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【江東区】新大橋傍から清洲橋 夜景 新大橋の江東区側橋詰から東京湾方面に向かって清洲橋を望みます。 可愛らしくライトアップされた小さな橋が清洲橋。江戸時代にはありませんでした。 新大橋は千住大橋、両国橋についで三番目に架けられた江戸の橋で 江戸時代にはこの写真で隅田川がカーブしている辺りに架けられていました。 当時松尾芭蕉はこの橋のたもとに住んでおり、 新大橋の工事を見守りながら 「初雪や かけかかりたる 橋のうえ」 さらに完成後には 「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」 という句を残しています。 芭蕉の庵は写真のちょうど左手の、大きなネオンサインの辺りにあったと言われています。 現在の新大橋。中央区側から江東区側を望みます。 松尾芭蕉と言えばウォーキングの大先達。 道理で気になるわけです。 ★このコーナーでは、東京での散歩やウォーキングの途中で出会うことができるスポットを ジャンルにはこだわらずに、お気楽にただ地域別にまとめていきます。 名所・旧跡、定番の老舗、話題のグルメや地元の名店などはもちろん、 ツアーの途中、街で見かけたちょっとした風景や謎の物体?など・・・ 東京観光や散策の穴場などもご紹介できるかもしれません。 エピソードや説明などは、少しずつ、更新という形で付け加えていきたいと思います。 まずは写真をご覧ください。 by TOKYO CITY TOURS
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【江東区】散策スポット
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【江東区】砂町銀座 砂町銀座。 商店街マニア?ならぬ一般人とても一度や二度は耳にする超有名商店街。 東京近郊での知名度は一二を争うことは間違いありません。 それだけに大人としては付き合い方に悩むところ。 見かけだけのレトロ風に騙されないよう警戒心むき出しで商店街を探査するか? はたまた「これぞ大人の度量」とばかり、なんでもござれが商店街の良さ!と開き直ってみるか? いつ来ても悩みは尽きません。 でも、陸の孤島でありながらこれだけの人を呼び寄せる底力、それはやっぱりタダものではありません。 やっぱり商店街は「ひと」なのでした。 ときどきお店や風情をお伝えしていきたいと思います。 砂町銀座:江東区の電車の駅から遠いところ。 ★このコーナーでは、東京での散歩やウォーキングの途中で出会うことができるスポットを ジャンルにはこだわらずに、お気楽にただ地域別にまとめていきます。 名所・旧跡、定番の老舗、話題のグルメや地元の名店などはもちろん、 ツアーの途中、街で見かけたちょっとした風景や謎の物体?など・・・ 東京観光や散策の穴場などもご紹介できるかもしれません。 エピソードや説明などは、少しずつ、更新という形で付け加えていきたいと思います。 まずは写真をご覧ください。 by TOKYO CITY TOURS
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【江東区 中華そば おはる】 永代橋のたもと、小さな運河のほとり。 昭和レトロそのものの中華そば屋さん。 昼どきはビジネスマンでごったがえします。 建物だけじゃありません。空気もおじさんも昭和そのもの。 お近くをお通りの際はぜひご賞味を。 (*_*)具だくさんの五目そばがおススメです。 ごいっしょしませんか? おはる:江東区永代1-11-11 ★このコーナーでは、東京での散歩やウオーキングの途中で出会うことができるスポットを ジャンルにはこだわらずに、お気楽にただ地域別にまとめていきます。 名所・旧跡、定番の老舗、話題のグルメや地元の名店などはもちろん、 ツアーの途中、街で見かけたちょっとした風景や謎の物体?など・・・ 東京観光や散策の穴場などもご紹介できるかもしれません。 エピソードや説明などは、少しずつ、更新という形で付け加えていきたいと思います。 まずは写真をご覧ください。 by TOKYO CITY TOURS
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【江東区 萬年橋】 小名木川に架かる萬年橋。 芭蕉がすぐ近くに住んでいた橋として、 広重が描いた橋として有名。 夜がすてきです。 ★このコーナーではウオーキングの途中で出会うことができるスポットを「区」別にまとめていきます。 エピソードや説明などは、少しずつ、更新という形で付け加えていきたいと思います。 まずは風景をお楽しみください。 by TOKYO CITY TOURS
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≪菅原道真公 五歳の歌・・・すでに梅です!≫ 菅原道真公、お生まれになったのは西暦845年、年号でいいますと承和12年ということです。 今から1165年も前のことです。京都に都が移ってからちょうど50年ほど後のこと、 東京との関わりで言いますと、あの有名な平将門の誕生する60年ほど昔になります。 ちなみに徳川家康は1542年の生まれ、菅原道真公は家康より697年も前!にこの世に出られたのですね。 なんだか身の引き締まるような?遠さではありませんか・・・。 さて、その道真公はごく幼い時にすでに和歌をたしなまれたそうです。いわゆる神童ですね。 最初に和歌を作られたと伝えられるのは五歳のときだそうです。 こんな歌でした。 「うつくしや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」 (きれいだな。 あの紅色をした 梅の花。 あこの顔にも つけたくなっちゃうよ。) 「あこの顔」とありますが、この「あこ」というのは、道真公の幼名だそうです。 平安時代の「紅」は、唇はもちろんのこと、ほほ紅としても用いられていたようですので、 この歌の場合は、ほほ紅としてでしょうか。千年以上のちの私たちが読んでみてもほほえましい歌ですね。 拝殿の向かって左手に、可愛らしい銅像が立っています。 「五歳菅公像」と申しまして、ここにご紹介した歌を詠まれたおりの道真公をモチーフとしたものです。 台座にこのかわいらしい歌が刻まれております。 人生最初の歌で「梅」を詠まれていたのですね。
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