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なんでもない日々
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ご無沙汰しております

皆さんお元気ですか?お変わりありませんでしょうか?

久しぶりの投稿となります。最後の投稿から早いもので1年半以上経過してしまいました。

ご心配頂いて、メールや書き込みをくださった登録の皆様がた、ありがとうございました。
私はおかげさまでなんとか元気にやっておりますよ。

あれからどうしていたかと言いますと…さて、最後はどこまで書いたかな?
仕事を辞めたところでしたっけ?

無事に就職はしたのですけど…それがまぁ就活が大変でしたわ。本当に。
このご時勢だし、年齢も年齢だし(;´д`) こないだの誕生日で40になりましたですよ。
 
それでも必死の就職活動なんとか功を奏したのか、某市場調査会社に潜り込むことができました。
…アルバイトですけど。親会社があの日本を危機に追いやった事故を巻き起こした、
某エネルギー会社の対抗エネルギーの会社であり、たいそう規模の大きな会社なので
身分的にはまぁまずまず安定…。お給料がとても安いですが…。でもいいんだ、賞与もあるし…。
交通費も全額支給だし…。働きやすいし…仕事、難しいけど。


それでも必死のパッチで就活をしていた頃、いろんな会社に応募して面接や説明会に行きましたが。
やはり世相を反映しているのか、若い人の求職シーンを目の当たりにすることがすごく多かったです。
私が就活をしていたのは2011年の8月から11月にかけてですが、新卒でまだ一度も就職して
いないという人に何人か会いました。同じ会社の説明会や面接に来ていたのですね。
若い人だけでなく、見た目年齢50歳を越しているだろうというおじさまにもたくさん出会いました。
このあたりのことは、おいおいお話ししたいと思います。

まったくの異種業界からの転職なので、いろいろ苦労もありましたが、やっと一年を無事に
勤め上げて、まぁこれならこの先もなんとかここでやって行けるだろうと。

そして…家族のことなんですけど、私が新しい会社で右往左往しているあいだに、なんと、
とーちゃんまでリストラに遭ってしまったのですねwww これはもう本当に悲惨な話しで、
もう笑うしかありませんwwww
しかし本人、目の病気が進んでしまいまして。兼ねてから緑内障の治療をしつつ勤めをしていたの
ですが、それに加えてぶどう膜炎という病気にもなってしまい、今はこちらの治療を主に行い、
仕事の方は週に数日だけ、こちらもまたアルバイトに行っております。なので家計は火の車です。
どうしようww

子らの方は、長男坊は相変わらずの専門学生。今、2年生で次は3年生。教育課程が4年なので、
まだしばらく学校に行かなくてはなりません。これも相変わらず部屋のパソコンと学校とアルバイトの
往復で、今は彼女もいませんアハハ

次男坊は高校3年生で、既に進学する大学も決定しており、あとは卒業を待つばかりの身分です。
朝から晩までアルバイトしていて、今はあまり家におりません。春から通う大学は京都にあり、
そこでロシア語を勉強するそうです。今バイトをガシガシしているのは留学資金を貯めるつもりらしい。
今、この記事は次男坊のパソコンを借りて作成しています。これまでずっと更新ができなかったのは
長男坊が私のパソコンをハードに使用しすぎて壊してしまったから、という経緯もある。

三男坊は…彼は目下のところ、グレておりますw 大変な反抗期です(;´д`)
背は家中で一番高くなりました。グレて家の中ではトメさんとしか話をしなくなってしまいました。
学校も時々サボリます。真面目にやらないので、学校をクビになるかもしれません…。
あまり煩く言ってもますます殻に閉じこもるだけなので、影からそっと見守るくらいにしています。
あまり調子に乗るようなら、私が注意をする。とーちゃんに対して腹にイチモツあるようで、
とーちゃんの言うことは一切ききません。なんでも自分で選択して、決めたい年頃のようです。
最近までハンストしていましたが、ここのところ家族がリビングにいない間を見計らってご飯を
食べているようです。昨日外出から帰ってきたら、ガツガツ食べているところを目撃しましたw 

