こんなんdeたんか

連載長編小説 『絵画きのバラッド』(仮)スタートしました。普段、小説を読まない方にこそ読んでいただけたら幸いです。

絵画きのバラッド(仮)1-5

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        金と暴力の世界でのし上がろうとするヤクザ者トオル。              腐敗したマスメディアの中で正義を貫こうとする沢村。               矛盾に満ちた世界に生きる二人の男たちのバラッド。

連載長編小説(予定:34章 400字詰 250枚)
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                              5

 報道局はエアポケットに入っていた。朝から晩まで絶えることがない張り詰めた空気とざわめきが、一瞬だけ弛緩し綻ぶ時間が発生することがある。昼下がりに訪れた、日に一度あるかないかの瞬間だった。打ち合わせの準備を終えた沢村は、ニュースセブンの原稿チェックが未だだったと思いながらも、エアポケットに誘われて、PCの画面に展開されるツイッターのタイムラインを追い続けていた。

 テレビや新聞で伝えられる情報は、ほとんどが何らか発信者の思惑で着色されているが、ツイッターで個人が上げる情報は鮮度も透明度も高い。沢村は今までにも、原発事故の現場で働く作業員のツイートによって際どい情報を得てきた。津波の到達前に地震の揺れによって配管の破断が起きていて、それが電源の喪失に繋がったことや、高濃度汚染水を浴びてしまった作業員のその後は報道されないが、実際には亡くなっていることなど、中央電力や政府が絶対に国民に知らせたくないと思っている情報だ。もちろんテレビでは扱えない情報ばかりだが、沢村は真実を追求せずにはいられない。

「沢村さん、新聞からのファックスです。例のスーダンでのハイジャック事件、犯人グループが投降したそうです」

 沢村の集中を解いたのは、篠原のうわずった早口だった。小走りで近づいてきた篠原は、一枚のペーパーを掲げている。受け取り、目を通す。確かに、親会社である日東新聞経由で知らせてくれる外電の翻訳記事は、ハイジャック事件の結尾を伝えていた。

「通信社からのヴィデオファイルは夕方には届くそうです」
「わかった。トップに組み込む。準備してくれ」
「はい」

 篠原が返事をするや否や、耳ざとく聞きつけた前田が二人の間に鼻先を突っ込んできた。

「おっ、速報?」
「スーダンのハイジャック、投降したらしい」
 沢村が答える。

「犠牲者は?」
「ゼロ」
「反政府のテロリストだっけか」
「はっきりしてないが、そうだろうって。まあ、出所がロイタルの情報だから西側の都合だろうがな」

 独自取材のままならない海外のニュースは、通信社との契約により一方通行で配信される。技術の進歩により昔とは比べものにならないくらい高速化し、リアルタイムといっても差し支えない程の早さだ。難点は検証しようがないことと、世界を幾つかのテリトリーに分ける巨大な通信社数社によって、それぞれの都合が良いように書かれたものだということだ。そんな偏った情報に、沢村は慣れてしまったわけではないが、テレビで放送しないわけにはいかないことは承知していた。

「政府は独裁で国民を苦しめ、正義の反政府組織が解放運動をやると。西側はそう思わせたいわけだ」

 前田があごひげを触りながら喋るのは確信があるというサインだ。向き合った篠原も承知しているはずだった。彼はスポーツ担当とはいえ報道の人間なのだ。世界がどのように動いているのか、きちんと理解している。

「今回は被害者を出さずに投降したんだから、成功したとは言えないんじゃないですか」
 篠原は素直に疑問を口にする。

「刷り込むには十分なんじゃない」
 すかさず前田が答える。

「シノ。世界で中央銀行のない国、六ヶ国、知ってるか?」

 沢村の急な質問に篠原は「えーっと」と言いながら少し戸惑った。

「イラン、シリア、リビア、キューバ、北朝鮮、んー、そうかスーダンも」
「正解。西側が嫌悪してる国々だな。悪の枢軸だって名指してる国さえある」

「中央銀行がないと嫌われるんですか」
「吸い上げられないからな。奴らは支配したくてしょうがない」

「それで大量破壊兵器を持ってるとか難癖つけて政権を倒すんですか」
「倒した後、傀儡政権と中央銀行を立ち上げる。破壊した街の復興やその後の利権は、もちろん自国のゼネコンが頂くことになってる」
 前田が補足してくれる。

「日本も大昔にやられたのさ」

 篠原の顔から一瞬、表情が消えた。沢村は篠原の表情に色が着く前に口を開く。

「明治維新がそうだ」
「そんな……」
「英雄は作られる」

 沢村の言葉に篠原は憤りの表情を顕わにした。奥さず、直ぐに顔に出てしまうところが、彼女の致命傷にならなければいいがなと沢村は思う。

「沢ちゃん、お客さん」

 前触れなく遠くから投げられた自分を呼ぶ声に、引き寄せられるように顔を向けた。報道局の出入り口付近に、立ち話をしていたらしい二人の男の姿がある。コーヒーを手にした報道局長とティアクター社長の高崎がこちらに顔を向けていた。

