暁の子

いつも喜んでいなさい・ 絶えず祈りなさい・どんなことにも感謝しなさい・・聖書より

思いで話^^

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原爆の怪談

 
原爆投下したその日・・・・
 
私の姉は友達とムシロを敷いた上で・枝豆をむいていたそうです・・・
 
のどが渇いたのでそばにあった井戸の水を飲もうと・汲んだ桶に顔を近づけた瞬間に・・・
 
大きな音と爆風がしたそうです・・
 
 
 
 
驚いて頭を持ち上げ・後ろをふりむいたら・・・・
 
姉の後ろに並んでいた友達がハリネズミのようにガラスの破片が体中に刺さり・・・立ったまま
 
死んでいたそうです
 
 
 
 
姉は無傷でした・・・
 
 
 
死んだ友達が姉の後ろにいたため直接に原爆の閃光を受けずにすんだようで・
 
やけども負いませんでした・・
 
 
 
 
丁度その頃・・・
 
わたしの母は段原町にあった軍需工場に借り出されていまして・・・・
 
その日は幼い兄が熱を出したので連れて行き守衛室に寝せていたそうです・・・・
 
 
 
仕事をしていると兄が・・
 
『お母さ〜ん・お母さん!」
 
と寂しいのか・呼ぶ声がするので・・母が様子を見に守衛室へ行きました・・・
 
 
 
「どうしたの?」
 
兄に声をかけて頭をなでてやる・・その瞬間・・・原爆が落ちました・・・
 
 
物凄い音と爆風で・・・・慌てて兄を抱きしめ・・じっとしていたようです
 
 
 
暫くして外へ出てみると・・
 
母がいた工場は壊滅し・・・みんな死んでいました・・・
 
母と兄だけが助かったそうです
 
 
 
母は兄が呼んだお陰で守衛室にいったのが命の分かれ目となったようですが・・・これは
 
定めでしょうね・・
 
 
 
 
 
母は兄を抱え・・黄金山のふもとにあったぶどう棚の下に身を隠しました・・・
 
 
 
体の弱かった兄は唾色も無くなり・・血の気が引いて真っ青・・・・
 
 
 
 
棚からぶら下がっていたブドウの一粒を兄の口に持って行き・・吸わせるとみるみる血の気が戻ってきたそうで
 
ぶどうは体にいいんだよ・・と母が言っていましたね・・
 
 
 
 
落ち着いたところで周りを見渡すとぶどう棚の下には原爆から逃れてきた大勢の人たちが息を潜めて
 
しゃがみこんでいました・・
 
 
皆一様に真っ黒い顔をして目だけが異様になっていたそうです
 
 
 
原爆の閃光が黄金山のおかげでここには届かなかったようでした
 
 
 
 
何事か全く解らないぶどう棚の持ち主が大勢の人々がぶどう棚の下にもぐりこんでいるので・・
 
驚いて・・
 
「このままじゃ・ぶどうがダメになる!!頼むから出て行ってくれ〜出て行け〜〜!!」
 
 
必死で棒を持って振り回し・・ぶどう棚の下にいる人を追い払ったそうです
 
 
そりゃそうでしょう・・大勢の人が突然なだれ込むようにぶどう棚に向けて歩いてくるんですから・・・
 
 
 
母も追い立てられ・・兄を連れて逃げたようですが・・・
 
 
 
 
 
後々・・思い出したように・母が・
 
 
「ぶどう棚のおじさんが親切にブドウをくれて・・」
 
なんて話してると・・
 
兄が・「何をいいよるんね・棒で叩いて出て行け!いわれたじゃないか!」
 
 
どうやら・・いやな思いではいい話に作り変えたい母と(笑)
 
 
いやな思い出のままの兄だったようで(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
主人の父はその時「藤野綿業』(現在の東区役所)という布団やさんの工場の近くの貸家におりました・・
 
 
 
爆風と同時に真っ暗になったそうで・・
 
 
何が起こったのかわからず・急いで押し込みの中に入ってしゃがみこんでいたようです・
 
 
 
義父もやはり・無傷でした・・家の中にいた為・直接・閃光を浴びなかったのがよかったのでしょう・・
 
運がよかったのですね・
 
 
真っ暗いのが・少しづつ明るくなった頃・・・何が起こったか原因は全くわからないが
 
 
とんでもないことが起きたのだと気がつき・・・外に出ました・・・
 
 
そこには・・・・瓦礫と化した町並み・・・焼け野原がひろがり・・・・
 
 
全身をヤケドして皮がズルむけになり・・手の先からぶらさがり・・・無言のまま歩く人々の姿がありました
 
それは・・まるで地獄絵図のようだったと・義父がいっておりましたね・・
 
 
 
