歌の掘り起こしハンター

ブログ始めました!60年代ー70年代のニューミュージックや歌謡曲のなかで、知る人ぞ知る名曲をセレクションして紹介するブログです。

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「歌の掘り起こしハンター」を、続けさせて頂きます。通算530回(姉妹ブログ「歌・掘りnext」含む)の今回は、[「歌詞に【眠れぬ】が出てくる」掘り起こしもの3曲]にしました。いつも通り、私(始発亭)の独断で選曲させて頂きました。
 
(1)一本の煙草(ガロ)
歌詞〉友よ その涙ぬぐっちゃいけない
   今は何もするな 何もするな
   久々に男二人 真夜中に
   指先をこがしながら吸う 一本の煙草
   愛のために 君は人柄も変ったが
   今日はまた元の君だと思えるよ
   ◇つかれたら眠れよ 【眠れぬ】ならつき合うよ
   だけど今は何もするな◇
  ◇〜◇繰り返し
 
   ガロは、堀内護、日高富明、大野真澄の男性3人組のニュー・ミュージック系
   グループで、1970年結成。
   1971年に「たんぽぽ」でレコード・デビューしますが、ほとんど話題になりませんでした。
   1973年「美しすぎて」のB面曲だった「学生街の喫茶店」が深夜放送や有線で人気を呼び、
   AB面を逆にして再発売したところ「学生街の喫茶店」が大ヒット!
   同曲がレコード大賞大衆賞を受賞したほか、同曲をひっさげて「紅白」にも初出場しました。
   その後も、「君の誕生日」(1973年)、「ロマンス」(同)ほかコンスタントにヒット曲を放ち、
   チケットの入手が困難な人気グループになりました。
   しかし、メンバーの音楽的意見の相違が表面化、
   ガロは12枚のシングルと8枚のアルバムを残し、1976年に解散しました。

   この「一本の煙草」は、1975年発売のシングルのA面曲で、
   阿久悠さんの作詞、荒木和作さんの作曲による歌。
   [悩み、苦しむ友人の相談にのっている主人公。
   ♪眠れぬならつき合うよ〜と、救いの手を差し伸べようとする・・・]
   その心情を淡淡と綴った歌詞と、その歌詞に寄りそうように創られたボサノバ調
   メロディ・ラインが特徴。
   [垣間見せる・・・元の友人に戻ったような心と表情を、
   嬉しく受けとめる主人公。元の間柄に戻ってくれた彼を支えたいと願う
   主人公]その純な気持ちが、彼らのハーモニーを通じてリスナーの心に
   ひしひしと伝わってきます。
   特に、サビの♪愛のために君は人柄も変ったが〜♪では、完成度の高い
   極上のハーモニーを披露!
   彼らの放つ“心地良い響き”が、改めてその実力の凄さを強く印象づけます。
 
    ◆日高富明さん
  甘いルックスで特に女性に人気があった日高富明さん、
  堀内護さんとの「2人ガロ」(1983年)や、
  ロックバンド「ゴジラ」(1985年)などに名を連ね、
  他の2人同様に積極的に音楽にかかわる日々をおくっていましたが、
  1986年事故死(マンションから転落)により他界されてしまいました。

  ◆堀内譲さん
  マークの愛称で親しまれた堀内譲さんも、
  2014年の12月に胃がんのためにご逝去されてました。(享年65歳)
  ◇◇あの心洗われる“ピュア”な3人のハーモニーを、
  もう・・・生では聴くことができないことが・・・残念でなりません。
 
(2)雨の中に消えて(舟木 一夫)  
歌詞〉悩みがあるなら語り明かそう
   涙はこっそり雨に流そう
   若さがあるから夢が生まれ 若さがあるから恋をする
   おお若さがあるかぎり 素晴らしい素晴らしい明日がある
   誰でも一度は通り過ぎてく
   愛して恋する 若い街角
   ひとりで 【眠れぬ】夜もあれば ふたりで泣きたい夜もある
   おお若さがあるかぎり 素晴らしい素晴らしい明日がある〜
   