「すいません。直ぐ行きます」

 腰を浮かせた沢村は、遠くの二人に届くように大きな声で言うと、篠原と前田のほうに向き直った。

「俺、高崎さんとこれから打合せだから。シノ、話しはまた。あ、ボード、第八会議室にしといてくれ。あと、ハイジャックの件、頼む」
「わかりました」

 篠原の返事に不満が混じっていたのは、さっきの話が消化不良を起しているのだろう。そう思いながらも、沢村は打合せ用の資料を小脇に抱えて席を立ち、前田の肩をぽんと軽く叩いた。

「前田ちゃん、また後で」
「おう」

 沢村が近づいてきたのを認めた高崎は軽く手を上げた。

「どうも」
「お早いですね。高崎さん」
「沢ちゃん、頼むよ特番。崎ちゃんも一肌脱いでくれるってよ」

 局長は高崎が俳優としてデビューした頃からの知り合いだ。同年代でもある二人は、局長や芸能プロダクションの社長と、若い頃と立場が変わっても、そのままの気さくな関係を続けている。沢村とは二回りも年上になる高崎だったが、分け隔てなく接してくれる大先輩であり信頼を置いている。番組制作の責任者としてはとてもありがたい仲間のひとりだった。

「ありがとうございます。ひとつお手柔らかに」

 沢村は二人に向けて、嫌味にならないように気をつけて言うと、「行きましょうか」と高崎を促した。

「どこだっけ、場所」
「三階の会議室、八番です」

 沢村と高崎は局長に見送られて、報道局を後にした。

 報道局のある十一階のエレベータホールは人がまばらだった。沢村が下行きのボタンを押したと同時に高崎が口を開いた。

「さっきは盛り上がってましたね」
「ええ、もうすぐ報道されますんで言いますけど、スーダンのハイジャック、投降したんですよ」

 やってきたエレベータに乗り込みながら言う。下行きを待っていたのは二人だけだったようだ。

「そう。割りと早い解決でしたね」
「まだ裏事情まではわかりませんけどね」

 沢村が三階のボタンを押しながら言うと、一拍置いて扉が音もなく閉まる。一瞬だけ足の裏に感じる重力が軽くなる。

「そうそう。ハイジャックと言えば、ネットニュースで見たんですが、シリアでテレビの電波ジャックがあったらしいですよ」

 高崎の口から意外な情報だった。

「今時、珍しいですね。スーダンの件とは関連ないんでしょうけど」
「日東さんは大丈夫ですか」

「ははっ。それはないですよ。第一、ウチなんか社員でもマスタールームがどこにあるか知らないんですよ。そういったセキュリティのために、一部の人間しか教えられないんです」
「そうなんですね」

 エレベータはどの階にも停められることなく、あっけなく三階で扉を開けた。

 二人は降りた途端、通路を慌しく移動していく人達に出くわした。先頭の男性と緊迫した様子で話しているのは女性アナウンサーだった。好奇心という名のジャーナリズムに抗えない沢村は、急ぎ行く五人程のスタッフの最後尾にいた女性ADを捕まえる。

「どうした? 速報?」
「今、静岡で竜巻が発生して、避難勧告出たんです」

「そう。サブスタの割込み?」
「はい」

 放送設備の要であるマスタールームと呼ばれる主調整室とは別に、副調整室とそれに隣接したミニスタジオが設置されているのが通常だ。緊急性の高いニュースや災害情報などを、通常番組に割り込ませて放送するときに使用される。避難勧告であれば早さが至上命題だ。直ぐに割込みの指示が出る。被害の状況などは後ほどの通常ニュースで、中継映像とともに届けられることになる。沢村はニュースセブンにも新たな変更点が加えられたことを思った。

「最近多いですね。竜巻なんて日本では起きないと思ってましたよ」

 高崎の言葉に沢村は「ええ」と答えながら、三階通路の奥へ急ぐ緊急放送チームを見送る。通路の天井に規則正しく並んだ青白い照明が、テレビ局の裏事情を明々と照らしていた。






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 どの語句が、誰にとって都合が悪いのでしょうか? みなさんも考えてみてください。

                              4

 町の上空に停滞した陽光を遮る重たい雲は、移動する気配すらない。見えてきたジェイフィールドの青い入口サインは、世界を震撼させた福崎第一原子力発電所のメルトスルー事故から、すでに一年半の時間が経過したが、清白であるべきことを誰も気に留めなかったのだろう、薄汚れ、精彩を欠いていた。サインに従い敷地にワゴン車を乗り入れたトオルは、入り口の警備員の指示通りに車路をロータリーへ進み、原発事故対応の中継基地となっているセンターハウス方向へ車首を向けた。外からの印象はうら寂しい感じのスポーツ施設だったが、敷地内では様々な制服や化学防護服の人々が行き交い、活気とは少し違うある種の緊張感が車内からも感じられた。

 センターハウスの玄関前に大型バスが横付けされているのは、以前だったら選手や観客たちの乗り降りのためだっただろう。しかし、今乗り込んでいるのは放射性物質を遮断する化学防護服を着た人々だ。ここが非日常であることを強烈に意識させる異様な光景だった。

