ここから本文です
なんでもない日々
ちょっとレイアウトをいじくってみました。てへへ…

書庫2009年(日記)

記事検索
検索

エリザベスカラー

イメージ 1

トメの後ろ脚の肉球が腫れてきて、アレアレどうしたのだろう?と様子を
見ていたのですが、治ってきたなーと思ったら、今度は反対の足の肉球が腫れてきました。

歩くのに支障はないようでしたが、時々「イタイ、イタイ」とピョコピョコするので、
病院に連れて行って診てもらうと、検査の結果、何やら菌が感染したようですねとのこと。
飲み薬を一週間分と、消毒液をもらって、また一週間後に診せに来てねとのことで。

人間なら水虫か?

痛いせいか、ヒマさえあればペロペロ腫れ部分を舐めており、舐めていると他にも
感染しかねないので舐め防止にエリザベスカラーをレンタルして装着。

首に邪魔なものがついているせいか動けなくようで、うらみがましい目でじっとこっちを
見る。静かに怒っているトメなのであった。

残念やなー、連休中は一緒に畑や、また奈良方面にハイキングに行こうと思っていたのに。
可哀そうなので、家に誰かがいるときはカラーを外しておくことにしました。
その変わり少しでも足を舐めると、「こりゃ」と注意をせねばなりません。

カラーもストレス溜まるでしょうけど、「こりゃ」もストレス溜まりそうですね。
「こりゃ」と言われると、怒られることが嫌いなトメはそのまま固まってしまい、悲しそうな
目でこっちを見るのです。「なんで?どうして?」と目で訴えてきます。

カラーをつけていない時は、ずっと誰かが見ていなければなりません。
今日は子らはみんな遊びに行ってしまい、とーちゃんは今日は仕事なので今寝ています。

仕方ないのでワタクシが、今日はトメをシャンプーしてドライヤーして、編み物しながら
足を舐めないよう、監視し続けているのであった。

さっきちょっと三階に掃除機をかけにいって目を離したら、その隙に思うさま腫れ部分を
ペロペロしていたらしく、そのままの態勢で固まっていたのでありました。
「しまった、バレた」とでも言いそうな、バツが悪い、怒られるかな?といった表情で
思わず笑ってしまいました。

治ったら、また一緒にお出かけしような。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

室生寺をあとにして向かったのは、仏隆寺。

榛原の山間にひっそりとたたずむお寺です。真言宗室生寺派。
このお寺は空海が唐から持ち帰った茶を栽培したことから、大和茶の発祥地とも言われています。

境内にはペットボトルに入った大和茶が販売されていて、1本買ってみましたが、
フタにキャラクター化された大仏さんの絵が描いてあって、とてもキュートなのであった。
お茶は普通の素朴な日本茶の味で、メチャクチャ美味しいというわけでもなく、
いつも飲み慣れた日常のお茶という感じで、安心して毎日飲めるお茶、という感じ。

大和三名段(そんなのがあるのか!)となっている二百段弱の石段は、秋には彼岸花の
群生に彩られ、斜面も真赤に染まるそうです。
この日は残念ながらまだ花の時期に早くて、チラホラとしか咲いていなかったけど、
大変良い風情でした。境内には白や黄色のちょっと珍しい彼岸花も咲いていました。

石段下には新設されたらしい、ちょっとした駐車スペースがあって、そこに小さな野菜の
無人販売所がありました。冬瓜とジャガイモをゲット。

この仏隆寺の石段下は、高城岳への登山道との分岐にもなっていて、この駐車スペースは
ハイキングにも具合よさそうです。駐車スペースを少し上がると、茅葺のあずまやがあって、
中には石彫のお地蔵様が。

春には樹齢九百年という古木の大桜が見事な花を咲かせて、観光客で大変賑わうのだとか。
これも見てみたいですね。

この日、境内はひっそりとしていて人影もありませんでした。
入山料を浄財箱に入れて勝手に拝観するシステム。

本堂にも求聞持堂にも、時間が遅かったせいか閉まっていて入れてもらうことはできません
でしたが、ここもまた静かで素朴ないいお寺なのでありました。
本堂には十一面観音菩薩像の御本尊が祀られ、求聞持堂には不動明王が祀られています。
その裏手には、空海の高弟で創建者の堅恵のものと伝えられる古墳のようなお墓が
ありました。