 
「そうだ!姉はどうしたのだろう・・」
 
 
 
やはり軍需工場に出勤していたので・・
 
広島駅の近くから原爆ドームの近くまで必死での姉を探し回ったそうです・・・
 
 
長い間・・探し回っても姉はみつからず・・義父は必死でした・・・
 
 
 
周りは原爆でやられた人々が道の両端に・数え切れないほど並べられておりましたので・・その中から
 
見つけることは奇跡でした
 
 
 
並べられて寝かされ身じろぎも出来ない被災者達を一人一人見て回っていると・・・・
 
 
 
かすかな・・・かすかな・・か細い声で・・・・
 
よっちゃん・・・・・・・よっちゃん・・・・
 
と・・聞こえてきたそうです・・・
 
 
「姉さんだ!!」
 
 
奇跡のような出来事でした・・・
 
 
 
被爆し動く事も出来ない姉が最後の力を振り絞り義父の姿を見つけ必死で呼んだのだそうです
 
 
もし・・その時見つけていなかったら・・
 
 
そのまま・・死んだものとされて生きたまま火葬されたかもしれません
 
 
 
 
事実・・・モノも言えず身じろぎもできないまま死体とみなされ集められて生きながら焼かれた方も
 
いると聞きました・
 
 
 
それから長生きされて90まで生きたお姉さんは義父を命の恩人だと・・よくしてくれたそうです
 
 
 
 
 
 
 
川は死体が隙間が無いほど・浮き・・まるで死体の川だったそうです・・・
 
 
 
 
 
知っていましたか・・・
 
イメージ 1
原爆ドームの周りの道路の下は・・・・・粉々になった
 
人骨だらけだそうです・・・
 
 
 
何年も経った・・後も暫くは人骨で白い道路だったそう
 
で・・その上で子供達は遊んでいたそうですよ
 
 
片付けようが無い状況だったのでしょう・・
 
 
 
その上にアスファルトが敷かれ舗装されているのです
 
 
 
 
原爆投下から数年間・・夏場でも・だれも広島の川や海
 
に入るものはいませんでした・・・
 
 
 
『お母ちゃん・海水浴しようよ・・』
 
 
『とんでもない・水に入るとお化けに足を引っ張られて死んでしまうよ・・誰も海に入るものはおらんよ』
 
 
そんな事がまことしやかに言われておりましたねぇ・・・・
 
 
 
 
原爆慰霊祭の前後日・・・・・
 
沢山の霊魂が平和公園に集まってきます・・・
 
 
戦後・65年も経つと言うのに・・・いまだ浮かばれない霊魂も大勢いるとか・・・・
 
 
江原さんみたいな霊能者が広島に来るとたくさんの霊魂がみえるそうですよ・
 
 
 
一度・原爆の日の夕方・平和公園に施餓鬼供養の時間を間違えて・いってとんでもない目にあいましたので・・・
 
それから・・行かないようにしています・・・
 
 
被爆されて亡くなられた方が成仏されますように・・・・南無・・
 
 
 
 
 
 
 
 

8月の怪談

 
30数年前・・・・・の夏・・・
 
丁度・・この季節・・・・・・お盆前・・・
 
 
安佐北区深川にある・・・・川
 
 
その頃は鮎も沢山いて・・・・綺麗な川でした
 
 
家族で川遊びに行こうと出かけようとすると・・・・
 
 
 
守護さんが
 
『お盆前にはな・・この川は沢山の霊魂がうろついているから行かないほうがいい・・』
 
と・・忠告してくれたのにも関わらず・・・
 
 
右から左に聞き流していた私は子供達を連れて・・・・『いってきまァす!!』
 
 
守護さん『・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
川につくと大勢の家族連れが来ていて楽しそうに遊んでいました・・・
イメージ 1
 
 
そこには1・5mくらいの高さで長さが80mくらいの・堰が川の端から端まで続いていました・・・
 
 
子供達は水をかけたり
 
浮き輪で浮かんだりと楽しそうです・・・
 
 
 
 
暫く・・楽しそうな子供達や家族連れを眺めていると・・・
 
 
堰の上を通るたびにスッテンコロリン〜〜バッシャーーン
 
大人も子供も・・・堰の上を通るたびにスッテンコロリン〜〜バッシャーン
 
 
 