 トオルは玄関前の警備員が赤い指示棒を振っているのに気付き、指し示された敷地の奥のほうへワゴン車を進めた。

 かつて日本代表の選手も汗を流した天然芝のピッチは面影もなく、砂利を敷き詰めた無表情な大駐車場になっていた。隅に寄せて置かれたサッカーゴールと、そびえ立つナイター用照明塔が名残を惜しんでいる。トオルは五百台は停まっているだろう広大なスペースの一角に空きを見つけて、ワゴン車のロングボディを頭から突っ込んで停めた。

「おい、着いたぞ」

 後部座席に向けて言った。うたた寝していたのだろう三人の若い男たちは、それぞれに小さな呻き声を上げる。だらしなく股を広げて座席の背もたれに身体を預けた男たちは、今朝、拾ってきた奴らだった。いつでも呼び出せる奴を確保しておくのは必須だ。カタギともチンピラとも言えないこんな奴らは、兵隊には使えないが、こんな時には役に立つ。男たちの緩みきった顔を一瞥したトオルは、携帯電話をポケットから取り出した。

「迫田です。今、駐車場に着いたんですが、上毛さんどちらに。……はい。わかりました」

 携帯電話を閉じると、男たちにも聞こえるように大きく溜息をついた。

「タケ、起きろっ。シンジ、奥田っ、行くぞっ」

 白いシャツにスラックスのトオルが先頭を切って歩き出すと、ネームのない紺色の作業着姿の三人が続いた。不揃いの列になって車路を気兼ねなく歩く一行は、工業高校の生徒を引率する若い熱血教師のようにも見える。後方から重量車の走行音が近づいてきたな、と思った刹那、ホーンの低音が腹に響き、急いで路の端に避ける。掠めて行ったのはクレーンを装備した自衛隊の特殊車輌だった。ここでは一刻を争う場合もあるのだ。文句を言っても始まらない。

 バスが発車した後もセンターハウスの玄関付近は人で溢れていた。トオルたち四人は人を掻き分けながら中へ入る。途端に、うずたかく積まれたダンボール箱に圧倒される。入口付近を占領するそれらは、防護関連装備の消耗品なのだろう。電力会社員と思しき人員が、付近に設置された会議テーブルに口開けしたダンボール箱を次々に並べていた。

 トオルが近くにいるはずの上毛の姿を探して見回していると、小柄で腹の出た作業着姿の上毛が手を挙げているのが目に留まった。

「迫田さん」

 目が合った瞬間、上毛は関西訛りのイントネーションでトオルを呼んだ。人ごみを避けながら小走りでやってきた上毛は、なれなれしくトオルの肩に手を回してきた。後ろに居たタケを振り返る仕草で、それとなく拒絶の意思表示をする。必要以上に自分の領域に入ってくる奴は油断ならない。敵意がないのが分かっていても本能がそれを許さないのだろう。

「すんません、迫田さん。無理ゆうてしもて。午後からでも欠員埋めな、どうにもあきませんのや」
「それはいいです。若いの三人、連れて来てますんで」

「三人、ですか」
 上毛の丸い目がひと回り大きくなる。

「ええ」
「四人て言いましたやろ、ワシ」
「いや三人です」
「そら困ったわぁ。四人おらんと出来ひん作業あるって監督さん言うてはりましたのに」

 ただでさえ芝居がかって聞こえる関西弁に、上毛の困惑が色を足す。

「上毛さん。そう言われても、ウチだって困ります」
 トオルは腕組みをして上毛と対峙する。

「午後には絶対揃えるって啖呵切ってしもうて。ウチ、ひ孫やから、切られてしもたらもう会社立ち行かん……」
 徐々に小声になり、最後は呟くように言った上毛は、突然、その場で土下座した。

「お願いしますっ。迫田さん、助けてくださいっ

 上毛は額を床に摩り付けて言った。周りをせわしなく動いていた人々が静止した気配が感じられるが、トオルは視線すら動かさない。

 静止していた人達がざわざと動き出すと、上毛を見下ろすトオルは組んでいた腕を解いた。

「社長さんがみっともない。わかりました。私も行きます」
 恐る恐る顔を上げた上毛の表情は、驚きと安堵が同居していた。

「ありがとうございますっ」
 飛び上がらんばかりの勢いで立ち上がった上毛は、強引にトオルの手を取った。今度はあからさまに嫌な顔をしてみせるが、上毛は気にもしていない。

「じゃあ、あっちで書類書きましょ。お兄さんたちも初めてでっしゃろ。さ、一緒に」

 さっきまでの悲壮な表情は忘れたとでも言うように、上毛は溌剌としてトオルたちを促し、センターハウスの中を奥のほうへ歩いていく。

 芝居だったとしても、それはそれでいい。上毛には恩を売っておけば後で色々と使えるだろう。そういった打算だったのかもしれない。あるいは本当に助けてやろうという気になったのだろうか。トオルは自分の心の動きを振り返りながら、奥の書類記載用のデスクが並んだ場所を目指して歩いていった。

 書き終えた書類を上毛に預けたトオルたちは、作業担当だという中央電力社員と引き合わされた。その社員に指示されるまま化学防護服や長靴、手袋など使用後は廃棄しなければならない装備を受け取り、ロッカールームへ移動した。

