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「どうしてここに呼ばれたのか、聡明な君には分かっているだろう」
重厚なオーク製デスクの向こうで、革張りのエグゼクティブチェアに腰掛けた勝田邦彦は、眼鏡を外し生徒を諭すように言った。日東テレビを実質的に牛耳っている狸は、上層部の近しい者でさえ、その尻尾を見た者はいないらしいのだ。社内のいちプロデューサーに見せるはずがなかった。
「いいえ。全く思い当たりませんが」
沢村拓朗は即答した。いい生徒であるつもりはさらさらない。
「昨日のニュースセブンだ」
語気がほんの少しだけ強くなったのを沢村は聞き逃さなかった。どこぞから掛けられた圧力の大きさ故か。想像を巡らす。デスク上に肘を付き手を組んでいる勝田の目には何色も浮かんではいない。
「特に問題はなかったと思います」
「君にとって問題がなくとも、我が社にとっては大問題だ。それが分からん君ではあるまい」
「ニュースセブンは、視聴者にとって本当に必要な情報は何か、それを第一義に構成しています。昨日、視聴者が得た情報が有益だったことに疑いの余地はありません。それのどこが問題なんでしょうか」
沢村は努めて冷静に言葉を発した。
「火葬場が順番待ちなのは事実だろう。その間、遺体を預かるサービスが盛況なのも事実だ。しかし、我々が報じなければそんなこと大多数が知らんで済むのだ。突然死の増加も放射能との関連を疑われかねんだろう」
「関係あると断定はしていません。視聴者に判断材料を提供しているに過ぎません」
「視聴者は与えなければ自ら知ろうとはせん。どんな情報が彼らに必要かは我々が決めることだ。情報のコントロールで世の中を作るのが我々に課せられた仕事だ」
「誰にとっての世の中なんですか」
「我々は視聴者のために番組を作っているのではない。正論で商売は成り立たん」
沢村は義憤とともに腹から競り上がってきた『中央電力』という言葉をすんでの所で飲み込み、小さな吐息をついた。視線は勝田に据えながらも、沢村の意識は彼の後ろに広がる都会のビル群を窓越しに見下ろす。今日はやたらと空気が澄んでいるのか、遠くの路地を往く車がはっきりと見えている。
「次回もこのようなことがあれば、君には移動の辞令を出さねばならなくなる」
想定された言葉に動揺はない。あるのは嫌悪感だけだ。
「話しは以上だ」
そう宣言して一拍置いた勝田は、組んでいた手を解き、体重を背もたれのほうへ少し戻した。尻尾は見せないが取締役という役者の演技は終了したのだろう。そう理解した沢村は、踵を返しドアのほうへ向かう。シンプルという贅沢に満たされた、無駄に広い取締役室を置き去りにするのは造作もないことだった。
報道局の制作室はいつも通りの騒々しさだ。仕切りのない広いフロアに、様々な職域のスタッフが常に動き、声を発している。沢村は朝の各局の番組を垂れ流しているモニタ群の前を通り、自分のデスクに向かっていた。
「沢ちゃん。どうしたの? 怖い顔して」
男性アナウンサーと立ち話をしていた前田が声を掛けてきた。同期入社のスポーツ担当ディレクターはいつも元気がいい。前田が報道局のムードメイカーなんだと改めて思う。
「そお? トイレですっきりしてきたとこなんだけど」
咄嗟にそう答えた。たぶん表情は戻せていただろう。このタイミングで話し好きの同僚に気を奪われたくなかった沢村は、そのまま軽く手を挙げてやり過ごす。
席に戻るなり沢村を捉まえたのはアシスタントプロデューサーの篠原澪だった。斜め向かいの席からスケートボードに乗ったコーギーのようにワークチェアで滑ってきた篠原は、ショートボブの後れ毛を耳に掛けながら顔を寄せてきた。
「どうだったんですか」
小声で訊いてくる篠原はもちろん事情を知っている。彼女は入社以来、ニュースセブンに関わってきた。三年前にAPになってからは実務を仕切っているのは彼女だ。
「どうもこうも、いつも通りの狸さ」
「常務に脅されたんじゃないですか。デスクがなくなるとか、降ろすとか」
「大丈夫。上手くやるさ。シノも気を付けてくれよ。隙を与えんようにな」
「分かりました。でも、これだけレスポンスよく圧力が掛かるってことは、人口減少もですけど突然死とか特定疾患の急激な増加はやっぱりタブーなんですかね」
「そうだろうな。身近な人の病気とか死は誰でも思うところはある。逆にそうでなきゃしょせん他人事だ。病気とか死が自分の回りだけじゃないってデータで見せられたら、何かおかしいんじゃないかって思うもんだろ」
