
延長五年(九二七)に成る『延喜式』神名帳の陸奥国気仙郡には、理訓許段[りくこた]神社・登奈孝志[となこし]神社・衣太手[ころもだて]神社の三社が記載されています。これらは「気仙三座」とされるも、その元の祭祀地は不明、現在、三社まとめて氷上神社(冰上神社)とされます(陸前高田市高田町)。
氷上神社の社頭には、石川啄木の「命なき砂のかなしさよさらさらとにぎればゆびの間よりおつ」という歌碑が建立されています。また、境内の神池の小島には朽ちかけた祠ではあるものの、まるで弁財天(厳島神・宗像神)の祭祀のごとくに、なぜか信州の「戸隠神」(戸隠ノ明神)が勧請されてまつられています(写真1〜4)。
それはともかく、氷上神社は、本殿の東御殿に衣太手神、中御殿に登奈孝志神、西御殿に理訓許段神をまつり、「郷民氷上山を信仰の聖地として、三峰理訓許段・登奈孝志・衣太手の三宮を鎮祭し、氷上霊峰と称え尊崇す」とのことです(『岩手県神社名鑑』)。延喜時代、氷上山は「気仙山」と呼ばれていましたが、この氷上山頂の三宮に対する里宮として、現在の氷上神社はあるようです。
祭神の衣太手神・登奈孝志神・理訓許段神ではどんな神様かわかりませんので、衣太手神=天照太神、登奈孝志神=稲田姫神、理訓許段神=素戔嗚神とも表示されるようです。出雲ゆかりの二神が配されているのは興味深いところですが、これは、昭和十七年に発行された『冰上神社』(氷上神社社務所)に記載された神名です。『陸前高田市史』第七巻によりますと、こういった記紀の神名を気仙三座にあてようとした最古の文献は、文化十二年(一八一五)四月に京都・吉田家に提出した「差上候社記」です。同年暮れには神道裁許状と免許状が下され、勅許の名のもとに「氷上三社大明神」は「正一位」の神階を得ることになります。
しかし、市史は、「当氷上三社の由来については、気仙郡三座の「理訓許段神社」「登奈孝志神社」「衣太手神社」に比定する論争は、実は藩政時代からその賛否をめぐって、多くの学者によっておこなわれている」と、その賛否両論の説を紹介しています。
この両論の説の詳細はおくとして、氷上神とはなにかを考える上で参考になりますので、市史のまとめの記述を読んでみます。
「ひのかみ」「ひかみ」は火神、更には氷上に通じている。「日神」とあるのが『気仙風土草』、「火伏之神」と記しているのが『邦内風土記』、そして「水徳鎮火之神」としているのが『邦内名蹟志』である。そしてまた、最近まで氷上神社の神札を氏子の各家では、これを授けられ、火除けの神札として台所のカマド付近に貼る風習があったことは、地元住民のよく知るところである。
氷上神は「日神」「火伏之神」「水徳鎮火之神」の三説によって語られる神のようです。しかし、同社氏子(地元住民)の信仰を元にすれば、氷上神は「火伏之神」「水徳鎮火之神」というのが生活の実感に根づいた神徳とみられます。
文化十二年(一八一五)初見の氷上三神(天照太神・稲田姫神・素戔嗚神)が、その後の氷上神社祭神として現在に至るのですが、江戸時代初期、まさに「水徳鎮火之神」を奉祭する分社が創建されます(奥州市江刺区梁川字舘下)。その名も氷上神社といいます(写真5〜9)。
ここは、室町時代作の聖(正)観音との同居祭祀がなされていましたが、神社の由緒標識には、以下のように意外なことが記されています。
元和三年(一六一七)気仙高田氷上神社より分霊奉遷 祭神瀬織津姫命
本社・氷上神社は、明治期を待たずに自社祭神から瀬織津姫命の名をはずしたようですが、分社・氷上神社は、この祭神の名を現在にまでよく伝えたものです。
『岩手県神社名鑑』によりますと、本社・氷上神社境内社の項には、雷神宮・稲荷神社・清神社・道祖神社・風宮神社・八千矛神社・森神社・御禊神社の八社が記載されています。分社祭神の瀬織津姫命がまつられる社として考えられるのは、その最有力社としては「御禊神社」、次に「清神社」の可能性がありますが(境内社としては不記載の戸隠社もありえますが)、いずれにしても、氷上神社のかつての祭神であった瀬織津姫命の名は、本社祭祀からは消えています。
これも「陰気」の話の一つですが、各地に散見された明治期以降の露骨な「陰気」は、その前へさかのぼっても確認できることを、この分社・氷上神社は告げているようです。
本社・氷上神社の由緒記録からは消去されるも、気仙川河口流域には、かつて、瀬織津姫命の祭祀があったことは事実とみられます。この神の祭祀を、もし延喜式内気仙三座(氷上三社大明神)のいずれに比定しうるかを想像しますと、やはり衣太手神社が相当するのかもしれません。そうおもう理由は、この衣太手神が「天照太神」とされていること、および「衣太手[ころもだて]」という社名・神名が「機織」とゆかりありそうだとおもわれるからですが、むろん、このことに強くこだわるものではありません。
ところで、分社・氷上神社境内には、「憲法公布記念」と刻まれた「大年神」の石碑が建立されています。これは全国的にみてもとても珍しい石碑ではないでしょうか。「憲法公布記念」には、日本の歴史上、初の民主社会(民主憲法をもつ社会)の到来を寿[ことほ]ぐ意識が刻まれているとおもわれます。それにしても、なぜ「憲法公布記念」として「大年神」(男系太陽神「日神」・稲作初源神の異称神名)が、瀬織津姫を祭神とする神社境内に勧請・建立されるのかを考えますと、これはとても意味深長だなとおもえてきます。石碑建立者は、日本の民主社会到来を「記念」して、それまでの瀬織津姫命の単独神祭祀に、かつての伴侶神を奉納(プレゼント)したものともみられるからです(岩手県紫波郡・早池峰神社の項を参照)。
分社・氷上神社の氏子衆あるいは関係者に、こういったリベラルな信仰・感情があったことと、自社祭神を本社のように変更することなく現在まで伝えてきたこととは、おそらく無縁ではないのでしょう。
源流部から河口流域まで、瀬織津姫祭祀の影や思い(信仰)が濃厚にみられる「気仙川」です。
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