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なんでもない日々
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書庫2010年(日記)

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皆様、御無沙汰しております。突然ですが、実は私は仕事を辞めました。

某大手企業へメーカーの駐在として入り込んで何年?5年だっけ6年だっけ?
駐在を置けるほどの収益が上がらなくなり、引き上げとなりました。

幸いなことに、それまで駐在先の社員の方々からは色々とお引き合いを頂いており、
また重宝して頂いてもおり。

信用も頂いて、本来ならばルール違反なのでしょうが、本来の業務以外のお仕事も多数担当させて
頂いてもきましたが。
自分にできることはなんでもやる、の私自身のモットーの元、またかつての所属会社からも
「手伝えることはなんでも手伝ってあげてください」との意向もあり。
地方支店の方や新入社員なんかは私が駐在先の社員だと勘違いするほど、馴染んでおりました。

なんだかそれが仇となってしまった面があり、引き上げ決定、となってからは自分とこの会社と
駐在先とですったもんだがありまして。

詳しくは書けませんが、やはり人件費や売上のKB等の金銭のことも色々と絡んできますので。
なかなか辛い引き継ぎ期間の二カ月となりました。

でもそれも昨日で大方終わりました。

思えば大変な仕事でした。
一人出張所のようなものだったので、全部を自分で管理してやって行かねばなりません。
昼休みに話をしたり、辛いことを聞いたり聞いてもらったりの同僚もおらず、問題の起きたときに
相談のできる上司もおらず。がんばってあれやこれや考えを巡らすも、失敗することも多くて。
駐在先の取締役から叱責を受けてしまったことも一度や二度ではありませんでした。


メーカーの契約社員だった間はそれでもよかったのですが、事業ごと身売りされてしまって、
それまで全くなんの関わりもなかった会社の契約社員となってからは、商品や商流について相談し、
頼れる人がほとんどいなくなってしまって。
商品の勉強会に出ることも、カタログや運用の説明会にも参加が難しくなり、その中で競合を
抑えてゆくには身体がひとつでは足りず。

地震があってしばらくして、本当に最後の頼みの綱だったメーカーの営業君を、復興需要の要員と
して取られてしまってからは、自分一人の力では本当にどうしようもなく。

無力感の中で、拠点集約で関連まるごとの大引っ越しが行われ、商機をドンドン奪われて行くのを
ただ黙ってみているしかなく、こういう大事なときに戦力の営業を関東にやってしまうというのは、
メーカーはここを捨てたのだろう。この会社に戦力を割くよりは、震災の需要の方が利益が上がると
見たのでしょうね。代わりの担当営業が何度も入れ替わり、定まる気配のないのを見て、なんだか
自分もこの会社と一緒に見捨てられたみたい…。そう感じました。

このとき、間もなく自分の去就が決められてしまうのだろう、という予感があり。
そしてそれはやはり外れることなく。

…現在に至る。

最後の方はもう何が何だかわからない状態になってしまい、気に掛ることが本当にいっぱいあって、
それは仕事のことも、家のことも、その他のことも。
焦りばかりが前に出てしまって、すっかり疲れてしまいました。また不眠が起こってきて、
薬のお世話になる日々が続きました。


そういったことを誰かに話すことができればちょっとは気持ちが落ち着いたのかもしれませんが、
とーちゃんも仕事が大変だったし、何より今のご時世、今のご時世ではなくても、大変なのは
自分ひとりだけではないし。それは単なる甘えでしかないような気がして。
夜中に一人お不動様の前にボーッと坐っている日が続きました。

皆さん、仕事辞めるんです、言うと、あらー大変だね。これからどうするの?何か当てはあるの?と
言われますが。確かに今、仕事を失うのは厳しいのですが。私も若干、不安ではありますが。
幸いなことに、ここでは贅沢を言わなければ最低限の仕事はなんとか確保することはできそうです。

ただ一人、生駒の冥想の先生だけは、「何?辞めるの?よかったじゃない」と言われ、
「あなたも大変だろうけど、そんなにガツガツ仕事することない。無ければ無いなりに暮らしなさい」
そう言われてしまいましたが、そういう境地になれるのはまだまだ先のような気がします。


