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平成最後の日
いよいよ「令和元年」
いよいよ、お世継ぎの「浩宮徳仁親王」ご誕生、
カルピス・ソノシート「声のアルバム」
カルピス・ソノシート「声のアルバム」は、ソノシート5枚組の歴史的音声を収録したもので、このシートは2枚目の<お母さま編の「若い皇室の声」>欄で、
ナレーターは小島正雄さんです。
(小島氏は、日本の有名ジャズ演奏家であり、評論や司会業として活躍していたが、昭和40年に早世した。私的には、知的で品のよい司会をしていたことが印象に残っていますが、このソノシートが発売されたのが昭和40年ですから、これが発売された直後にお亡くなりになったようです。
なお、同氏はのちに紹介する清宮貴子さんのご主人島津久永氏とは、親しく交際があり、久永氏は小島氏の死亡時には弔辞を寄せられたようです。
同氏の声を聴きたければ、インターネット(ユーチューブ)で
<カルピス『声のアルバム』ソノシート歴史を色どった声、語り小島正雄を検索されたい。「歴史を色どった声」は、この「若い皇室の声」の裏面です。>
(ナレーション)
戦後人間天皇であることを自ら宣言され、私ども国民にとって、より身近な存在になら
れた天皇(昭和)ご一家、つまり皇室にはこのところおめでたいことがらが、引き続い
て千代田の森は華やかな雰囲気に包まれているようです。
私たち国民の象徴である天皇ご一家のお慶びを分かち合うために、ここ何年かの皇室ア
ルバムを、ひも解いてみましょう。
まず、清宮様ご成人の昭和32年3月2日の記者会見時
(記者の島津さんに関する質問に対して、貴子さんは、あの有名な「私の選んだ人を見
ていただきたい」と応えたのです。)
(続いて美智子さんの昭和33年11月27日の婚約会見、これも退位が迫って最近何度
も聴いた美智子さんの皇太子殿下(平成天皇)に対して、
「・・とてもご誠実で・・・」というあの有名な会見内容となるのです。
(ナレーション)
皇太子さまのご誕生、昭和34年4月10日ご成婚の儀は滞りなく行われ,やがて美智
子妃殿下はご懐妊、
(男性の声で)
「皇太子妃殿下本日午後4時12分宮内庁病院でご出産、親王がご誕生になりました。」
(ナレーション)
このお子様は、皇太子第一皇子でいらっしゃいますから、皇室典範によりますと、ゆ
くゆくは、第126代の皇位を継がれることになります。
ご誕生から7日目には「浴湯の儀」が行われました。
(男性の声)で日本書紀の巻?第11(・・・すめら尊・・??)が読み上げられる。
(ナレータション)
宮様が湯あみをされる浴室のお隣の部屋では、日本書紀が朗読され、また弓の弦音が
高く響きました。
こうして文武両道の清めを受けられた皇子様は、お爺さまにあたる天皇陛下(昭和天
皇)から「徳仁」と名付けられ、「浩宮」と称されることになりました。
(注:「浴湯の儀」は「読書鳴弦の儀」とも呼ばれる。天皇または内廷皇族の子⦅新宮⦆
が産まれた際、誕生7日目に行われる平安時代から続く儀式で、「破魔の儀」とも言
う。悪魔を祓い親宮の健康を祈るもの。
女官に抱かれた新宮が入浴する「浴湯の儀」と同様に浴澱の外では、読書役(2人)日
本書紀の一節を読み上げて新宮の文運を、また鳴弦役が「おう!」という掛け声とと
もに弓の弦を引き放ち武運を祈る「読書鳴弦の儀」が行われる。)
(ナレーション)
さて、35年(昭和)9月22日浩宮様ご誕生から7カ月目に皇太子ご夫妻(平成天
皇夫妻)は、アメリカ訪問の旅にお出かけになりました。
. 稚いお子様を残してのご出発は、さぞお心残りであったでしょうが妃殿下は母親として
のお気持ちをこんな風に語られました。
(美智子妃殿下)
このあいだ子守唄だけはテープに吹き込んでみました。
むしろ、赤ちゃんのためと言うよりも、親の気休めのようなものです。
(記者)
どんなふうに?
(美智子妃殿下)
鼻歌で吹き込んだだけですけど、色々と沢山吹き込みました。
(・・・美智子さんが作った「ねんねの木子守唄」も吹き込んだのですかねえ?)
(記者)
・・シューベルトとか?
(美智子妃殿下)
ええ。でも私はやはりデンデン太鼓とか・・・時々かけてもらって、声でも忘れない
でいてくれればよいと思います。
(記者)
なんかちょっとお痩せになった?
(美智子妃殿下)
はぁ、一児の母ともなると、あまり太っても・・・。
(ナレーション)
皇太子ご夫妻、ご生活は浩宮中心に明るく繰り広げられております。
ところで、皇室には近頃もう一つのカップルが生まれました。
39年9月30日(モチロン昭和)ご結婚の式を挙げられた常陸宮さまと津軽華子さ
まです。
(ナレーション)
こうして、かって私たちが義宮とお呼びしていた皇室の???常陸宮さまと華子さま
は、若々しい新婚家庭を作っておられます。
では皇室ご一家のお幸せをお祈りして君が代を。
(そのときバックから、コーラスが聴こえてくる)
きぃ〜みぃ〜がぁ〜よぅ〜はぁ〜
(小島氏のナレーション)
聴きなれない君が代ですねえ。実はこれは明治3年に作られた「君が代」で、現在私ど
もが唄っておりますものと歌詞は同じですが、メロディーはイギリス人のウイリアム・フェントンの作ったものですが明治9年に廃止された。
現在の君が代は、宮内庁雅楽部で、日本人の手によって作曲し直されたものです。
(再びコーラスが流れる)
きぃ〜みい〜がぁ〜・・・・い〜わぁ〜おぅ〜とぉ〜なぁ〜りぃ〜てぇ〜
こけのぉ〜むぅ〜すぅ〜まぁ〜でぇ〜
(ソノシート終了)
「国家君が代」
「君が代」は、古今集巻七「賀の部」のはじめに、題しらず、読み人しらずとして載せられて
いる。
〜わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで〜
という歌がその本歌です。
「わが君」を「君が代」と改めた、現在の「君が代」は和漢朗詠集の下巻「祝いの部」に
〜君が代はちよにやち代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで〜
とされている。
現在の「君が代」は、明治13年7月、当時の宮内庁雅楽所に、海軍省傭ドイツ
人エッケルト(海軍々楽隊教師)及び海軍々楽長中村祐庸、陸軍々楽長四元義豊
宮内省伶人長林広守の4人が、国家「君が代」の作曲を依頼された。
その結果、林氏の作品が選ばれ、これにエッケルトがハーモニーを付けて、同年
11月3日、この日は明治天皇誕生日であり、当時の「天長節」に発表された。
それでは、平成最後の日に国家「君が代」を掲載して、新天皇と新元号「令和」の御世と時代の弥栄を祈願いたします。
国家 君が代
〽 君が代は 千代に八千代に
さざれいしの 巌となりて こけのむすまで ♪
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