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町の上空に停滞した陽光を遮る重たい雲は、移動する気配すらない。見えてきたジェイフィールドの青い入口サインは、世界を震撼させた福崎第一原子力発電所のメルトスルー事故から、すでに一年半の時間が経過したが、清白であるべきことを誰も気に留めなかったのだろう、薄汚れ、精彩を欠いていた。サインに従い敷地にワゴン車を乗り入れたトオルは、入り口の警備員の指示通りに車路をロータリーへ進み、原発事故対応の中継基地となっているセンターハウス方向へ車首を向けた。外からの印象はうら寂しい感じのスポーツ施設だったが、敷地内では様々な制服や化学防護服の人々が行き交い、活気とは少し違うある種の緊張感が車内からも感じられた。
センターハウスの玄関前に大型バスが横付けされているのは、以前だったら選手や観客たちの乗り降りのためだっただろう。しかし、今乗り込んでいるのは放射性物質を遮断する化学防護服を着た人々だ。ここが非日常であることを強烈に意識させる異様な光景だった。
トオルは玄関前の警備員が赤い指示棒を振っているのに気付き、指し示された敷地の奥のほうへワゴン車を進めた。
かつて日本代表の選手も汗を流した天然芝のピッチは面影もなく、砂利を敷き詰めた無表情な大駐車場になっていた。隅に寄せて置かれたサッカーゴールと、そびえ立つナイター用照明塔が名残を惜しんでいる。トオルは五百台は停まっているだろう広大なスペースの一角に空きを見つけて、ワゴン車のロングボディを頭から突っ込んで停めた。
「おい、着いたぞ」
後部座席に向けて言った。うたた寝していたのだろう三人の若い男たちは、それぞれに小さな呻き声を上げる。だらしなく股を広げて座席の背もたれに身体を預けた男たちは、今朝、拾ってきた奴らだった。いつでも呼び出せる奴を確保しておくのは必須だ。カタギともチンピラとも言えないこんな奴らは、兵隊には使えないが、こんな時には役に立つ。男たちの緩みきった顔を一瞥したトオルは、携帯電話をポケットから取り出した。
「迫田です。今、駐車場に着いたんですが、上毛さんどちらに。……はい。わかりました」
携帯電話を閉じると、男たちにも聞こえるように大きく溜息をついた。
「タケ、起きろっ。シンジ、奥田っ、行くぞっ」
白いシャツにスラックスのトオルが先頭を切って歩き出すと、ネームのない紺色の作業着姿の三人が続いた。不揃いの列になって車路を気兼ねなく歩く一行は、工業高校の生徒を引率する若い熱血教師のようにも見える。後方から重量車の走行音が近づいてきたな、と思った刹那、ホーンの低音が腹に響き、急いで路の端に避ける。掠めて行ったのはクレーンを装備した自衛隊の特殊車輌だった。ここでは一刻を争う場合もあるのだ。文句を言っても始まらない。
バスが発車した後もセンターハウスの玄関付近は人で溢れていた。トオルたち四人は人を掻き分けながら中へ入る。途端に、うずたかく積まれたダンボール箱に圧倒される。入口付近を占領するそれらは、防護関連装備の消耗品なのだろう。電力会社員と思しき人員が、付近に設置された会議テーブルに口開けしたダンボール箱を次々に並べていた。
トオルが近くにいるはずの上毛の姿を探して見回していると、小柄で腹の出た作業着姿の上毛が手を挙げているのが目に留まった。
「迫田さん」
目が合った瞬間、上毛は関西訛りのイントネーションでトオルを呼んだ。人ごみを避けながら小走りでやってきた上毛は、なれなれしくトオルの肩に手を回してきた。後ろに居たタケを振り返る仕草で、それとなく拒絶の意思表示をする。必要以上に自分の領域に入ってくる奴は油断ならない。敵意がないのが分かっていても本能がそれを許さないのだろう。
「すんません、迫田さん。無理ゆうてしもて。午後からでも欠員埋めな、どうにもあきませんのや」
「それはいいです。若いの三人、連れて来てますんで」
「三人、ですか」
上毛の丸い目がひと回り大きくなる。
「ええ」
「四人て言いましたやろ、ワシ」
「いや三人です」
「そら困ったわぁ。四人おらんと出来ひん作業あるって監督さん言うてはりましたのに」
ただでさえ芝居がかって聞こえる関西弁に、上毛の困惑が色を足す。 「上毛さん。そう言われても、ウチだって困ります」
トオルは腕組みをして上毛と対峙する。
「午後には絶対揃えるって啖呵切ってしもうて。ウチ、ひ孫やから、切られてしもたらもう会社立ち行かん……」
徐々に小声になり、最後は呟くように言った上毛は、突然、その場で土下座した。
「お願いしますっ。迫田さん、助けてくださいっ」
上毛は額を床に摩り付けて言った。周りをせわしなく動いていた人々が静止した気配が感じられるが、トオルは視線すら動かさない。
静止していた人達がざわざと動き出すと、上毛を見下ろすトオルは組んでいた腕を解いた。 「社長さんがみっともない。わかりました。私も行きます」
恐る恐る顔を上げた上毛の表情は、驚きと安堵が同居していた。
「ありがとうございますっ」
飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がった上毛は、強引にトオルの手を取った。今度はあからさまに嫌な顔をしてみせるが、上毛は気にもしていない。
「じゃあ、あっちで書類書きましょ。お兄さんたちも初めてでっしゃろ。さ、一緒に」
