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なんでもない日々
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書庫2010年(日記)

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先生の教えから

「念息とは、息を吐きながら南無仏と一心に念じてゆく瞑想法である。

一心に念じるとは、全人格で念じることである。全人格とは、身体も心も含めての全ての自己を言う。

念じることの一念であり、息を吐くことの一息である。一念に如来が働いており、一息に如来が働いている。

如来のいのちから生まれているので、如来が働くのである。

如来のいのちから生まれるということは、成仏していることである。そのため、念息となるのである。」



あなたたちに覚えておいて欲しいこと題して、

前回の定例の瞑想会から集まる人達に少しずつお話されています。

ダーッと先生がお話になることを必死でノートに取る私たちww



「念息は成仏している本来の自己に戻ることを目指しているといえる。

その過程で本来の自己に気付くことがある。それが宗教体験である。

本来の自己に戻ることは、如来に等しいことである。」




いつも話されていること、聞かせてくださっていることですが、こうして記録せよというのは珍しいです。

もっともっとたくさん続きがあるのですが、勝手にここに書いてしまっていいものかどうか迷うところ。

なので一番好きな部分を少しだけ。同じく仏教の瞑想をされる方にご参考にして頂ければ幸いです。

こういうものもあるということ。



「念息は本来他力の瞑想法である。

それは如来を念じることも、如来の働きを受けることも他力であるから、そのように言える。

我執があるから、自力で行っているように錯覚するのである。」



私なんかは根がクソ真面目なので、これが自分にとって一番いいと思うと、そればかりガツガツと

行ってしまうのですが、忘れてはならないことは、瞑想も単なるツールのひとつであるということ。

何のために始めようと考えたのか、自分はどうしたいのか。

技法や系統に拘って本筋から離れることのないように。

雪景色・・・

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雪の葛川です。この真っ白な景色が見たかったのです。


一番最後の画像は、常喜さんの手蹟です。こういうのが未だにあちこちから出てくるとのことで。

とても懐かしい文字です。好きな文字です。私も、こういう風に書きたいなと思って、ちょっと教えて欲しいと

言うと、「あんたには、あんたの字の良さがあるんやから。うまいへたではないで。」

そう言いながらも、あないして、こないして、と筆の運び方を教えて頂きました。

「若い字やなぁ。いかにも若い。」私の字を見て笑っておられた。

無造作に冷蔵庫に貼ってあるというのがなんだかww




本堂の落慶法要は、5月18日。

午前と午後がありますが、一般の方は午後2時からの法要がいいでしょう。

たくさんの方のお参りがありますように。いいお天気でありますように。

冥想の練習

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ちょー急な参道の階段。落ちたら大怪我はまぬがれまい。
 
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近くの小川に鯉?がうじゃうじゃいたのだ(゚д゚)!
 
 
生駒のお寺の道場をお借りして、冥想の練習をしてきました。
 
午前中の道場の気温は5℃。昼からでも7℃ほど。吐く息が白く見えます。
小高い丘というか、小さな山というか、そんなところの中腹にあるので寒いのなんの…。
しかも周囲の木立が生い茂って、道場には殆ど陽が当たらない。もともと雨戸をしめ切って白布をかけて
光が入らないようにしてあります。お灯明一本の灯りだけで坐るのです。
私があまりに漆黒のように暗いと不安であることを先生に言うと、次からは小窓からだけ、外の光が
入るようにしてくださいました。
風がビュウビュウゴウゴウすごい…。そんな中で信者会館の建物の、一番小さくて暗くて冷たい部屋に
一人じっと坐って何が面白いというのでしょうね…。世間でこんなことしている38歳女子って、私だけじゃ
あるまいかww でもこうせずにはおれない自分の弱さ。
 
集中が途切れると、あっという間に寒さに囚われてなかなか戻りにくいので、
途切れないようにするのが精いっぱいでした…。
集中が悪くて途中、お遍路さんがキレイな緑の山間の道を歩いているところが見えたり。
お遍路に出たくなりましたww
そして、先日お邪魔したお寺の大般若祈祷会の最中まで日が戻ったりと、妄想がたくさん出てきました。
とくに、大般若は導師を勤められたご住職の背中、高々と上がる護摩壇の炎がすごくリアルに見えて、
たくさんのご僧侶がバタバタ音をたててめくるお経典の頁の一枚一枚までが、ハッキリと見えました。
大般若とお護摩がセットだったのですが、炎は不動明王そのもの、火生三昧におられるご住職もまた
不動明王そのものであると、冷静にそんなことを思いながら流れてゆく映像?を見ていました。
 
