こんなんdeたんか

連載長編小説 『絵画きのバラッド』(仮)スタートしました。普段、小説を読まない方にこそ読んでいただけたら幸いです。

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                               Cafe Cucciolo
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 聞いていたのは単気筒エンジン特有の排気音だった。粒の揃った乾いた連打音が、身体の周りにまとわり着いては風に絡め取られていく。追い越し車線を走っていた奥村恭平は、心地よい排気音が風に流されていかないように、少しアクセルを開けた。対向車のない青信号の交差点を右折する。自分の手足が出す要求に、完全なる応えを返してくれたことに心が浮き立つ。このオートバイのスリムさが際立つ瞬間だ。恭平は目的の店が見えてくるとゆるやかに減速し、ひらりと左に車体を傾けてオートバイを店の敷地に導いた。入口横の石畳が敷かれた駐車スペースに入ると、すでに停車していた二台に並べてオートバイを停める。車体を両足を伸ばして支えたまま、その店を見上げた。

 白壁から伸びる黒い金属製の支柱にぶら下がる木のプレートは、イタリア国旗の色に塗り分けられ、白いペンキでCafe Cuccioloと文字がある。それがこの店の名だった。

 地中海風にモルタルで鏝塗りされた白壁には無数の蔦が絡んでいた。緑色の蔦は夏の陽射しに色を奪われて所々茶色に変色している。太陽にはすでに真夏の威力はなかったが、店全体を照らしている陽光は、恭平の目もまた鋭く射した。

 隣に佇む二台のオートバイに目を向けると、アルミ製のフェンダーやメッキを施されたパーツが陽光を照り返して輝いている。懐古趣味を身にまとうカフェレーサーたちは、店の情景に趣意を与えると共に常連客の在店を告げていた。

 恭平はサイドスタンドを蹴り出してキーを抜くと、脚を伸ばしたまま大きな振りでオートバイを降りた。誰も見ているはずはないのに、エンジニアブーツの先で描く弧の美しさに拘るのは悪い癖だ。ジェット型のヘルメットを脱いでミラーを覗くと、悪癖もまた善しとする男の顔が映っていた。会心した恭平は、大きな歩幅で店の入り口へ向かった。

 ドアを押すと籠もった丸い金属音のベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」反射的な声が届く。

 声に一瞬遅れて向けられた顔を、暗順応しつつある恭平の目が捉える。

「なんだ恭平かぁ」
 綻んだ顔が正常な濃淡で像を結ぶ。ウエイトレスの優子だ。

「なんだじゃねえよ。お客様だよーん」
 芝居がかった物言いでおどけてみせると、優子は少し呆れた表情を返した。

 小さめの窓から射し込んで来る陽は、カーテンを透過してテーブルの一部を柔らかく照らしていた。適度な照明で落ち着いた雰囲気であることも、恭平が店を気に入っている点のひとつだ。店内にはカウンター席が七つと四人がけテーブルが八つ並んでいる。突き当りの壁際の一段高くしたスペースに、古いオートバイがディスプレイされていた。可愛らしく華奢なそのオートバイは、この店のマスターが惚れこんで探した末に、ロンドンのコレクターから譲り受けた、ドゥカティ・クッチョロだった。イタリアを代表するオートバイメーカーであるドゥカティ社が、1946年に最初に世に送り出したオートバイであり、クッチョロとは仔犬を意味している。マスターの愛してやまないオートバイが店名の由来なのだ。恭平はイタリア仔犬に視線を送ると、カウンターに向かって板張りの床をブーツで踏み鳴らした。

「よお」
 カウンター席に陣取る二人の常連客に挨拶しながらスツールを跨いだ。返してくれるいつも通りの小さな挨拶にほっとする。

「いらっしゃい」
 髭を蓄えたマスターが控えめな声で迎えてくれる。

「ホットください。それと、マスター、またチラシ貼らせてもらってもいいですかっ」

 ジャケットの内ポケットから丸めたチラシの束を取り出し、大仰に頭を下げる。
 マスターが頷くのを見計らって恭平は顔を上げた。

「優ちゃん、オッケーだって。これこれ」
「はいはい、ただいま。横柄なお客さまだこと」

 優子はチラシを受け取ると、早速、壁のコルクボードに貼ってくれた。寡黙なマスターだけだったこの店が、春に短大を卒業した優子が加わって雰囲気が一変してしまったことを、常連客は容易く受け入れた。恭平は、屈託のない彼女の笑顔を見ると、マスターの姪でもある彼女は、言わば看板娘だなと思う。

