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 トムラウシ大遭難事件(写真はネットより引用)

 北海道大雪山系トムラウシ岳で、近年まれにみる大遭難事件が発生した。

 【7月17日8時42分配信 時事通信 北海道大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)と美瑛岳(2052メートル)に登った2パーティー計24人が遭難した事故で、道警は17日午前までに、トムラウシ山で女性6人、男性2人、美瑛岳で女性1人の死亡を確認した。またこれらパーティーとは別に、単独でトムラウシ山に登ったとみられる男性1人の死亡も確認された。多数の死者が出たことから、道警は業務上過失致死の疑いもあるとみて捜査を始めた。ガイドや救助者らから事情を聴く。】

 トムラウシの遭難は、筆者にとって人ごとではない。筆者は1990年頃に日本百名山を、ほぼ完全踏破(噴火などで山頂まで行けなかった山がいくつかある)した。しかし、80年代初め頃にトムラウシを登った思い出は、必ずしも良いものではなかった。二回妨げられ、三回目にようやく山頂に達することができるほど大変な思いをした山だった。

 トムラウシも日本百名山の一つで、近年、中高年、筆者の年代を中心にした百名山踏破ブームのなかで、もっとも魅力的な憧れの山として注目を集めていた。
 しかし、筆者自身の経験から、どれほど危険な山かという理解が少ないなかで、手つかずの自然、巨大なお花畑など、良さばかりが宣伝されることへの危機感があり、もう少し警鐘を鳴らすべきという気持ちが芽生えていた。

 1970年代後半に、最初に北海道に渡り、大雪山系に入ったのは8月末だったが、筆者は9月1日の大雪旭岳で猛吹雪に遭遇し、さっそく北海道の苛酷さを思い知らされた。
 このときも、二泊三日でトムラウシまで行くつもりだったのだが、防寒装備の不足により、追い返された。しかたなしに中岳温泉で暖まりながら過ごした思い出がある。
 80年代初め頃にトムラウシを目指したときは、登山道にヒグマが出没して通行禁止になっていた。仕方なしに、十勝岳など他の山々に転じたが、その年は、羆の出没が多く、ホロカメットク山頂付近で、巨大な羆にまともに遭遇することになった。

 三回目は、やはり羆情報のため大回りして天人峡から登ったが、ひさご沼に幕営し、用足しに藪に入ったところ、どこからか「フー フー」とヒグマの呼吸音が聞こえてくるのに震え上がった。この藪は、せいぜい1.5mくらいで、立ち上がって見渡してみても熊など見あたらず、どこにいるのかも分からず、本当に恐ろしい思いをした。

 羆よりも、この山の行程の長さは特筆もので、雨にでも降られるなら幕営は恐ろしく寒く、低体温症によって命が危険に晒される危険な山であった。
 大雪周辺では、7月や9月の降雪結氷などありふれたもので、アルプス登山でもっとも危険な季節とされる5月・10月の気象が、ここでは7・8月にも現れる。
 何が危険なのか? というと、寒くとも雪が降っている分には、防寒防水衣料で凌ぐことができて、それほどの危険性もないが、これがミゾレや雨だと、雨具の隙間から染み入った水が、長い歩行行程で徐々に肌着にまで浸透してくる。
 短時間なら何の問題も起きないが、トムラウシのように12時間以上も歩く行程のなかでは、肌着を濡らしたまま稜線で強風に吹かれると、体感温度が劇的に低下し、低体温症による死を招くのである。雨でなくとも汗でさえ同じことが起きる。

 稜線に出たときの強風は想像を絶するもので、それまで寒いのを我慢していると、体中がかじかんでしまい、ザックのヒモをほどくことも、上着のチャックを外すこともできず、また防寒着を出そうとしても、それを風で飛ばされるような事態が起き、さらに、あまりの寒さに着替えなどできる精神的余裕もなくなってしまうのである。
 しかも、歩いていると感覚がマヒしてきて、今自分は暑いのか寒いのかさえ分からなくなってしまう。意識が朦朧としてきて、ろれつが回らなくなってくる。こうなると、へたりこんで起き上がる気力もないまま奇声を発したりする異常行動が出て、意識を失い急死することが珍しくない。

