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==はじめに==
「実はこんなことがありました!」というストーリーです。
前からこのブログを読んで下さってる方々は、驚くと思います。
なぜ、書こうと思ったかというと、同じ病名を持った人に、少しでも安心感を与えられたら・・・という思いからです。
自伝=実話ですからね・・・。
重い話で面白みもないなので、読みたくない人はスル―して下さいね。
それでは、はじめます。
子宮頚ガンの検査で、1カ月に1回のペースで、通院していました。
思ったより、経過は良好で、安定していました。
子宮頚ガンになった原因は、様々なケースがあるのですが、私自身の場合は分からないのです。
色々と先生と話し合いましたけど、原因不明です。
長女の育児で追われながらも、毎日健康に気をつけていました。
2人目はまだ先の話と思っていたから、仕事の復帰もあり、私はまた働けるという有り難さを感じていました。
何故なら、子宮頚がんの手術を受けて以来、ずっと仕事を休んでいました。長期休暇です・・・。
長女を出産後も、育児休暇として休んだので、合わせて2年です!
18歳で働き始めてからの長期休暇は初めてなので、本当に何もすることがなく、暇を持て余したんです。
2012年9月に、仕事復帰したばかりなのに、同僚や上司などに、
「また妊娠してるの?」
と言われたのです。
私は、
「いや、産後太りです!」
と答えたんです。
自分の親に聞いてみたら、
「私も妊娠だと思う!」
と言われたのです。
私は、潔白を証明しようと思った気持ちもあって、病院に行きました。
私自身もお腹が大きいことに、少し疑いはあったけれどね。
病院で検査を受けると・・・
「妊娠していますね〜6カ月ですね。」
と言われ、エコー検査まで見せられました。
その先生は
「避妊しなかったのですか!?危ないのに・・・。」
と怒っていました。
確かに、子宮頚ガンの手術してからは、あまり妊娠のことを良いようには思えないことでしたから。
手術で切除すると、流産と早産のリスクを高めるという話を受けていたし、今後もそういう危険は高いままなわけだ。
私はその結果を聞き、驚き過ぎて
「えぇ〜〜〜〜っ!!!」
と診察室の中で、叫んだのです。
「胎動を感じなかったの?!」
と先生が言うのですが、
「はい、ちっとも。」
と答えた私。
「もう中絶できませんよ!産むしかありません!」
と先生に言われ、私は
「・・・はい、わかりました。」
と答えた。
復帰したばかりなのに、また休むのか〜と思うと、おっくうでした。
親や同僚などに報告すると、
「やっぱり・・・。」
と言うし、誰も喜んでいません。
喜んだのは、旦那だけでした。
私は喜びよりも戸惑いが大きかったです。だって、2人目はまだ先の話だと思っていたわけですもん。
流産・早産のリスクを抱えたまま、仕事をするのは本当に危ないし、良くないことです。
それでも、周りには言えず、普通に働いていました。
ところが、12月20日の妊娠検査で、
即入院になった!!!
