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ところで、遠野三山・三女神伝説がつくられるのはいつご
秀吉の天下統一に貢献した信直が、紫波郡・和賀郡のほかに稗貫郡をも正式に拝領したため、岳妙泉寺(大迫妙泉寺・稗貫妙泉寺とも)は盛岡南部氏(祈願寺の永福寺)の支配下にはいります。円仁(慈覚大師)による早池峰祭祀の神宮寺としてはじまった遠野妙泉寺も永福寺の支配下にはいりますが、両寺の優遇度には露骨な差があったようです。『嶽妙泉寺文書』(花巻市教育委員会)の解題(小野義春氏)は、次のように書いています。
新義真言宗豊山派盛岡山永福寺は南部家の祈願寺であり盛岡藩の冠寺として城下寺院の筆頭に位置、岳妙泉寺はその支配下として席順は城下七箇寺目とされ、盛岡城においては御敷居内に入ることを許されたが、遠野妙泉寺は平土の座に据え
奈良・長谷寺を総本山とする新義真言宗豊山派で想起されるのは、郡山の宇奈己呂和気神社の神宮寺・護国寺も同派ということです。真言宗豊山派が二つの瀬織津姫祭祀に神仏習合的に関わっているのは偶然ではないようですが、それはおくとしても、遠野妙泉寺からすると、藩政時代にはかつての分寺の岳妙泉寺の下位におかれていて、これは、早池峰祭祀権にも影響を及ぼしかねない事態を想像させます。
早池峰はもともと太陽神と習合する薬師如来の山で、その早池峰の前立ての山といって
しかし、南部藩政時代になり
以上、遠野三山三女神伝説の創作動機を概覧してきましたが、わたしがここで問題にしてみたいのは、遠野側が決して一枚岩の祭祀思想を通したわけではなかったということです。なぜそうおもうかといいますと、三女神伝説では、遠野三山には母神・瀬織津姫神の分身・分神がいるとされるも、伊豆権現と早池峰山の信仰ラインにおいてはそれはいえるにしても、ほかの二山(六角牛
その揺らぎがもっともよくみられるのは六角牛山の祭祀でしょうか。
六角牛山には、その登拝口に二つの祭祀規模の異なる神社があります。また、社名についても、一つは六角牛神社、もう一つは六神石神社といっています。
大槌街道側からの登拝口にある六角牛神社には、その石碑に三女神伝説を刻んで、「遠野郷三山の三姉妹」の姉神を、敬意をもってまつるとして
一方の六神石神社は南の釜石街道からはいりますが、社殿は東方を拝むように建立されていて、その信仰ラインの先には六角牛山はないという特徴があります(六角牛山は社殿の北東に聳える)。また、現由緒では「六神石(ろっこいし)神社は、大同二年(八〇七)時の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷地平定のため人びとの信伏を願い、六角牛山頂に薬師如来、山麓に不動明王、住吉三神を祀ったのが始まり」としています。ちなみに、昭和十四年に発行された『岩手県神社事務提要』(岩手県神職会)には、同社祭神は「大己貴命、誉田別命」と記載されていて、六神石神社の祭神の不定性が目立ちます。
神社を訪ねてみますと、本殿の千木は平削ぎ、鰹木は四本で、これは一般的には女神の祭祀を告げるものですが、わたしが特に興味深くおもったのは、本殿の真裏にまつられる境内社が「大瀧神社」だということです。説明板には、次のように書かれています。
大瀧神社
祭神は日本武尊で、昔は不動明王と云いお不動様と親しまれて来た。
邪悪、病魔、災難を癈除し活気を与えて呉れる酉年生れの者の守本尊である。
御縁日 毎月二十八日
早池峰信仰圏、しかも遠野三山の一角を構成する六角牛山の祭祀で、不動尊(不動明王)と習合する滝神が「日本武尊」と表記されています。このザラザラとした読後感覚は何なのでしょう。
田村麻呂による滝神勧請を伝える社に、一関市滝沢の滝神社があります。同社由緒には「大同年間(八〇六〜八一〇)田村麻呂賊徒の強暴を鎮めんと祓戸大神を鎮祭して神威を仰ぎ滝神社を奉安」とあり、この滝神・祓戸大神は「瀬織津姫命」、つまり、早池峰大神と同体です(ブログ・岩手県「滝神社」参照)。
六神石神社は六角牛山を拝むようには建立されておらず、しかも、本殿真裏には大瀧神社をまつり、その大瀧神を「日本武尊」としているという奇異さが気になり、神社近くの古老に尋ねてみました。すると、六神石神社は四百年ほど前は別の所にま
こういう話を聞いてしまいますと、やはり訪ねないわけにいきません。目印はなにかありますかと尋ねると、六角牛山中の旧参拝道沿いに大きな一本杉があり、そこが旧社地だとのことです。
一本杉は初めてでもわかりそうだとおもいましたが、滝の場所については少し不安もあり、別の方に尋ねると、谷底の滝へ降りる道はたぶんわからないだろうからといって、親切にも案内してくれるとのことで厚意に甘えました。
六角牛山の大瀧(不動滝)の神が「日本武尊」であるはずがないと呪文のように心に呟いていましたが、旧社地の一本杉は中沢川沿いに聳えていて、この川の上流数百メートルのところに大瀧(不動滝)はありました。
旧参道(山道)から下をみながら歩いていきますと、谷底に大瀧神社の廃屋と化したような社殿と滝がみえてきます。たしかに道なき道でしたが、谷へどうにか降りると、小振りながらも品のよい滝で、山頂への参拝者が、かつてはこの滝で禊ぎをしてから登頂しただろうことはまちがいないと確信しました。
六角牛山にも、遠野三山三女神の母神である伊豆大権現(瀬織津姫神)の分神がいるとみてよく、遠野三女神伝説が、たんに伝説ではない祭祀を告げていることもみえてきたようです。
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