トメさんは相変わらずです。相変わらず太っています。デブです。人間換算で私と同じくらいデブです。
9歳になってちょっとおばあちゃん入ってきたので、あまり活発さは無くなってきました。日中は
ウトウトと眠っていることが多くなりました。ヒゲもまつげも白くなりましたよ。
でも畑へ連れて行くと、まだまだ嬉しそうに駆け回っています。畑もまだやってますよ。
あまり行けてないけど。

仏教熱も相変わらずです。10年にもなれば少しは衰えてくるかと思っていましたが、全然その気配は
ありません。相変わらず時間をやりくりして方々に出掛け、毎日のお勤めも欠かしません。
こないだノロに罹って2日休みましたが…。

最近はこんな感じです。以上、近況のご報告でした。
細かいお話しはまたおいおいといたしませう。

皆様、御無沙汰しております。突然ですが、実は私は仕事を辞めました。

某大手企業へメーカーの駐在として入り込んで何年?5年だっけ6年だっけ?
駐在を置けるほどの収益が上がらなくなり、引き上げとなりました。

幸いなことに、それまで駐在先の社員の方々からは色々とお引き合いを頂いており、
また重宝して頂いてもおり。

信用も頂いて、本来ならばルール違反なのでしょうが、本来の業務以外のお仕事も多数担当させて
頂いてもきましたが。
自分にできることはなんでもやる、の私自身のモットーの元、またかつての所属会社からも
「手伝えることはなんでも手伝ってあげてください」との意向もあり。
地方支店の方や新入社員なんかは私が駐在先の社員だと勘違いするほど、馴染んでおりました。

なんだかそれが仇となってしまった面があり、引き上げ決定、となってからは自分とこの会社と
駐在先とですったもんだがありまして。

詳しくは書けませんが、やはり人件費や売上のKB等の金銭のことも色々と絡んできますので。
なかなか辛い引き継ぎ期間の二カ月となりました。

でもそれも昨日で大方終わりました。

思えば大変な仕事でした。
一人出張所のようなものだったので、全部を自分で管理してやって行かねばなりません。
昼休みに話をしたり、辛いことを聞いたり聞いてもらったりの同僚もおらず、問題の起きたときに
相談のできる上司もおらず。がんばってあれやこれや考えを巡らすも、失敗することも多くて。
駐在先の取締役から叱責を受けてしまったことも一度や二度ではありませんでした。


メーカーの契約社員だった間はそれでもよかったのですが、事業ごと身売りされてしまって、
それまで全くなんの関わりもなかった会社の契約社員となってからは、商品や商流について相談し、
頼れる人がほとんどいなくなってしまって。
商品の勉強会に出ることも、カタログや運用の説明会にも参加が難しくなり、その中で競合を
抑えてゆくには身体がひとつでは足りず。

地震があってしばらくして、本当に最後の頼みの綱だったメーカーの営業君を、復興需要の要員と
して取られてしまってからは、自分一人の力では本当にどうしようもなく。

無力感の中で、拠点集約で関連まるごとの大引っ越しが行われ、商機をドンドン奪われて行くのを
ただ黙ってみているしかなく、こういう大事なときに戦力の営業を関東にやってしまうというのは、
メーカーはここを捨てたのだろう。この会社に戦力を割くよりは、震災の需要の方が利益が上がると
見たのでしょうね。代わりの担当営業が何度も入れ替わり、定まる気配のないのを見て、なんだか
自分もこの会社と一緒に見捨てられたみたい…。そう感じました。

このとき、間もなく自分の去就が決められてしまうのだろう、という予感があり。
そしてそれはやはり外れることなく。

…現在に至る。

最後の方はもう何が何だかわからない状態になってしまい、気に掛ることが本当にいっぱいあって、
それは仕事のことも、家のことも、その他のことも。
焦りばかりが前に出てしまって、すっかり疲れてしまいました。また不眠が起こってきて、
薬のお世話になる日々が続きました。


