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なんでもない日々
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書庫2010年(日記)

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いろいろと

あるのですよ、これが。冥想をしていると。

感情的なところとしては…。

安楽な気持ちになる。

こんなことして何になるんだ、という気持ちになる。

私のやり方は何か間違っているんじゃないか、と思う。

もうどうしようもなくて、生きてても価値ない、と気持ちが落ちる。


身体的なところとして…。

浮遊感。身体が質量を失ったようになり、何かにつかまっていないと、ギャー飛んでいっちゃう!
なんて感じる。

自分の身体が呼吸に合わせて風船のように膨らんだり縮んだりする。

自分の身体が床にめり込む。床の下に沈んでゆく。

二重感?自分が二重になったような気がする。または二重になったように見える。

ミョーに身体が重くなり、坐った状態で上体を支えられなくなる。

熱電球で炙られているように上半身が熱くなって汗が噴き出る。


その他もあります…。

仏壇や経机がずずぃーと後ろへ、遠くに下がって行く。(実際動いているわけがない。目の錯覚?)

あり得ない場所から人の声や咳払いが聞こえる。

目の前の床がドンと下から蹴りあげられる。

誰かがうなじをつついたり、髪を後ろから引っ張ったりする。

どこかから水の滴るような音が聞こえる。どこから聞こえるのかさっぱり判別できない。

薄氷が連続してひび割れるような不思議な音が聞こえる。

どこかからかパチンパチンと木のはじけるような音が聞こえる。その時々によって場所が違う。

誰かが部屋の中を歩く。姿は見えない。

耳元で誰かが何かを言う。何を言っているのかはわからない。

水色の女性が来る。



……以上は自宅および道場で冥想中に経験したあれこれです。
こうして書きだすと、なんだか頭のおかしい人のようです。まぁ半分おかしいのかもしれませんが。

中には子供の頃からあった現象もあるのですけど、指導を受けるようになる前後から更にひどく
なり、悪いことに怯えの気持ちまで出てきてしまいました。冥想するのに怖さが先に立って
躊躇するようになってしまったのです。

こんなこと誰にも言えない、と一人でずっと悩んで泣いていましたが、ある日決定的に怖くなり、
先生に思い切って相談してみたところ、先生は否定されず、かと言って肯定もしませんでしたが、
「それは魔障と言います。そういう出方のする人もあります。」とのことでした。

「一人一人持ってきたものが違うから、出方が違います。あなたがたまたまそういう出方をすると
いうことです。必ず乗り越えられます。諦めないことです。」

肯定はされませんでしたが否定もされなかった。こういうことは誰かに伝えると、呆れられて
敬遠されてしまいます。中には頭がおかしいとか、何か憑いてるとか言う人もいて、悲しい思いを
することもあります。今まで何人、友達を失くしたことでしょうか。

このときほど、安堵したことはありません。てっきり呆れられて、今までのように見捨てられると
思っていましたから…。覚悟していたんです。本当はこのとき、「これを口に出したらここを
去らねばならないだろう」と思っていたんです。

そのときは、「道場が合わないなら、どこを使ってもいいから瞑想は続けましょう」と言って
くださって、その後は道場の隣の明るい部屋などを使わせてもらっていましたが、だんだんと
そういったものも落ち着けば実はそんなに怖がるほどのものでもない、と思うようになり、
今ではまた道場で冥想を行うようになりました。
不思議なことに、怯えの気持ちが消えて行くと同時にそういったものはあまり出なくなってきた。
やはり私の中にあったもの、私が勝手に作りだしたものなのでしょうか。
でも出るときは出る(笑)

何が嬉しかったかというと、先生がこんな私を受け入れてくださったということです。
本当に嬉しかった。有難かった。この一件で先生がすごく好きになりました。

それ以来、なんでもかんでも質問するようになりましたが(笑)、そのたびひとつひとつ丁寧に時間を
掛け、時にはホワイトボードを使って説明してくださいます。きっと今までたくさんの人にこうして
色々なことを話してこられたのだと思います。出来の悪い生徒が師の恩に報いるためには、ただ
励むこと。これしかないなと最近思います。

しかし先日、テラワーダの長老の書かれた本を再読していると、私が経験したような現象の一部が
冥想修行を始めたばかりの人がよく体験する現象として挙げられていて驚きました。
テラワーダの冥想と入出息観は本質的に違うと思いますが、起こってくる現象に共通のものがあると
知り、意外に感じました。一度は読んでいるはずなのですが、すっかり忘れているところが…。
覚えていればちょっとは感じ方が違ったのかな。