最近は、こうした妄想が顕れてもそんなに必死になって追い払おうという気持ちがなくなりました。
見ているなと気がついたら、集中に戻るようにしますが、気がついてもわざとこうしてボンヤリと見ている
こともある。見ているというより、そのまま流しているという感じでしょうか。顕れてくる映像?に、自分の心が
どういう風に揺れるのか、囚われはどうやって起こってくるのか、なんとなくではありますが、わかるような
気がする。以前は本当に「これはいけない、集中できていないからだ」と焦って、集中に戻ろう戻ろうと
がんばりすぎて、うまくいかなかったようなような気がする。出るものは出るのだから、仕方がない。
 
出るということは、私の中にある、ということでしょうか。私の中にあるものを、無理に払ったり、押し込めたり
しても、それは積もってゆくだけかもしれません。ずっと積もって、私の中で姿を変えたり、あちこちぶつかって
方向を変えたりしながら、ある日突然出てくる。ひょこ、と顔を出す。時間が経って、姿や向きが変わって
いるから、出て来たところで自分ではもう正体がわからなくなっている…。正体が不明なので、不安を
感じる…。結局は自分の中にあるものによって不安に陥る…そういうことなのかな。
 
寒さに震えもって、妄想を見たり、そういうことをボンヤリ思いながら合計二時間ほど坐って、お写経を
一巻仕上げて帰ってきました。すっかり凍えてしまったけど、悪くない気分です。
 
…けっきょく定には入れませんでしたがorz ええねんべつに。また明日があるさ。
 
 

法輪寺

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奈良は法隆寺から1kmほど山の方へ行ったところにあります。
年末にお参りに行ってきました。
 
詳細はまた後ほど。

このいぶき

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このいぶき わがいぶきながら そのままに
いのちのいぶき 悲㐂そのままに
 
 
みなさま あけましておめでとうございます。
今年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
 
ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。
ゲストブックにご挨拶を書き込んでくださった方、メールでご挨拶をくださった方、本当にありがとうございました。
私は落ちたり這いあがったりして、相変わらず毎日バタバタと暮らしております。
いつもご心配を頂いて、ありがとうございます。
 
画像は今年初めての冥想会へ生駒のお寺へお邪魔したときの、床の間のお軸です。
玉城康四郎先生の書かれたものです。
 
ポツポツと点を置くような独特な墨蹟。玉城先生のお人柄の暖かさが伝わります。
「これはこうした書法があるのですか?」という、みなの問いかけに先生は、「いや、普段からこういう字を
書かれていました。」とのこと。
 
このお軸の文字を初めて読んだとき、自分がいかに肩の力が入っているか思い知らされました。
意識していなくても、そうとは感じなくても、やっぱり私は身体中に力が入りすぎているなと。
 
玉城先生は、在家のまま多くのご僧侶を教えられたと聞きました。
わが師も、遠く離れた地まで教えを乞いに、20年ほども毎月毎月休まずに通われたそうです。
私は玉城先生のことをもっと聞きたくて、知りたくて、よく先生に話題を向けて話して頂きます。
玉城先生をこの上なく尊敬しておられる先生は、玉城先生との思い出、教えられたこと、一緒に冥想した
ときのこと、感銘を受けた言葉、惜しみなく熱く話してくださいます。
 
そうすると、お会いしたこともない玉城先生が、先生と一緒に並んで座って語っているように
目が錯覚するのだなぁ。不思議なこと。まるでまだ生きておられるような。
私も会ってみたかった…お話しを聞いてみたかった。いや、実際に会っているのかもしれない…。
少なくとも、私は先生の中に玉城先生を見ることができるのですから…。
 
玉城先生はたくさんのご著書を遺されました。その大半は私には難しくて理解できませんが、
中には私のような者でも読みやすいように書かれたものもあって、今年はそういったものを少しずつ
読み進めて行きたいと思っています。
 
「限りない過去から、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりつつ、生まれ変わり死に変り、
死に変り生まれ変わりしながら輪廻転生し、今ここに現れつつある私自身の総括体であると同時に、
ありとあらゆるものと交わっているが故に、宇宙共同体の結び目である。
私生の極みであると同時に、公性の極みである。しかもその根底は、底なく深く、無意識であり、
無智であり、無明であり、あくたもくた、へどろもどろである。」

玉城先生のご著書の中にある一文です。全く私といういのちはこの一文に尽きます。
スケジュールの一番後ろのメモのところに書きこんで、ことあるごとに眺めています。
なんか、妙に落ち着くんだ、この言葉を吟味すると。
あぁ私はまだ途中なんだなって。そしてこれからもまだまだ続くんだって、そう思って、焦る気持ちが
少し鎮まるような気がするのです。
 
 
 
トメ母
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