そういったことを誰かに話すことができればちょっとは気持ちが落ち着いたのかもしれませんが、
とーちゃんも仕事が大変だったし、何より今のご時世、今のご時世ではなくても、大変なのは
自分ひとりだけではないし。それは単なる甘えでしかないような気がして。
夜中に一人お不動様の前にボーッと坐っている日が続きました。

皆さん、仕事辞めるんです、言うと、あらー大変だね。これからどうするの?何か当てはあるの?と
言われますが。確かに今、仕事を失うのは厳しいのですが。私も若干、不安ではありますが。
幸いなことに、ここでは贅沢を言わなければ最低限の仕事はなんとか確保することはできそうです。

ただ一人、生駒の冥想の先生だけは、「何?辞めるの?よかったじゃない」と言われ、
「あなたも大変だろうけど、そんなにガツガツ仕事することない。無ければ無いなりに暮らしなさい」
そう言われてしまいましたが、そういう境地になれるのはまだまだ先のような気がします。


取りあえずは少し、身体を休めようと思います。
愚痴ばかりになってしまいましたね。ここまで読んでくださって有難うございましたm(__)m

亡き人の畑

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葛川のお寺の落慶法要の日…。

母屋をおいとまして自分の車に戻るとき、常喜さんの畑の横を通りました。

この畑にも思い出がいろいろあって…。

「サルが山からやって来て、芋のツルひっぱり回して運動会しとおるわ。」

そう聞いて、つっかけ借りて走って見に行ったら、子ザルが繁ったサツマイモのツルを
引きぬいて、それを引き摺りながらとりあいっこ。畑中を走り回っていましたw


「あいつらはエラいもんや、石投げて追い返したら、それ覚えて次の年にはこっちに向かって
石投げてきおるねん。」

身振り手振りで話してくれて、みんなでちょー受けましたねw


「(柵の)ゆるんだところ直そとして手を掛けたら、ハチが巣を作っててそれ掴んでしもた。
えらいめ、おうたわ。」

このときはアナフィラシキーを起こし昏倒。息も絶え絶えのまま若奥さんの運転で麓の病院へ
担ぎ込まれたそうですが…。

「あの子も慌てたんやろな、あんだけ大人しい運転するのがどえらい蛇行運転で、途中で
気持ち悪なって意識が戻ったんや。」

そのときのことをお母さんはこう話していました。

「青白い顔して倒れてるお父さん、水道ばたまで足持って引き摺って行って、盛大水掛けたったんや。
それでもなんともならんから、さぁ次はどないしてやろうと思って、ほっぺたバチバチ叩いてな」

ちなみに常喜さんは昔の人にしては、かなりの大柄男性。お母さんは身長150cmもないような
小さな人です。お母さんのコミカルな話しぶりと、そのシーンを想像して、涙が出るくらい
笑ったっけね…。

土いじりの好きだった常喜さん。亡き人が愛し、丹精した畑は、荒れてはいなかったけど、隅っこに
ちょこっとだけ夏野菜の苗が植えられてありました。お母さんが植えたのでしょうか。

ぼんやり思い出に浸りながら畑を見ていると、ハチが一匹やってきて、ツツジの花で仕事を始めました。
花から花へ、身体にいっぱい花粉を纏わせて、忙しそうに働いていました。

なんとなくそのハチに常喜さんを感じて、写真に収めようとケータイを近づけると、
うるさいなぁ、邪魔しないで、と言った風情で避けるように身を翻します。

時間は淡々と流れて行きます。自分はこうした思い出の積み上げの中で生きています。
みんな少しずつ見えなくなって寂しいけど、それでも毎日毎日少しずつ、長い織物を編むように
積み上げ続けています。

落慶法要

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毎月18日は観音様のご縁日。地域によって多少の違いはあるみたいですが。

今年の5月のご縁日は、葛川息障明王院が5年に亘る本堂および護摩堂の修復を終えたので
落慶法要が執り行われました。事前にお招きを頂いていたので、私も参座してきました。