「健とヤスにも。ささ、どうぞ。俺の雄姿を観てやっておくんなまし」
 押し付けるように二人にチラシを渡す。気心の知れたオートバイ仲間に遠慮することはない。

「どれどれ。今度の日曜か。お題は『イカロスの落ちた日』だって。ひょっとしてお前がイカロス?」
 チラシと恭平の顔を交互に見ながらヤスが訊く。

「おう。記念すべき俺の初主演だ。ま、イカロスったって現代劇だけどな」
「何かピンとこないなぁ」
「健も来てくれるよなぁ」
 声色を変えた恭平は、意外と鋭い健の眼差しに怯む。お前に主演なんてできんの、という疑いの眼だった。

「俺の休みは月曜だけだっての。それも講習だコンテストだって、休みにはなりゃしないんだからな。今日だってここに来るのが精一杯だよ」

「カリスマ美容師ってのも大変だなぁ」
 フリーターのヤスが暢気な台詞を口にした。

 恭平は不意に芳ばしくも柔らかい香りに鼻腔をくすぐられる。マスターの長年の経験と探究心が到達したオリジナルブレンドのものだった。漂う芳醇なコーヒーの香りは幸福感をお裾分けしてくれる。健の態度で波立っていた心が少しだけ凪いだ気がした。

「あたし、行きたい。ねっいいでしょマスター? 今度の日曜」
 コーヒーカップを恭平の前に置いた途端、優子が顔を輝かせて言った。

「やっぱ、優ちゃんだけは俺の味方だよね。初主演のプレッシャーなんてふっ飛んじまうな」
「恭平様は俺様なんでしょ。プレッシャーだなんて。それにあたしが興味あるのは恭平じゃなくて沙希さん。だって素敵なんですもの」

 初主演の恭平をサポートする今回のヒロイン役が沙希だった。優子は沙希を前回の公演で観て以来、大のお気に入りだ。時には可憐なスイートピーであり、時には大胆なダリアのような、という沙希を評した優子の弁を恭平は思い出す。

「何だよ、それ。せっかく楽屋にも招待しようかと思ってたのによ」
「ほんとっ? お願い。沙希さんに会わせて」

「ねぇねぇ、ちょっとボリューム上げてくれるかな」ヤスが会話に割って入る。

 見るとヤスの指はカウンター越しの壁に掛けられた小型液晶テレビを差していた。二人が同時に視線をテレビに向けると、マスターが黙ってリモコンでボリュームを操作してくれた。

『……先々週起きましたオートバイによる死亡事故を調査し、対策を検討しました結果、見通しの良かった緑山バイパスの合流地点に見通しを悪くする為にフェンスが設置されました』

 ニュース番組のキャスターが淡々とした口調で、隣県のオートバイ事故の概況と設置されたフェンスについて、現場の映像と共に伝えていた。

「わざわざ見通しを悪くしてどうすんだよ」
 恭平は、ついテレビに向かって文句を言う。『他人の振り見て』の言葉を思い出しても後の祭りだと気付く。

「それがさぁ、あんまり見通しがいいと早くに確認しちゃって、実際合流する時には安心しきって、よく見てなかったりしてさ、そんでもって合流される側は流れがいいからスピード出てて間に合わないんだよ。でだ。見通しが悪いと、つまり合流するその時でないと確認できないようにするとだな、どっちも気を付けるから事故になりにくい。とそういうわけだ」

 解説者を買って出たヤスはしたり顔だ。

「なんでそんなによく知ってんだよ」
 健があからさまな不信顔をヤスに向ける。

「新聞記事の何とかって先生の受け売りだけどな」
「そういうことか。ヤスはよく新聞読んでるもんな」
「時間だけはたっぷりあるんでね」
「俺は求人欄しか読んでないかと思ってたよ」

 恭平が軽口を叩いたがヤスは乗ってこない。一呼吸おいて、代わりにヤスは追加情報をくれた。
「そう言えばさあ。そのきっかけのバイク、年配夫婦のタンデムだったらしいよ。確かどっか大きな会社の社長さんだって書いてたぜ」

 オートバイ乗りたちは一様に真顔だった。テレビの中の出来事でしかなかった死亡事故に、実像が加わり居たたまれなくなったのだ。

「かわいそうになぁ」
 ヤスの声も一段低い。

「みんな気を付けてよ。お葬式なんて、あたし行かないからね」
「事故はヤだよな。バイク乗ってると、たとえ相手が悪くても、死んじゃったりしたら終わりだもんな」

 恭平はそう呟くとコーヒーを一口すすった。

「ま、恭平は殺しても死なないタイプだけどな」
 今度は健が軽口を叩いた。

「すみませーん」
 唐突な女性の声がみんなの耳目を引く。

 優子は「はーい」と返事をすると、雑談に興じた自分を恥じるような表情で、そそくさと奥のテーブル席の方へ歩いていった。その時初めて自分たち以外に客がいたことに思い至った恭平は、声の主のほうに顔を向けた。少し騒ぎすぎたという小さな後悔が、会話を聞いていただろう人物への興味に変わっていく。