さっきまでの悲壮な表情は忘れたとでも言うように、上毛は溌剌としてトオルたちを促し、センターハウスの中を奥のほうへ歩いていく。
芝居だったとしても、それはそれでいい。上毛には恩を売っておけば後で色々と使えるだろう。そういった打算だったのかもしれない。あるいは本当に助けてやろうという気になったのだろうか。トオルは自分の心の動きを振り返りながら、奥の書類記載用のデスクが並んだ場所を目指して歩いていった。 書き終えた書類を上毛に預けたトオルたちは、作業担当だという中央電力社員と引き合わされた。その社員に指示されるまま化学防護服や長靴、手袋など使用後は廃棄しなければならない装備を受け取り、ロッカールームへ移動した。
ずらりと並んだロッカーの一角で、実物を初めて見る化学防護服は、意外と薄く頼りないものだった。タイベックと呼ばれるそれは、特殊なポリプロピレン製で抜群の引裂き強度であり、袖や裾など密閉してしまえば、微細な粒子の侵入は許さない。しかし、放射線を防いでくれるわけではないのだ。放射線は線量計を頼りに、浴びても大丈夫と言われている線量を自分たちでコントロールするしかない。
トオルたちは社員の指導の下、防護服の裾と長靴をガムテープでぐるぐる巻きにし、目張りしていく。タケが奥田の袖と二重手袋の間をテープで巻いてやり、交代してそれぞれの両手袖を目張りしていた。フードを被った後、全面の防じんマスクの取り付け方を社員に教えてもらい、まだ出発まで時間があるからと、一旦外した。 「装備、大丈夫ですかね。じゃあ、次のバスが出るまで入口付近で待機しとってください。近くに喫煙所もありますんで」
社員の男はそう言うと、来た時と同じように忙しそうな雰囲気を醸しながら、どこかへ行ってしまった。
「一服するか」
トオルの号令にタケたちは頷き、見た目だけはりっぱな原発作業員になった四人は、連れ立って玄関先の喫煙所へ向かった。
一定間隔で置かれた工事現場用の赤い防火灰皿に群がる男たちは、みな白い化学防護服を着用していた。トオルたちも一台の灰皿を囲んで煙草に火を点けた。隣のグループは一人が新人なのだろう、先輩たちがイチエフの中の様子を事細かに話して聞かせていた。
ゆっくりと一本を吸い終えたが、シンジも奥田もタケも、誰も口を開こうとしない。
「お前ら、ビビッてんのか」
トオルが茶化すわけではなく、みなに尋ねる。
「そんなことないっす」
タケが口を尖らす。
「お前らは?」
トオルがシンジと奥田に水を向ける。二人は口の中でもごもごと、言葉にならず何を言っているのかわからない。
「本当はな、事前に講習で放射能のこととか教えてくれるんだがな。今日はピンチヒッターなんで全部省略。どさくさ紛れで免除だ。お前らもそのほうがいいだろ」
放射線量が危険な程であれば、線量計のアラームが教えてくれる。だが放射能の危険なんて本当のところは誰にも分からない。人体への影響は個人差でも大きく違うだろう。一度に致死量を浴びなければ大丈夫、そう自分を納得させるしかない。心配してもしょうがないのだ。
タケたちがトオルとの会話が乗り気じゃないらしいのを尻目に、隣のグループの会話は熱を帯びていた。黙り込んだトオルたちの耳に、隣の会話の内容が急に現実を伴って届いてくる。
『竹下さん、辞めさせられたらしいよ。積算線量が超えたって』
『あそう。先月は小野さんも倒れちゃったし。ここだけの話し、死因は咽頭癌だったらしいよ』
トオルの意識は、聞こえてくる話しの内容に囚われ、集中していく。
『やっぱ、放射能?』
『いやいや、そんな直ぐにはこないっしょ』
『まあ、でも、調子崩す人間は多いよな』 『どんどん減って、人、足らなくなっちまうわな』
会話が途切れ、意識が拡散した一瞬に、バスが滑り込んできた。ゆるやかなカーブを描きながら玄関前に近づき、トオルたちの直ぐそばまで徐行してくる。バスが停車すると同時に、いつの間にか出てきた係の社員らしき男が大きな声を上げる。
「バスは直ぐに出ますんで、近くにいる方から乗ってください」
付近にいた化学防護服の男たちは、一斉にバスに向かって動き出す。
「いくぞ」
トオルはタケたちに声を掛けると、他の大勢の男たちに紛れてバスに乗り込んだ。ひとりの原発作業員としての後姿は、覚悟を決めて駐屯地から前線へと移動する兵士の姿と重なる。男たちはメルトスルーした原子力発電所を収束させねばならない。かつて人類が経験したことがない未知の作業となるだろう。その現場はまぎれもなく戦場なのだ。 |
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こんばんは^_^
原子力発電所に向かうまでの、口に出せない重い緊張感が伝わります。
表現の細かさでその場の状況がよく分かり感心してしまいます。
また訪問させて下さいね(*^^*)
2013/10/14(月) 午前 1:29 [ - ]
こんばんは。花遊女さん。
自分が頭の中に描いている情景を、読み手に出来るだけ同じものを描いてもらうためには、何を描写して何を削るのか、その判断は難しいですね。当然、予備知識の量で個人差が出てきますので、最大公約数を狙うわけですが……成功しているのかは未だによくわかりません。
感想いただきましてありがとうございます!
2013/10/15(火) 午前 2:08