   1963年デビュー曲の「高校三年生」の大ヒットで、青春歌謡のトップ歌手に
   躍り出た舟木一夫
   1966年発表の「絶唱」では、文学の詩のように格調高い新路線を打ち出した
   「絶唱」が歌唱賞を受賞する等、高評価を得ました。
   この歌は「絶唱」のカップリング曲で、デビュー当時のイメージを色濃く反映させた
   典型的な青春歌謡になっています。
   「明日にむかって生きよう」と、仲間を励ます歌詞を舟木一夫は自身の誠実な個性を
   存分に生かして、同曲を聴く人々に語りかけるように穏やかに歌い綴っています。
 
(3)もしかしたら(徳永 芽里)
歌詞)もしかしたらこの恋は 間違っているかも
   でも私は出来ないの 貴方を忘れることなんて
   もしかしたらこの恋は 間違っているかも
   でも私は好きなのよ 【眠れぬ】夜もある程に
   ◇せのびをしても ついてゆきたいの
   甘い口づけを初めてくれた人
   もしかしたらこの恋は 消えてしまうかも
   でも私は泣かないの 二人の思い出濡らすから
   ◇〜◇ くり返し
   
   徳永芽里は、マルチタレントの草分けで、1965年〜70年にかけて
   ラジオのパーソナリティ、歌手、女優として活躍しました。
   ラジオ番組は、「ヤングヤングヤング」(1965年ニッポン放送)ほか数本に
   レギュラー出演。映画も、「思い出の指輪」(1968年)「小さなスナック」(同)といった
   ヴィレッジ・シンガーズなどのGS主演映画に出演しました。
   音楽で最もヒットしたのが「あなたのすべてを」(1967年◇競作)で、
   ほかにも「今日も夢みる」(1965年◇万里村れいとザ・タイム・セラーズのカバー)、
   「枯葉の中で」(1972年◇上品チエのカバー)を発表するなど、
   歌手としても着実にキャリア・アップをはかっていきました。
   この「もしかしたら」は、1967年発売のEP「ただひたすらに」(TBS「志都という女」主題歌)の
   カップリング曲で、佐々木勉さんの作詞・作曲による隠れた名曲!
   [この恋は多分、実らない。そんな予感が次第に深まる乙女心]を綴った歌詞と、
   その歌詞にジャスト・フィット!したしっとりムードの曲という相性抜群の取り合わせが特徴。
   徳永芽里は、随所に哀愁感を漂わせつつ・・・[行きどまりの恋だから、なおさらときめく
   彼への愛を募らせてしまう]主人公の複雑な恋愛感情を、
   【ベルフラワー・ヴォイス】を駆使して、巧みに歌いきっています。
   特に、サビの♪せのびをしてもついてゆきたいの〜でののびやかかつ艶っぽい
   歌唱には背中がゾクゾク!(勿論いい意味で)、ついうっとりと聴き入ってしまいます。
   

 
 
   

  
「歌の掘り起こしハンター」を、続けさせて頂きます。通算529回(姉妹ブログ「歌・掘りnext」含む)の今回は[「歌詞に【気まぐれ】が出てくる」掘り起こしもの3曲]にしました。いつも通り、私(始発亭)の独断で選曲させて頂きました。
 
(1)CHANCE!(白井 貴子) 
歌詞〉さよならしたくないこのかがやきと まぶしくはじける気分 届けあなたへ
  【気まぐれ】な一瞬2人のせいよ wake up 今 心のまま
  Chance Chance Chance
    ときめきに愛をこめて 抱きしめてつかまえて
  思い出にしたくないの
  Chance Chance Chance
  めぐり逢ったこの時を 忘れないでずっとずっと
  I’ll take a chance tonight!
  Chance Chance Chance
  ときめきに愛をのせて はじけとんで もっと遠く
  なにかきっと待ってる
  Chance Chance Chance
  流れる時のままで サヨナラは言わないで
  I’ll take a chance tonight!〜
  
  白井貴子は1981年、CBSソニーのオーディションに合格して、レコード・デビューのCHANCE!を
  掴みました。
  ソロ活動と並行して、佐野元春のツアーのバック・コーラスに加わるなど、
  地道にキャリアを積み重ねていきました。
  その後、[白井貴子&CRAZYBOYS]を結成するなど、演奏スタイルをロック・シンガーへと
  シフトさせていきます。
  一時、渡英するなど、日本の音楽界と距離を置きましたが、1990年活動再開。
  以降、アルバム「LIVING」の発売(1999年)、コンサート・ツアー「NEXT GATE」を実施(2006年)する等、
  変わらぬ元気な歌声を聴かせています。
  