切迫早産が原因で、もうこれ以上、危ないので、ダメとのこと。
管理入院ということで、点滴をうったままの入院生活が始まりました・・・。
9月22日に復帰してから、わずかの2カ月でまた長期休みに入ってしまったのです・・・。
だけど、その時も、胎児は元気だから大丈夫だろうという、根拠もないことだけど、そう思ったのです。
長女の時も、リスクが高い中、正産期で産まれたのですからね。
入院中、私は落ち込んでいました。
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❤自伝❤「大丈夫だよ」
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詳細
同じ病名を持つ人に、少しでも安心感を与えられたら・・・という思いから、書いている記事で実話です。
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2011年(平成23年)5月22日から入院し、翌日の5月23日に手術を受けた。
「マクドナルド頚管縫宿術円錐切除」
これは、子宮の出入り口に出来てるガンを部分切除したという方法の手術。
腹を切るのではなく、中から覗くような感じで、部分だけ切除したという。
だから、2週間程度で退院できるという、身体に負担のかからない手術なのだ。
そして、胎児が出ないように、切除した部分を特別な糸でつなぎ止めた。
このつなぎ止めた糸は、出産の時に切れるから心配ないという。
麻酔は、下半身だけ麻酔がかかる状態なので、胸からの上半身は意識はある。
全身麻酔ではないから、それも負担がかからず良い方法だという。
背中に注射をさすので、一瞬だけ大きく痛みます。我慢です。
絶対、大丈夫!と信じて、手術を受けたけど、やっぱり胎児が気になる・・・。
手術は、胎児に影響するかもしれないと聞いてるからね。
手術は2〜3時間くらいで終わったと思います。けっこう、短時間でした。
腹を切らない手術だったからかもしれません。
麻酔が切れても、痛みは少なかったです。本当に体に負担がかかりませんでした。
手術後は成功しても、安心してはいけないのだ。
当然、早産や流産のリスクは高いまま、臨月まで頑張らなければいけない。
お腹がはらないように、ハリ止めの薬を飲み始めた。
手術後のせいか、出血は時々ありました。
手術後、胎動を感じ始めた。手術前までは、全然胎動を感じられなかった。
入院中、何回もハリがひどいって言われたけど、何もなかった。
この時、胎児はきっと、子宮の中でしがみ付いてるんだ!って、何故かそう感じたのです。
心配ばかりしてもしょうがないから、気楽にして、何も考えないようにして、前向きに明るく過ごすことで、
手術後の経過がとても良かったし、胎児も元気いっぱい胎動するので、医者は驚いていました。
何故なら、流産・早産すると思い、気を張っていたと医者は言っていました。
手術で切除したガンを調べた所、子宮に転移しておらず、大丈夫とのこと。
悪性かと思ったら、そうではなかったとのこと。
即手術して正解だったという結果で、ギリギリセーフのようだ。
その結果を知り、私もたけしも両親もホッとしたのだ。
2人目の妊娠は出来るかと聞いたら、OKサインが出た。
子宮も問題なかったってことだから、本当に嬉しかった。
胎児にガンは影響しないから大丈夫とのこと。それもありがたい結果でしたね。
==2011年(平成23年)6月==
6月2日、退院しました。
2週間だけの入院だったけど、その時からは、通院が始まる。
1週間に1回、通わなければいけない。
それから、仕事復帰はOKでも、本当は絶対安静しなければいけない。
色んな条件がいっぱいあるけど、あまり動かないように、座り仕事を中心に働いていました。
その為、窓口業務は避けていました。1日中、PCばかり・・・目が疲れるって思いましたね。
ガンの検査で、クラス1(ガンのステージ)であれば正常なので、このまま妊娠継続が出来る。
1週間に1回のガン検査で、本当にドキドキしました。妊娠継続の結果を聞くのがいつも怖かった。
途中で妊娠継続が出来ない時が来るんじゃないかと、毎回ドキドキしました。
なのに、胎児は強いんです。
早産や流産のリスクが高いと言われているのに、全然そんな兆しをみせず、元気に子宮の中で育ったのです。
==2011年(平成23年)7月==
7月21日、産休に入りました。
暑い日々が続き、大変な思いをしました。
そんな中、ショッピングモールでウォーキングを始めた。
絶対安静って医者に言われてるけど、少しでも運動しないと、胎児に良くないかなと思ってのことです。
この時は、すでに妊娠8カ月になっていましたから、もう大丈夫だろうと思ったこともあったんです。
私は、もう早産・流産はしないだろうと、何故か本当にその自信がありました。根拠もないんだけど。
8月に入ると、むくみがひどくなり、足の付け根に痛みが出てしまい、眠れない日々を過ごしていました。
それでも、妊娠継続できて、本当にギリギリの結果でした。
==2011年(平成23年)9月==
9月に入るとさらに痛みはひどくなった。
背中まで痛みがはしり、呼吸するのも大変な感じでした。
胎動の回数も減って来て、子宮口も1〜2センチ開いてました。
子宮口が開いてる・・・手術の時に、つなぎ止めておいた糸が、もう無くなったのです。
いつ産まれてもおかしくない状態になりました。
でも、臨月まであともう少しところだったので、頑張るしかありませんでした。
ガン検査は相変わらず「クラス1」で順調だけど・・・本当にこの1カ月間は、体の変化が激しかったです。
切除後の副作用のようなものです。むくみとか痛みとか全部、そういう影響だったんです。
痛み止めの薬は認められませんでした。当然です、妊娠中ですから・・・。
湿布で短時間に貼るということだけ、認められましたが、全然効かなかったんです!