サングラスをかけたお兄さんも〜
 
 
ひげを生やしたおじさんも〜〜〜
 
 
中学生も〜〜
 
 
小学生も〜〜〜
 
 
スッテンコロリン〜〜バッシャーーン・・・水しぶきをあげながら下の川へ落ちてしまい・・・(爆笑)
 
 
 
痛いやら・・・
 
恥ずかしいやらで・・・落っこちたお兄さん達が・苦笑いしながら川を渡ってこちらまでやってきます(笑)
 
 
 
 
 
皆がおっこちるのが可笑しくて大笑いしていて・・・・・
 
 
 
不思議な事に気づきました・・・
 
 
なぜか・・・同じ場所の堰の上で落っこちているのです・・・
 
 
不思議に思いながらも・・大きな怪我もしなかったので・・そのまま遊んで帰宅・・・
 
 
帰って母にその話をしていたら・・・
 
守護さんが・・・
 
『それはな・・・いつも守っているからお前達が言っても解らないから・・どういうことか見せたのだ・・
 
盆前のあの川には沢山の霊たちが集まっているから・これでよくわかっただろう・
 
これからは・行くんじゃないぞ・・』
 
 
どうやら・・霊たちが悪戯していたようでした・・・・
 
 
広島は・・特に原爆で亡くなった方が多く・・供養されず骨も焼け付くしてそのままの霊たちがいるのでしょうね
 
 
ともかく・・
 
 
アレから・・お盆前にはあの川には近づかないことにしました・・・
 
 
どう・・?少しは涼しくなりましたか(笑)

認知症・・子供がえり

 
わたしが・・・6歳ごろ。。。。
 
西条の田舎から父方の祖母がとまりに来ていた・・・
 
 
 
ある日の夕方・・・
 
日も暮れたので帰ろうとすると・・・ずっと向こうに三輪車に乗って遊んでいた子を連れに行こうと
 
おばあちゃんが歩いていく・・
 
 
 
「おばあちゃん・どこにいくん?」
 
「もう夕方だから孫を迎えに行くんだよ・・」
 
 
「孫って・・おばあちゃん・あの子はよその子だよ」
 
「あんたは何をいうんね・・・あのこはtokiちゃんじゃないか・・」
 
 
「おばあちゃん・tokiちゃんはここにいるよ」
 
 
そういいながら自分の鼻を指差して・・おばあちゃんに言って聞かせる・・
 
 
「そうよ・あんたはtokiちゃん・・」
 
 
そう言いながら三輪車に乗った子を連れに行こうと又歩いていくのを必死になって袂をひっぱって
 
家に連れて帰った・・イメージ 1
 
 
 
家に帰って・・玄関とは名ばかりの木戸のところで立ちすくんだまま・おばあちゃんが一生懸命訴える・・・
 
「迎えに行くんだから。ここを開けて・・」
 
 
 
「おばあちゃん私はここにいるよ・・tokiちゃんだよ!」
 
 
「そう・あんたはtokiちゃん・」
 
 
同じ事を繰り返しながら・・・
 
木戸を開けて出ようとするのを小さな私は解らないなりに・・懸命に
 
木戸を押さえて開かないように手で押さえていたように思う・・・
 
 
 
 
 
どうしても開かない木戸の前でおばあちゃんが泣きながら哀願する・・
 
 
「お願いだから行かせておくれ・・日が暮れるから・・tokiちゃんを連れて帰ってやらなくちゃいけないんだよ・・」
 
 
 
 
今思えば・・・・
 
おばあちゃんは孫の私の記憶が3才頃のままだったんだろうと思う・・・
 
わからなくなっても・・
 
孫を心配して迎えに行こうと必死だったおばあちゃんを思うと切ない・・
 
 
 
 
 
夜になってその事を母に説明していた私をうろ覚えに覚えているが・・母がなんと答えたか記憶にないのだ
 
 
 
 
数日たって・・おばあちゃんと2人でテレビを見ていた・・・
 
 
その頃のテレビは4本足で簡素な作りのものだった・・
 
イメージ 3
 
シロクロのテレビが・・どこかの大きなた滝を写していて・・
 
 
滝からごうごうと水音がし・・・あふれるほどの水が流れ落ちていた・・・
 
 
昔のテレビはのんきなものだったように思う・・随分長い間・・滝の流れる所をずっと放送していたんだから・・
 
 
 