 このとき、命を守るために必要なことは、稜線に出れば強風が吹き荒れるのが当然であるから、必ず稜線に出る前に、セーターを着込まねばならない。最近ではフリースをセーター代わりにする人が多いが、筆者は純毛厚手セーターという鉄則を守っている。濡れたときの威力が違う。
 雨で肌着まで濡れたときは、必ずいったん裸になって素肌にセーターを着込むことが最期の命の守り神になることを知っておくべきだ。
 これは、筆者が若い頃から、先輩にさんざんたたき込まれた鉄則中の鉄則なのだ。極寒のなかで裸になるのは勇気のいることだが、命を守る大切なテクニックである。しかし、こんなことを稜線の強風下でできるはずがないので、樹林帯の無風地帯で先を読んで行うのである。

 今回、遭難者のプロセスを見る限り、やはり、稜線における強風による低体温症が死亡原因になっているようだ。
 旅行社による団結力の薄いパーティであるとか、責任感の欠如したガイドの行動であるとか、いろいろの批判が出ているが、基本は、参加者の多くが、トムラウシ気象遭難の事例に対する認識が甘かったことと、低体温症に対する基本知識が欠如していたこことに尽きると筆者は考える。
 筆者がガイドなら、セーターやフリースなど強力な防寒着を持たない登山者は絶対に受け入れない。また地元商店街で、その程度の衣類が売られているはずなので、登山前に点検して買いに行かせるのが当然だ。
 また、低体温症が予想された段階で、ガイドが十分な防寒を行わなせなかったことの責任は実に重い。おそらく商業登山の契約義務不履行として起訴され有罪になるだろう。こんなことでは、ガイドとしての基礎的な素養のない欠陥ガイドと言われても仕方がない。筆者は、参加者に素肌セーター着用をさせていれば、命を助けることができたと思う。

 だいたい、現地を一度も歩いたことのないガイドが雇用されていたり、緊急下山に際して、ガイドのペースについていけない人が脱落して途中で凍死しているなどガイドのやることではない。信じがたい思いだ。よほど本人が助かりたかったのだろう。ガイドは、自分の命を犠牲にしてお客様の命を助けるのが使命なのだ。このあたり、ガイドとしての基本的な認識が欠落しているとしか思えない。
 これで厚労省あたりの馬鹿役人が小躍りして、新しい利権として山岳ガイド資格やら、基準やらに奔走し、なんとかガイド協会あたりに天下りのポストを見つけようと動き回ることだろう。

 この大遭難事件の特徴は、参加者の年代が1940〜50年生まれであること。したがって筆者より少し上の団塊世代だ。
 この世代は、戦後資本主義の爛熟期に人生の大半を過ごし、人間疎外の雇用関係に生きてきた。したがって、義務を履行することには慣れているが、他人に対する思いやりに欠けるところがあるようだ。
 だから、人間関係の煩わしさ、面倒を避けて、どうしてもカネに頼った商業的ツアーに参加する傾向がある。

 しかし、山はカネと契約のビジネス世界ではない。命がけのサバイバルの世界であり、戦場なのだ。戦場でカネなど何の役にも立たない。それが役に立つのは下界での話で、下界にいるうちに十分にカネを使って戦場のための準備をしたならば、あとは自分自身で蓄積したサバイバル技術に頼るしかない。
 こうしたサバイバル技術を学ぶ機会は、ビジネスツアーでは乏しく、やはり伝統的な山岳クラブで先輩の知恵を借りるしかない。さもなくば、筆者のように数千回におよぶ小さな山行の積み重ねの中で自ら体得するしかない。

