音楽パブキャラバン情報

音楽やろうぜ、バンド組もうぜ、ライブやろうぜ,ゲストブックからホームページへどうぞ

全体表示

[ リスト ]

樺太の真岡港から追われる様にして引揚げてきた山中一家
父、母、兄は16歳、14歳、12歳、1歳、姉が9歳
長女の姉はすでに嫁いでいたので別行動で引揚げた
俺はまだ生まれてない
函館港に入港し入国手続き、戸籍の確認
母は子供を10人以上生んでいたが幼児のときに死んでしまった子は
戸籍に載せず、前記七人だけの登録とした
引揚者は国内に頼れる親戚、家族のいるものは有縁故者
頼れる身寄りの無いものは無縁故者と区分された
父は青森県弘前市の農家の次男坊
長男が農家を継いでいつが、そこに行ける訳がない
父の弟が函館に住んでいるがどこも戦後の混乱期
頼って行けない事がわかってる
引揚者名簿に世帯主である父の職業の欄がある
樺太では旅館業、雑貨屋、小売業であったが
父は職業の欄に”農業”と書いた
生まれが弘前の農家だったこと
農業と書いたほうが、開拓の土地が割り当てられやすいだろう
そう考えたようだ
樺太、満州、南方各地、多くに引揚者を受け入れていたのが
当麻町である、当麻町には嫁いだ姉の義兄が農家をやっていた
頼るわけではないが、まったく何の縁もないよりは、と当麻行きを決めた
上川盆地の当麻町、かっての帝国陸軍第七師団の拠点が旭川にあり
当麻の山間部は第七師団の演習場であった
当麻にはそれら演習場に付随する兵舎が各所にあり
武装解除、解散となった軍の兵舎は
着の身、着のままの引揚者の仮の住居として使われた
当麻に戸籍登録し本籍地は ”北海道上川郡当麻町(村?)1409番地”
食料をどうしたのかはよく聞いてない、兄たちは知ってると思うけど
当麻の山奥の開拓地が割り当てられると言っても
昭和24年の引揚げは最も遅い引揚げになる
開拓地の平坦な土地、南向きの斜面などはすでに割り当て済み
残っているのは、更に山奥の狭い谷間、急な北向きの斜面
当麻の中心部から12キロ、まともな道路も無い
父は冬が来て雪道になると、簡単なソリを作って山奥の
割り当てられた開拓地に集めた端材を運んで
仮の住居を作る準備に励んだ
兵舎から緑郷にある割り当てられた五色沢の開拓地へ行くのには
当麻山の坂道を上り下りしなければならない
兄たちも手伝って、12キロの雪道を何回も行ったり来たり
長男の兄は当麻の木材の製材工場に職を得た
そこから売り物にならない端材が分けてもらえたようだ
昭和25年2月13日(頃?)、上川盆地の2月は寒いよー
やっと俺が生まれた、13日でなく12日だという説もある
勿論、産婦人科医の手も助産婦の手にもかからない
当麻の役場に父が出生届けを出した時13日と届けただけで
母は12日だと言っていたので、俺はずーと12日が誕生日だと思ってた
西暦では1950年、この年の6月25日、10万の北朝鮮軍が38度線を越えて
大韓民国へ侵入してきた、朝鮮戦争の勃発である
その後日本は朝鮮戦争特需で経済、産業復興の機会を得るが
当麻の山奥の開拓農家には無縁であっただろう
その後、約5年以上イモやカボチャで飢えをしのいでの暮らしが続く
 

開く トラックバック(1)


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事