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あるのですよ、これが。冥想をしていると。
感情的なところとしては…。
安楽な気持ちになる。
こんなことして何になるんだ、という気持ちになる。
私のやり方は何か間違っているんじゃないか、と思う。
もうどうしようもなくて、生きてても価値ない、と気持ちが落ちる。
身体的なところとして…。
浮遊感。身体が質量を失ったようになり、何かにつかまっていないと、ギャー飛んでいっちゃう!
なんて感じる。
自分の身体が呼吸に合わせて風船のように膨らんだり縮んだりする。
自分の身体が床にめり込む。床の下に沈んでゆく。
二重感?自分が二重になったような気がする。または二重になったように見える。
ミョーに身体が重くなり、坐った状態で上体を支えられなくなる。
熱電球で炙られているように上半身が熱くなって汗が噴き出る。
その他もあります…。
仏壇や経机がずずぃーと後ろへ、遠くに下がって行く。(実際動いているわけがない。目の錯覚?)
あり得ない場所から人の声や咳払いが聞こえる。
目の前の床がドンと下から蹴りあげられる。
誰かがうなじをつついたり、髪を後ろから引っ張ったりする。
どこかから水の滴るような音が聞こえる。どこから聞こえるのかさっぱり判別できない。
薄氷が連続してひび割れるような不思議な音が聞こえる。
どこかからかパチンパチンと木のはじけるような音が聞こえる。その時々によって場所が違う。
誰かが部屋の中を歩く。姿は見えない。
耳元で誰かが何かを言う。何を言っているのかはわからない。
水色の女性が来る。
……以上は自宅および道場で冥想中に経験したあれこれです。
こうして書きだすと、なんだか頭のおかしい人のようです。まぁ半分おかしいのかもしれませんが。
中には子供の頃からあった現象もあるのですけど、指導を受けるようになる前後から更にひどく
なり、悪いことに怯えの気持ちまで出てきてしまいました。冥想するのに怖さが先に立って
躊躇するようになってしまったのです。
こんなこと誰にも言えない、と一人でずっと悩んで泣いていましたが、ある日決定的に怖くなり、
先生に思い切って相談してみたところ、先生は否定されず、かと言って肯定もしませんでしたが、
「それは魔障と言います。そういう出方のする人もあります。」とのことでした。
「一人一人持ってきたものが違うから、出方が違います。あなたがたまたまそういう出方をすると
いうことです。必ず乗り越えられます。諦めないことです。」
肯定はされませんでしたが否定もされなかった。こういうことは誰かに伝えると、呆れられて
敬遠されてしまいます。中には頭がおかしいとか、何か憑いてるとか言う人もいて、悲しい思いを
することもあります。今まで何人、友達を失くしたことでしょうか。
このときほど、安堵したことはありません。てっきり呆れられて、今までのように見捨てられると
思っていましたから…。覚悟していたんです。本当はこのとき、「これを口に出したらここを
去らねばならないだろう」と思っていたんです。
そのときは、「道場が合わないなら、どこを使ってもいいから瞑想は続けましょう」と言って
くださって、その後は道場の隣の明るい部屋などを使わせてもらっていましたが、だんだんと
そういったものも落ち着けば実はそんなに怖がるほどのものでもない、と思うようになり、
今ではまた道場で冥想を行うようになりました。
不思議なことに、怯えの気持ちが消えて行くと同時にそういったものはあまり出なくなってきた。
やはり私の中にあったもの、私が勝手に作りだしたものなのでしょうか。
でも出るときは出る(笑)
何が嬉しかったかというと、先生がこんな私を受け入れてくださったということです。
本当に嬉しかった。有難かった。この一件で先生がすごく好きになりました。
それ以来、なんでもかんでも質問するようになりましたが(笑)、そのたびひとつひとつ丁寧に時間を
掛け、時にはホワイトボードを使って説明してくださいます。きっと今までたくさんの人にこうして
色々なことを話してこられたのだと思います。出来の悪い生徒が師の恩に報いるためには、ただ
励むこと。これしかないなと最近思います。
しかし先日、テラワーダの長老の書かれた本を再読していると、私が経験したような現象の一部が
冥想修行を始めたばかりの人がよく体験する現象として挙げられていて驚きました。
テラワーダの冥想と入出息観は本質的に違うと思いますが、起こってくる現象に共通のものがあると
知り、意外に感じました。一度は読んでいるはずなのですが、すっかり忘れているところが…。
覚えていればちょっとは感じ方が違ったのかな。
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