ひとり

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もう朝になりますが、全く眠れません。
前日生駒のお寺で自主冥想して神経が高ぶってしまったのかも。

なのでちょっと先日の先祖供養のことでも書きましょうか。


お盆のちょっと前、飯室谷の某院で先祖供養をして頂きました。

とりあえず表面的にはとーちゃんの実家、私の実家…。

それだけではなく、ご縁を頂いていた方で既に亡くなられてしまった方々…。

私一人。院主様と二人で阿弥陀堂に座って。

本当に個人的な先祖供養です、

私の生まれた家は、私が子供の頃一家離散してしまって、父の方はともかく、母の方は
色々事情があって、誰もお墓の面倒もお盆の御供養も誰もしません。
お位牌は、親戚間を盥回しになった挙句、今は母が持っています。でも特に何かしている
様子はなさそうです。実質的に私がこうして行う年一回のご供養が、唯一のご供養となっている状態。
お墓は北海道なので、そうそう行けるはずもなく…。中には遺骨さえ行方不明になっている人もいる。

別に先祖供養に拘るわけではありませんが、頂いた水塔婆を見ると悲しみがこみ上げてきます。

自分自身の、生まれつきの血族との縁の薄さ。

母の生家の人々の縁の薄さ。

離婚、行方不明、自殺…。そんなのばかりで。子供を捨てて、その子供は長ずれば今度は
自分を捨てた親を見捨てる。母の姉妹はことごとく自分の子供に見捨てられている。
かく言う私も母を見捨てた。父とはもう20年以上会っていない。そんな私が先祖供養です。

なんだかイビツな育ち方をしてしまったのか、この時期は自分の足元が危うくて仕方ありません。
踏みしめるべき足元が無いような気がして、グラグラします。

「踏みしめるべき足元は見えないかもしれないけど、ちゃんと仏様という足元が存在しています。
負の連鎖をあなたの代で食いとめているのだから、そんなに悲しむことはない」

そう友人が励ましてくれて、なんとか自分を取り戻すことができました。
嬉しかった。ありがたかった。

「お盆には地獄の釜の蓋が開いて、亡者が生者を連れに来る。」

子供のころ、そんな話を大人にされて怯えたものですが、そんな子供騙しな話しもこの時期の私には
笑って流せないものがある。過去という魔物が追いかけてきて、飲まれそうになってしまう。

でも、今年も何とか乗り越えることができたみたいです。

「限りない過去から、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりつつ、生まれ変わり死に変り、
死に変り生まれ変わりしながら輪廻転生し、今ここに現れつつある私自身の総括体であると同時に、
ありとあらゆるものと交わっているが故に、宇宙共同体の結び目である。
私生の極みであると同時に、公性の極みである。しかもその根底は、底なく深く、無意識であり、
無智であり、無明であり、あくたもくた、へどろもどろである。」

玉城康四郎氏の言葉。好きな言葉です。わたしといういのちはこの一文に尽きます。

三枚目の画像は、某院の横にある慈忍というお坊さんの墓所。
第十九代天台座主だった方で、戒律を守り厳しい修行をされたと聞きます。
何故かうちの仏間にはこの方の絵姿の写しがある(笑)一眼一足のちょっと怖いお姿です。
ここでお経を読ませていただくと、何故だか妙に去り難い気持ちになります。

