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なんでもない日々
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書庫2009年(日記)

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前回の記事を「お盆に見た夢」とタイトルをつけているにも関わらず、夢の話が全然出てこないと
とある筋から厳しいツッコミを頂きました。
そうそう、先祖供養の話は実は前振りのつもりで書いたのですが、書いてるうちにいつの間にか
本題にすり替わっていました。

書こうとしていたのは、8月15日の未明に見た夢のこと。
それこそ本当に「お盆に見た夢」です。(関西では。)

夢の中でワタクシは夜道をテクテクと歩いておりました。
そこは学校のような、大きな白っぽい建物に囲まれたアスファルトの道で、暗いし一人だしで
夢の中のワタクシはちょっと怖いなと思いながら、自分がどこに行くともわからないまま
テクテクと歩いておりました。

しばらく歩くと、広場のようなところに出ました。ちょうど大きな会社の本社ビルの玄関前の
ような、タイルが敷いてあるだだっぴろいところです。
そこに一人の男性が椅子に座っていました。
よく見るとその男性は、一年半ほど前に亡くなった掛かりつけ病院の先生でした。

ワタクシは驚いてそばに駆け寄って、「先生、亡くなったのにどうしてここにいるのですか?」と
問うと、先生はいつものシラッとした感じで「亡くなってなんかいませんよ。でも時間がないんです。」
と言います。それでワタクシは、ああ先生はやり残した仕事を終わらせようとしてここにいるんだと
気が付くのです。なぜそう思ったのかはわかりません、夢なので脈絡がない。

ワタクシは先生を抱きしめて、「お陰さまで次男坊はとても元気です。家のものも、今はみんな
とりあえず元気でやってます。これもみんな先生のおかげです。本当にありがとう。」と
お礼を言いました。
先生はうんうん、と頷いておられましたが、おもむろにお弁当の包みを取り出して、中を開けて
ワシワシと食べ始めるのです。ワタクシはその様子を見ていました。相変わらず食べるのが好きなんだ
と思いました。お弁当のおかずにはエビフライが入っていました。

と、そこで目が覚めたのです。外はボチボチ夜が明けて陽が差してくる頃でした。

夢に出てきた先生は、その前年に亡くなった耳鼻科の先生とともに、我が家のホームドクターとでも
いうべき存在の方でした。とてもとてもお世話になったのです。特に病気持ちだった次男坊のことでは
ことのほかお世話になりました。

息災に生活をさせてもらって医院へ行く機会が少なくなり、忙しさに紛れて顔を見に行くことも
間遠くなって、「先生元気かな。最近あまり行ってないけど、どうしてるかな」と半年ぶりくらいに
顔を見に訪ねて行ったときには医院はシャッターが降りていて、もう亡くなっていました。
ガンに罹って、あっという間に亡くなったそうです。とてもショックでした。

あんなにたくさんお世話になって、気にかけて頂いていて、そのお礼を言う間もなく会えない人と
なってしまったのです。若い先生でしたから、まさかそんなに早く死んでしまうなんて思って
いなかったのです。いつまでも元気で、私たちのお医者さんをしてくださるんだって、勝手に
思い込んでいたんです。

そんな後悔の気持ちがあの夢を見させたのでしょうね。亡くなった人の帰ってくるお盆という
ちょうどいい時期に。先生はこの世界に残したことを片付けに帰ってこられて、ついでにちょっと
夢の中まで会いに来てくれたのかもしれません。

夢の中のことではありますが、伝えたかった気持ちを伝えることができて良かったとそう思いました。
それにしても、なんでエビフライなんでしょうね?

お盆に見た夢

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お盆も終わりですね。今日は京都では大文字焼きの精霊送りがありますね。
すごい人だから、祇園祭なみの人出だから、行かないんだ。

お盆休みも今日でおしまいです。明日からまたフツーに仕事です。

12日は飯室の某寺院で先祖供養をしてもらってきました。

ワタクシの母方のご先祖様は、現在ちゃんと供養されている状態ではなかったので
とても気になっていました。お墓は北海道にあるので、そうそう墓参りするというわけにも
行きません。
なので今回、ご供養することができて肩の荷が降りたような気がしました。

ワタクシの母は北海道の生まれ。先年亡くなった祖父は富山の人で、詳しいことは
よく知りませんが、畑を分けてもらえない次男三男の冷や飯食いだったのではないでしょうか。
北海道に渡って、開拓団の集落を慰問して渡り歩く浪曲師をしていたと聞いています。