 ずらりと並んだロッカーの一角で、実物を初めて見る化学防護服は、意外と薄く頼りないものだった。タイベックと呼ばれるそれは、特殊なポリプロピレン製で抜群の引裂き強度であり、袖や裾など密閉してしまえば、微細な粒子の侵入は許さない。しかし、放射線を防いでくれるわけではないのだ。放射線は線量計を頼りに、浴びても大丈夫と言われている線量を自分たちでコントロールするしかない。

 トオルたちは社員の指導の下、防護服の裾と長靴をガムテープでぐるぐる巻きにし、目張りしていく。タケが奥田の袖と二重手袋の間をテープで巻いてやり、交代してそれぞれの両手袖を目張りしていた。フードを被った後、全面の防じんマスクの取り付け方を社員に教えてもらい、まだ出発まで時間があるからと、一旦外した。

「装備、大丈夫ですかね。じゃあ、次のバスが出るまで入口付近で待機しとってください。近くに喫煙所もありますんで」

 社員の男はそう言うと、来た時と同じように忙しそうな雰囲気を醸しながら、どこかへ行ってしまった。

「一服するか」

 トオルの号令にタケたちは頷き、見た目だけはりっぱな原発作業員になった四人は、連れ立って玄関先の喫煙所へ向かった。

 一定間隔で置かれた工事現場用の赤い防火灰皿に群がる男たちは、みな白い化学防護服を着用していた。トオルたちも一台の灰皿を囲んで煙草に火を点けた。隣のグループは一人が新人なのだろう、先輩たちがイチエフの中の様子を事細かに話して聞かせていた。

 ゆっくりと一本を吸い終えたが、シンジも奥田もタケも、誰も口を開こうとしない。

「お前ら、ビビッてんのか」
 トオルが茶化すわけではなく、みなに尋ねる。

「そんなことないっす」
 タケが口を尖らす。

「お前らは?」
 トオルがシンジと奥田に水を向ける。二人は口の中でもごもごと、言葉にならず何を言っているのかわからない。

「本当はな、事前に講習で放射能のこととか教えてくれるんだがな。今日はピンチヒッターなんで全部省略。どさくさ紛れで免除だ。お前らもそのほうがいいだろ」

 放射線量が危険な程であれば、線量計のアラームが教えてくれる。だが放射能の危険なんて本当のところは誰にも分からない。人体への影響は個人差でも大きく違うだろう。一度に致死量を浴びなければ大丈夫、そう自分を納得させるしかない。心配してもしょうがないのだ。

 タケたちがトオルとの会話が乗り気じゃないらしいのを尻目に、隣のグループの会話は熱を帯びていた。黙り込んだトオルたちの耳に、隣の会話の内容が急に現実を伴って届いてくる。

『竹下さん、辞めさせられたらしいよ。積算線量が超えたって』
『あそう。先月は小野さんも倒れちゃったし。ここだけの話し、死因は咽頭癌だったらしいよ』

 トオルの意識は、聞こえてくる話しの内容に囚われ、集中していく。

『やっぱ、放射能?』
『いやいや、そんな直ぐにはこないっしょ』
『まあ、でも、調子崩す人間は多いよな』
『どんどん減って、人、足らなくなっちまうわな』

 会話が途切れ、意識が拡散した一瞬に、バスが滑り込んできた。ゆるやかなカーブを描きながら玄関前に近づき、トオルたちの直ぐそばまで徐行してくる。バスが停車すると同時に、いつの間にか出てきた係の社員らしき男が大きな声を上げる。

「バスは直ぐに出ますんで、近くにいる方から乗ってください」

 付近にいた化学防護服の男たちは、一斉にバスに向かって動き出す。

「いくぞ」

 トオルはタケたちに声を掛けると、他の大勢の男たちに紛れてバスに乗り込んだ。ひとりの原発作業員としての後姿は、覚悟を決めて駐屯地から前線へと移動する兵士の姿と重なる。男たちはメルトスルーした原子力発電所を収束させねばならない。かつて人類が経験したことがない未知の作業となるだろう。その現場はまぎれもなく戦場なのだ。




                              3

「どうしてここに呼ばれたのか、聡明な君には分かっているだろう」

 重厚なオーク製デスクの向こうで、革張りのエグゼクティブチェアに腰掛けた勝田邦彦は、眼鏡を外し生徒を諭すように言った。日東テレビを実質的に牛耳っている狸は、上層部の近しい者でさえ、その尻尾を見た者はいないらしいのだ。社内のいちプロデューサーに見せるはずがなかった。

いいえ。全く思い当たりませんが」
 沢村拓朗は即答した。いい生徒であるつもりはさらさらない。

昨日のニュースセブンだ」

 語気がほんの少しだけ強くなったのを沢村は聞き逃さなかった。どこぞから掛けられた圧力の大きさ故か。想像を巡らす。デスク上に肘を付き手を組んでいる勝田の目には何色も浮かんではいない。

「特に問題はなかったと思います」
「君にとって問題がなくとも、我が社にとっては大問題だ。それが分からん君ではあるまい」

「ニュースセブンは、視聴者にとって本当に必要な情報は何か、それを第一義に構成しています。昨日、視聴者が得た情報が有益だったことに疑いの余地はありません。それのどこが問題なんでしょうか」
 沢村は努めて冷静に言葉を発した。