取りあえずは少し、身体を休めようと思います。
愚痴ばかりになってしまいましたね。ここまで読んでくださって有難うございましたm(__)m

亡き人の畑

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葛川のお寺の落慶法要の日…。

母屋をおいとまして自分の車に戻るとき、常喜さんの畑の横を通りました。

この畑にも思い出がいろいろあって…。

「サルが山からやって来て、芋のツルひっぱり回して運動会しとおるわ。」

そう聞いて、つっかけ借りて走って見に行ったら、子ザルが繁ったサツマイモのツルを
引きぬいて、それを引き摺りながらとりあいっこ。畑中を走り回っていましたw


「あいつらはエラいもんや、石投げて追い返したら、それ覚えて次の年にはこっちに向かって
石投げてきおるねん。」

身振り手振りで話してくれて、みんなでちょー受けましたねw


「(柵の)ゆるんだところ直そとして手を掛けたら、ハチが巣を作っててそれ掴んでしもた。
えらいめ、おうたわ。」

このときはアナフィラシキーを起こし昏倒。息も絶え絶えのまま若奥さんの運転で麓の病院へ
担ぎ込まれたそうですが…。

「あの子も慌てたんやろな、あんだけ大人しい運転するのがどえらい蛇行運転で、途中で
気持ち悪なって意識が戻ったんや。」

そのときのことをお母さんはこう話していました。

「青白い顔して倒れてるお父さん、水道ばたまで足持って引き摺って行って、盛大水掛けたったんや。
それでもなんともならんから、さぁ次はどないしてやろうと思って、ほっぺたバチバチ叩いてな」

ちなみに常喜さんは昔の人にしては、かなりの大柄男性。お母さんは身長150cmもないような
小さな人です。お母さんのコミカルな話しぶりと、そのシーンを想像して、涙が出るくらい
笑ったっけね…。

土いじりの好きだった常喜さん。亡き人が愛し、丹精した畑は、荒れてはいなかったけど、隅っこに
ちょこっとだけ夏野菜の苗が植えられてありました。お母さんが植えたのでしょうか。

ぼんやり思い出に浸りながら畑を見ていると、ハチが一匹やってきて、ツツジの花で仕事を始めました。
花から花へ、身体にいっぱい花粉を纏わせて、忙しそうに働いていました。

なんとなくそのハチに常喜さんを感じて、写真に収めようとケータイを近づけると、
うるさいなぁ、邪魔しないで、と言った風情で避けるように身を翻します。

時間は淡々と流れて行きます。自分はこうした思い出の積み上げの中で生きています。
みんな少しずつ見えなくなって寂しいけど、それでも毎日毎日少しずつ、長い織物を編むように
積み上げ続けています。

落慶法要

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毎月18日は観音様のご縁日。地域によって多少の違いはあるみたいですが。

今年の5月のご縁日は、葛川息障明王院が5年に亘る本堂および護摩堂の修復を終えたので
落慶法要が執り行われました。事前にお招きを頂いていたので、私も参座してきました。

当日は大変良いお天気に恵まれ、日本全国からビックリするくらいたくさんの信者さんが詰めかけました。
ここにこんなに人がいるのは、夏安居中の行事のひとつ、太鼓まわしのときぐらいかもしれない…。
それも、ここ数年は本堂の工事を理由に一般の拝観は断られていました。

午前中は、回峰行者さんとお坊さん方で法要を行われたとのこと。お滝参りもされたそうで、
浄衣の行者さんが昨年秋に亡くなられた常喜さんのお写真も一緒に連れて行ってくれたと、
奥さんであるお母さんは大変喜んでおられました。

法要中はボーッと行者さんがたのお声明を拝聴していたのですが、また例のごとくその音色に引かれるように
心はそこここに遊び、ご開帳された御本尊、千手観音さまとの対話となり、いや、本当に千手観音さまとお話していたわけではないと思いますよ。私のことですから、またそこらを徘徊しているムジナやら何やらにおちょくられて
いたのかもしれません。ですが、遥かなる縁の積み重ねで肉皮を与えられ、今ここに存在している自分といういのちの正体を、チラリと教えて頂けたような、そんな感じがしました。

もう最終形態は決まっているのだから…そんなにカツカツすることはないですよ。
とにかくあんたはおおいなるものに依って生きていればそれでよいのだから。
ひまさえあれば、とにかくこうして森や山の中を歩き回りなさい…。
そんな言葉が頭にひらめきます。