  この「CHANCE!」は、彼女が立ち位置をロック・ミュージックに変えつつあった1984年に発売した
  シングルで、もちろん本人の作詞・作曲による楽曲。
  [恋の標的がさだまったら、♪ときめきに愛をのせて〜心にままに押し進めるわ]と、
  恋に積極果敢にいどむ心情を綴った歌詞と、その歌詞にジャスト・フィットしたノリノリのメロディ・ラインとの
  見事なコンビネーションが特徴。
  白井貴子は当時、学園祭コンサートの顔として君臨![総立ちの女王]の異名をとった・・・
  元気ハツラツ!天まで届きそうな伸びやかな歌声を駆使して、
  [恋真っ只中に居て、大願成就目前のCHANCEを絶対にのがしたくない主人公]の
  “恋に賭ける意気込み(情熱)”を見事に表現しています。
  (その天井知らずの[ビートを効かせたヒートアップ熱唱]は、さす〜が〜!の一語)
 
(2)思い出通り雨(ふきのとう)
歌詞〉君の目は寂しそうに 遠くを見てる
  あの人を追いかけて 遠くを見てる
  思い出通り雨 も一度 降れ降れ
  【気まぐれ】 通り雨 優しく 降ってやれ
  君はただひとりぼっち ベンチに座る
  あの人と話した ベンチに座る
  思い出通り雨 も一度 降れ降れ
  気まぐれ通り雨 優しく 降ってやれ
  
  君は今 雨の中を歩き始める
  あの人を忘れようと 歩き始める
  ◇思い出通り雨 も一度 降れ降れ
  気まぐれ通り雨 優しく 降ってやれ◇
  ◇〜◇繰り返し

    ふきのとうは、1974年に「白い冬」でデビューした山木康世と細坪基佳のデュオ。
  「白い冬」がいきなり大ヒットし、一躍、叙情派フォークのトップ・グループに
  なりました。
  以降、「初夏」(1975年)、「風来坊」(1977年)、
  「春雷」(1979年)、「やさしさとして想い出として」(1980年)など、
  コンスタントにヒット曲を放ち、ライブ活動を中心にファンを拡大していきました。
  彼らの最大の武器は熱心なファンが多いことで、
  たとえばコンサート会場を満席にするためのプロジェクトをつくる場合、
  最も結束力が強かったのがふきのとうのファンでした。
  そうしたことも背景にあって、1978年には年間250本のコンサートを行うことが
  できたのだと思います。
  残念ながら1992年にファンの存続を望む声も届かず…解散。
  現在はそれぞれ、ソロ活動を行っています。
  
  この「思い出通り雨」は、1978年発売のシングルで、メンバーの山木康世の作詞・作曲。
  [あの人のことを必死に忘れようとしている女性。
  そんな女性をそっと見つめる主人公]
  彼女を陰ながら応援する・・・主人公のやさしいまなざしで綴った歌詞、
  その歌詞のイメージと異なる(ミス・マッチ感を抱かせる)
  ミディアム・テンポのメロディ・ラインとの組み合わせが、逆に新鮮な魅力を
  醸し出しています。
  メイン・ボーカルの山木康世は、歌詞を言葉を一語一語噛んで含むような
  丁寧な歌唱で、[ベンチに彼の面影を求めて座る女性が、
  ようやく決意して雨の中を歩き始めるまでのシーン]を、巧みに表現!
  [雨よ、優しく降ってやれ]と・・・女性の心の癒しを雨に託して祈る・・・
  男の父性愛&包容力を、聴く者の心に深く強く訴えかけていきます。
 
(3)あの頃のまま(ブレッド&バター)  
歌詞〉6時のターミナルでふりむいた君は
  板についた紺色のスーツ
  今でも 【気まぐれ】に街をゆく僕は
  変わらないさ ああ あの頃のままさ
  去りゆく若い時間を ひとり止めているようで
  うらやましいやつだよと はじめて笑ってくれた
  For Yourself  For Yourself  
    そらさないでおくれ その瞳を
  人は自分を生きてゆくのだから〜
 
