|
過去は誰も変えられない
未来と現在は変えられる。
この連休に徳之島で一番混むのは闘牛場で
間違いはないが、きぬう(昨日)は文化会館で
薩摩藩奄美琉球侵攻400年記念事業『未来への道しるべ』
が行われたのですが、これが立ち見も出る盛況で
舞遊会の創作舞踊『秋徳湊の戦い〜南ぬ戦士〜』
から始まったがこれが素晴らしかった。
その後1部として奄美郷土研究会の弓削氏の基調講演があって休憩して島唱『亀津朝花』その時代の様子を唄にこめるのは昔から行われる事です。
2部として琉球大学の教授に名誉教授、徳之島から徳高の先生、天城小の先生、そして奄美郷土研究会の弓削先生、鹿児島から鹿児島大学の先生以上6名の皆様がそれぞれの研究などからの意見を述べられた、江戸時代を終らせ時代を変えた幕末、莫大な借金を抱えていた、薩摩が黒字藩になつたのには奄美の黒糖が大きな役割りをはたした、奄美で一番の工作面積を抱える徳之島などでは黒糖地獄といわれた時期、それが明治維新の原動力になり、やがて学士村と言われたように東大合格者を多くだし弁護士会や柔道、相撲、医療それぞれの世界において名を残す人を輩出した、医療の徳田虎雄さんは日本のみならず外国にも病院をつくり
その病院には近隣諸国からも患者がきて、大忙しとの事。
過去から続く現在、未来、多くの国が栄えては衰えていった、栄え続けるには努力が欠かせないようです。
フィリピンの東で台風が発生しそうです。
徳之島井之川の書き込み時点での気温、水温、湿度、気圧と天気予報
なぁやぁなぁなてい(今家の中で)25度(誤差+−それぞれ10%)
水温23度(誤差不明、この水温は海水温とは違います。陸上の小さな容器に入れたみじぃ(水)の水温なあてぃ)
湿度65%誤差+−それぞれ10%)
気圧1013hPa(ヘクトパスカル)(誤差不明)
鹿児島県大島郡徳之島町井之川限定天気予報 きゆうやぁ(今日は)曇り一時晴れ
画像は輸送船富山丸 、学童疎開船武州丸の慰霊祭です
日本各地からこられた皆様が県や地域毎に献花し代表でお一人が亡き父にたいする思いを言い表わします。
『お父さん今年も会いに来ました・・・・。』涙をさそう表現も見られる。
|
薩摩軍は総勢3000人、80余艘であった。大将は樺山久高、副将平田増宗である。
1609年2月26日に山川港に集結し、家久の閲兵を受けた後、順風を待って3月4日寅刻に出港した。
同日亥刻、口永良部島に着く。6日辰刻に出船し、7日申刻には奄美大島に到着した。
大島では戦闘は一切無く、大島の現地首脳は中山を見限り、全面的に薩摩に協力していた。
7日申刻に大島深江ヶ浦に着き、8日には周辺を打廻った。薩摩軍は、笠利の蔵元に人衆が集まっていると聞いていたが、そんな人衆はおらず何事も無く終わったという。
彼等は悉く山林に逃げ隠れたため、ようようにして年寄どもを呼び出し、皆々安堵すべき旨を申し聞かせてから帰った。
薩摩軍は、しばらく深江ヶ浦に滞在したが、12日には出船し、大和浜を経由して16日には西古見に着く。ここで順風を待ち、20日卯刻に出船し、徳之島に向かった。
中山は3月10日、薩摩軍大島到着の報告を受け、降伏を申し入れるべく天龍寺以文長老を派遣したが、接触すらなかった。
2017/9/23(土) 午前 11:24 [ 奄美は人も自然も食物も良かった ]