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東京の10番である梶山選手が引退しました・・・・・。
今季の途中、梶山選手はアルビレックス新潟にレンタル移籍しました。東京の10番なのに何故レンタルさせられなければならないのか少々疑問に思っていました。
彼の膝や足はもう悲鳴を上げていました。もうこれ以上プレーは出来ないと考え引退を決断したと思いますが、
彼の心の中の葛藤はさぞかし苦しいものだったに違いないと思います。まだ33歳、引退するには早すぎます。
彼の産まれ育った深川の近くにあったFC東京深川スクール、ここから彼は天才プレーヤーとして上り詰めて
行きます。トップチームへの昇格、FC東京にとって悲願であったアカデミー出身者による10番でした。
数々のアンダーの代表に選ばれ、北京オリンピックでも彼は10番をつけました。
その頃から彼は怪我に悩まされることになります。特に膝にはいつぃも爆弾を抱えているような状況でした。
この怪我が無ければ、彼はW杯に選ばれていいはずの実力を持っていました。
確かに彼のプレーには波がありましたが、それはやはり怪我からくる物だったと思います。好調の時の彼は
時々素晴らしいプレーを見せてくれました。それは”変態プレー”とも言われ、誰にも真似ができないものでした。
太田コースケによると自分にとって天才と呼べるのは小野選手とこの梶山選手であったという事です。
J2の最終戦にアルビのスタメンとして出てくるかと期待していましたが、ベンチに座わったまま一度もピッチに
立ちませんでした。数分間でいいから出してくれてもいいのにとアルビの監督を恨みました。
こうやって彼の22年に及ぶサッカー人生は余りにもあkっけなく、はかなく終わってしまったのです。
11月24日のFC東京ホーム最終戦が終わり、彼の引退セレモニーが始まりました。
彼はまずは川崎サポに向かって「優勝おめでとうございます。多摩川クラシコを盛り上げて下さって有難うございました。」と挨拶しました。そして向きを変え、私達サポーターに向かってスピーチを始めました。
何だか胸が熱くなって涙がこぼれてきたので、よく聴いていませんでしたが彼の表情には何の未練も無く
すっきりとした表情が印象的でした。その後にご家族が出てきて花束が渡されました。
7年前のユーロスポーツ2階での3ショット写真撮影会とサイン会の後、誰も居なくなった頃を見計らって、私は梶山選手に写真を撮らせてもらいました。
「足や膝の怪我はどうですか?」と聞いたところ、「もうかなり良くなってきたので大丈夫です」と聞いてほっと
したことを覚えています。そんな時に「パパ!パパ!」と言って当時4歳のお嬢さんが足下に寄ってきて梶山選手はお嬢さんを抱き上げ、にこにこしていました。お嬢さんと一緒の写真も撮らせてもらいました。
お嬢さんに「今いくつ?お名前は?」と私の質問に可愛らしく答えてくれました。その後も梶山選手と色々立ち話をしたのは私にとって良き思い出です。お嬢さんにバイバイと言って下に降りると、梶山選手の美しい奥様が
ベビーカーに男の子の赤ちゃんを乗せて押している所に遭遇しました。その後にも、もう一人男の子が生まれて
お子さんが3人になったようですね。
そして翌12年の元旦の天皇杯に優勝し、アミノバイタルでの優勝報告会の後、偶然梶山選手が通りかかった
ので、「梶山さん、有難うございました!」と声をかけた所、とびきりの笑顔で応えてくれました。
22年のサッカー人生に終止符を打つとはいえ、今後は石川ナオや羽生さんのようにFC東京内部に残って
後輩の育成に力を注いで欲しいと願っています。
梶山選手とご家族の方々、本当にお疲れ様でした!そして素晴らしいプレーの数々有難うございました。
梶山選手の第ニの人生に幸多かれとお祈り致します♪
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