千時千一夜

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 宗像大神の三分神化(三女神化)を記した最古の文献は『古事記』(七一二)、つづいて『日本書紀』(七二〇)ですが、異称化・分化された三女神が、『記紀』が語るように神代から三所三宮にまつられていたわけではありません。もともと一柱であった祓戸大神が『延喜式』に収録される祝詞(「六月晦大祓」)のように三分神化(三女神化)されたのは大宝律令制定の頃(七〇一)とみられ、それと遠くない時期に朝廷内で構想されただろうことが仮説的に想定されます。
 宗像大神が三分神化されたことを認めるのは『宗像神社史』(上巻)も同じくで、その時期の特定への言及は避けるも、次のような仮説推定は傾聴に値します。
 
西海道風土記逸文には「宗像大神」の神体[かむざね]が三島に分置奉安されたといふ伝承を記すが、これは日本書紀に三神を称して「道主貴」といひ、「海北道中」に鎮め奉つたといふ所伝のあることに思ひをいたせば、宗像大神は海北道中の道主貴として、三所に鎮座せられ、且つ三所でそれぞれ祭祀の行はれたことを意味する。これが恐らく最も古いありのまゝの姿であつたかと考へられる。
 
 もともと三所に鎮座していた宗像大神に三つの神名を付与した最古の文献として『古事記』がありますから、まずは当該の記述を読んでみます。
 
各天安河を中に置きて宇気布[うけふ]時に天照大御神、先づ建速須佐之男命の偑[は]ける十拳劒[とつかのつるぎ]を乞ひ度[わた]して、三段[みきだ]に打ち折りて、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌[すす]ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹[いぶき]の狭霧[さぎり]に成れる神の御名は、多紀理毘売命。亦の御名は奥津島比売命と謂ふ。次に市寸島比売命。亦の御名は狭依比売命と謂ふ。次に多岐都比売命。〔中略〕
多紀理毘売命は、胸形の奥津宮に坐す。次に市寸島比売命は、胸形の中津宮に坐す。次に田寸津比売命は、胸形の辺津宮に坐す。此の三柱の神は、胸形君等の以[も]ちいつく三前の大神なり。
 
 ここには、宗像大神が三分神化された神名ばかりでなく、奥津宮(沖津宮)・中津宮・辺津宮という社号までが明記されています。これは『日本書紀』も同じくなのですが、ここで気づくのは、辺津宮の地における中核的祭祀場(宗像大神降臨の地)としては、すでに高宮があったということです。高宮は、正確には宗像山頂の上高宮と山麓の下高宮を総称しますが、『記紀』の神話作者は、辺津宮の地における宗像祭祀にとって最重要な高宮を、まったく記すことをしていませんでした。
 ここで想定しうるのは、八世紀初め、つまり『記紀』が成る時代、高宮を辺津宮と見立てる認識があったということでしょうが、では、このとき、高宮=辺津宮の宗像大神とは何かという問いも連鎖して生じてきます。『古事記』は、ここでの宗像大神は多岐都比売命(田寸津比売命)と、異説を記すことなくシンプルなものでしたが、『日本書紀』となりますと、辺津宮神はさまざまに記されることになります。曰く、本文では市杵嶋姫、一書(第一)では田心姫、一書(第二)では湍津姫、一書(第三)では田霧姫といった具合です。このように錯綜とした異伝を並べることで、『古事記』のシンプル表記を相対化、あるいは曖昧化することに腐心している感さえうかがえます。
 高宮=辺津宮の神を一つみるだけでも、宗像祭祀における祭神配置の錯綜感は半端ではありません。いきおい日本の「正史」とされる『日本書紀』の本文表示を採用して、祭神不定に決着をつけることになりますが、『宗像神社史』(上巻)は、その決定経緯について、次のように書いています。
 
明治以降は官社祭神考証の説によつて、表記名こそ異なれ、古事記の説を採つて、当社の祭神としてきた。しかし、当社の由緒の研究が進められるにともなつて、奈良時代以降千余年間公辺において認められ、かつ当社古来の伝承とも符合する日本書紀本文の説が、再吟味されることとなつた。こゝにおいて、昭和三十二年八月二十日、当社は神社本庁統理鷹司信輔の承認を得、当社の祭神は記紀二典の優劣によつて、これを決定するのでなく、鎌倉時代以降、神社の伝統として、奉祀して来た祭神説にもとづいて、決定することとなり、併せて宮内庁掌典職にも届け出でて、その諒承を仰いだ。かくて当社の祭神の序列及び表記名は、
    沖津宮 田心姫神
    中津宮 湍津姫神
    辺津宮 市杵島姫神
として決定を見るに至つた。
 