図書館なんかで北海道開拓団史関連の本を読むと、明治以降、全国のいろんな場所から北海道に
開拓団としてたくさんの人が移り住んでいますが、商人はともかく、農業や酪農をされていた人は
大変な困窮で苦労をされたようです。一代目の人の苦労話なんかを読むと、いいこともあったでしょうが、苦労話は涙なしでは読めません。

母の生家もご多聞に漏れず貧乏し、祖母と叔母の一人は医療を受けることができずに亡くなりました。
三歳ほどで亡くなった叔母の名前を、私の母は私に名付けたそうですが、その叔母は子供といえど
大変聡明な人だったとのことで、「賢くなると思って同じ名前を付けたのに、お前はなんでそんなに
バカなのだ」とよく叱られました。そんなん知るか。

とまぁ、貧乏して苦労して、死んでまでほったらかしにされてではあんまりなので、母方のご先祖さま
は大変気に掛かるところでしたので、今回ご供養してもらえて本当に良かったです。
今回ご供養のために阿闍梨様にご先祖さまの戒名を尋ねられたので、母が持っているお位牌の戒名を
紙に書き出させたのですが、祖母と小さくして亡くなった叔母と、若くして病死した叔父の戒名は
わかるのですが、その他にも男性の戒名二人分と女性の戒名一人分があり、祖母の血縁の人のもの
らしいことしかわかりませんでした。

「お盆の間、たくさんお経を聞かせてあげてください」と水塔婆を頂いてきました。

母方のご先祖さまだけでなく、ワタクシの生家のご先祖さま、生家とは全く縁が切れてしまっていて
誰が亡くなってて誰が健在かということもよくわからないのですが、ワタクシの先祖代々として。
あとはとーちゃんの方のご先祖さま、こちらはお姑さんがマメにされているのですけど、こちらは
報恩感謝の気持ちを込めて、一緒にして頂きました。
大したお礼もできないのに、快く引き受けてくださって深謝です。

水塔婆はお盆の間、我が家で出来る限り供養をして、お盆が終わったらまたお寺に返します。
そこで一年ほど他の方々のご霊位と一緒に供養して頂いてから、お焚き上げされるそうです。

白いキノコ

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昨日は滋賀県は近江八幡市のI寺で行事があり、次男坊を伴って行ってきました。

朝11時から大般若の法要があり、それに間に合うように朝7時に出発。
これほど早くに出ても、ETC割引の効果で名神高速は高槻から約12kmの渋滞。
途中、トイレに行きたくなったワタクシは死ぬ思いをしました。なぜ高速道路の渋滞にハマると
トイレに行きたくなるのでしょうか。

京都南の桂川PAにやっとの思いで飛び込み、何故かうようよしている自衛官のお兄さんたちを
突き飛ばす勢いでトイレを使うことができました。
滋賀の演習場へ向かうのでしょうか。この日は自衛隊の車や隊員の人が多く目につきました。

まだ梅雨の明けやらぬ近畿。この日もどんより曇天で、ときどき小雨のパラつく心配なお天気。
通常のお参りであるなら、お寺の駐車場から本堂へ向かう長い山道の参道のぬかるみを心配する
くらいなのですが、この日は修行僧が断崖から突き出た竿から琵琶湖に飛び込む竿飛びという
行事が行われるので、お天気の行方が心配されるところです。

10時には現地に到着し、長い参道を次男坊に荷物を持ってもらいながらテクテク歩いていると、
山の斜面にさまざまなキノコが生えているのが目につきました。
画像のようなまっちろでキレイなもの、ヒダヒダのオレンジ色の絨毯状のもの、美味しそうな
茶色のデッカイしめじのようなもの、ちいさいしめじにまっ黄色の絵の具を塗りたくったようなもの。
どれもこれも初めて見るようなキノコばかりです。珍しいので一枚写真を撮りました。
琵琶湖スレスレに建つこのお寺は湿気が多く、お寺の敷地のせいか荒らす人もいないのでしょうか。
春には山菜がいっぱい生えているのを見ました。お寺の敷地に生えているものって、植えてあるもので
なくても採取する気になんとなくなれないものですから。実際は国有林なんですけどね。
昨日はキノコ天国のような有り様になっていました。