「あの娘、初めてみる顔だけどさ、もう一時間以上も独りでボーっとしてんだよね。誰か待ってるわけでもなさそうだし。それに月曜昼間のセーラーときた。訳ありな感じ」

 健の耳打ちでスイッチが入った恭平は、残っていたコーヒーを一口で飲み干し、立ち上がった。

「ちょっと行ってくらあ」

 大股で奥の窓側のテーブル席に近付いた恭平は、彼女のテーブルを挟んだ反対側の椅子をくるりと回転させて座わり、正面から見据えた。

「お前、家出だろう?」
 いきなり挨拶抜きでそう言った。

 物憂げに窓の外を眺めていた彼女は、恭平を一瞥したが動じない。返事もなしだ。意思の強そうな目に肩まで伸ばした黒髪。十七か、十八だと見当をつける。少女ではなく大人でもない年齢だ。

「高校生、だよな?」
 戻った視線は真っ直ぐに恭平の目を見つめたままで、答えはない。

「高校生でなきゃ、コスプレかな?」

 恭平の言葉に小さく噴き出した。出来た笑窪が、澄ました顔を少し親しみ易くしたことを、恭平は見逃さなかった。

「セーラー服ですものね」
 顔の印象に似合った澄んだキリッとした声だ。

「見掛けねぇ制服だな。三つ葉女学院あたりか?」
 恭平は隣県にある有名なお嬢様学校の名を口にした。

「どうかしら」

 ホットコーヒーのお代わりをトレイに乗せて持ってきた優子は、恭平をキッと睨むと、少女の前にカップを置いた。恭平の軽薄な行為が気に入らないのだろう。そんな優子の反応がいたずら心を刺激する。

「お待ちどうさま」
「あれ、俺には?」
「これはサービスじゃありません。お客様のご注文です」
「冷たいこと言うなよ」
「それともお客様、ご注文ですか?」
「何だよ他人行儀に。じゃあ、コーヒーください。これでよろしあるか?」

 恭平は、返事をせずにぷいと踵を返した優子のほうへ、自分の頭の上に両手の人差し指を立てて見せると、少女のほうへ向き直った。

「それで誰か待ってんの?」
 カップを両手で取った彼女が、湯気の立ち昇るコーヒーを美味しそうに一口飲むのを眺めながら、恭平は答えを待つ。期待しているのではない。楽しんでいるのだ。

「さっきから質問ばかりなんですね」
「そして何にも答えてねぇ」
 恭平は犯人を追いつめていく探偵を演じているつもりでいる。

「家出少女って何となく雰囲気で判っちゃうんだよな。前に家出少年の役やったからさ。こう見えても俺、勉強熱心な役者だから」
 唐突に探偵が恭平に戻る。

「そろそろ行かなきゃ。送ってくださらない? おじさん」
 話を聞いているのか聞いていないのか、突然立ち上がって言う。

「おじさんって、これでも二十四なんだからな」
「苦労してるんですね」

「大人をからかってんじゃねえよ」
 はぐらかすように窓の外へ目をやる少女は、どこか凛とした雰囲気だった。

「駅はすぐそこだろうが」
「電車代、ないんです」
「ほんとに家出かよ」
「家出少女を放り出すんですか?」
 言葉に詰まる。

「バイク、乗せてください」

「送って行ってあげなよ。メット貸すからさぁ」
 カウンター席のほうからじっとこちらの様子を窺っていたらしいヤスの声が届く。後押しはいらない。迷ったときは直感に従うのが流儀だ。今までもそうしてきた。そう帰結した恭平は止めていた時間を動かす。

「わかったよ。来いよ」

 恭平はヤスのところまで来るとお椀型のヘルメットを受け取り、ついて来た少女の胸にそれを押し付けるとドアの方へ向かった。

「恭平、コーヒーどうするのよ」
 恭平が店を出ようとしたその時、優子が引き止めるように慌てて言った。

「この娘送って行くからさ。後でもらうよ」
「もう」

 店を出てオートバイに歩み寄った恭平は、何となしに出入り口を見やる。ドアを半開きにした少女が振り返り、店の奥に目を向けている。視線の先は静かに佇むクッチョロだ。ほどなく前に向き直った少女は、店を出て恭平のほうへ足を向けた。


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