  ブレッド&バターは兄=岩沢幸矢(通称=サッちん)と
  弟=岩沢ニ弓の二人組の兄弟デュオ。
  デビューは1969年の「傷だらけの軽井沢」(フィリップス・レコード)で、
  翌年発売のシングル「マリエ」がスマッシュ・ヒットし、
  ニュー・ミュージックで最も美しいハーモニーを聴かせるグループとして、
  広く認知されるようになりました。
  その後、岸部シローとのコラボレーションによって発表した
  「野生の馬」(1971年)、スティービー・ワンダーが楽曲を提供したことで話題を呼んだ
  「特別な気持ちで」(1981年/原題=I JUST CALLED TO SAY I LOVE YOU)等の
  ヒット曲を放ちました。
  この「あの頃のまま」は1979年にシングル発売されたもので、
  呉田軽穂さんの作詞・作曲。
  (ちなみに呉田軽穂は、松任谷由実が契約の関係等で
  本名での楽曲提供が難しい場合に使用するペンネーム。
  ◇往年の名女優=グレダ・ガルポからヒントを得たペン・ネームだそうです)
  この「あの頃のまま」の曲調は呉田軽穂さん得意のメロディアスな
  バラード・ナンバーで特に目新しい点はないのですが、
  歌詞が、彼女の作品にしては非常に珍しい男唄になっているのが
  大きな特徴!
  「♪うらやましいやつだよ」等、よく男同士で交わされるようなフレーズや、
  [♪ネクタイ少しゆるめ](ここでは実掲載◇2番の歌詞)と
  いった男が日常よくする仕種を巧みに歌詞に導入…
  久々に会った男同士が友情を温め合うシーンが、
  男目線で自然なかたちで描かれていることに驚嘆させられます。
  改めて、呉田軽穂さんの尋常でない洞察力の凄さに感動を覚えます。
  ブレッド&バターは[久々に会った友人と自分との“人生観の格差”に
  戸惑いを感じつつも、心の奥底ではつながっている・・・変わらぬ友情に
  喜びを見出している主人公]のピュアな気持ちを、語るように(気負うことなく)
  淡淡と歌い紡いでいきます。
  特に、サビの♪For Yourself  For Yourself 〜で聴かせる華麗なハーモニーは、
  主人公と友人の二人の友情を賛美しているかのごとく胸に響き…
  リスナーの心にハートフルな風をもたらしてくれます。
   

  
 
「歌の掘り起こしハンター」を、続けさせて頂きます。通算528回(姉妹ブログ「歌・掘りハンター」を含む)の今回は、[「歌詞に【つらい】が出てくる」掘り起こしもの3曲]にしました。いつも通り、私(始発亭)の独断で選曲させて頂きました。
 
(1)さだめのように川は流れる(杏[きょう] 真理子)  
歌詞〉その日、その日の川は眠そうに
  暗い都会をうつして流れてた
  さすらう二人
  ああさみしい心が求めあい
  ああ誰でもいいよな 恋だけど
  その日、その日の川は今日からの
  【つらい】 さだめのように流れていった
  ああホテルの窓辺に身をよせて
  ああことばもとぎれて見つめたら
  その日、その日の川はだるそうに
  さだめ、さだめのように流れていった〜
  
  杏(きょう)真理子は1971年に、この「さだめのように川は流れる」でデビュー。
  長い髪の良く似合う栗田ひろみ風美女で、歌は内藤やすこ風の
  魂(ソウル)炸裂歌唱というアンバラスさが魅力の個性的な歌手でした。
  大ヒットに至りませんでしたが、このデビュー曲で高い評価を得ました。
  この「さだめのように川は流れる」は阿久悠さんの作詞、
  彩木雅夫さんの作曲による楽曲で、[運命に翻弄される主人公の
  日々のやるせない悶々とした想い]を綴ったこの上なく暗い歌詞と、
  その歌詞とは真逆なギンギンといきり立つロック調のメロディ・ラインという
  アンバランスな取り合わせが魅力。
  このロック・ビートにのった超独創的な“怨歌”を、
  杏真理子は♪あの日のォ〜ォ〜川ァ〜ァ〜はァ〜眠そうに〜と
  独自のイントネーションを駆使して見事に歌いきっています。
  歌詞と歌詞の隙間にしのばせていく…けだるさは西田佐知子をほうふつとさせ、
  70年代の「アカシアの雨がやむとき」という印象。
  伴奏のエレキ・ギターの響きもこの楽曲を盛り立て、
  【ビート演歌】という表現がぴったりくる・・・
  特異な杏真理子ワールドを創り出しています。