「火葬場が順番待ちなのは事実だろう。その間、遺体を預かるサービスが盛況なのも事実だ。しかし、我々が報じなければそんなこと大多数が知らんで済むのだ。突然死の増加も放射能との関連を疑われかねんだろう」
「関係あると断定はしていません。視聴者に判断材料を提供しているに過ぎません」

「視聴者は与えなければ自ら知ろうとはせん。どんな情報が彼らに必要かは我々が決めることだ。情報のコントロールで世の中を作るのが我々に課せられた仕事だ」
「誰にとっての世の中なんですか」
「我々は視聴者のために番組を作っているのではない。正論で商売は成り立たん」

 沢村は義憤とともに腹から競り上がってきた『中央電力』という言葉をすんでの所で飲み込み、小さな吐息をついた。視線は勝田に据えながらも、沢村の意識は彼の後ろに広がる都会のビル群を窓越しに見下ろす。今日はやたらと空気が澄んでいるのか、遠くの路地を往く車がはっきりと見えている。

「次回もこのようなことがあれば、君には移動の辞令を出さねばならなくなる」
 想定された言葉に動揺はない。あるのは嫌悪感だけだ。

「話しは以上だ」

 そう宣言して一拍置いた勝田は、組んでいた手を解き、体重を背もたれのほうへ少し戻した。尻尾は見せないが取締役という役者の演技は終了したのだろう。そう理解した沢村は、踵を返しドアのほうへ向かう。シンプルという贅沢に満たされた、無駄に広い取締役室を置き去りにするのは造作もないことだった。

 報道局の制作室はいつも通りの騒々しさだ。仕切りのない広いフロアに、様々な職域のスタッフが常に動き、声を発している。沢村は朝の各局の番組を垂れ流しているモニタ群の前を通り、自分のデスクに向かっていた。

「沢ちゃん。どうしたの? 怖い顔して」

 男性アナウンサーと立ち話をしていた前田が声を掛けてきた。同期入社のスポーツ担当ディレクターはいつも元気がいい。前田が報道局のムードメイカーなんだと改めて思う。

そお? トイレですっきりしてきたとこなんだけど」

 咄嗟にそう答えた。たぶん表情は戻せていただろう。このタイミングで話し好きの同僚に気を奪われたくなかった沢村は、そのまま軽く手を挙げてやり過ごす。

 席に戻るなり沢村を捉まえたのはアシスタントプロデューサーの篠原澪だった。斜め向かいの席からスケートボードに乗ったコーギーのようにワークチェアで滑ってきた篠原は、ショートボブの後れ毛を耳に掛けながら顔を寄せてきた。

「どうだったんですか」

 小声で訊いてくる篠原はもちろん事情を知っている。彼女は入社以来、ニュースセブンに関わってきた。三年前にAPになってからは実務を仕切っているのは彼女だ。

「どうもこうも、いつも通りの狸さ」

「常務に脅されたんじゃないですか。デスクがなくなるとか、降ろすとか」
「大丈夫。上手くやるさ。シノも気を付けてくれよ。隙を与えんようにな」

「分かりました。でも、これだけレスポンスよく圧力が掛かるってことは、人口減少もですけど突然死とか特定疾患の急激な増加はやっぱりタブーなんですかね」
「そうだろうな。身近な人の病気とか死は誰でも思うところはある。逆にそうでなきゃしょせん他人事だ。病気とか死が自分の回りだけじゃないってデータで見せられたら、何かおかしいんじゃないかって思うもんだろ」

「沢村さん。ひょっとして、お父さんもって思ってます? ……すみませんっ、あたし……

 篠原は言ってしまってから後悔したのだろう。小柄な身体を縮めて俯いた。

 沢村は父親の一周忌をまだ迎えていない。持病もなく元気だった父親が七十歳目前で突然他界したことを、やっとで受け入れつつあったが、その原因については納得がいかないでいるのだ。原発や放射能の真実について知れば知るほど関連を疑わずにはいられない。

「いいんだ。気にするな。気にしなきゃならんのはそんな事じゃなくて、どうやって上層部を欺くかだ。正攻法で真実を報道するのはウチじゃ無理だろう。もう関東だって相当の汚染だ。強制移住のキエフ並みのところだってあるのが現実なんだ。政府が自己責任論をぶったって、知らなきゃリスク回避も何もあったもんじゃない」

 沢村はともすれば童顔に見えてしまう大きな瞳を篠原に向け、自分を鼓舞するように熱っぽく言葉を紡ぐ。

「そうですね。出来ること考えなきゃです」

 篠原と組んできた数年間、この落ち込んでも直ぐに顔を上げ前を向く愚直さに、沢村は何度助けられただろうと思う。ポジティブな感情は伝播する。ひとりの人間が発したポジティブはやがて大きなうねりとなり、大勢の人間に影響を与えるのだ。テレビの電波に乗せるポジティブやネガティブは尚更だ。だからこそやらなければ、と沢村は思う。

「いけね、そろそろ出なきゃ。打ち合せ、十時、中野だ」

 整理の行き届いたデスクの引き出しからファイルを抜き出した沢村はサムソナイトのビジネスバッグにタブレットPCと共に収めた。立ち上がって、サイドワゴンの上に畳んで置いてあったジャケットに手を伸ばす。