9月19日、破水し、入院へ。
陣痛が来ないまま、2日過ごす。
破水しても陣痛が来ないのは、もしかしたら、長女の意志で、まだ生まれたくないと思ってるからかなという感じでした。
9月21日の朝、陣痛促進剤を使って出産。
妊娠37週6日で産まれたので、早産や流産のリスクは逃れました!!!
運がよかったでしょう、きっと・・・いや、長女が子宮にしがみついたお陰ですね!!!
出産後は、1カ月に1回のペースで、ガン検査を受けた。
いつもの「クラス1」なので、正常で大丈夫だ。
子宮頚ガンを患ってるとは思えないほど、毎日が順調なので、本当に不思議です。
出産後は、あの痛みが消え、楽になりました。そして、むくみも消えたのです。
9月21日に生まれた長女は、一過性多呼吸でNICUに入院しました。
そして、すぐ、MRI検査や血液検査など受けた長女。
私は心配のあまり、調べて下さいとお願いしたからです。
長女に悪い影響など全くなかったのです、一過性多呼吸だけでした。
内心ホッとしました。障害も見られず、健康な体でした。
あとはもう、私自身が頑張るだけです。
二人目の妊娠はいつか分からないけど、その時まで子宮を大事にしようと強く思いました。
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==はじめに==
「実はこんなことがありました!」というストーリーです。
前からこのブログを読んで下さってる方々は、驚くと思います。
なぜ、書こうと思ったかというと、同じ病名を持った人に、少しでも安心感を与えられたら・・・という思いからです。
自伝=実話ですからね・・・。
重い話で面白みもないなので、読みたくない人はスル―して下さいね。
それでは、はじめます。
==2011年(平成23年)3月==
3カ月も生理が来ない・・・また生理不順か・・・という感じで、私は病院に行った。
生理が来るように、お尻に注射してもらうということで。
1年に1回は、生理が来ない時期があったのです。
そしたら、「妊娠してますよ!おめでとうございます!」と医者に言われて、私はビックリ!!
しかも3カ月目になったという。
エコーで見たけど、まだ小さい。心臓は動いていた。
たけしに報告したら、「おぉ、そうか!じゃあ、元気に産んでちょうだい!」と言ってくれた。
私は、「あぁ、いいんだ・・・そっか・・・。」とホッとした。
なぜ、ホッとしたかというと、妊娠は3回目なのです。
2回妊娠したけど、中絶しました。色んな事情があって、泣く泣く中絶したのです。
3回目も中絶か?!と思ったけど、そうじゃないから、ホッとしたわけです。
たけしは「赤ちゃんを育てる環境がやっと整ったから、大丈夫。頑張ろう!」と言ってくれたからです。
そこから、たけしと私は、胎児の成長を楽しみました。
お互いに、煙草と酒を止めてまで、胎児を大切に育てる感じでした。
==2011年(平成23年)4月==
アパートから数分先の病院で、いつもの妊娠検診を受けた。
医者が「子宮筋腫の疑いがあるので、専門の病院を紹介します。」と言うのです。
私は、ビックリし、「大丈夫ですか?!」と聞いたら、専門の先生に聞いてみないと分からないとのこと。
ショックでした。でも、この時はたけしに報告しませんでした。さすがに言えなくて・・・。
紹介された病院で、詳しい検査を受けた後、こんなことを言われました。
「子宮筋腫ではなくて、子宮頚ガンです。胎児も母も危ないです。すぐに手術しないと、助かりません。」
私の心臓が一瞬止まったと思うほど、大きなショックを受けました。
命にかかわる病名を言われるのは、本当に初めてのこと。
今まで病気と闘うことは多くあった。肺炎・骨折・結膜炎・そけいヘルニア・緑内障などの病歴があった。
でも、手術や管理入院で、クリアして来た。
今回ばかりは、本当にかなり落ち込みました。
「赤ちゃんを産みたいんです!やっと産む決心がついたんです!」
そう言ったら、医者はこう答えた。
「ここは、産婦人科がありません。大きな総合病院なら、産婦人科も小児科もあって、母子を守ってくれるはずです。紹介しますので、早めに行って下さい。」