その映像を見ていた・・おばあちゃんが
 
 
「洗面器を持ってきておくれ・・」と私に言う・・・
 
 
「どうするの?」
 
 
「水がこぼれるから洗面器で受けとかなきゃ・大変だよ」
 
 
「おばあちゃん・あれはテレビだから・こぼれやしないよ」
 
 
どんなに言ってもおばあちゃんにはわからない・・・
 
 
「洗面器でもバケツでもいいから持ってきておくれ・・」
 
 
そう繰り返すばかり・・・
 
 
その後。。。どうなったのか・・覚えていないのだが・・・
 
 
 
 
その後・・田舎でひとり暮らしていた祖母は夜中に行方不明になり・・・村の人たちが山狩りをして
 
おばあちゃんを捜索すると・・
 
 
おばあちゃんは何を思ったか見つかったときはいつも・・寝巻きに枕を抱えていた・・
 
 
 
行方不明になったと・・市内にいた父のところに連絡が入り・・夜行で飛んでいく・・・そんな事が数度続いて・・
 
困っていたら・・・・
 
そのうち・・父の妹家族が事情があって一緒に暮らす事になり・・・
 
 
暫くして娘家族と暮らして・・80有余年の生涯を閉じたのだけど・・・
 
 
 
まだもう少し普通の頃に私がとまりに行くと・・・
 
 
「おじいさんの写真から・・おじいさんがすうーーと降りてきて私をじっとみるんだよ・・いびせえのぉ」
 
と。。とても怯えたような顔で私に言う・・・
 
 
 
どうやら・亡くなったつれあいの壁にかけてある遺影からおじいさんが降りてくるのがお化けのように思えて
 
怖かったんだろうと思う・
 
 
・いびせぇ・・・とは広島弁で(怖い)という言葉ですが・・・(笑)
 
 
きっとこの頃から多少の認知症が始まっていたんだろう・・と今になって思うのだけれど・・・
 
 
 
 
知人の話だが・・・
 
お茶を持ってきて・・そういわれて台所にいった母が・・・・
 
白湯を汲んできたという
 
「違うよ・・お茶だってば・・」
 
今度は白湯にお茶の葉を淹れてもってきたので・・
 
「違うよ・・お茶だよ・・」
 
・・・ともう一度いうと・・
 
茶柱がいっぱい立ったお茶を持ってきたので・・それを飲んだのだそうだけど・・・
 
 
 
 
 
ある日の夜・・・娘に車で送ってもらって帰宅中・・・
 
突然・・
 
「ここで結構ですよ・・ここから歩いて帰りますから・・おろしてください」という
 
 
 
いいから・送っていくからとなだめすかしながら家に送っていき・・車からおろすと・・・
 
 
 
「まぁ・・ありがとうございました・・ここまで送ってくださって気の毒なことをしました」
 
 
と・他人行儀に娘に挨拶をする・・・
 
「私を誰と思ってるの?」
 
そう言うと・・・他人にいうように・・
 
「娘さんでしょう^^」
 
という・・・
 
 
どうやら・・帰宅途中の車の中で途中から記憶が消えて・・娘を忘れてしまったらしい・・・
 
 
 
人は何故。。
 
記憶が消えるのだろう・・・・
 
 
この人の話を聞いて・・祖母や母を思い出した・・・
 
 
母も認知症で・・・86歳の生涯をとじたけれど・・・・
 
 
記憶がどんどん・・生まれた方向にバックしていったように思う・・・・
 
 
ある日の夕方忽然と姿を消した母はわずか1時間の間に事故にあい・・温品の交番で保護されていて・・
 
 
お名前は?と尋ねる警官に威張ってこう答えたそうだ・・
 
 
「福岡県・・豊前市・・・・○○○○46歳!」
 
 
その時の母は76歳ぐらいだっただろうか・・・もちろん広島市内に住んでいた
 
母の記憶は九州で暮らしていた時に戻っていたのだろうか・・・
 
 
 
母にある日問うてみた・・・
 
 
「おばあちゃん^^今・何歳?」
 
 
母はもちろんおおいばりで答える・・46歳ってね(笑)
 
 
 
 
それが母が自分で年を言った最後だった・・・
 
アレから・・どんどん・・赤ちゃんになって行き・・・・食事も離乳食みたいになり・・・
 
 
哺乳瓶で飲むように栄養ミルクを飲み始めたとき・・・・
 
あぁ。。もうすぐ・・母は胎内に帰るんだな・・・そう思ったものだ・・
 
 
 