煌びやかなお寺もいいですが、こういう時間と自然に溶け込んだような、古色蒼然とした
お寺の方が好きなのでした。

秋のお出かけ 室生寺

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

こないだの週末に、とーちゃんとトメとで行ってきたのでした。
真言宗、室生寺派の大本山です。

太古の火山活動で形成された室生火山地帯の中心部、古くから聖地として仰がれてきた、
大変な山奥にあるお寺です。

「室生寺略縁起」にはこう書かれています。


各宗兼学の独特な仏教文化を形成するとともに、芸安全器を中心とした数多くの優れた
仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は龍神信仰を生み、雨乞いの祈願もたびたび
行われてきた。
そのほか、厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる
真言道場として女性の参詣を許したことから、「女人高野」と親しまれている。

…ここらは山も水も大変美しいところ。とくに水の美しさは訪れる人々を魅了する
一番の要素ではないでしょうか。

山を巡り谷を下り、霊気を発するような渓流を昔の人は龍神が姿を変えたものと
考えていたのでしょう。私もまた、空から降りてきて地下に入り、また地面から
湧き出て山を巡る水には、龍の力があると信じています。
水は大事にせねばなりません。

そういえば、山門をちょっとくだったところに、龍穴神社という神社もありました。
次の仏隆寺に早く入らねばならなかったので、ここはまた後日訪れることにしましたが
面白そうな神社でした。

ちょうど金堂のご開帳が行われていて、拝観することができました。ラッキーでした。
釈迦如来を正面に、薬師如来像、地蔵菩薩像、文殊菩薩像、十一面観音菩薩像の各像が
並び、その前に運慶の作と伝えられる十二神将像が並べられていて、荘厳かつ大変な
迫力のある内陣でした。
釈迦如来像の背後には、国宝の帝釈天曼荼羅図が描かれた板壁があるそうですが、
こちらはよくわかりませんでした。

「お堂に上がらなければいいですよ」と受付の女性が言ってくださったので、
トメも一緒に入ることができました。

参籠札

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

18日は公休日でした。

午前中は中学校へ行って運動会を見つつ、PTAのお役目の自転車並べ。

次男坊の足の速いこと速いこと。あんまり速いから、おかーさんビックリしたよ。
さすが陸上部と言いたいところですが、お前は一体誰の子だ?本当に私の子か?

小学校の頃は全くのオカマ走りで、見ている親を腰砕けにさせたものなのに。
と思っていたら、オカマ走りは三男坊にうつっていた…ちゃんとやれ!
この子はどうして、こんな笑いながら走るのでしょうか。リラックスしすぎ。

昼に急いでうちに帰って、車を運転して滋賀は葛川へ。
修繕を終えて100年ぶりに使用可能になった護摩堂は、既に先月から使われています。

今日は我が師匠とたくさんのお母さんたちが若狭からやってきて、狭い護摩堂はいっぱいいっぱい。
お年寄りが使う座イスの準備をしたり、添え護摩木を回収したり、他の方々のご用を足したりと
お手伝いをします。今日もワタクシが一番若いのでした。
護摩堂に入れなくて、濡れ縁から転げ落ちそうになってもいいんだ。若いから。
阿闍梨さまはうーんと腕を伸ばして、私にも忘れず頭と背中にお加持をくださいます。

お護摩が終わり休憩所へ向かおうとすると、常住さんがニコニコしながら「トメ母さん、
ここを片付けたらえーもん見したるからな。」と言います。
はて、何を見せてくださるのだろうと休憩所へ戻って、お茶出しをしながら阿闍梨様と
お話していると、常住さんが大きな木の板のようなものを持って入って来ました。
木の板は白い緩衝材で丁寧に包まれていて、それをのけて壁に並べて立て懸けました。
みんな注目です。

ひと目見て、それが参籠札であることはわかりましたが、随分古いものだけど
これがどうしたのかな、と見ていると、常住さんは注目しているみんなに向って

「これは日野富子と徳川三代将軍の参籠札です。この表書きはご本人の直筆です。」

みんな一斉にどよどよっとどよめき、ズザザザッと参籠札ににじり寄りました。

参籠札はその名のとおり、お参りしてお籠りした人がそのしるしとして奉納して行く札のこと。
日野富子はご存知のとおり、えーなんやったかな?足利義政やったかな?の正室。
ドラマとかにもなって(見たことないけど)後世には日本最大の?悪妻とか言われている
そうですが、坂本から自分の足で歩いて葛川入りし、一ヶ月ほどの参籠で願は「国家安寧、万民快楽」。
それを二回、行ったそうです。