「あ、沢村さん。そういえば、中央テレビの土門さんから電話あってました。すみません、忘れてて。また掛けますって仰ってましたけど」

「分かった。後で掛けとくよ」

 沢村は猥雑なアジアの市場を縫う子供のように、報道局フロアを横断して出口に向かった。

 報道局があるB棟を一階までエレベーターで降りた沢村は、お気に入りの場所である中庭に出た。秋めいた陽射しが逆光ぎみに芝生を照らし、萌黄色の絨毯が憩いを誘う。沢村は誘惑を振りほどくかのように早足で歩きながら、ポケットからアイフォンを取り出して電話を掛ける。二回目のコールを待たずして取られた回線は、少しの待機のうちに目的の相手に繋がった。

『日東の沢村です。すみません。お電話いただいたのに』
『ああ沢村さん。どうもどうも。いやライブラリー素材の件だったんですけどね、許可が下りたんでいつでも観に来てください。僕かADの柏木を捕まえてもらったら資料室に案内しますんで』
『ありがとうございます。今週のうちに伺います』

『あ、そうそう。昨日のニュースセブン、結構切り込んでましたね。こっちでも話題になってましたよ』
『一歩前進、なのかもしれませんが、上層部に圧力が掛かったようで、朝から呼び出しですよ』

『風当たりが厳しいですね。僕らには』
『風がなきゃ旗印は読めません』

『前向きだな、沢村さんは。それはそうと、これまだオフレコなんですがね、決定的な証拠を掴みまして。秋の特番にブッ込もうと。まだ幾つかハードルがありますが、これでほとんどの人は覚醒しますよ。期待してて下さい』
『それは朗報ですね。でも気をつけて下さい。奴ら、手段を選びませんから。じゃ、今週中に、連絡入れます』

 通話を終了した沢村は中庭を速歩しながら、土門との会話が頭から離れず思考の海に潜っていく。

 体制の中で反権力分子であり続けるのが難しいことは痛いほど分かっていた。それを気負うことなく自然体で貫いている土門暁は、沢村にとって憧憬の人であり欽慕の人だった。勤める局は違ったが、闘っている土門を応援せずにはいられない。腐りきったこの国のマスメディアだが、例え僅かでも確かに良心が息づいていることに希望を繋げるしかないのだ。




                              2

 赤みがかった光が、波打った刃紋にそってその方向を変えた。射抜かれたトオルは目を細める。朝とはいえ光の貫通力が真夏のものではなくなっている。季節の変化は人など待ってくれやしないのだ。

 傷一つない磨かれた鏡のような鋼の刀身に見惚れる。三百年前に手にしていた武将が誰だかトオルには知る由もなかったが、刀匠によって込められた魂が今でも息づいていることはひしひしと感じられた。日本刀の妖しさは不思議と持った者の心を静かにする。上質なコットンツイル地で仕立てられたビジネスシャツに身を包む、すらりとした長身の男と日本刀の組み合わせは、静かに燃える焔を連想させた。

 トオルは畳敷きの広間で静かにゆっくりと息を吐きながら、左手に持った鞘に刀身を収めると、床の間の刀台に太刀をそっと立て掛けた。横に鎮座する戦国武将の甲冑に恭敬を感じつつ、一歩後ずさると身を翻した。

「おい、ヒデ。神棚の酒、取り替えたか。今日は十五日だ」

 庭で掃き掃除をしていた住み込みの若い衆の一人に声を掛ける。

「あ、いえ、言われてた米と塩と水は替えたんすけど」

 ヒデと呼ばれたジャージ姿の若い衆は、戸惑いや不安という感情がこの世界では命取りだということが、まだ分からないらしい。

「米と塩と水は毎朝替えなきゃならんが、酒は一日と十五日だ」
「はぁ」
「そっち終わったら替えとけよ。忘れんな」

 地元の暴走族でも落ちこぼれだったヒデを拾ってきたのはトオルだった。規律の厳しい桐壬会でやっていけるのか疑問だが、連れてきた以上は責任がある。トオルは目をかけてやっていたが、ヤキを入れるのもまた自分の役目だと思っていた。

 トオルは客間に戻りかけて小さな電子音を聞き、脇の警備室へ向きを変えた。ランプが点滅しているモニタに目を走らせると、敷地に入ることの出来る唯一のゲートが上がっているところだった。入って来るのは若頭である真部のメルセデスEクラスだ。

「おい、若頭のご出勤だぞ」
 各自の作業に没頭している若い衆たちに聞こえるように声を張った。

 関東でも東に位置する政令指定都市に事務所を構える桐壬会は、五百五十人の構成員を抱える工藤組系の二次団体だ。暴力団排除条例の施行後、非合法ビジネスは更に地下に潜り、今では表向きは一般の会社と同じく経済活動に精を出している。組織の方向修正の先鞭を付け、桐壬会を引っ張ってきた中心人物が真部光二だった。

 トオルと三人の若い衆は玄関に飾られた金屏風の前で真部を出迎えた。屏風の中の龍が出迎えているようにも、近づく者を威嚇しているようにも見える。あまり上背はないがしっかりした逆三角形の上半身を、上品なキートンのスーツで秘した真部は、龍の威風を凌駕していた。