法要のあとは、無動寺の長老、法曼院のご住職のご法話を拝聴し、お話の中に何度か「お大師さま」という
言葉が出てきて、そのお大師さまとは相応和尚、南山建立大師のことだと気が付くのに、少し時間が掛った…。
宗が変わればお大師さまが変わるという、当然といえば当然なのですけど。
相応和尚というお名前がさきほどのひらめきと重なって、あぁなるほどなと。山の霊力でしょうか。


手を合わせ、行者さん方のお声明に耳を傾けていると、柱のかげからひょいと、昨秋にこの世を
去られた方の姿が見えました。相変わらず、それとなくお寺の様子に心を配られているようです。

法要のあとは、お内陣に上げて頂き、御開帳となった千手観音様、お不動様、毘沙門様。
とくに千手観音様は、私の憧れて憧れてやまないほとけさまであり、あまりお仏像に興味がない私も、
ここのほとけさまには深い深いご縁を感じて、長いことずっと、一度直接拝ませて頂きたいと願っていました。
その願いがやっとかなったのです。お厨子に近づくにつれ、胸が高鳴り、涙があふれ、
口からは知らず知らずのうちに千手様、お不動様の名がこぼれます。
長年別れていた両親にやっとのことで会えたような、心からの歓喜が湧きあがりました。
たくさんの拝観者の中で、お姿を拝見できたのはほんの一瞬でしたが、あの美しいお姿を私はきっと
生涯忘れることはないでしょう。私は確かにここからやってきた。自分はこの観音様の子であると、
そのとき、そうはっきりと自覚しました。


法要のあと、常喜さん宅の母屋へお邪魔しましたが、奥さんであるお母さんは、「この一週間、母屋にお父さんの
気配がせぇへんねん。たぶん、本堂の方へ行ってるんやと思うわ。」と笑っておられ、あぁやっぱり?という感じでw

この良き日を、常喜さん、元気なお父さんと一緒に喜びたかったなぁという思いが胸に迫り、また涙が零れるのでした。

ちから

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いちお、写真は許可を頂いて掲載しております。。。頭上の御幣が燃えそうで燃えないのが不思議。




昨日は弘法大師、お大師様のご縁日。ちょうどいいことに土曜日だったので、三重は四日市の
お寺にお邪魔して、護摩供に随喜させて頂きました。

初めてお寺にお邪魔したときは勝手がわからず、キョロキョロおどおどしていましたが、
今では受付の方にも名前も覚えて頂いて、すっかり馴染んでおります。

馴染み過ぎて、お護摩の最中にお内陣に上がり込んで写真を撮影するという荒技も覚えましたw
ウソです。事前にちゃんと許可を頂いております。お内陣に上げて頂くときには、ちゃんと塗香で
お清めもしております。

お護摩のあとには、お加持もして頂きました。
お加持といえば、天台宗の阿闍梨様から授かるものしか知らなかった私には、一対一で向き合って
行われるお加持は、みほとけ様にじっくり診察して頂くような感覚。折しもこちらのご本尊様は
弘法大師に薬師瑠璃光如来…お薬師様は先住様が修行されたお寺ゆかりのほとけ様です。

それまでお護摩に集中されていたご住職は、疲れた様子もなく、かえって落ち着いて静謐な
佇まいでした。向き合って座って、何やらお称えされます。法具を持たれた手を、頭や肩に充てて
くださいます。私は腕に自分のお数珠を掛けて合掌して頭を垂れ、目を伏せ気味にしている…。
すると、おでこから胸に掛けて、正面からまっすぐ何かが流れ込んでくる感じがする。
それはいったん、丹田まで降りてゆき、そこから一気に背中全体に向けて出て行く感じがする。

それが自分にとっては結構な衝撃で、「なんなんだ?何が起こったんだ?」なんて思うヒマもなく
流れ込んできた何かは一気に丹田の辺りを浚って、ドドドッと一気に出て行きます。
全身に汗がドッと噴き出て、頭がクラクラします。視界は急に視力が良くなったかのように、
明るくなる。眩しいとかいうのではなくて、クリアになったような。