「沢村さん。ひょっとして、お父さんもって思ってます? ……すみませんっ、あたし……」
篠原は言ってしまってから後悔したのだろう。小柄な身体を縮めて俯いた。
沢村は父親の一周忌をまだ迎えていない。持病もなく元気だった父親が七十歳目前で突然他界したことを、やっとで受け入れつつあったが、その原因については納得がいかないでいるのだ。原発や放射能の真実について知れば知るほど関連を疑わずにはいられない。
「いいんだ。気にするな。気にしなきゃならんのはそんな事じゃなくて、どうやって上層部を欺くかだ。正攻法で真実を報道するのはウチじゃ無理だろう。もう関東だって相当の汚染だ。強制移住のキエフ並みのところだってあるのが現実なんだ。政府が自己責任論をぶったって、知らなきゃリスク回避も何もあったもんじゃない」
沢村はともすれば童顔に見えてしまう大きな瞳を篠原に向け、自分を鼓舞するように熱っぽく言葉を紡ぐ。
「そうですね。出来ること考えなきゃです」 篠原と組んできた数年間、この落ち込んでも直ぐに顔を上げ前を向く愚直さに、沢村は何度助けられただろうと思う。ポジティブな感情は伝播する。ひとりの人間が発したポジティブはやがて大きなうねりとなり、大勢の人間に影響を与えるのだ。テレビの電波に乗せるポジティブやネガティブは尚更だ。だからこそやらなければ、と沢村は思う。
「いけね、そろそろ出なきゃ。打ち合せ、十時、中野だ」
整理の行き届いたデスクの引き出しからファイルを抜き出した沢村は、サムソナイトのビジネスバッグにタブレットPCと共に収めた。立ち上がって、サイドワゴンの上に畳んで置いてあったジャケットに手を伸ばす。
「あ、沢村さん。そういえば、中央テレビの土門さんから電話あってました。すみません、忘れてて。また掛けますって仰ってましたけど」
「分かった。後で掛けとくよ」
沢村は猥雑なアジアの市場を縫う子供のように、報道局フロアを横断して出口に向かった。
報道局があるB棟を一階までエレベーターで降りた沢村は、お気に入りの場所である中庭に出た。秋めいた陽射しが逆光ぎみに芝生を照らし、萌黄色の絨毯が憩いを誘う。沢村は誘惑を振りほどくかのように早足で歩きながら、ポケットからアイフォンを取り出して電話を掛ける。二回目のコールを待たずして取られた回線は、少しの待機のうちに目的の相手に繋がった。
『日東の沢村です。すみません。お電話いただいたのに』
『ああ沢村さん。どうもどうも。いやライブラリー素材の件だったんですけどね、許可が下りたんでいつでも観に来てください。僕かADの柏木を捕まえてもらったら資料室に案内しますんで』
『ありがとうございます。今週のうちに伺います』
『あ、そうそう。昨日のニュースセブン、結構切り込んでましたね。こっちでも話題になってましたよ』
『一歩前進、なのかもしれませんが、上層部に圧力が掛かったようで、朝から呼び出しですよ』
『風当たりが厳しいですね。僕らには』
『風がなきゃ旗印は読めません』 『前向きだな、沢村さんは。それはそうと、これまだオフレコなんですがね、決定的な証拠を掴みまして。秋の特番にブッ込もうと。まだ幾つかハードルがありますが、これでほとんどの人は覚醒しますよ。期待してて下さい』
『それは朗報ですね。でも気をつけて下さい。奴ら、手段を選びませんから。じゃ、今週中に、連絡入れます』
通話を終了した沢村は中庭を速歩しながら、土門との会話が頭から離れず思考の海に潜っていく。
体制の中で反権力分子であり続けるのが難しいことは痛いほど分かっていた。それを気負うことなく自然体で貫いている土門暁は、沢村にとって憧憬の人であり欽慕の人だった。勤める局は違ったが、闘っている土門を応援せずにはいられない。腐りきったこの国のマスメディアだが、例え僅かでも確かに良心が息づいていることに希望を繋げるしかないのだ。 |
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こんばんは〜
全ての情景が鮮明に目に浮かぶ語彙の豊富さと、選択の的確さに感心しっぱなしです。次が楽しみ♬
またまた勉強になりました。ありがとうございます(o^^o)
2013/10/11(金) 午前 1:58 [ - ]
花遊女さん、こんばんは。
いつも嬉しいコメントありがとうございます!
章ごとに二人の主人公、トオルと沢村の場面が移り替わっていきます。
鮮明なうちに次を読んでいただけるように頑張らなきゃですね。
2013/10/12(土) 午前 2:39