「お早うございます。真部さん」
「おう。今日はトオルが当番か」
「はい」

「じゃあ、後で肩でも揉んでもらうか。お前の親指は絶品だからな」
「はい。でもどうかしたんですか。朝から事務所に寄るなんて」
「今日はこっちに客があるんでな」

 二人が話しながら客間へ向かうと、若い衆たちはそれぞれの持ち場へ戻っていった。

 独立した空間である客間は段差天井になっており、唯一ある三階分の高さの明かり取り窓から柔らかな朝の光が差し込んでいる。陽光が床に敷かれたペルシャ絨毯をも照らしているのは、匠人による申し分のない採光設計ゆえだ。

 真部は広い客間の中央に据えられた豪奢なテーブルの際を通りながら上着を脱ぐと、晩餐会の主賓が座るであろう椅子の背に掛け、そのまま部屋の奥に進み、重厚な応接ソファに身を沈めた。

 真部の所作をそれとなく観察していたトオルは、一番応接に近いテーブルの席に腰を落ち着けて真部と向きあった。

「どうだ。シノギ、任せてもらって一ヶ月か」
 かつて二十四の若造を試すことに躊躇しなかった真部が訊いてくる。

「そうですね。なんとかやってます。上毛建設の親父とも上手くいってますし。やってることは単純な人集めですから。誰でもいいんです。イチエフの現場に連れていければ」
「抜けるのは三割くらいか」
「事故当初はそんなもんだったらしいですが、今は厳しくて二割いかないです。ま、人数掛けひと月でどうにかです」
「ふん」
 鼻を鳴らした真部の表情からは感情を読み取ることはできなかった。

「でも今月から上納金が大変です」
「ばか。俺なんか幾らだと思ってんだ」
「すいません。でも、上納金って税金みたいなもんですね」
「収入に合わせて上がる、か。まあ、代紋の使用料だからな。頭だけが儲かるシステムだ。カタギも俺たちもかわらん。違うのは奴隷だってことに気付いてもないか、分かってて奴隷をやってるかだけだ」

 トオルは壁に掛かる額装された書に目を向ける。『克己慎独』という筆で書かれた文字が、正確な意味は分からなくともなんとなく好きだった。眺めているといつも力が湧いてくる気がするのだ。言霊というのは文字そのものから発せられているのかもしれない。

「俺は上行きますよ」
「ガキが。いきがってんじゃねぇぞ」

 前触れなくポケットの中に振動を感じたトオルは心の中で舌打ちし、すいません、と言いながら席を立つと、客間を歩きながら取り出した携帯電話を耳に当てた。

「上毛さん。どうしたんですか。……はい……はい。わかりました。とりあえずそっち行きます」

 電話を終えたトオルが真部の方を向くと、ちょうどヒデが真部にコーヒーを持ってきたところだった。

「現場からのクレームです。俺、ちょっと行って来ていいですか。あ、当番は輿水にでも代わってもらいます。すいません。連絡入れますんで」
「おう」

 真部がカップを手に取り、美味そうに淹れたてのコーヒーをすすったちょうどその時、来客を告げるセキュリティの電子音が鳴った。

「若頭に客です。高崎と名乗ってますが」
 若い衆の一人が応接の真部のところまで来て告げる。

「通してくれ」

 電話を掛けながら慌しく廊下を玄関に向かっていたトオルは、客を出迎えに行っている若い衆を追い越しそうになる。並んでから思い直し、若い衆を先に行かせた。トオルの耳元では呼び出し音が鳴り続けたままだ。

 若い衆が玄関を開けると高崎が立っていた。名前を聞いても何とも思わなかったが、なるほど、あの高崎健だったのかと思った。白髪交じりの短く刈り込んだ頭髪に意志の強そうな切れ長の目。かつてヤクザ映画で一世を風靡した、誰もが知る老練の俳優だ。確か今は芸能プロダクションもやっていたはずだ。桐壬会との付き合いがあることは知っていたが、組織は各自のシノギに干渉しないので、直接顔を合わせるようなことはなかったのだ。

 トオルは相手の出ない電話を諦めて切り、ポケットに納めた。高崎に目礼しながら上がり框まで進む。段差のない御影石でできた三和土に立つと、長身のトオルとかわらない上背だ。

「どうぞ」
 若い衆が言い慣れない言葉で促すと、剣士が間合いを詰めるかのように動き出した高崎と、真っ直ぐに前を向いたトオルがすれ違う。

 玄関で交差するその二人を金屏風の中の龍がじっと見つめていた。




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 この張り詰めた感じが好きなんだと思った。子供の頃から幾度となく感じてきたものだ。その瞬間を重ねることが生きることだったのかもしれない。

 クラウチングスタートの姿勢で火薬の炸裂音を待つ。五感にまとわり着く濃密な空気。密度が増した空気に押し込められ身動きできない。それと同じだと気付いた瞬間、迫田トオルの脳裡を、これから起こるであろうことが鮮烈なイメージとして駆け巡った。