何やらご住職が話しかけられるのですが、なんとなく自分の口で答えているのですが、
この時の会話は全然覚えていません。ご住職が法具を持たれた手で背中を撫ぜてくださるあたりで
やっと人心地つきましたが、その場が、お内陣の片隅なのですが、グラグラと揺らいでいるような
感じでしばらく立つこともできず、そのままその場に座っていました。

その時、私はぼんやりする頭の中で「なんだ?このお坊さん、今、手からビーム出したんじゃね?」
などと考えておりました。まさか、いくら修行したところでそんなものが実際に出るはずがないの
ですが、私はそのとき、かなり本気でそう思った。それくらいの衝撃があったのです。
実際、その後に「実は手からビーム出してません?」と聞いてみたほどです。
鼻で笑われてしまいましたが。僕、何もしてないよー、とのことで…。そ、そうですよね…?

でも…。この日でお加持を頂くのは二回目だったりするのです。
実はこの前のときも同じでした。ビームで、異世界でした。グラグラしました。
それは、初めてのことだから、きっと舞い上がってしまってそういう風に感じたのだろうと
自分で納得していたのです…。しかし今回でわかった。これは錯覚や気のせいなどではない。

その日は帰宅してからも何だか頭が痛かったり、身体が重だるかったりしてちょっと辛く、
翌日も起きぬけはダルかったのですが、動いているうちに快活な気分になってきました。
実はお加持を頂くまで、ちょっと不調だったのです。不安と気鬱、幻覚がありましたが、
それらがパカッとかさぶたが落ちたかのように取れました。それらは元々自分が持つべきものでは
ないものなのです。それぞれ帰るべきところに帰ったか。みほとけ様が預かってくださったのか。

ご住職にそのことをメールでお話しして、お礼を申し上げると、返信をくださいました。

「加持と者(いっぱ)、如来の大悲と衆生の信心とを顕す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、
行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく」

んー、原文?で難しいけど、なんとなくわかります。

まだまだ人生の行脚は続きます。自分の中で生み出したもの、他人様より影響を受けたもの。
自分で抱えているべきでないもの。ちゃんと自分の中で普通に処理できるようになれますように。

お加持は受ける人によって様々顕れ方が異なります。全ての人に同じ顕れ方をするというわけでは
ないと思いますのであしからず…。私にはこういう顕れ方、感覚があったということです。

プチ家出

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今年はこの地も例年に増して寒さが厳しかったらしく、何もかもが一カ月遅れたとのこと。

心に屈託が生まれて、なんだかいても立ってもおられず、日付が変わる頃ににそっと家を出てプチ家出。
奈良市内から169号線に入り、天理を通り、明日香を抜け。
大阪は暖かかったのに、どんどん気温が下がって、明日香を走る頃には暖房を入れたくなりました。

間違えようのない道ですが、何故か気がつけば岡寺の前におり、引き返そうとするも
真っ暗で街灯もない村道はわかりづらくて、行き止まりに突き当たれば、そこは墓地だったりw

黒滝の山越え。一人で未明に走るのは初めてで、別に怖いとも思わないけど、辻々に立つ、ぼんやりと
ほの白く見える人の影。それらの影は、知っている人のようであり、知らない人のようでもあり。
ありえないところで接触寸前に車の横をすり抜けるお兄さん。どこから来たの?どこへ行くの?
一台の車にも遭わず、前にも後ろにも見えず。
気温は5℃、と標識に出ていたけど、なんとなく全身にジンワリと汗をかきながら。
汗を一緒に握っているハンドルの手だけが、氷のように冷たい…。

天川大弁財天社の駐車場に車を入れたときにはすっかり夜が明けて、清々しい朝の光が、
なんとなく禍々しさを感じさせた暗闇をすっかり払ってくれました。
普段、三時間ほどで到着する道のりですが、この日はすごく長いことウロウロしていたようです。
どこをどう走っていたのか、時間の長さは全く感じることがありませんでした。

ホッとして、少し休もうとシートを倒して、初めて寒さが身に沁みた。薄着で出てきたことを
後悔しました。しばらくウトウトしていると、何台もの車が次々とやってきて、たくさんの人が
ガヤガヤしている音や声が聞こえてきました。GWの一日です。お参りの多い日でもある。
ムクリと起き上がると、ちょうど真っ白な浄衣を着けた宮司さんが軽くこちらに会釈しながら
横を通り過ぎて行かれました。