大般若の始まるころになって、ゴロゴロと雷さまの太鼓の音がし始め、ポツポツまた雨が降って
きました。知り合いの記者さんと立ち話をしていたのですが、その方が「ああ、龍神さんがお喜びだ。
私には龍神がついているのですよ。行く先々で雨が降ります。」と言うので、そういえば竿飛び堂の
天井画は龍神さまだったなぁと思い、「いいな〜私にも小さいのでいいから、龍神さまをひとつください」
などと言って笑っていたのですが、それはつまり雨男だということだなと。龍は梨がお好きなので、
梨の季節になったら美味しいものを送って、龍神さまにもお供えしてもらおう。
龍神さまは水の神様です。琵琶湖の守り神でもあります。

記者さんだけ何故か足元が長靴なので、どうして一人だけ長靴なんですかと笑うと、いや必ず雨が
降りますよ、あなたのその靴では帰りの参道は難儀しますよ、と言っていたのですが、果たして
その言葉どおりとなってしまったのでした。レインブーツを用意はしていたのですけど、駐車場で
履きかえてくるのを忘れたのですよね。

大般若の終わる少し前に竿飛び堂に移動して、よく見える場所を確保しようとしたのですが、お堂の
琵琶湖側の回廊はすでに席取りのギャラリーでぎっしり。
どうしようかと思案していると、次男坊が「ここからの方がよく見えるよ」と参道の湖面に続く階段の
横を指して呼ぶので、おおでかしたぞとそこに陣取って待っていましたが、あとから続々と見物の
人たちが詰めかけ、狭い参道はギャラリーでいっぱい。テレビカメラや報道の腕章の人たちもやってきて
いつもは静かな竿飛び堂がこのときばかりは賑やかで華々しい雰囲気に包まれます。

行者さんと阿闍梨様が入堂されてお勤めされたあと、湖面に降りて清めの儀式を行い、琵琶湖に塩や
お米、お酒をたむけて儀式の安全を祈願します。阿闍梨様がお酒を撒くと、雷がより一層大きな音で
鳴り響き、急に雨脚が強くなりました。
龍神のついている記者さんは船で湖面に出ていて、琵琶湖側からの撮影を目論んでいる様子。
ニコンの一眼レフが雨に濡れないように気遣っているのか、しきりにタオルの位置を確認してゴシゴシ
やっていました。
雷が鳴って雨脚も強くなりそうなのに、やるのかなぁと思って見ていましたが、最初の行者さんが
トコトコと竿の先端まで歩いて出てきて、胸の前で合掌したままダバンと湖に飛び込みました。
落差は10mくらいあるでしょうか。その後も次々と歩み出ては、吸いこまれるように湖面に消えます。

先日阿闍梨さまにお話を伺ったところによると、この行事の由来は諸説ありますが、不動明王に
対する捨身の行というのが本来の意味合いなのでしょう、ということでした。

ワタクシと次男坊はそんなことは忘れて、ただただ湖面に飛び込む行者さんを見て感嘆の声を上げて
いたのですが、しゃがんでいた場所の地面に何故か小さなミツバチが穴を掘って巣を作っていて、
そこから可愛らしいミツバチがたくさん出たり入ったりするのですよ。ワタクシも次男坊も何か所か
刺されてしまいました。ここのところ養蜂のミツバチが巣を放棄して集団脱走する話をよく聞きますが
おお、こんなところで生き延びていたんか、という感じです。本当にミツバチかどうかは不明ですが。

あんまりにも人が多くなってきてキツかったので、そこも早々と引き上げてお弁当をもらって
護摩堂へ。他の人も遅れて続々と戻ってきたのですが、大体が護摩堂に入ったかなというときになって
激しいカミナリにバケツをひっくり返したような雨が。外でお弁当を頂けないので、急遽護摩堂が
食事場所として提供され、そこでお弁当を頂いたのでした。

午後からの護摩供はずっと雷雨でした。一番前に座っていたのでよく見えたのですが、随喜者の大量の
護摩木を一本一本くべてゆく阿闍梨さまは大変な汗をかかれます。ときには炎に手が入っていることも
ありますが、顔をしかめることさえありません。こうして毎日毎日、ほとんど休むことなく護摩を
修されているのでした。大変なことだなぁと、傍で座って楽に祈っている自分が申し訳ないくらいです。