 筆者は、若い頃から山に夢中になって、カネもなかったから装備もろくに買えなかった。最初は運動靴で登り、初めて買うことができたキャラバンシューズでは冬山にまで出かけた。数百回の山行に使用したキャラバンは原型をとどめないほど穴だらけで変形していた。靴底のパターンもほとんど消えていた。それでも、愛着が湧いてなかなか捨てられなかった。
 テントも買えず、雨具もビニール合羽しかなかった。それでも、純毛下着やセーターだけは命綱として大切にせよと教わり、体を濡らして低体温症の危険が迫ったときは、必ず、素肌着込みのテクニックで凌いだものだ。
 そうして貧しい装備で、経験と知恵を頼りに積み上げてきたサバイバルテクニックは、結局、どれほどカネをかけた立派な装備よりも、最期に力を発揮するものだ。

 今回、遭難死された方々は、失礼ながら、筆者よりも経済力に恵まれた方が多く、装備も立派だったにちがいない。筆者には高価な商業ツアーなどに参加できる余裕はない。
 しかし、どんなにカネが余っていても、立派な装備があっても、それを利用して命を守る術を知らなければ何の役にも立たないではないか?
 なぜ、持参した衣類を重ね着しなかったのか? 死者の多くは、防寒着を着ていなかったようだ。またガイドも、それを指示しなかったようだ。
 稜線の強風下では、防寒着をザックから出した瞬間に風で飛ばされてしまい、またそうでなくとも、指がかじかんで、まともに着替えなど不可能だ。テントやツエルトでさえ、ザックから出すことさえままならないのだ。
 稜線の風は、それほど恐ろしいものであり、死と悪魔の縄張りに入りこんでいるのである。だから、高価な装備以前に、人間が生きることの基本的な原理を思い知っていなければいけない。

 山では先を読まねば生きて還って来られない。
 暖かくなり、気圧が下がれば雨が忍び寄ってくる。このとき必ず体調が悪化する。古傷が痛み、不安な気持ちになるものだ。これが最初の危険サインなのだ。
 これを検知したなら、次に、これから何が起きるのか、走馬燈のように見えなければいけない。
 高度が上がれば、とりわけ2300mを境にして、酸素吸収能力が低下し、息苦しさが増し、行動力が削がれる。低気圧のために体の末端が肥大し、靴擦れが起きやすくなり、靴下を一枚脱ぐ必要がある。手の甲や指先が膨れ、腎臓に障害が起きやすくなり、水が飲みにくくなるため、血が粘度を増し脳梗塞が起きやすくなる。このため無理をしてでも高所の水分補給を大切に考えなければいけない。

 何よりも、低体温症は、本人が寒さを自覚できないまま、死んでしまうことが多いのだ。少しでも寒さを感じたなら、必ず早め早めに衣類を着込む必要がある。衣類は純毛が基本である。フリースでもよいのだろうが、筆者は信じていない。木綿の肌着などもっての他だ。ズボンは必ず化繊の水切りのよい伸縮性の強いものにする必要がある。

 雨具は、高いがゴアテックスにしよう。しかし過信は禁物だ。
 筆者は、一昨日、久しぶりに北沢峠から仙丈岳を目指した。病み上がりで体調が悪く、本当に苦しい思いをした。おまけに大雨で、新品の雨具だったが、それでも縫い目や襟足、チャック、袖先などから雨水が浸入し肌着まで濡れた。
 この状態で小仙丈2855mに達するとアラレ混じりの暴風雨になり、体感温度がマイナスになった。しかし稜線直下でこれを予測し、同行者にも着込むように命令した。
 同行者は暑いから嫌だと言っていたが、着た後で、「自分は寒かったことに気づいた」と語った。
 結局、小仙丈の先の岩場で同行者が危険な状態になったため、無理矢理引き返すことになった。当日は、トムラウシ遭難の直後で、驚くほど大勢のパーティがいたが、その多くが引き返すことになった。

 今回のトムラウシ遭難10名の犠牲経験によって、数千名の命が救われることを祈りたい。

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