ちょうどカメラを持っていたので、常住さんに断って撮影させてもらいました。
国指定文化財は他のところでは撮影なんて絶対させてもらえないのに、ラッキーでした。
普段はお蔵の奥に大事に大事にしまわれているそうですが、護摩堂の修繕が終わって片付けた
ついでに出してきて、記念にみんなに見てもらおうと思ったそうです。
普段は一般には公開していません。

私も間近で見せてもらいましたが、何やら有名人のものというだけでなく、ただならぬ
力を感じるものでした。でも、想像してたみたいに達筆ではないのですね。
右が日野富子、左が将軍さんのものです。

そういえば、将軍さんの参籠札については説明がなかった。
日野富子の参籠札や記録を取材しに白洲正子が何度もこのお寺に足を運び、本を書いたおかげで
関東からの参拝者が激増したという常住さんのお話を、みんな楽しく聞いていたので忘れられて
しまったみたい…。

今まで滋賀県内で一番古いお堂は、三井寺の金堂だという調査結果が出ていたそうですが、
この葛川のお寺は今、5年の修復を掛けて修復しており、その前調査の結果三井寺のものと
同じくらいか、少し古いくらいという結果が出てその辺の学説も変えられたようです。
古くさえあればいいというわけではありませんが、そのおかげでこうしてときどき珍しいものを
見せて頂くことができ、長く続くこのお寺の歴史の途中かつ最前にいる自分を実感するのでした。

古いといえば画像にある棒きれ。これは何気なく防火水槽のフタの上に放置されていたもので
回峰行者が被る未敷蓮華の笠の心棒なのです。
手にとって見ると、享保と書いてあった。えっ?江戸時代?なんでこんなとこに放置?
行者さんの笠は貴重なものなので、その心棒も貴重なものに思えるのですが、生まれたときから
こういった古いものの中で育ってきた人たちにとっては、そんなに珍しいものでもないのかも。
本堂の縁の下から出てきたそうですよ。

今日は色々いいものが見れた一日で幸せでした〜。

お初天神

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

昼休みに会社近くのお初天神にお参りに行ってきたですよ。
近いんです。通りを5、6本南に下るだけ。

やはりビルの谷間にある神社なのでした。背の高い建物に囲まれて、ここだけが異空間。

お初天神は正式には露天神社、つゆのてんじんじゃ、といいます。お初天神は通称なのですね。

この一帯がまだ海であったころ、浮かぶ小島に住吉の神様をお祀りしたのが始まりだとか。
昔むかしは、梅田あたりは海だったのですね。今は海は大分遠いのですけど。
そういえば、四天王寺あたりも難波津、海だったと聞いたことがある。

有名な話ですけど、お初天神の名の由来は由緒によると、元禄十六年に境内で実際にあった
心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いたそうで、その作中のヒロイン、
お初さんにちなんでお初天神と呼ぶようになったのだ、とあります。

…実際にあった心中事件なんだ…。知らなかった。創作上のことだと思ってた。

この「曽根崎心中」が当時大ヒットし、参詣回向に訪れる人々で境内があふれかえったとあります。

恋愛悲話の発祥の神社なのですね。そのせいか他の神社ではほとんど見かけることのない
若い女の子の参拝者が目立ちます。恋愛成就の神様とされているようですね。
みなさん、ちゃんとお作法に則って真剣な面持ちで手を合わせておられましたよ。

ちょっと正面から写真に収めようと何枚かケータイで撮影してみたのですが、どうも写真を撮られる
のがお好きではないらしく、本殿はボヤけてはっきりしない写真ばかりになってしまいました。

授与所には恋愛成就のお守りをはじめ、ご祈祷札やストラップタイプの勾玉守りや、水晶念珠が
所狭しと並べられていました。よく出るんじゃないでしょうかね。

ご祭神は少彦名大神、えべっさんですね、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、あと菅原道真公。
末社には金毘羅さんやお稲荷さんがおられます。

トメ母
トメ母
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン

みんなの更新記事