 スターティングピストルが頭の中で鳴る。

 手にしたハンディタイプのバーナーに点火した。青く先の尖った焔がトオルの熱誠な顔を薄暗がりに照らす。

 ガスの燃焼音が円を描いていく。

 港近くの裏通りに面した懐古趣味の三階建てビルは、その佇まいが老舗の建築設計事務所であることを体現していた。裏手の出入り口のドアに寄せるようにして停めた二台の黒いワゴン車は、リアハッチが開放されたままだ。これから何か作業でも始めるかのように、二十人程のつなぎ服を着た作業員らしき男たちが待機している。ありふれた風情だったが、唯一、不自然なのは深夜の時間帯であるということだった。通りを往く車もなければ歩いている人もいない。

 裏口横の窓のガラスを火焔が焼き切るのに大した時間は必要なかった。トオルが窓を解放して飛び込んだのが合図だ。男たちが手にしていた目だし帽を素早く被り、ドア付近に駆け寄る。程なくドアが内から開けられると、全員が堰を切ったようになだれ込んだ。

「スイッチだ、スイッチ。電気点けろ」

 押し殺してはいるが音圧がある声を発しながら、トオルは奥の部屋に向けて走る。歓声のない陸上競技のように男たちも続く。予想通りお揃いのランニングシューズと床の相性はいい。低い音で鳴り続ける警報音と点滅している赤いランプは気にすることはない。警備会社が確認中に違いないが、彼らの到着を待つつもりはなかった。

 トオルたちが奥に進むにつれ、暗く幻想的でさえあった古いビル内が灯りに照らされ、現実感が増していく。通路を抜けた建物の正面側は吹き抜けのホールだ。横から伸びる湾曲した踊り場のない階段は、二階のフロアに続いていた。先頭のトオルは一階を更に右手に進み、事務室と思しきドアを目指す。木製の引き戸に心の中で毒づきながら素早く開け、駆け込んだ。

「急げっ、とにかくぶち撒けろっ」

 予め打ち合わせた通りに、男たちは物品を運び出しつつ、手当たり次第に荒らしていった。思い付くまま机や棚の引き出しをぶち撒けていく。

「パソコンは全部だっ。応接の絵も忘れんな。半分の人間は俺と来い。二階行くぞっ」

 階段を駆け上がると二階は一つながりの部屋のようだった。いつかテレビで観た木造校舎の教室を思い出す。一番近い引き戸を開けて侵入すると、すぐさま照明のスイッチを探した。照らし出されたのは製図室だ。

「ここのパソコンもだっ」

 トオルは製図台やパソコンが並ぶ机の間の通路を大股で素早く移動しながら、抑えてはいるが有無を言わさぬ声で指示を飛ばす。

 壁際のキャビネットに近づく。大型で薄い引き出しが沢山あるタイプだった。一つを引き出すと、設計図が詰まっている。

「おい、こいつら全部だっ。引き出しぶち撒けて中身は全部持ってけっ」

 作業着姿の男たちは寡黙にして機敏に動いていた。慌ただしく各部屋と裏口に停めたワゴン車の間を往復する。

「おいっ、お前とお前、三階見て来いっ。金庫探すんだ。あったら持てなくてもいい、引きずり出しとけっ」

 トオルは手近かな二人を捉まえて指示すると、一階に下りて出入り口に向けて走り出した。

 二台のワゴン車の荷室はやがて埋まりそうだ。トオルは左の作業手袋をめくり、サブマリーナの針を読む。侵入から五分。そろそろ潮時だ。

「撤収だっ、引き揚げるぞっ。急げっ」

 室内に戻りながら言う。部屋中を引っかき回していた男たちは動作を止め、散乱した物を蹴散らしながら、トオルが居る出入り口のほうへ一斉に走り込んで来る。さながら大地震発生直後の混乱だ。

 外に出たトオルは運転席に俊敏な動作で乗り込んだ。エンジンは掛けっぱなしだ。アクセルを煽りなからバックミラーで車外の撤収状況を確かめていると、男が助手席に飛び乗って来た。こぶし大の金色をした凱旋門を握りしめているのが目に入る。男と目が合うと、そいつは僅かに卑屈な表情を浮かべ、戦利品をポケットに突っ込んだ。

 ワゴン車の荷室の隙間にどうにか全員が納まり、最後に飛び込んだ男がリアハッチを内から閉めた。同時にトオルはハンドルを少し右に切りながら思い切りアクセルを踏み込む。ドアが閉まる音に被さるように、タイヤが空転する音が鳴り響く。もう一台のワゴン車も数秒の時間差で急発進した。

 加速していく車の中でトオルは目だし帽を脱ぎ捨てた。角を幾つか曲がりながら徐々に普通の速度に落としていく。港湾区域に入ると辺りは同じような形のシャッターが下りた倉庫ばかりだった。トオルは煙草を取り出し、ハンドルを肘で支えながら両手でダンヒルを囲い火を点けた。一服目を深く吸い込み、安堵と共に吐き出す。

 うまくスタートを切れたのだろうか、と思う。しかし、うまく行こうが行くまいが突っ走るしかないのだ。走り出してしまったのだから。ゴールに何が待ち受けようと関係ない。止まってしまえばもう一度スターティングピストルを聞くことはできないのだ。



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