気と自然のなりわい

気を感じ自然に驚愕している

合気道と気功

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開祖の呼吸法

合気道の呼吸法と言うのは、一般的には相手に腕をつかまれて押し倒す座技がある。
 それとは別の丹田呼吸法のような呼吸法が無いかと思って探していたら、植芝盛平先生口述「武産合気」と言う本にアオウエイ 気、流、柔,剛 「△ ○ □」 なる記述があって、中々理解しにくい。読み進むと
(アオウエイの発生)と言うところに
 口一杯に開きて、喉の奥より、呼気をふき出すべし。
 この時、アーと一杯になり出すべし。
 漸時、口をつぼめて唇のまさに合わんとするとき、な   りひびくはオーオ声なり。
 口を全くふさぎ切る時、自然に鳴り渡る声は、ウ声。
 ウ声をよびながら下顎へつき、9位
 杙の如く食い入れしめれば、エ声となるべし。
 エ声を強くよんでその極みに達すれば、舌が転じて   上顎につく。
 エ声をよびつつ口中の気息を廻してあっしぐ時、レーィ
  と自然になる。

杙の如く食い入れしめれば、は歯に良くないと思うので
やらない。
このなかの口を大きく開ける、そして下を上顎に付ける部分を呼吸法に加えた。声は出さないが

中々好い。

 力を抜いて八呼吸(△3○1□4画なので;四角は3画だが4辺なので。○のところで大口を開ける
 白隠の両下肢を強く伸ばして踏み揃えの丹田呼吸を
△○□で8呼吸
 西野浩三の足芯呼吸を△○□で8呼吸
吸10秒 呼20秒だが、○のときは呼30秒位になってしまう。







 
 合気道開祖 植芝盛平翁は
刑の執行人、数人にピストルで狙わせて、
その弾をよけ一人を投げ…
そのようなエピソードが有る

 又狩猟の名人に狙わせた時には、
当るからと言うことで、
やめたというエピソードもある。

 なぜ、狩猟の名人に狙わせたときには止めさせたのか。
 狩猟の名人は気配を消して引き金を引くのだろう。
動物は気配を感じて逃げてしまうことがあるからである。
そこで、名人ともなると気配を消すのだろう。

 植芝盛平翁も気配を感じることが当然出来たのだろう。
しかし狩の名人は撃つという気配を消してしまうため、
対応できなかったと思う。
刑の執行人は腕前は有っても、撃つという気配を消す必要は無いと思う。

 日本人は殺気とか気配と言う言葉は理解できる。
昔の剣の名人は、弟子にいつでも襲ってきなさいと言って狙わせ、不意をつかれても、
なんなくかわしたとも聞く。
当然、気配を感じられたのだろう。

 人間は頭で物事を考える事は基本的に重要だが、
無念無想といって気を臍下丹田に置く禅等の行がある。
これが、神を引き寄せる法と言われている。
要するに、余計な事を考えず、意識を臍下の一点に置く。これが神人となってピストルの弾をもよけえる方法であろう。
雑念が多くてはダメなのだ。
只分かるのだ。意識に現れてくるのだ。

植植盛平翁のすごいところは、
そんな技はもちろんであるが、
合気道というものが争う事をやめ人類が一家となる事、
和の武道を目指した事であろう。
まるで神のようではないか。

合気道を稽古している人はそんな思いを持っているのだろうか…

信じられない技

「日本の弓術」と言う本を読んだ
弓の師範 阿波研造先生と
教えを受けたドイツ人哲学者 オイゲン・へリゲルの
事を書いた本である
先生が強い弓を引いたとき
先生のコブは柔らかかった。
オイゲン・へリゲルも稽古を積むうちにだんだん柔らかくなった。
普通に考えれば弓は力をもって引くものだと思うが
実際に腕の力は使っていないと言う事
今、弓道で弓を引いている人が力を使っていないかどうかは知らない
私は弓はまったく知らない
合気道でも力を抜きなさいと言われるが
そこのところでは弓と相通ずるものがありそう。

この本の中で先生の驚くべき能力を紹介している
夜の真っ暗な弓道場 的は暗くて見えない60m先
的のそばに小さな蚊取り線香に火を付けて立てた
矢を射るところからはその火さえ殆ど見えない
先生は2本の矢を持ってまず第一の矢を放って
続けて次の矢も放った
第一の矢は的の中心に当たった
第二の矢は第一の矢の筈(矢の尻の部分)にあたって
その矢を裂いていた
先生がヘリゲルの前で実際に見せた技
何千本も放てばこのような事もあるかもしれないが
たった2本の矢を放ってこのようなことが出来るとは
日本人の技
世界に誇れる
だが、
この先生のような技を今出来る人がいるのだろうか

合気道でも開祖が6人の鉄砲に狙わせて
弟子の塩田剛三(他にも見た人がいた)の目にも留まらぬ速さで
6人の内の一人を投げ飛ばしてその後ろに立っていた
その様な事があった(私のブログ2010.9.26記)
この技も人間業ではない
日本人の技
世界に誇れる
しかし今、出来る人はいないだろう

「日本の弓術」 岩波文庫 2014.10.6 第46刷発行

昨日 公園で「站椿功」をした
膝を曲げ手は胸の前に置いて尾骨を下げ
只黙って立つだけ
昨日は2mくらい前の芝生の一点を見つめていた
芝生は平らであったが
細密に粗く見えたり
波打って動いて見えたり
平らに見えたり
コロコロ変化してみえた
目の焦点が動いていたのだろう

座って呼吸法のときには
目は半眼でボーっと見ているが
「站椿功」のときも半眼が良いのだろう。

何故人を投げる

合気道は人を投げる抑える技
人を投げる事を一生かけて行うのか
剣豪は剣のために一生を生きた
サッカーはボール蹴り、そんな事に熱中する
そんな人生でそんな一生で良いのか
だが、人生とはそんなものかもしれないとも思う

剣の道にもサッカーにも何かがある……のだろう
 合気道は大軍を動かす術を学ぶとか訳分からないような事を言う人もいる
 合気道は健康・美容・鍛錬・護身…等々という人もいる

開祖は何のために合気道を始めたのか

開祖が合気道を始めたとき武道家が勝負を挑んできたとき、やむを得ず受けて相手がいつの間にか投げられてしまってついには敬服してしまった。そのような事が度々有った様だ
 そのような技を習得する事が、敵をも見方にしてしまう、それこそが合気道を稽古する目的かもしれない。
しかし、今の合気道にそのような業を教え導く人がいるだろうか、確かに良い動き良い身体の動きの人はいる。
 力は要らないと言う人もいる。
そんな人は年長者に多いが、演武会ではそんなマジックみたいな演武をする人が少なくなってしまって残念である。
だから、自分で自分の進む道を定めて求めていくしかない。
合気道を通じて自分自身を磨いていく、これは人生の修錬として良いかもしれない。

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