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私の子育て論

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こみ上げる涙

私は若い時に生き方や人生や子育てを真剣に考えた時期があります。
頭に浮かんだことをまとめるのによく話すことをしていました。
そんなつまらない話を聞いてくれる人がいないので当時小学生だった
末っ子の娘に一杯飲みながら話して聞かせました。

娘は大人の話でわけも分からないのに真剣な眼で聞いていたのが
今でも目に浮かびます。
そんな娘が7月31日に横浜で結婚式を挙げました。

式の最後に娘から両親への手紙で
「途中で投げ出さないで、一つ一つ完結していけば必ずいつか活きてくる。
今やっていることで無駄なことは何もないよ」と教えてくれました。
当時、私は小学生。何のことだかよく分かりませんでした。
でも、今になってやっと、あの時のお父さんの言葉が分かるようになりました。
今まで投げ出さずにやってきた全てのことが積み重なって、今の自分があるんだなと
感じています。
あの頃、嫌だったいろいろなことが今では楽しみの一つになっています。


思わず涙がこみ上げてきて止まらなくなってしまいました。
その場にいた人たちには何で涙を流しているのか分からなかったと思います。
嬉しさでこみ上げてくる涙が止まりません。

私は悲しい時や苦しい時に涙を流すことはそうはありません。
最高の喜びを感じた時に涙が止まらなくなります。

妻と娘は涙の意味を分かっています。
おそらく涙の意味を分かっているのは家族だけでしょう。
私の子育て間違っていなかったのだなと思いました。
しっかり育ってくれた子供達に感謝しています。

謹賀新年

ブログを書き始めて2年半になります。
最初は子育てと住宅について書き始めていましたが、
今は日々気がついたことを書いています。

子供たちも自立する年代になり、
子育てが終わりました。

子供たちは私の子育ての実験材料であり、子育て論の先生でもありました。
子育てでは、どんな本を読むよりも、子供たちをしっかり観察することがポイントになります。

4人の子供と保育園の子供たちをじっくり観察したおかげで
子供の表情を読み取ることが出来るようになりました。
これは子供が大きくなっても役に立っています。

子供を産んだら何でも出来る親になったと思うのは、間違いだろうと思います。
親も子供を育てるのと一緒に親を学んでいきます。
子供と一緒に育ちます。

そう割り切ると子供と遊べるようになります。
恥ずかしながら私も3人目の子が産まれたころにやっと気がつきました。

親が「だめ」と言うことは子供にとって楽しいことばかりです。
「だめ」と言う前に子供の時代を思い出し、自分の気持ちを見直してみると
子供たちは楽しんだろうなということが分かります。

何でも「だめ」ではなく、何が「だめ」なのか確認することが大切になります。
その「だめ」なポイントだけを抑えれば、子供はいろいろなことに意欲を失わずに向かいます。

今は余裕を持って孫に試しています。
1ヶ月も会わない孫が、私と妻の顔を見るとニコニコしながら迎えてくれます。
また、お友達が来たみたいな・・・

そんな孫と産まれたばかりのその妹に明日会いに行きます。

世間から見るとちょっと変な家族の1年がまた始まります。
今年もファミリーが増え、みんなが元気で頑張れれば良いと思います。

劣等感は成長を止める

私は子供たちに劣等感を持たせないようにしています。
劣等感は、反発するエネルギーになることもあります。
しかし、劣等感を持ち続けることでその人の成長を止めます。

すごい人間がいたらその存在を認めることです。
そして、自分はどうすればよいのか考えます。
そこに努力が生まれます。

劣等感は成長を限定します。
劣等感がないと無限の成長ができます。

これは人間の内面の成長なので気の持ちようでどのようにも変わります。
特につまらない劣等感は学歴です。
大学にいかない。良い大学を出ない等でしょうか。

私の友人に中学から就職した男がいます。
いわば中学から社会勉強をしています。
実はこの友人、私に世間を教える先生です。

大学の4年間よりも、
その後の勉強や努力のほうが大切なようです。

大学を出たから意味があるのではなく
大学の勉強をもといかに積み上げてきたかに意味があるように思います。

世の親は、良い大学へ行くのが目的のように思っているようですが、
大学を出て何をするかが大切なのだろうと思います。

大学時代に心構えと基礎を築き、卒業してからいかに積み上げていくかでしょうか。

小さい時から違います

友達が孫の保育園のお迎えの帰りに寄りました。
息子の子より2ヶ月くらい先に産まれています。

良く食べるのか体も大きく手足も大きいので大きくなりそうです。
何となくおっとりしていて保育園で噛まれたそうです。

息子の子は1ヶ月ぐらい前に保育園でお友達を噛んだという情報が入りました。
小さいのですが見ていると顔つきも目の配り方も何かを狙っています。
息子の子は何かいたずらをしようかなという目つきをしています。

友人の孫は、何でも面白そうにニコニコしています。
性格はこんな小さい時に違っているのかと感心しています。
どちらも良い特性を持っています。

それぞれをのばしていくのも大人のかかわり方しだいなのかなと思いました。
息子の子は手足も小さくそれほど大きくはならないだろうと思います。

それならば、あのいたずらしようかなと言う意欲をのばしてやりたいと思います。
先日、帯状疱疹の皮膚科にいって待合室にあった「鈍感力」
とかいう本に渡辺何某が書いていました。

子供は図にのせるとますます努力して成長するのだそうです。
頭の隅に仕舞っておいて、今度孫と会う時に試してみたいと思います。

教育って・・・・・

高校から教育がなくなっているような気がする。
教育とは教え育てる、あるいは育つだろうと思っていた。

大学にいってその学部で必要な知識がないと言っていた。
当然なのかもい知れない。

高校の目的は大学に入ることなのだろう。
有名な大学に生徒を送り込めばその役割が達成されると思っている。

そして、それが校長や学校の成績と考えれれていることがおかしい。
次女の高校でPTAの会長をしたことがある。

その時校長たちの話では、進学の話とスポーツの成績が中心になっていた。
また、進学率の高い高校の校長の方が上という格式があるようにも思えた。

ちょっと変な空気に違和感を感じたことは今も思い出す。
未履修の件はやっぱりという感である。

教えるということは、子ども達に情報を与えることだろうと思う。
そして、一番大切なときに必要な情報を与えずに
片寄った情報提供をしていることは問題である。

週休2日になっても必要なものを教えなければならない履修要綱だと思う。
また、それはある程度計算されたものだろうと思う。

それは人となるために必要とされている。
もし、その要綱が間違っているのならばそれを見直さなければならない。

高校の意味を大きく変えてしまったことは子ども達にとっても、
日本の国にとっても問題だろう。

まして履修していないものを履修していると記載して公文書を提出することは
公文書偽造になる。

学校が法を守らないで本当に教育などできるのだろうか。
そして、それが当たり前になっていることが恐い・・・・・

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