奈良の旅

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本物との出会い

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朱雀高松塚古墳の壁画を見てきました。
飛鳥は何度か行ったことがありましたが、
高松塚には行ったことがなかったのでとても楽しみでした。

早めに行きましたので古墳も見ました。
でも・・・。
解体工事の最中でした。
古墳を覆っていた建物を壊していたのですが、
初めてみた高松塚古墳の姿がこれでは悲しいですね。
高松塚古墳の歴史のなかの1ページになるのでしょうが、
やはり元の姿のままでの保存が難しいとはいえ悲しい光景でした。

さて。
本日の第1の目的の壁画の修復現場の見学ですが、
感動というか、以前のキトラ古墳の時と同じ様な気持ちでした。

修復現場が見える窓からの見学でしたが、
色がわかりやすいものを手前に置いて下さっていたのでよく見えました。
ですが、10分間という限られた時間と手前に置かれた壁画の様子がわかるだけ、
奥に置かれた石に書かれた壁画はあまり見えないという状況・・・。
ゆっくり、すべてというわけではありませんでした。
ですが。「見た」という事実に変わりはありません。
それほど大きな感動はないにしても、実際にみるということは貴重なことですね。
いい経験をさせてもらいました。
歴史の中の絵画が目の前にあって、古代の人がみた色を見れることは、
本当に素晴しいことだと思います。

今回は本当に「縁」があって見ることができましたが、
これから先また見ることができるかわからない壁画ですので、
見ることができた事には本当に感謝です。

本物に出会えること。
これからの人生でどれだけ経験できることでしょうか。
出会いを大切にこれからも生きて行きたいですね。

写真は植物で四神が現されていましたので撮ってみたものです。
1枚めが右から「朱雀」「青龍」です。
2枚めは右から「白虎」「朱雀」「玄武」です。

お誘い♪

「奈良へ一緒に行きましょ」とお誘いがありました。
うれしいお誘いです。
しかもその目的というのが、高松塚古墳の修復現場の見学なんです!!!
知り合いの人が一緒に行く人がいないからと誘ってくださったんです♪

本当にうれしいです。
私もかねてから行きたかったので本当にご縁のおかげと思いました。

その日はせっかく飛鳥まで行くので少し早めにいって観光もたくさんしてきたいです。

楽しみです❤

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蘇我馬子発願、596年に完成した日本初の本格寺院の飛鳥寺、
ここに飛鳥大仏が安置されているんです。
法興寺、元興寺とも号するようですが、飛鳥寺のほうがしっくりきますね。

飛鳥大仏は609年に鞍作止利(くらつくりのとり)、
いわゆる止利仏師が作った銅造丈六仏です。
この飛鳥大仏は銅造の釈迦如来坐像で、日本最古の丈六仏だそうです。
確かに、そのお顔は京都に多く見られる平安期の仏像のお顔とは違いました。
面長のお顔と手が大きく、
杏の形をした杏仁様といわれる眼など目鼻のはっきりとしたお顔でした。
他にも奈良では飛鳥時代のいわゆる飛鳥仏を観る事ができます。

飛鳥大仏は長い間風雨にされされていたそうで、
お顔と右手中央の三指以外は後補らしいです。
しかしその優しいまなざしはいつの世もおまいりに来る人を見守ってきてくださったんでしょうね。

現在の建物は江戸時代に再建した講堂(元金堂)のみとなっていますが、
創建当時は大寺院だったことが最近の発掘によって明らかになっています。
聖徳太子、推古天皇、蘇我入鹿、馬子、中大兄皇子、中臣鎌足などをはじめ、
多くの飛鳥に生きた人々が飛鳥大仏の安置された飛鳥寺を訪れたことでしょう。
大きな飛鳥大仏に信仰の心のあるなしに関わらずそのお姿には畏怖の念を抱いたことでしょう。
全てみられているようなまなざしに安心感と畏怖の念を覚えました。

飛鳥は何度訪れても、
日本人の精神世界の中にいるような感覚になります。
神、仏という形、言葉では言い表せない何かを感じます。
本、テレビなどで得た情報からくるものによるものだとしても、
感じる何かは自然の中にある素朴な感覚です。
飛鳥はきっとこれからも初夏に訪れたい場所ですね。

写真は飛鳥寺と、飛鳥大仏です。
飛鳥大仏は写真撮影が許可されています。

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今は一面の草原ですが、山田寺跡です。
蘇我入鹿の従兄弟にあたる、
蘇我倉山田石川麻呂(そがくらやまだのいしかわまろ)が造営着手した古代寺院の跡です。

山田寺は641年に造営を始め石川麻呂の自害により一時造営は止まりましたが、
685年に無事に丈六仏の開眼供養が行なわれています。
丈六仏とは、「一丈六尺の仏」の略です。
生前のお釈迦様の背丈は周尺で一丈六尺(今の485センチか?)であったとされ、
その生前の原寸大の大きさに作られた仏像のことです。
そのくらいの大きな仏像が納められるお堂があったんです。

7世紀飛鳥に活躍した蘇我氏の寺院ですからきっと立派な寺院だったんでしようね。
当時はひろかったのだなという印象を受けるくらい広々とした土地に、
金堂跡、塔跡、回廊跡、南門跡をみることができました。
今はその跡でしかありませんが・・・。

時代の流れとでもいうのでしょうか。
山田寺の跡に行きたいと、行きかたを訪ねたら驚かれました。
やはりそんなにわざわざ行く方はいないようです。
本当に草原でしたから・・・。
ですが、当時としたら立派なお寺のあった場所です。
忘れられるということは悲しいですね。
地元の方くらい過去の姿を記憶に留めておいてもいいのではと思います。
蘇我の一族だからといって入鹿ほど歴史の表舞台には出てこない人であってもです。
飛鳥に生きた人です。
これだけの寺院を造った人です。
忘れてしまうのも悲しいことです。

写真は全て山田寺跡で撮ったものです。
生憎の雨でしたが、草原の緑が綺麗でした。
1枚目は塔の跡です。
2枚めは南門跡からお堂がかつてあった方を撮ってみました。
3枚めは東回廊の跡です。
この東回廊は建物が倒壊した状況がそのまま残され、
連子(れんじ)窓などの建築部材が当時の状態を保って出土したそうです。

玄武に会いに・・・。

奈良県文化財研究所飛鳥資料館へと、
キトラ古墳に描かれていた壁画の「玄武」を見に行きました。
今回の奈良旅行の一番の目的です。

朝一番に行ってきたためか人影もあまりなくゆっくりと観ることができました。
なんといっても自分のペースで展示品を観る事ができたので本当によかったっです。
玄武の前もそんなに並んでいませんでしたし、
時間があったこともあって二回も並んでしまいました♡
しかし、本当に綺麗に玄武が描かれており、
1300年の時を経た壁画というのが信じられなかったです。
去年の白虎といい、朱雀、青龍、十二支の獣面(獣頭)人身像など、
色彩もわかるほどの状態で発見されたことは素晴しいことです。

古墳内での保存が難しいと剥ぎ取られましたが、
こうして1300年の時を越え私の目の前にある、
いろいろと問題や指摘がありましたが、
そのおかげでこうしてみることができるので私は嬉しいです。

確かに現地保存のほうが当時の人にとってもこれからのことを考えてもいいのだと思います。
ですが、こうして目の前にあると綺麗な状態で残すことも必要かなと思いました。
多くの人に歴史、日本の文化に興味を持ってもらういいきっかけにはなったと思います。

来年は朱雀でしょうか♪
来年もなしかしら公開してもらいたいですねo(^-^o)(o^-^)o

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