その総合病院へ行く前に、私はまず、両親の所へ行き、正直に話しました。
すると、母は怒りと涙でこう言ったのです。
「どうして、とっきばかり、病気がかかるの!?今までは手術等で良くなったのに、今回は治らないかもしれない病気だなんて・・・!あぁ、私のせいだ!健康な体にしてあげられなかったから・・・!」
私が、この言葉を聞いたのは二度目です。
私は、未熟児で聴覚障害者として、この世に産まれました。
つまり、生まれつき耳が聴こえません。しかも、未熟児のせいで、心臓も少し弱いこと。
私が18歳で仕事に就く為に、色んな手続きをしていた時、この言葉を言われ、「ごめんなさいね。」って謝った母です。
あの時、謝られても嬉しくなかったので、私はこう言いました。
「謝らないでよ!私は、こういう私で産まれて来たんだから・・・。」
そして、今回もまた言われたので、頭に来た私は、
「まだ治らない病気と言われてねぇよ!総合病院で手術すれば、大丈夫に決まってるだろ!」
大丈夫という保証などないのに、こう言ってしまいました。
こんなふうに謝る母は嫌いですから、ムカッとして言ってしまいました。
==2011年(平成23年)5月==
総合病院で、また詳しい検査を受けました。この時は、母と一緒に来ました。
やはり、悪性の子宮頚ガンでした。これに加えてこう言われたのです。
「子宮に転移する可能性が高いです。胎児を堕胎し、子宮を取り上げます。そうしないと、母子も助かりません。」
母はすぐこう言った。
「子宮を取り上げれば、娘は助かりますよね!?」
「はい、その方が良いです、早いうちに手術を受けて下さい。」
私はこのやりとりを見て、悲しくなり、涙がこぼれました。
「・・・嫌!せっかく、産むという決心がついたばかりですよ!堕胎しません!!他の方法をお願いします!」
と訴えました。
母は泣きながら、私にすがりつくのです。
「赤ちゃんよりも、とっきの命の方が大事!お願い、赤ちゃんは諦めて!」
私は、母の気持ちが分かったのです。
やはり、母は自分よりも子供を守ろうとする・・・という気持ち・・・。
私自身も「母」なのです、そう・・・妊婦でも「母」なのだから・・・。
「母さん、嫌だよ。小さな命を堕胎するなんて考えられん!何が何でも産むよ!」
母は、私の顔を見上げ、言葉を失った。
「先生、ガンが出来てる部分だけ、取り除けばいいんでしょう?そうすれば、胎児は大丈夫ですよね?」
先生は困った顔をしながらも、こう言った。
「ガンは、子宮の出入り口の所にあるんです。この部分だけ取り除いても、流産や早産のリスクが大きく伴います。もし、そうであっても、手術の時に、ガンが広がっていたら、その場で、胎児を取り上げ、子宮も取り上げます。超未熟児として生きていくことになるのですが、その覚悟があればのことです。」
私はそれを聞いて、すぐ言いました。
「それでもいいから、お願いします!」
母は黙り込んだのです。
未熟児で生まれると、色々と大変なことがあると、身に染みて分かってることだからでしょうね、母にとっては。
そこからは、私の意志が固く、先生の反対や両親の反対を押し切りました。
絶対産む、そして私もきっと大丈夫!という、信念を持って。
その日のうちに、総合病院に入院する手続きをして、翌日から入院しました。
たけしには、総合病院から帰宅後に告白しました。
そしたら、「頑張れよ!絶対に生きて帰って来い!」と言ってくれました。
反対されるかと思ったけど、応援すると言ってくれたことが何よりの励みになりました。
だけど、たけしもやっぱりショックで泣きました。初めて見る、泣き顔でした。
入院は手術を含めて、2週間くらいです。
家からは1時間以上もかかる、遠くて大きな病院。
私は手術に対して、不安はないけど、ただ胎児のことが気がかりのまま、入院した・・・。
5月・・・もうすぐ梅雨時期が近づくというのに・・・一足早く、ブルーな日々を過ごすことになった。
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