当日は大変良いお天気に恵まれ、日本全国からビックリするくらいたくさんの信者さんが詰めかけました。
ここにこんなに人がいるのは、夏安居中の行事のひとつ、太鼓まわしのときぐらいかもしれない…。
それも、ここ数年は本堂の工事を理由に一般の拝観は断られていました。

午前中は、回峰行者さんとお坊さん方で法要を行われたとのこと。お滝参りもされたそうで、
浄衣の行者さんが昨年秋に亡くなられた常喜さんのお写真も一緒に連れて行ってくれたと、
奥さんであるお母さんは大変喜んでおられました。

法要中はボーッと行者さんがたのお声明を拝聴していたのですが、また例のごとくその音色に引かれるように
心はそこここに遊び、ご開帳された御本尊、千手観音さまとの対話となり、いや、本当に千手観音さまとお話していたわけではないと思いますよ。私のことですから、またそこらを徘徊しているムジナやら何やらにおちょくられて
いたのかもしれません。ですが、遥かなる縁の積み重ねで肉皮を与えられ、今ここに存在している自分といういのちの正体を、チラリと教えて頂けたような、そんな感じがしました。

もう最終形態は決まっているのだから…そんなにカツカツすることはないですよ。
とにかくあんたはおおいなるものに依って生きていればそれでよいのだから。
ひまさえあれば、とにかくこうして森や山の中を歩き回りなさい…。
そんな言葉が頭にひらめきます。

法要のあとは、無動寺の長老、法曼院のご住職のご法話を拝聴し、お話の中に何度か「お大師さま」という
言葉が出てきて、そのお大師さまとは相応和尚、南山建立大師のことだと気が付くのに、少し時間が掛った…。
宗が変わればお大師さまが変わるという、当然といえば当然なのですけど。
相応和尚というお名前がさきほどのひらめきと重なって、あぁなるほどなと。山の霊力でしょうか。


手を合わせ、行者さん方のお声明に耳を傾けていると、柱のかげからひょいと、昨秋にこの世を
去られた方の姿が見えました。相変わらず、それとなくお寺の様子に心を配られているようです。

法要のあとは、お内陣に上げて頂き、御開帳となった千手観音様、お不動様、毘沙門様。
とくに千手観音様は、私の憧れて憧れてやまないほとけさまであり、あまりお仏像に興味がない私も、
ここのほとけさまには深い深いご縁を感じて、長いことずっと、一度直接拝ませて頂きたいと願っていました。
その願いがやっとかなったのです。お厨子に近づくにつれ、胸が高鳴り、涙があふれ、
口からは知らず知らずのうちに千手様、お不動様の名がこぼれます。
長年別れていた両親にやっとのことで会えたような、心からの歓喜が湧きあがりました。
たくさんの拝観者の中で、お姿を拝見できたのはほんの一瞬でしたが、あの美しいお姿を私はきっと
生涯忘れることはないでしょう。私は確かにここからやってきた。自分はこの観音様の子であると、
そのとき、そうはっきりと自覚しました。


法要のあと、常喜さん宅の母屋へお邪魔しましたが、奥さんであるお母さんは、「この一週間、母屋にお父さんの
気配がせぇへんねん。たぶん、本堂の方へ行ってるんやと思うわ。」と笑っておられ、あぁやっぱり?という感じでw

この良き日を、常喜さん、元気なお父さんと一緒に喜びたかったなぁという思いが胸に迫り、また涙が零れるのでした。

ちから

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いちお、写真は許可を頂いて掲載しております。。。頭上の御幣が燃えそうで燃えないのが不思議。




昨日は弘法大師、お大師様のご縁日。ちょうどいいことに土曜日だったので、三重は四日市の
お寺にお邪魔して、護摩供に随喜させて頂きました。

初めてお寺にお邪魔したときは勝手がわからず、キョロキョロおどおどしていましたが、
今では受付の方にも名前も覚えて頂いて、すっかり馴染んでおります。

馴染み過ぎて、お護摩の最中にお内陣に上がり込んで写真を撮影するという荒技も覚えましたw
ウソです。事前にちゃんと許可を頂いております。お内陣に上げて頂くときには、ちゃんと塗香で
お清めもしております。