全ての行程が終了して、帰るときには雨はすっかり上がって、薄日が差していました。
庫裡のあるところから石段を少し下ってゆくと、山門があってその先は琵琶湖です。
昔の人は船でお参りに来たのでしょうか。このお寺のある地は昔は島でした。
このお寺の長い長い歴史の一番新しいところに佇んでいるワタクシと次男坊なのでした。

余談ですが、次男坊のこの日護摩木に書いた願意は「心願成就」。
受験合格じゃないのねーと思って見ていたのですが、帰りにショッピングセンターに寄ると、
うまいこと言いくるめられてズボンを買わされてしまいました。すると、「やった♪早速お願いが
叶った♪」ですと。なんですか。ワタクシ、お不動さまにズボンを買わされたのですか?

お手々をトントン

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画像は全て大阪天満宮のものです。




会社を出て、駅に行くまでに堀川戎の前を通り掛かるのでちょっと寄ってご挨拶。

カラカランと鈴を鳴らして、トントンと柏手を打って、本日はつごもり。文月もなんとか無事に
過ごせましたとお礼とご報告。

帰りにご飯を食べがてら、天満さんに寄って、さっき行ってきたお客さんの仕事がうまいこと
まわりますように。次男坊が受験なのでそっちの方もねんごろにお願いして、トントンと
柏手を打ちます。

未だ梅雨の明けないこの地は、じんわりと湿っぽいのにギラギラと夏の太陽が照りつけて
本当に暑い。でも境内には時折、涼風がさぁっと通り抜けて生き返るようなここちです。

本日社用車がなく、自転車も争奪戦に破れ、やむなく徒歩と電車で出掛けたのでした。
目的地でなるべく陽にあたりたくないなと日陰の路地裏ばかり選んで歩いていたら迷子になって、
えらいこと遠回りになってしまいました。
予定の時間を大幅に過ぎてしまったので、後の大きな仕事は今日は諦めて、電車に乗らずに
トボトボ歩いて会社に帰りました。お昼ご飯は天神橋の商店街のカフェでBLTとアイスコーヒー。

ほっと一息ついて、お参りに寄ってみたり、初めて入ったカフェがまずまず感じの良い店で
そこでまったりしてみたり、営業という仕事はキツいけど、なかなかいい仕事かも…と思ったのでした。
大分サボっちゃった。歩きまわりすぎて足が痛くなりました。

裸族 反応三種

この季節、お風呂から上がってすぐ服を着けるのって、暑くってイヤですよね。

身体拭いても次から次へと汗が吹き出すし、汗でシャツが背中なんかに張り付いて
なかなかおろせなくて、ちゃんと整えるのに手間が掛かる…。

汗が引かないうちに服を着ると、余計に暑くて汗が止まらないし、せっかくの洗い立ての
シャツもまた汗を吸って、汗臭くなる感じ。

なので風呂上りは裸族と化して、ハダカもしくはそれに近いカッコで家の中をウロつくことに
なります。

といっても我が家はお年頃の息子が三人いますので、やはりカンペキな裸族とはいかず、
胸から下にデッカめのバスタオルを巻いて、キッチンの椅子などに腰掛けてボヘーっと
涼んでいることになります。うちわでパタパタしながら。

たいていワタクシが風呂から上がってくる時間というのは、子らはおのおのの部屋にすっこんで
籠っていますが、昨晩は暑かったせいか、もう夜半だというのにのっそりと部屋から出てきて
お茶を飲んだりクーラーにあたったり。

おかーさんが風呂上りでバスタオル一枚で涼んでいるのを見て、

長男坊…「(チラリとこちらを一瞥)…また裸族ですか。」
はい、そーです裸族です、と答えるとそれには応じず、そのままそ知らぬ顔で冷蔵庫へ。

三男坊…「おかーさん風邪引くよ?おかーさんは夏も冬も変らないね。」
どういうこと?と問うと、「夏に裸でも、冬に裸でなくても体型が変らない」ですと。
服を着てても着てなくても変らないと言いたいらしい。

次男坊…「(こちらを見るなり)…チッ。」
いまいましげに舌打ちして、トイレに入ってしまいました。

なんやねーん!そういう態度はおかーさん傷つくよ(;´Д`)

もう裸族はやめよう。次男坊に舌打ちされてそう思った母でありました。

ちなみに我が家では本当は裸族は禁止なのであった。

トメ母
トメ母
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