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さよなら、 ドリスおばさん
私の世代よりはひと世代前の歌手たち、パティー・ページ、ダイナ・ショワ―、そしてドリス・デイ、彼女らは、何故かわたしが好きだった古き良きアメリカを代表する明るく健康的な歌手でした。
今朝の新聞をみて、ビックリしました。私的には、ドリス・デイはとうの昔に亡くなっていると思い込んでいただけに、正直、今までご健在であったのか?との思いが強かった。
つい懐かしくなって、早速倉庫の奥に収納の「ドリス・デイ」さんのレコードを探索したのですが、なかなか見つけられず、これには悪戦苦闘させられました。
多数のレコード、それも重いSP盤の探盤は、それらを移動するだけで大変です。お陰で腱鞘炎気味となったほどでした。
ドリスの盤は、「洋楽ヴォーカル」で分類していたのですが、いざ探してみれば、あっちこっちに分散しており、私の記憶する半分も出てこず、結局彼女のSP盤8枚(内重複盤3枚)LP盤3枚を見つけることができました。そして彼女のヒット曲「ケ・セラ・セラ」のドーナツ盤も持っているはずと懸命にさがしたのですが、出てこずじまい。
それでは、彼女の最初のヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」から、
このSP盤は、彼女のレス・ブラウン楽団所属当時のものです。
この曲は、ライナーノーツによれば、1944年発売されたもので、
〽 ・・涙なんか拭いて、さあセンチな旅に出よう・・ ♪
という歌詞だそうです。聴いてみれば、えらく前奏の長い曲で、曲だけ?と心配しましたが、これは、ディック・ミネの「ダイナ」を最初に聴いた時と同様の、ジリジリした感じを受けました。
この曲では最後に ・・センチメンタル ジャ〜二〜 ♪で終わるのが印象に残りました。
次は最もヒットした「ケ・セラセラ」を
〽 whan I was just a little girl I asked my mother what
will Ibe
・・・・(中略)・・・Que sera,sera What will be, will be ♪
5月15日ドリスのドーナツ(コンパクト)盤「ケ・セラ・セラ」、出てきました!
この曲は1956年(昭和31年)に、ヒチコックのスリーラー映画「知りすぎた男」の主題歌でした。
この映画では、ドリスは主演のジェイムズ・スチュアートの相方として自ら出演し、そして主題歌を歌っております。
ライナーノーツによれば、映画は仮想国の駐英大使の暗殺を扱ったもので、ドリスは、子供が誘拐されるアメリカの医師の妻役で好演、劇中でこの「ケ・セラ・セラ(なるようになるさ)」を歌い、その歌声を軟禁されている愛児が聴いて、難を逃れるという筋書きです。
なお、この歌は1956年のアカデミー主題歌賞にも選定されたようです。
この当時私は8歳でしたが、この曲だけは何故か鮮明に覚えています。
ラジオ(S盤アワー?)でよく聴いたおぼえがあり、その内容も「ケセラセラとは、『なるようになるさ』という意味」ということも理解し、変な題名の歌と思ったものです。 (日本人歌手のカバー歌詞で記憶に残ったのかも知れませんが?)
思わず懐かしく記憶が甦り、次々と盤がみつかるたびごとに、1枚々蓄音機で聴き入るのですから、作業は進みません。
だけどヤッパリ、ケセラセラは良い曲です。センチメンタル・ジャーニーより、彼女の健康的で明るいヤンキーな雰囲気に合っています。
そして「シャンハイ」、「エンジョイ・ユア・セルフ」と、「クレイジー・リズム」も聴きごたえがありました。
特に「クレイジー・リズム」は、出だしと中途にタップダンスが挿入されており、私的には懐かしかった。
ちなみに、ジャズヴォーカル研究の第一人者武田清一さんは、ドリスのことを
「彼女は僕の最も愛しいシンガーの一人」
と高く評価しており、彼女の曲で特に好きなのは、彼女がご自分の名前をひっかけた
デイ・バイ・デイ デイ・バイ・ナイト デイ・ドリーム
と語っていたようです。
いづれのSP盤も状態は良好でした。
この男性は、あの風と共に去りぬのクラーク・ゲーブルですぞ。
ドリス・デイさんの訃報に接し、今改めて彼女のSP盤を聴いたことから、久しぶりにスクラッチまじりの彼女の若かりし頃の明るい歌声が聴け、彼女を偲ぶことができたのです。
これらアルバムも聴きましたが、なんと言ってもSP盤は当時の空気までも伝えてくれるような気がして、やはり軍配はSP盤に挙げざるを得ませんでした。
サヨナラ! ドリス おばちゃん 安らかに・・・。
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