お護摩のあとには、お加持もして頂きました。
お加持といえば、天台宗の阿闍梨様から授かるものしか知らなかった私には、一対一で向き合って
行われるお加持は、みほとけ様にじっくり診察して頂くような感覚。折しもこちらのご本尊様は
弘法大師に薬師瑠璃光如来…お薬師様は先住様が修行されたお寺ゆかりのほとけ様です。

それまでお護摩に集中されていたご住職は、疲れた様子もなく、かえって落ち着いて静謐な
佇まいでした。向き合って座って、何やらお称えされます。法具を持たれた手を、頭や肩に充てて
くださいます。私は腕に自分のお数珠を掛けて合掌して頭を垂れ、目を伏せ気味にしている…。
すると、おでこから胸に掛けて、正面からまっすぐ何かが流れ込んでくる感じがする。
それはいったん、丹田まで降りてゆき、そこから一気に背中全体に向けて出て行く感じがする。

それが自分にとっては結構な衝撃で、「なんなんだ?何が起こったんだ?」なんて思うヒマもなく
流れ込んできた何かは一気に丹田の辺りを浚って、ドドドッと一気に出て行きます。
全身に汗がドッと噴き出て、頭がクラクラします。視界は急に視力が良くなったかのように、
明るくなる。眩しいとかいうのではなくて、クリアになったような。

何やらご住職が話しかけられるのですが、なんとなく自分の口で答えているのですが、
この時の会話は全然覚えていません。ご住職が法具を持たれた手で背中を撫ぜてくださるあたりで
やっと人心地つきましたが、その場が、お内陣の片隅なのですが、グラグラと揺らいでいるような
感じでしばらく立つこともできず、そのままその場に座っていました。

その時、私はぼんやりする頭の中で「なんだ?このお坊さん、今、手からビーム出したんじゃね?」
などと考えておりました。まさか、いくら修行したところでそんなものが実際に出るはずがないの
ですが、私はそのとき、かなり本気でそう思った。それくらいの衝撃があったのです。
実際、その後に「実は手からビーム出してません?」と聞いてみたほどです。
鼻で笑われてしまいましたが。僕、何もしてないよー、とのことで…。そ、そうですよね…?

でも…。この日でお加持を頂くのは二回目だったりするのです。
実はこの前のときも同じでした。ビームで、異世界でした。グラグラしました。
それは、初めてのことだから、きっと舞い上がってしまってそういう風に感じたのだろうと
自分で納得していたのです…。しかし今回でわかった。これは錯覚や気のせいなどではない。

その日は帰宅してからも何だか頭が痛かったり、身体が重だるかったりしてちょっと辛く、
翌日も起きぬけはダルかったのですが、動いているうちに快活な気分になってきました。
実はお加持を頂くまで、ちょっと不調だったのです。不安と気鬱、幻覚がありましたが、
それらがパカッとかさぶたが落ちたかのように取れました。それらは元々自分が持つべきものでは
ないものなのです。それぞれ帰るべきところに帰ったか。みほとけ様が預かってくださったのか。

ご住職にそのことをメールでお話しして、お礼を申し上げると、返信をくださいました。

「加持と者(いっぱ)、如来の大悲と衆生の信心とを顕す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、
行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく」

んー、原文?で難しいけど、なんとなくわかります。

まだまだ人生の行脚は続きます。自分の中で生み出したもの、他人様より影響を受けたもの。
自分で抱えているべきでないもの。ちゃんと自分の中で普通に処理できるようになれますように。

お加持は受ける人によって様々顕れ方が異なります。全ての人に同じ顕れ方をするというわけでは
ないと思いますのであしからず…。私にはこういう顕れ方、感覚があったということです。

トメ母
トメ母
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