  ◆杏真理子さん
    杏さんは、これからの活躍が期待された矢先…1974年4月9日に移住先の
  米国で死体となって発見されました。
  一節めから本人しか出せない音・声を表出できる天才肌の歌手だっただけに、
  今ご存命だったらどのようなビッグな存在になっていたかわかりません。
  それを思うと、本当に残念でなりません。
  (当時さまざまな憶測が流れましたが、ここでは殺害された事実のみに
  とどめておきたいと思います)
 
(2)結婚写真(エンドレスライス)
歌詞〉(樋口)【辛い】気持ち隠し 僕を勇気づけた
  だから君に伝えたい ちゃんとここにいると
  君はいま笑顔ですか 今夜の夢の中 あの星空で待ってる
 
  (村上)あなたを見葬った 空は青く澄んで
  悲しいはずの涙になぜか ぬくもりさえも感じてた
  あなたはなぜいないのですか
  こんなにも鮮やかな思い出だけを残して
  
  (村上)あなたはいま元気ですか
  (樋口)君はいま笑顔ですか
  (村上)こんなにも柔らかな (樋口)夢の中
  (村上)陽射しの下で逢いたい (樋口)星空で待ってる
  (村上)必ず逢える日が来る  (樋口)その日まで待ってる
  (村上)きっときっと信じてる (樋口)愛してる
  (二人)あの結婚写真のように〜
 
  エンドレスライスは、樋口了一(93年シングル「いまでも」でデビュー)と
  村上ゆき(2004年ジャズアルバムでデビュー)の二人が[ライブで意気投合して]
  結成したユニット。
  (ちなみに、その結成のきっかけとなったライブ[エンドレスライス&樋口了一
  バースデーライブ]が2月1日に、THEGLEE[神楽坂]で行われるそうです)
  
  この「結婚写真」は昨年10月発売のデビュー・シングルで、
  樋口了一さんと村上ゆきさん共作の歌詞、樋口了一さんの作曲による歌。
  [事故死した彼を今も愛し続ける女性と、その女性を見守る男性との
  愛の往来]を綴った歌詞と、映画音楽のようなしっとりとした美しいバラードという
  相性抜群のコンビネーションが特徴。
  エンドレスライスの二人は [この世とあの世を結ぶ壮大な愛の唱(うた)]を、
  時にメランコリック・ヴォイスで、時に悲しみを二人・・・乗り越えようとする
  パッション・ヴォイスというように、巧みな表現力を駆使して、
  見事に歌いきっています。
 
(3)さよならは云わないで(モダン・フォーク・フェローズ)  
歌詞〉さよならは云わないで とても  【つらい】から
  いつものように やさしく口づけしていってね
  さよならは云わないで やっぱりさみしいの
  ひとり歩きはこわいけど そっとしておいてね
  あなたの歌 わすれないわ
  さみしい時歌うわ
  私の事遠くで じっと
  やさしく 見てほしいの〜
  
  「さよならは云わないで」(1969年6月発売)は日本のカレッジ・フォーク初期の
  隠れた名曲のひとつ。歌唱のフォーク・グループ=モダン・フォーク・フェローズは、
  慶応大学在籍中に、この歌を吹き込みました。
  5人編成ながら、女性ボーカルと男性コーラスからなるP.P.M.イメージのグループで、
  メンバーの中には故・景山民夫氏も在籍されたそうです。
  [ちょっと一言:P.P.M.は女性1人、男性2人の3人組でした]
  カレッジ・フォーク史に燦然と輝く名曲「小さな日記」(フォー・セインツ)の作者である
  落合和徳先生が作詞・作曲したこの「さよならは云わないで」は、
  [恋にピリオドを打つ時期がきているのを悟った娘のつらい想い]を
  書き連ねた素朴な歌詞と、映画音楽のような流麗なメロディ・ラインが特徴。
  ボーカルの斑目展代は、言葉の一語一語に想いをこめて…
  ことばの糸でタペストリーを編み込むかの如く・・・やさしく丁寧に歌い綴っていきます。
  シンプル・イズ・ベスト!彼らの紡ぎ出す素朴なハーモニーが、
  リスナーの耳に・・心に・・や・す・ら・ぎを届けてくれます。
   