6時半からの朝拝はたくさんの人でいっぱいでした。観光の人、いつもお参りに来る人、それに
加えて、どこかのお寺の正式参拝の一団…作務衣に輪袈裟を掛けた若いお坊さんが、たくさんの
ご婦人と一緒に能舞台の上に静かに座っておられ、こんなにたくさんの信者さんが団参に参加される
とは、どこのお寺さんだろう?いずれの大寺だろう?などといらんことを考えながら、朝拝に
臨みました。

慣れない人たちが物珍しそうにザワザワしているので、あまりいい感じにはならないかな、と
思っていたけど、慣れないのは私も一緒で、その人たちが、おぉ〜、と驚いたり、ほぉ〜、と
感心するのを、一緒になって楽しい気持ちで座って頭を垂れていましたが、段々とご神殿からの
早い流れに引っ張られ、密度の高い空間の中で「何があっても本質は変わらない」その言葉だけが
頭に残った。その言葉を吟味しつつ、お神酒と昆布を頂き、境内の諸神にお参りして、また車に乗って
栃尾観音へ向かいました。

栃尾観音は、円空さんの鉈彫の観音様。円空さんのほとけ様といえば、美術館とか、お寺の建てた
特別な保管用の建物?などで拝観することが多いと思いますが、ここの円空仏は小さなお堂に4体の
ほとけ様がガラス越しではありますが、すごく間近に接することができるのです。
鐘と木魚が置かれてあり、内部の照明は拝観者が自分で点灯するセルフ式。しかもあまり人が
来ないので、お勤めし放題w お参りの人がゆっくりお勤めできるように整えられてあり、その
心遣いにいつも感謝感激しながらお勤めさせて頂いています。

この日、車を一カ月遅れのポンポン桜の下に入れて、お堂に上がらせてもらおうと扉に手を掛けると
鍵が掛っていました。ガーン…Σ(゚д゚lll)
時間は朝の八時をまわったところ。このお堂は集落に守をされている方がおられて、連休のさなかの
ことでもあるし、もしかしたら家族旅行にでも行かれたかしらん、とショボくれて辺りをウロついて
いたら、小走りに堂守の方がやってこられました。待ってたかーすまんかったなぁと言いながら、
お堂の鍵を開けてくださいました。有難うございます、と上げてもらおうとすると、あれ、あんた
冬の間見掛けんかったけど、どうしてたの?元気だったの?と嬉しいことを言われます。

冬の間は運転が怖いので失礼していました、と言うと、そうかぁ、遠いところからようお参りで。
有難うございます、と丁寧に頭を下げられ、名刺をくださいました。肩書きのところに「堂守」と
あり、この方がずっとこのお堂を守ってこられたんだな。微笑ましく、嬉しく、自分も自己紹介を
すると来年の観音祭りには是非来てくださいとお誘いを受けました。

改めて観音様の前に座り、お勤めをさせて頂きました。
優しい微笑を湛えた聖観音菩薩立像、大弁財天女像、金剛童子立像、護法神像…。
円空さんのほとけ様は、鉈彫と言われるように、優しい表情ながら荒っぽい彫り方が多いと思いますが
こちらのほとけ様は丁寧に彫り込まれたような感じがします。
あまりお仏像には拘りのない私ですが、ここのほとけ様は大好きです。
意識が遠のくような感覚の中で、堂守さんが境内を掃く音、ポンポン桜の香り、野鳥の鳴き交わす声
それらが際立ってきた中、「いつでも帰っておいで」「とらわれも、また修行のうち」そんな言葉が
頭に残りました。

お勤めを終えてお堂から出ると堂守さんが、「有難うございました」とまた深く頭を下げられました。
いえいえ、こちらこそ有難うございます、尊いほとけ様を守ってくださり、またお心づかい、有難う
ございます、と感謝を述べたのでした。

その後、丹生川上神社下社に立ち寄り、そこで花や風景の写真を撮ったり、川辺を散策したり、
冥想もどきをして散々遊び、知りあいのところに立ち寄ったり、吉野をドライブしたりして
帰宅したのは日もとっぷり暮れた晩…どころかまた深夜でした。
えー、さすがに怒られましたねw こうして、プチ家出は終了したわけです。
また家出しようと思っていますww

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