認知症になった母は・・・・86歳から人生を逆戻りして・・・生まれるまでいた所に帰っていった・・・
 
 
今頃・・・・胎内に帰って・・・ゆっくり寝ているのだろうか・・・
 
 
 
私が看た認知症とは・・赤ちゃんに戻るという事だった・・
 
 
初めて看る認知症という症状に・・わけもわからず・・あれよあれよというまに介護に巻き込まれ・・・
 
気づけば・・介護生活が終わっていたように思う・・・イメージ 2
 
 
浦島太郎に遭遇したような・・・・不思議な体験ですね
 

お題・・父

父さんの・・辞世の一句


・・・・火炎地獄・・閻魔のさばきや・如何に・・・

どんな思いでこれを書いたのか・・・知る由もないが・・






胃がんを発症し・・・

入退院を繰り返し・・・最期の入院となった鉄道病院での引き出しにあった

言葉だ・・・



暫し・・振り返らせていただく事にしよう・・・




入院していた病院が変わるたび・・夢枕に出てきていた父さん


正夢ではないかと気がついたのは・・・

何回かめの夢の時から・・・



大きな広い総合病院らしきフロア・・人気がない・がらんとしている



パジャマにチョッキを着た父が・・



『お前の所に連れて帰ってもらうことはできんかのぉ〜』

と言っている・・・



長男の所に身を寄せていた父に・・


『父さんの帰るところはお兄ちゃんの所しかないでしょう・・』


そういいながら涙があふれてくる・・(ToT)




さびしそうに肩を落とし・・


泣きながら病室へと歩いていく父の後姿が悲しくて。。


号泣して目が覚めた・・・。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。うわぁ〜ん




なんと悲しい夢なんだろう・・







そういえば何度かこんな夢を見る・・

もしかして正夢・・・・



兄は決して私に父の入院先を知らせなかった・・

莫大な土地の権利がからんでいたからだろう・・・



そんな風にしか思われてなかったのかと・・思うとなんともいえない

結局・父を看た兄に全権利が譲られたのに・・・




暫くして・・又・父の夢を見た・・・


古臭い・・5階建てくらいの病院で・・


病室の窓から下を見ると裏に・・・小さな川が流れていた・・・



薄暗い病室の中で父が私に・・怒っている・・


『何故・病院に来てくれないんだ!』


目が覚めて・どこの病院なんだろうと考えたがわかるわけもなく・・・


かといって・・兄に聞くわけもいかず


妙に気になっていた・・・

(´o`)ノ凹




それから数日後・・


母の所に父危篤の知らせが入り・・・


病院に駆けつけた・・



そこは夢で見たとおりの病院で裏には小さな川が流れていた


病室のドアを開けると・・・


ベットの上で・・下半身がむき出しのまま・・便で汚れ・・乾いた糞がお尻についたまま


放置されていた哀れな姿があった・・・(ノ_<。)



詰め所にいってお湯のありかを教えてもらい・・・


放置していた有様を見られて慌てた看護婦達が廊下でざわめく中・・・


婦長立会いの状況で・・


湯気の立つタオルで父のお尻を拭いてやった・・・




黙って私のする事を見ていた婦長は静かに部屋を出て行った




こびりついた糞を拭き終わると・・父の顔に安堵の色がみえる




体がすんで・・ふと見ると・・台の上にあった水筒にも便がついて乾いている・・



何時間・・このまま放置されていたのか・・


水筒を拭きながら・・


心の中で考えていた・・・なぜ?