   
   
   
 
暦は9月に入りましたが、「歌の掘り起こしハンター」を続けさせて頂きます。通算527回(姉妹ブログ「歌・掘りnext」含む)の今回は、[「歌詞に【目覚めた】が出てくる」掘り起こしもの3曲]にしました。いつも通り、私(始発亭)の独断で選曲させて頂きました。
 
(1)北国列車(風)  
歌詞〉ルルールルールルー
  ぼくが君を追いかけてる
  夢から【目覚めた】ときは
  汽車は夜を走りつづけ
  朝の駅についたところ
  君を忘れるために長い旅に出て
  旅の終わりにこの街を選んだ
  去年の今頃 汽車にのり  
  二人で旅した北国の  
  あの雪の白さが何故か忘れられずに〜
  
  は、1975年に元かぐや姫の伊勢正三と元猫の大久保一久によって結成された男性フォーク・デュオ。
  1975年の「22才の別れ」の大ヒットの後も、「海岸通」(1975年)、「あの唄はもう唄わないのですか」(同)、
  「ささやかなこの人生」(1976年)と、コンスタントにヒット曲を放つ等、
  根強い人気を誇る男性グループでしたが、1979年に解散。
  以降、ソロ歌手となった伊勢正三のライブに大久保一久が飛び入り出演することはありましたが、
  再結成には至らず…現在に至っています。
  
  この「北国列車」は1976年に発売された風の第5弾シングルで、伊勢正三の作詞・作曲。
  サングラスをかけた憂いある表情がよく似合うイメージの・・・伊勢正三。
  同曲はその個性が存分にいかされたバラード調の歌で、もの憂げさを漂わせた・・・
  しっとりとしたメロディ・ラインは、「22才の別れ」をほうふつとさせます。
  [二人で旅した想い出の地、君の星座が夜空にまたたき余計つらくなる(二番の歌詞)]
  主人公のやりきれない想いを伊勢正三は、淡淡と自分史をひもとくように歌い綴り、
  リスナーを男の哀愁ワールドに引き込んでいきます。
 
(2)夢伝説(ペルシャンブルー)(高田 みづえ)  
歌詞〉耳もとすべる涙で 【めざめた】夢の余韻が
  あなたの腕の中でも 私をおびえさせる
  それは乾いた砂漠に置き去りにされた私
  あなたをたずねて仰ぐ
  空は ペルシャのブルー
  幾千年も同じ心で 幾千年も同じ命で
  時の魔法にかかったように
  愛したい愛したい あなたひとりを〜
 
  高田みづえの芸能界入りのきっかけになったのは、オーディション番組「君こそスターだ」
  (1973〜75年フジテレビ/毎週日曜昼◇74年以降日曜10時からに変更)でした。
  同番組に出場しスカウトされ、1977年、「硝子坂」でレコード・デビュー。
  同曲の大ヒットによりレコード大賞新人賞を受賞したほか、「紅白」初出場も果たし、
  一躍、歌謡界のトップ歌手に躍り出ました。
  以降、「潮風のメロディ」(1979年)、「私はピアノ」(1980年)、「そんなヒロシに騙されて」(1983年)、
  「秋冬」(1984年)等、数多くのヒット曲を放ち、順調にキャリアを積み重ねていきます。
  1985年、若島津関との結婚を機に、多くのファンに惜しまれつつ・・・芸能界を引退しました。
  
    この「夢伝説」は1981年に発売のシングルA面曲で、竜真知子さんの作詞に
  馬飼野康二さんが曲をつけた歌。
  [別れてもなお彼のことが忘れらず、ペルシャの地を探し歩く主人公]の
  愛の奇蹟を願う純真な心を綴った歌詞と、ペルシャの雄大な空をイメージした
  スケールの大きなバラード調のメロディが特徴。
  あきらめと奇蹟を願う心とが交錯する複雑な胸中を、高田みづえは
  得意の伸びやかな高音域を駆使して熱唱!
  特にサビの♪幾千年も同じ心で〜で高田みづえが魅せる[復活愛に賭ける主人公]
  そのひたむきさが乗り移ったかのような歌唱は実に見事で、つい・・・うっとりと魅了されてしまいます。
 
