|
新聞広告による問い合わせ等の対応も一段落したようです。なかにはかなりきわどい(?)やりとりもあって、まったく「退屈」しません。
ところで、不動産世界の素人にとって、土地を売買するには、信頼できる不動産業者とどう出会うかが最大のポイントなのかもしれません。たとえ小さな土地でもいざ売買となればそれなりの「お金」が動きますから、いろいろな思惑を秘めた関係業者と面談したり査定を依頼したりと、円空や瀬織津姫を語ることとはずいぶんと遠い日常世界に浸かっています。
あれこれ検討した結果、ここなら任せてよさそうだとおもえる不動産業者と出会い一安心したら、土地所有者の名義人に死者の名が残ったままだと指摘され、数年ほど前にこの世から卒業した死者(父親)の名義を書き替えるために、今度は司法書士という、これも未知の世界の人とコンタクトをとることになりました。
換金可能な土地があったことはさいわいというべきで、これはあとあと風琳堂の出版軍資金にするつもりですが、その前に、風琳堂の経営体質をスリムにすることにしました。具体的には、商法登記の「株式会社風琳堂」から「株式会社」を削除しようということなのですが、司法書士の方のアドバイスによれば、土地の整理をする前にそれはしておいたほうがよいとのことで、なにやら慌ただしさが加速したようです。
土地の整理(→移転)に加え、法人組織を解体(解散)することになり、これらの慌ただしさを「現実三昧」と命名しました。当初は法務局と相談し、法人解体を自分の手でやろうと試みてみましたが、用意すべき資料や手続きの煩瑣にすぐにギブアップしてしまいました。
風琳堂は1984年にオープンし、1993年に法人化したという経緯があり、現在までのいくつかの経営危機のたびに、これもさいわいというべきですが、どこからか必ず応援者が現れてくれて窮地を救われることを繰り返してきました。一般的にいえばですが、出版経営を潤沢に成り立たせるにはもっとも困難とされる学芸書を、出版企画の中心からはずさずにきましたから、自ずと累積赤字を抱えるという経営体質となります。
また、なによりも法人(会社)経営者としての資質・性向がわたしに致命的に欠如しているという問題もあります。風琳堂の累積赤字の最初は、法人化した二年後あたりからはじまっていて、その前の自営業時代にはほとんど経験のないことでした。身の丈に合った出版をしていたということですが、では、なぜ法人化したのかといいますと、それは、一言でいえば、つくった本の書店への流通をよくするため、でした。
出版社と書店の間には問屋(出版取次)があって、その大手取次と契約交渉に東京へ出向いたときに、こちらが「法人」であることを条件に出されたという経緯があります。これは、結果的に「騙された」となりますが、一旦法人にしてしまうと、解体(解散)にも相当額が必要との税理士の意見で、今日まできました。
またもや応援者の出現があって、タイミングとしては、「今」しかないだろうということです。この法人整理に関わる背後の出版状況も大きく変化してきていて、本の購読者は書店ではなく読者であるという出版原点を再考することになりました。
出版編集者にとって、つくった本(の一割にしても五割にしても)が書店→取次からボロになって返ってくるというのは本の廃棄を意味し、これは精神的にはかなりダメージがあります。このことは経営的にも同じですが、こういった既成の本の流れを絶つ必要を感じて、およそ十年前に、返本を自明とする書店への本の委託流通(書店営業)を取りやめました。『エミシの国の女神』からです。
書店から風琳堂の既刊本が完全に消えるまでに一年余かかりましたが、当初は、書店を探しても本がないということで、いくつか苦情もいただきました。その理由を知りたいという読者にはその都度説明するようにしていましたが、おそらく現在では、風琳堂の本は書店には置かれていないことが当然になっただろうと(勝手に)判断しています。
返本のない出版を『エミシの国の女神』で実験的にはじめてみて、風琳堂の累積赤字は別としても、この本から黒字に転じました。書店に本が置かれることがなくても、出版は可能であることを確認できたことにおいて、この本は画期だったなとおもいます。『円空と瀬織津姫』にしても、およそ二年で出版経費の回収のメドが立ちましたから、ここで読者にあらためてお礼を申し上げておきます。
ところで、現実的な人間の信頼関係は連鎖するようです。逆もありで、最近は瀬織津姫関係でこれを経験していますが、それはともかく、信頼できる不動産業者から司法書士へ、そして税理士へと、信頼に足る人たちの連鎖的な出会いに驚いています。わたしの生活習慣からは異分野の人たちばかりですが、それぞれの分野で誠実に、かつ一家言をもち自立的に世間と渡り合っている姿勢がいいです。要するに、一緒にお酒をのんで旨いとおもえる人間の対等関係は、案外あるようでないのかもしれません。
現実三昧の日々でしたが、読者から盗作問題の指摘をいただきました。むろん、わたしが盗作しているのではなく、この千時千一夜の記事が露骨に盗作されているということです。これについては、稿を改めて書きます。
|

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ



