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奄美は1609年(慶長14年)から琉球の、1611年(慶長16年)からは薩摩の領有になつた。琉球も1609年(慶長14年)から実質薩摩に支配されて琉球は名字は3文字、奄美は名字は1文字以外は罷り成らぬ、となった訳てす、その頃に名字名乗ったのは郷士と呼ばれる人達
で時は江戸時代です。
全ての人が名字を名乗るようになったのは1875年明治8年の事になります、昔からの名残りに従って
奄美では1文字名字に、沖縄では3文字名字する人がいた、時代が進むに従って日本の名字に多い2文字に変える人がいたようです。
※ごう‐し【郷士】とは
江戸時代、武士の身分のまま農業に従事した者。また、武士の待遇を受けていた農民。平時は農業、戦時には軍事に従った。郷侍(ごうざむらい)。
参照
大辞泉、奄美の歴史と年表ー改訂新版(徳之島郷土研究会発行、穂積重信ほか編著)奄美に見る差別抵抗史(松田清著)
はるか昔〜平家が落ちてくる前に源氏の一部の人が徳之島などに落ちのびてきた時に源という性を崩して三原と名乗ったと言う事です、追っ手から逃れる為に、これは母方の性が三原で源氏の子孫だと言う方から聞いた話。
今徳之島には源や平の性があります。
きぬう(昨日)は都心でも雪が積もった
ようでいね、大相撲の理事選の選挙で8年ぶりの選挙が行われ、以前の記名式から印刷された名前の上に○をつけて二つ折りにして投票箱にいれる方式になり、立会人も離れた場所に移動し、その理事選で貴乃花新理事が誕生しました、大島理事が落選ですね、
貴乃花新理事は当選には10票必要と言われる中、7票はとれるとされていたが、他にも票をいれる人がいて当選した、当選はスタートラインについたと言う事、これからの方が相撲を良くする為にやることが多いだろう、朝青龍の問題もまだこれから、やめてもらうのが良いのかもしれない。
酒は飲んでも飲まれるな。
未来と現在は変えられるが過去は変えられない。
過去の見方を変えることはできる。
○徳之島含む奄美南部には波浪注意報がぁいじとう(が出ています)
きゆう(今日)は
○みづのと ひつじ ニ黒 赤口
徳之島井之川の書き込み時点での気温、水温、湿度、気圧と天気予報
なぁやぁなぁなてい(今家の中で)20度(誤差+−それぞれ10%)
水温18度(誤差不明、この水温は海水温とは違います。陸上の小さな容器に入れたみじぃ(水)の水温なあてぃ)
湿度78%誤差+−それぞれ10%)
気圧1010hPa(ヘクトパスカル)(誤差不明)
鹿児島県大島郡徳之島町井之川限定天気予報 きゆうやぁ(今日は)
曇り一時晴れ
きぬう(昨日)の天気は
はずれ晴れ一時曇り
気象庁・国立天文台 天文情報センター 暦計算室・ヤフー天気情報とニュース、大辞泉、の各サイト参照。
画像はヒカンザクラ(バラ科)
カンヒザクラとも言います。花1月〜
中国原産の落葉高木です。
奄美から沖縄にかけての桜は、殆どこの桜です。
沖縄では、この桜の時期にあわせて日本一早い桜祭りをするそうです。
花の後は綺麗な朱色の1.5cm位の果実が出来ます、これは野鳥が食べます。
この実は赤く完熟する前に殆ど野鳥のご馳走になります。
花や実の時期にヒカンザクラにきているハトやアマミヒヨドリ・イソヒヨドリ・メジロなどの野鳥を見る事もあります。
人が一般に食べるサクランボは桜桃(おうとう)とも呼ばれ、バラ科サクラ属の落葉高木、及びその果実の事で、見るための桜の実は食用に用いられるサクランボ・桜桃(おうとう)のように大きくならず、食用にする部分も大きくなりません。
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はじめまして。徳之島のことを検索していてこちらのブログに辿り着きました。奄美が1文字姓のことや、三原が「源」を分けたものであることなど、興味深く読ませていただきました。(私の母方が徳之島出身です)
2010/8/18(水) 午前 9:23 [ i_k*e_n** ]
おはようございます、はじめまして 。
奄美の島々は長寿と子宝の島としてしられます。
徳之島にある伊仙町は長寿世界をお2人も出しています。
特殊出生率で徳之島の3町が1位2位3位で、4位いかにも奄美の島の町が名を連ねました。
目には見えないパワーがありそう。
2010/8/18(水) 午前 10:43
早々のお返事有り難うございました。
特殊出生率で3町独占って、徳之島は3町しかなかったような...。驚)
生まれる方も多く、長生きの方も多いという訳ですね。
最近話題の「100歳超疑惑」なんてのもなさそうですね。
私の曾祖父の妹達(曾祖叔母というのかな...)も、先日99歳で亡くなった方や徳之島で93歳でお元気な方がいます。
長寿の方はおられるだけで、場が和みます。尊)
2010/8/18(水) 午後 7:10 [ i_k*e_n** ]
奄美大島にある伝承では、弟の平有盛、いとこの平行盛の3人で喜界島に3年間潜伏したとされます。
喜界島には「平家上陸の地」「七城跡」「平家森」と言った史跡もあります。
そして、喜界島から3人は奄美大島へと渡った。
そのため、喜界島には、平家が最初に築いたといわれる七城跡があり、追って来る源氏を警戒するための城跡となる平家森もあります。
他には、最初は平資盛が約300を引き連れて逃れてくると喜界島に入って、1202年になって平有盛と平行盛の二将が、会いにやってきた。
そして、3人で奄美大島を攻略しようか?と言う話になり、約50日間掛けて、奄美を平定した。
このようにして3人は、それぞれ別れて、奄美大島に住んだ。
大奄美史によると「この3将は全島を平定したあと、島内を三分してそれぞれの一を領した。」
2017/8/6(日) 午前 11:59 [ 奄美は人も自然も食物も良かった ]