社「不動の滝」に、その荘厳な力強さに不動明王の姿を感じるか、あるいは、白糸の機を織る姫の姿・瀬織津姫を感じるか──。
滝横に、不動明王が番人のように睨みをきかせている姿は各地の滝にみられますが、ここも同じくで(写真9)、わたしには、滝神・瀬織津姫の前に立って(座って)、この姫神をそれとなく守護しているのが不動明王かなというイメージをもっています。
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