|
1
この張り詰めた感じが好きなんだと思った。子供の頃から幾度となく感じてきたものだ。その瞬間を重ねることが生きることだったのかもしれない。
クラウチングスタートの姿勢で火薬の炸裂音を待つ。五感にまとわり着く濃密な空気。密度が増した空気に押し込められ身動きできない。それと同じだと気付いた瞬間、迫田トオルの脳裡を、これから起こるであろうことが鮮烈なイメージとして駆け巡った。
スターティングピストルが頭の中で鳴る。
手にしたハンディタイプのバーナーに点火した。青く先の尖った焔がトオルの熱誠な顔を薄暗がりに照らす。
ガスの燃焼音が円を描いていく。
港近くの裏通りに面した懐古趣味の三階建てビルは、その佇まいが老舗の建築設計事務所であることを体現していた。裏手の出入り口のドアに寄せるようにして停めた二台の黒いワゴン車は、リアハッチが開放されたままだ。これから何か作業でも始めるかのように、二十人程のつなぎ服を着た作業員らしき男たちが待機している。ありふれた風情だったが、唯一、不自然なのは深夜の時間帯であるということだった。通りを往く車もなければ歩いている人もいない。
裏口横の窓のガラスを火焔が焼き切るのに大した時間は必要なかった。トオルが窓を解放して飛び込んだのが合図だ。男たちが手にしていた目だし帽を素早く被り、ドア付近に駆け寄る。程なくドアが内から開けられると、全員が堰を切ったようになだれ込んだ。
「スイッチだ、スイッチ。電気点けろ」
押し殺してはいるが音圧がある声を発しながら、トオルは奥の部屋に向けて走る。歓声のない陸上競技のように男たちも続く。予想通りお揃いのランニングシューズと床の相性はいい。低い音で鳴り続ける警報音と点滅している赤いランプは気にすることはない。警備会社が確認中に違いないが、彼らの到着を待つつもりはなかった。
トオルたちが奥に進むにつれ、暗く幻想的でさえあった古いビル内が灯りに照らされ、現実感が増していく。通路を抜けた建物の正面側は吹き抜けのホールだ。横から伸びる湾曲した踊り場のない階段は、二階のフロアに続いていた。先頭のトオルは一階を更に右手に進み、事務室と思しきドアを目指す。木製の引き戸に心の中で毒づきながら素早く開け、駆け込んだ。
「急げっ、とにかくぶち撒けろっ」
予め打ち合わせた通りに、男たちは物品を運び出しつつ、手当たり次第に荒らしていった。思い付くまま机や棚の引き出しをぶち撒けていく。
「パソコンは全部だっ。応接の絵も忘れんな。半分の人間は俺と来い。二階行くぞっ」
階段を駆け上がると二階は一つながりの部屋のようだった。いつかテレビで観た木造校舎の教室を思い出す。一番近い引き戸を開けて侵入すると、すぐさま照明のスイッチを探した。照らし出されたのは製図室だ。
「ここのパソコンもだっ」
トオルは製図台やパソコンが並ぶ机の間の通路を大股で素早く移動しながら、抑えてはいるが有無を言わさぬ声で指示を飛ばす。
壁際のキャビネットに近づく。大型で薄い引き出しが沢山あるタイプだった。一つを引き出すと、設計図が詰まっている。
「おい、こいつら全部だっ。引き出しぶち撒けて中身は全部持ってけっ」
作業着姿の男たちは寡黙にして機敏に動いていた。慌ただしく各部屋と裏口に停めたワゴン車の間を往復する。
「おいっ、お前とお前、三階見て来いっ。金庫探すんだ。あったら持てなくてもいい、引きずり出しとけっ」
トオルは手近かな二人を捉まえて指示すると、一階に下りて出入り口に向けて走り出した。
二台のワゴン車の荷室はやがて埋まりそうだ。トオルは左の作業手袋をめくり、サブマリーナの針を読む。侵入から五分。そろそろ潮時だ。
「撤収だっ、引き揚げるぞっ。急げっ」
室内に戻りながら言う。部屋中を引っかき回していた男たちは動作を止め、散乱した物を蹴散らしながら、トオルが居る出入り口のほうへ一斉に走り込んで来る。さながら大地震発生直後の混乱だ。
外に出たトオルは運転席に俊敏な動作で乗り込んだ。エンジンは掛けっぱなしだ。アクセルを煽りなからバックミラーで車外の撤収状況を確かめていると、男が助手席に飛び乗って来た。こぶし大の金色をした凱旋門を握りしめているのが目に入る。男と目が合うと、そいつは僅かに卑屈な表情を浮かべ、戦利品をポケットに突っ込んだ。
ワゴン車の荷室の隙間にどうにか全員が納まり、最後に飛び込んだ男がリアハッチを内から閉めた。同時にトオルはハンドルを少し右に切りながら思い切りアクセルを踏み込む。ドアが閉まる音に被さるように、タイヤが空転する音が鳴り響く。もう一台のワゴン車も数秒の時間差で急発進した。
加速していく車の中でトオルは目だし帽を脱ぎ捨てた。角を幾つか曲がりながら徐々に普通の速度に落としていく。港湾区域に入ると辺りは同じような形のシャッターが下りた倉庫ばかりだった。トオルは煙草を取り出し、ハンドルを肘で支えながら両手でダンヒルを囲い火を点けた。一服目を深く吸い込み、安堵と共に吐き出す。
うまくスタートを切れたのだろうか、と思う。しかし、うまく行こうが行くまいが突っ走るしかないのだ。走り出してしまったのだから。ゴールに何が待ち受けようと関係ない。止まってしまえばもう一度スターティングピストルを聞くことはできないのだ。 |
全体表示
[ リスト ]






こんばんは^_^
1話目から面白くてドキドキして読みました。表現力が凄くて、勉強になりました♪また訪問させて下さい
2013/10/4(金) 午前 0:57 [ - ]
花遊女さん。お越しいただきありがとうございます!
ドキドキしていただけて嬉しいです。
初長編なのでお手柔らかにお願いいたします。
コメントありがとうございました。
2013/10/5(土) 午前 0:21
愛沢いさむ様、、おはようございます!
緊迫感のある出だし、良くできた映画の始まりのようで
楽しませて頂きました。
ビル内部の具体的表現が快かったです。
2013/10/5(土) 午前 8:44 [ 野ばらん ]
おはようございます。野ばらんさん。
緊迫感を感じていただけたとのこと、嬉しい限りです。
普段、極ショートの文章しか書いていないので、実は制限がないとどこまで描写するのかの迷いがあります。なかなか客観的に、この文章がどのような像を結ぶのかを読み手の立場で想像するのは難しいですね。
感想ありがとうございました!
2013/10/6(日) 午前 6:51
内緒さんへ。
ナイショじゃなくても結構ですよ。ご意見どんどんお寄せくださいね。
内容については……善処します。(笑 官僚的に
ちなみにバーナーの件はネットでですが手口を色々と調べましたら、ポピュラーなものだったので、安心して取り入れたものでした。
2013/10/6(日) 午前 6:55
Reコメントありがとうございました。^-^
焼き切るに反応したもののようでした。
焼いて、水を掛けての、方法みたいですね!
いずれにしろ、カタギには、明るくない方面です。
2013/10/6(日) 午前 9:41 [ 野ばらん ]
野ばらんさん。こんにちは。
一部修正しました。
何度も気にかけていただき、ありがとうございます。
2013/10/6(日) 午後 3:43