 この三宮の祭神の「決定」は現在にまで踏襲されますが、神社史は、単純に『日本書紀』本文説に依拠したのではなく、「鎌倉時代以降、神社の伝統として、奉祀して来た祭神説にもとづいて、決定」したのだと主張しています。しかし、鎌倉時代以降の「神社の伝統」、その根拠となる文献こそ『宗像大菩薩御縁起』で、この縁起書にみられる祭神説が『日本書紀』本文にすでに依拠していましたから、結果は同じことといえます。
 まだしも、明治期の「官社祭神考証の説」、つまり『古事記』に依拠して辺津宮=高宮の祭神は多岐都比売命(田寸津比売命)とみなす説の方が、よほど妥当性があったのではないかとわたしなどは考えます。そう考えるのは、物部氏の手に成るとおもわれる『先代旧事本紀』に、得難い記述・伝承があるからです。
『先代旧事本紀』巻第四「地祇本紀」は、「(大己貴神が)先(に)宗像の奥都嶋に坐す神田心姫[たこりひめ]命(多紀理毘売命と同神…引用者)を娶りて一男一女を生む」、その子神を、『古事記』と同じく「味鉏高彦根神」と「下照姫命」とするも、つづけて、「高照光姫[たかてるひめ]大神」に関わる神統譜を記しています。曰く、「次に辺都宮に坐す高津姫神を娶りて一男一女を生む」というものですが、こちらの「一男一女」の一男は「都味歯八重事代主[つみはやへことしろぬし]神」、そして、その妹神(一女)が「高照光姫大神命」とされます。
 高照光姫大神の母神とされる「辺都宮に坐す高津姫神」なのですが、この神の異称は、次のように列記されてもいます(大野七三編・訓註『先代舊事本紀』)。
 
次に湍津姫[せつひめ]命亦の名は多岐都姫[たきつひめ]命亦の名は遺津嶋姫[をきつしまひめ]命。宗像の辺都宮に坐す。是海浜[わたつはま]に居所[ましませる]者[かみ]なり。
 
 辺都宮(=辺津宮)にいるとされる高津姫神です。この神名にみられる「津[つ]」は「〜の」と同意の助詞で、タカツヒメ(タキツヒメ)はタカノヒメ(タキノヒメ)の意です。それが、「湍津姫命亦の名は多岐都姫命亦の名は遺津嶋姫命」の異称をもっているとのことです。
 辺津宮はもともと高宮のことで、この高宮の姫神の意で「高津姫神」の表記はあったはずです。
『記紀』はいうまでもなく、宗像祭祀側の根本縁起書(『宗像大菩薩御縁起』)も記さなかった、タキツヒメ(タギツヒメ)の異称「高津姫神」の名を、物部文書といってよい『先代旧事本紀』一書のみがなぜ記しえたのでしょう。
 鎌倉時代末期に成るとみられる『宗像大菩薩御縁起』には、宗像祭祀の秘伝を受け継ぐ神官を特に「七戸大宮司」と呼んでいます。筆頭大宮司はいうまでもなく宗像氏(宗像滋光とされる)ですが、第二大宮司は物部福実とあります。
『古事記』は「此の三柱の神は、胸形君等の以[も]ちいつく三前の大神なり」と記していましたが、「胸形君等」の「等」には、物部氏同族の水沼[みぬま]氏ばかりでなく、物部氏そのものが「第二大宮司」として関わっていたことは重要におもえます。『先代旧事本紀』が宗像祭祀の内部にも通じていたのは、ここに物部氏も深く関わっていたからだとみるしかないようです。
 中央祭祀の視点からいいますと、宗像三宮祭祀は横並びであるはずもなく、その中心となる宮は、天応元年(七八一)に辺津宮惣社(総社)が創設されるように、また地勢的にいっても辺津宮(高宮)でした。その高宮の姫神をタキツヒメ(タギツヒメ)と記していたのが『古事記』でしたが(『先代旧事本紀』はセツヒメ)、皇大神宮における高宮竝宮(仮称、のちの荒祭宮)の祭神と同神が、そのまま記されることはあってはならなかっただろうと想像されます。『記』のあと「正史」として公刊される『日本書紀』が、辺津宮(高宮)の祭神をことさらに曖昧化せざるをえなかった必然的理由は、やはりあったというべきかもしれません。

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