(3)ふたりだけの旅(はしだ のりひことクライマックス)  
歌詞〉あなたと私が(一緒に)暮らせるお家を(さがしに)
   明日【目覚めた】ら(ふたりは)旅に出るのよ
   夢にまでみた ふたりだけの旅
   今 小さな幸せ求めて 今 夜空にきらめく星くず
   ふたりをつつむよ〜
   
   1971年発売のデビュー曲「花嫁」が大ヒットしたクライマックスの次のシングルが、
   この「ふたりだけの旅」。
   「花嫁」の続編のような歌詞ですが、メロディ・ラインは「花嫁」より軽やかで、
   フレンチ・ポップスのイメージが色濃く反映されています。
   ボーカルの藤沢ミエの乙女チックな[スイートピー・ヴォイス]が存分に生かされ、
   特に♪あなたと私が〜のサビに入る前のささやくような歌唱には、
   さわやかな色気が感じとれて・・・思わず聴き入ってしまいます。
 
「歌の掘り起こしハンター」を続けさせて頂きます。通算526回(姉妹ブログ「歌・掘りnext」含む)の今回は、[「歌詞に【生きる】が出てくる」掘り起こしもの3曲]にしました。いつも通り、私(始発亭)の独断で選曲させて頂きました。
 
(1)愛のかがやき(長沢 澄子)  
歌詞〉小鳥たちは 【生きる】ために
  飛ぶことを覚えるの
  人はいつも 【生きる】ために
  泣くことを覚えるの
  ◇女の娘(こ)ならばきっと
  大人になる替り目
  真珠のひとしずく 流すの流すの◇
  (◇〜◇ 2番でも繰り返し。
   流すの流すの〜フェイドアウト)
 
  長沢澄子は若者向け音楽番組「ステージ101」(◇参照)のオーディションに合格し、
  同番組レギュラーの[ヤング101]メンバーの一員としてデビュー。
  [ステージ101の歌]だった「みんな愛されるため」(1971年)、
  「明日のために」(同)、「言わないで」(1972年)等のシングルをキャニオン・レコードから発売しました。
  
  この「愛のかがやき」は1971年発売の彼女のデビュー曲で、
  北山修さんの作詞、加藤和彦さんの作曲による歌。
  直前にべッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」を大ヒットさせて、
  絶好調の波に乗っていたゴールデン・コンビをデビュー作に起用していることからも、
  キャニオン・レコードの期待の大きさが分かります。
  「白い色〜」路線を引き継いだ親しみやすいメロディ・ラインと、
  北山修さんの得意技である“生き方のヒント(辛い時期を乗り切る気持ちのきりかえ方)”を
  さり気なくしのばせた歌詞が特徴。
  長沢澄子はマシュマロのようなソフトさと湧き水のように澄みきったが適度にブレンドされた
  【ゼラニューム(白)・ヴォイス】をを存分に活かし、[失恋に終わったけれど、初恋の思い出を
  大切に胸にしまい生きようとする]愛にひたむきな主人公の心情を見事に歌いきっています。
 
  【ちなみに〜みにメモ】
  ◇「ステージ101」メモ◇
  1970年〜1974年にかけて、NHKテレビで放送。
  放送時間帯は、〜72年:水曜夜8時〜8時45分、〜73年:日曜夜7時20分〜8時、
  〜74年終了まで:日曜夜6時〜6時40分と、めまぐるしく変更されました。
 
  ◇ちょっと一言◇
  声質表現に使った[ゼラニューム]の花は、ブログ「寅太郎の雑記帳」にアップされていた記事を
  ヒントにしました。
 
(2)生きて愛して(竹島 宏)  
歌詞〉ひとりで見たよ 素敵なロードショー
  愛するあなたとなら この物語を
  一緒に生きてみたい
  夢があれば夢に甘えないで
  明日の向こうに 陽だまりが
  あると信じ【生きる】人生には
  輝くしあわせ
  生きて愛して 生きて愛して
  歩いてゆきたい
  夢の中で夢が 微笑むとき
  そこにはあなたがいてくれる 
  僕がいつか掴む 人生とは
  二人のやすらぎ
  生きて愛して 生きて愛して
  歩いてゆきたい〜
  