「父さん。今夜は私がついてあげようか?」



嬉しそうな顔で私を見る父・・


そうしてくれるか・・と頷く父の笑顔・・





その夜の父は・・

ベットの上で布団をぐるぐる巻きにして抱きかかえ・・身じろぎも出来ない状態で


一晩中ベットの上にあがっては体位を変えて話しかける事が続いた

なんてこと・・この状態で夜・・一人ぼっちで孤独と不安に耐えていたのか・・






疲れてフラフラになって・・ベットの側にへたりこむ私を優しい笑顔で見つめていた父さんの

顔が忘れられない・・




朝になり・・早番の看護婦の大声が響き渡る


『OOさん・夕べはどうだった〜・また一晩中わめいてたの〜』



看護婦の声を慌てて静止している様子まで聞こえてきた・・


『し〜〜!!!今までの人とちがうんよ!』



話の端々から・・


父が毎夜・・大きな声でわめいていた事・・・


兄家族からも見放されていた事・・


不安と恐怖と渇きで助けを求める声がうとましがられ・・


助けてくれるはずの看護婦からも見放され・・・


誰も来てくれない・・知らないから来るわけもなく・・・


孤独と・・13日も飲まず・・食わず・・・眠られずとの戦いの日々がつづいていたらしい父さん・・





父の唇が乾いてバリバリになり・・真っ白になっていて・・


「水を飲ませると吐くから飲ませたら駄目だ」

と言い残して・・兄は父を頼むと諦めたように言い・帰った



かといって・・余りにもひどい乾きようを見かね・

ままよと・・・


綿花に人肌のお湯を含ませ唇から少しづつ湿らせてやると・・なんと・・



ちゅーちゅーと音を立てて美味しそうに飲めるではないか・・




吐くといっていたのにどうした事だろう?と不思議に思ったが気にもしなかった




一晩ついたその朝に主治医がやってきたので



このままでは余りにもかわいそうで何とか治療を変えてやってくださいとお願いすると


『わかりました・あなたの頼みならやってみましょう・それで容態が変わるかもしれませんが・・』


治療を変えるということは・・・モルヒネの強い薬を使う事だったらしく・・・



その時私は・・それが何を意味するもの知らずにいた



そのあくる日・・・


急変した父のそばにいくと・・・


母が手を取って父の耳元に側に顔をよせ・・父の言う事を聞いていた


「あいつらが親子3人でそこの長いすに座って・・わしが死ぬのをまっとるんじゃ・・」


母が


「何を言うとるンね/そういうことを言うたらいけん・・あんたの作った罪が起こした事でしょうが

言うたらいけんよ・・・」




その言葉を聞きながら・・なぜか安堵の表情を浮かべ・・母に手を握ってもらいながら・・


静かに息を引き取った・・



穏やかな顔をだった・・・




母とは私が高一の時に協議離婚・・

そのまま・・父は居座り・・

離婚したのに同居というおかしな関係が何年も続き・・胃がんの手術後・兄夫婦のところに

行った父・・・


書けばまさに「夫婦ぜんざい」そのものの夫婦関係・・・


おもろきかな・・・夫婦である


しかし・・私はよくよく罪な女のなのか(笑)



この時も兄から・・


「お前のせいで親父が死んだ!」


と罵られた・・


そういえば・・・


papaの時も義姉から・・


「弟を見殺しにした!」


と言われましたなぁ〜(≧∇≦)


さすがに母の時は誰一人罵るものはおりませなんだが(笑)


魔女さん・・よくよく業が深いと見えますなぁ〜(爆笑)





父とのたった一晩の介護生活は・・


夢を見て「何もしてあげられなかったと・・気になって仕方がなかった私に・・

神様がくれた一日の親孝行時間・・


吐かずに水が飲めたのも・・これでもうよかろうと父も許してもらえたのだろうと・・

勝手に解釈している・・


一句・・・


:::おぃ貴様・・そんな言葉が大嫌い・・




軍隊上がりの父が・・よく私に怒鳴っていった言葉・・・

「貴様!!」

今でもキライな言葉です(笑)

皆さんの父さんの想いではどうでしょう(^◇^)ノ

サッカリン・・

雪が降ると思い出す・・・

洗濯竿に積もった雪をお椀にとってお砂糖入れて食べてた事を〜

口の中に入れるとふわっととろける様な口当たり・・・

北のわた雪とかいう・・カキ氷が売ってますがあの食感ですね

(⌒∇⌒)ノ



その頃は白い砂糖は貴重品だったみたいで・・・


真夏の午後・・

暑いので母がカキ氷を食べに広島駅前。。今の福屋デパートがあるそばの川端に・・


露店が出ていて・・そこで1杯20円だったかな?

水色のおいしそうなかき氷を食べさせてもらったのよ・・


イメージ 1



どこか・・ほろ苦い甘みのカキ氷はあんまり美味しくありません(>_<")


「お母ちゃん・・砂糖が苦いよ・・白い砂糖がやっぱり美味しいよね〜」

「今はサッカリンしかないけんね〜仕方ないよ」

なんて・・会話をしたのを覚えています^^

サッカリンなんて・・今の人は知らないでしょうね(笑)


いまや・・当たり前のように白い砂糖があるけれど・・ありがたいですね^^


そう思うと砂糖をもっと感謝して使おうと思いますよ♪

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