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葛川のお寺の落慶法要の日…。
母屋をおいとまして自分の車に戻るとき、常喜さんの畑の横を通りました。
この畑にも思い出がいろいろあって…。
「サルが山からやって来て、芋のツルひっぱり回して運動会しとおるわ。」
そう聞いて、つっかけ借りて走って見に行ったら、子ザルが繁ったサツマイモのツルを
引きぬいて、それを引き摺りながらとりあいっこ。畑中を走り回っていましたw
「あいつらはエラいもんや、石投げて追い返したら、それ覚えて次の年にはこっちに向かって
石投げてきおるねん。」
身振り手振りで話してくれて、みんなでちょー受けましたねw
「(柵の)ゆるんだところ直そとして手を掛けたら、ハチが巣を作っててそれ掴んでしもた。
えらいめ、おうたわ。」
このときはアナフィラシキーを起こし昏倒。息も絶え絶えのまま若奥さんの運転で麓の病院へ
担ぎ込まれたそうですが…。
「あの子も慌てたんやろな、あんだけ大人しい運転するのがどえらい蛇行運転で、途中で
気持ち悪なって意識が戻ったんや。」
そのときのことをお母さんはこう話していました。
「青白い顔して倒れてるお父さん、水道ばたまで足持って引き摺って行って、盛大水掛けたったんや。
それでもなんともならんから、さぁ次はどないしてやろうと思って、ほっぺたバチバチ叩いてな」
ちなみに常喜さんは昔の人にしては、かなりの大柄男性。お母さんは身長150cmもないような
小さな人です。お母さんのコミカルな話しぶりと、そのシーンを想像して、涙が出るくらい
笑ったっけね…。
土いじりの好きだった常喜さん。亡き人が愛し、丹精した畑は、荒れてはいなかったけど、隅っこに
ちょこっとだけ夏野菜の苗が植えられてありました。お母さんが植えたのでしょうか。
ぼんやり思い出に浸りながら畑を見ていると、ハチが一匹やってきて、ツツジの花で仕事を始めました。
花から花へ、身体にいっぱい花粉を纏わせて、忙しそうに働いていました。
なんとなくそのハチに常喜さんを感じて、写真に収めようとケータイを近づけると、
うるさいなぁ、邪魔しないで、と言った風情で避けるように身を翻します。
時間は淡々と流れて行きます。自分はこうした思い出の積み上げの中で生きています。
みんな少しずつ見えなくなって寂しいけど、それでも毎日毎日少しずつ、長い織物を編むように
積み上げ続けています。
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楽しかった常喜さんの想い出。
こうして思い出すことこそがご供養なのですね。
[ pok**hino*324 ]
2011/6/12(日) 午前 6:44
楽しかったですよ。一緒にいたときは、本当に楽しかったです(*^^*) 信者さんたちも行者さんたちも、常喜さんはお不動さんの眷属にならはったんや、そう言っています。私もそう思います(^∇^)
2011/6/12(日) 午前 10:40
菜園も肉体も土に還るのですね‥
2011/6/12(日) 午前 11:33
日本では今や火葬が主流ですが、感覚的には昔も今も「土に還る」ですね…。その辺は代わりませんね(^ ^)
2011/6/13(月) 午前 1:07
また相棒が家出しました‥
ホントはボクを追出したかったみたいですが‥
金曜の夜に何処かに車で出て行きました。
月曜は出勤しているか職場の駐車場を観に行ってきます‥
トホホ‥
2011/6/27(月) 午前 0:35
あらまー!大変なことになってますやんか(>_<)
助役さん、ちゃんと出勤されていましたか?危ないから家出は村長さんの方が出るようにしましょう。
大丈夫、すぐ仲直りできますよ(^ ^)
2011/6/28(火) 午前 0:48
先週戻って来ました。
軽井沢近くの実家から長野市まで下道でしばらく通っていた様です。
休戦協定によって、お弁当作りや夕飯の分担等々、労働の分担が激増する不平等協定を締結させられました‥
こうなるコトは薄々判っていたのですが‥ とほほ‥
2011/7/17(日) 午前 8:49
あらー、かなり長かったですね…。でも無事に戻られて良かったです。慣れない夜勤生活に合わせて疲れも出たのかもですね…。でも村長さんは優しいですね、うちは私の方が収入高いのに家事は全て私の負担です(-_-;)そのうちきっと助役さんも、家事についてはある程度は諦めてくれるのではないかとw それまでジワジワがんばって(^^)
2011/7/17(日) 午後 10:53