  竹島宏は2002年、「いいもんだいいもんだ」でレコード・デビュー。
  氷川きよしに代表される“ヴィジュアル系演歌”の担い手として、
  期待されている一人です。
  2007年には昭和ムード歌謡を代表する名曲「夜の銀狐」をカバーし、
  話題を呼びました。
  2008年には北川大介、山内恵介の3人で「イケメン3」を結成。
  さらに翌年にはイケメン3に黒川真一郎、松原健之を加えた
  5人で「五輪の華」を結成する等、コラボレーションに積極的に参加しつつ、
  現在に至っています。
  この「生きて愛して」は2010年発売のシングル「この身を投げて」の
  カップリング曲で、久仁京介さんの作詞、幸耕平さんの作曲による歌。
  [主人公の愛する君への想い]を切々と綴った歌詞と、
  昭和歌謡の匂いが満喫できるメロディ・ラインが特徴。
  竹島宏は持ち味である[ナイーブ&デリケート・キャラクター]を存分に活かし、
  [さあ、二人で一緒に歩んで行こう]とやさしく語りかける歌唱で巧みに表現。
  ただ甘いだけでなく、時おりにじませる憂いを漂わせた歌唱は
  母性本能をくすぐり…リスナーの心を最後まで捉え離しません。
 
(3)ガラスの森(丸山 圭子)  
 ♪近づけば火のように燃えあがる ガラスの森
  薄紫の黄昏 そびえ立つビルの窓辺

  デスクにたたずむ女
  ひとりでは生きられない 寂しさにドラマが始まる
  恋の予感が走る
  今 運命に遊ばれて
  危険なめぐり逢い 扉の前ですれ違う愛しい男(ひと)
  近づけば火のように   愛が燃えてしまう
  求めあう指先にくずれてゆく ガラスの森
  あの人の視線がまぶしい
  想いが重なる一瞬(ひととき)
  ただ 愛に【生きる】のか 仕事に【生きる】のか
  せつない男(ひと)の背中に口づける
  ◇近づけば火のように  愛が燃えてしまう
  求めあう指先に  くずれてゆくガラスの森◇
  ◇〜◇繰り返し
  
  丸山圭子
は1972年「ビバ!唄の市」で優勝し、
  同年エレック・レコードより「心の中の」(シングル)と
  「そっと私は」(LP)でレコード・デビュー。
  ラジオ番組「杏林フォークカプセル」(ラジオ関東◇現ラジオ日本)で
  DJをつとめたり、当時女子学生のアイドル的存在だった
  佐藤公彦(愛称=ケメ)ほかのメンバーとフォーク・グループの
  ピピ&コットを結成するなど活躍の場を広げ、ブレイク・チャンスを模索。
  キング・レコードに移籍して放った「どうぞこのまま」(1976年)の大ヒットにより、
  『ソロ・シンガーで活躍したい』という長年の夢を実現!
  一時、音楽活動を控えていましたが、ここ数年、ご子息を加えたアット・ホームな
  雰囲気のライブ活動を続けています。
  この「ガラスの森」は1983年発売のシングルで、 丸山圭子の作詞・作曲による作品。
  [危険なめぐり逢わせと知りつつ、男(ひと)のやさしさに心を奪われて しまう主人公。
  まぶしい視線を投げる彼に堕ちてゆく・・・
  “いけない自分”を心の真中に野放しにしている主人公]
  丸山圭子はそうした主人公の複雑な心理状況を、見事に表現!
  バースで♪近づけば火のように燃えあがるガラスの森〜と、 恋の予感に身悶える心情を熱唱!
  この最初のワンフレーズでいきなり“圭子の意味深ワールド”に誘い込み、
  リスナーのハートを盗みます。
  テクニシャンの彼女はその後も、手をゆるめず・・・
  [ブラッディ・マリー・ヴォイス]を駆使した 妖艶歌唱で盛り上げ、
  最後の最後まで聴く者の心をとりこにして 離してくれません。


 

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