心が濁っていると、足元が見えなくなってしまう。
心を静めなければなりません。ひとつひとつ、取り除いて行きたい。

一日一時間

でいいから、静かに冥想する時間が欲しいのだ。

途中で声を掛けられたり、大きな音を立てて仏間に入ってこられると、途切れて後がしんどいのです。

先生に先日、「環境が良くなく、集中を妨げられることがある」と相談したら、

「子供さんたちに○時に出定するからと言っておきなさい」と笑われました。

環境が良くなければ良くないなりにやってゆくしかありませんが、

一日一時間だけは、静かに坐らせて欲しいと思います。



ここにはなんとなく書きそびれてしまっていましたが、昨年とあるご縁で冥想を指導して

くださるお坊さんと出会いました。もう一年近く指導を受けていることになります。

長らく、仏道の教えを授けてくださる方を探していました。6年目にしてやっと出会うことができました。

三十年以上、冥想と行法に生きてこられた方です。

月に一度の冥想会、縁日の護摩供に法話、そして月に二回ほど、道場をお借りしての自主冥想。

たったの一年ほどではありますが冥想を中心に教えて頂いて、今しばらくは先生のもとに留まって

勉強を続けてゆきたいと思うようになりました。

出会えてよかった。本当によかった。諦めないでよかった。み仏に深く感謝いたします。

励まし合い、話しあい、時には共に泣きあった同行の友人たちに深く感謝いたします。

暖かい声を掛けてくださり、支えてくださった皆さん、ここに来て下さる皆さんに深く感謝いたします。

ここからが新たなはじまりです。

気力充電

イメージ 1

イメージ 2

気を充電すべく、奈良は天河村の天川大弁財天へお参りに行ってきました。

これは本当はいけないんだろうけど、拝殿から撮影させてもらったご神殿の写真。
二枚は連続で撮影したのですが、違いがわかりますでしょうか。


詳細はまた明日時間があればUPしますね。


明日また…とか書いておいて、もう何日も経ってしまいました。

この日はとーちゃんと一緒に行ったのですけど、とてもいいお天気で暑くて、
南阪奈道路を降りるころ、葛城の少し先で明日香方面に不思議な立て筋型の雲が数本出ていて、
とーちゃんがまず気がついて「まるで龍が空に昇っているみたいだね、雨が降るのかな」
などと普段なら絶対に口にしないような不思議なことを言うのですよ。

「そうだね、ここのところ乾いているから、雨を呼びに行ったのかもね」などと答えていましたが、
丹生川上神社下社にお参りに立ち寄った辺りから空が暗くなってきて、ゴロゴロと雷鳴なんかが
聞こえまして…。それでも雲の流れは早いけど、青空も見えていたのでお天気もつだろうと呑気に
構えていましたが、天川大弁財天社の駐車場に車を入れたとたん、バタバタと大粒の雨が降って
きました。

それでもせっかくここまで来たのだからお参りだけはしたいと思って、とーちゃんを車に残し、
境内を走って横切って階段を上がり、拝殿に入った途端、雨はバケツをひっくり返したような
降りとなりました。
雨のせいか拝殿には誰もおらず、ご神殿からほのかに灯りが漏れているだけで辺りは薄暗く、
激しい雨が周囲を叩く音、時折轟く雷鳴が静寂をより一層強めて居る感じでした。

二つの五十鈴が重なった珍しい鈴をゴンゴン鳴らして、二礼二柏手一礼のご挨拶を。
すぐ背後に能舞台があるせいか、私の下手くそな柏手もものすごくいい音で響き渡ります。
ちょっと自分でビックリしてしまったくらいです。

再びお参りできたことの喜びと感謝を申し上げ、数珠を出して般若心経を読誦して、何故だか
ご真言を称えはじめてしまいました。短いご真言といえど、一周称えると結構時間が掛るので、
車で待っているとーちゃんを思って少し躊躇しましたが、もう称え出してしまっていたので
そのまま続けることにしました。途中、ヒザが能舞台の階に当たったのでそのままそこに座らせて
もらい、じっと静かに称え続けました。

聞こえるのは雨足と雷鳴のみ。すごく静かでした。不思議な感覚でした。吸う息と称えるご真言
だけが全てでした。瞑想を指導してくださる先生が、「念誦で定に入るのは難しい」と言われて
いましたが、この特殊な状況の下で何かに助けられてとても良い状態になったのではないかと
思います。何か流れの早いものに引っ張られているかのようで、自分の意志で称えているのでは
ないかのようなおかしな気持ちになりました。
一周分称え終わって立ちあがり、再び柏手を打ったあと撮影させてもらったものが冒頭の画像です。

専門家に言わせればなんとでも説明のつくものでしょうが、私は自分の好きなように考えたいので、
なんとも不思議な画像であるとさせて頂きます(笑)

車に戻って「ほら〜こんなの写ったよ」ととーちゃんに見せると、「ほんとだ、やると思った」なんて
言うのですよ。画像も不思議ですが、私にとってはこの日のとーちゃんの反応の方が不思議でした。
普段こんなこと言わない人なんですよ。手に触れず、目に見えないものを否定も肯定もしない人
ですが、あまり積極的に肯定はしたくない人だということは18年の結婚生活で知っていましたので。
夫の以外な一面を知った貴重な日でもありました。

ちなみにお参りを済ませて拝殿を後にする頃には、雨は殆ど止んでまた青い空が戻ってきて
いました。30分以上居たと思いますが、お参りの多いところに関わらずその間一人もやって
来なかったのも不思議と言えば不思議です。階段を降りて行くときに観光客らしきお参りの
数人と行き交いました。おしまい。

みなさんお元気でしょうか。毎日暑いですが熱中症などに罹っていませんでしょうか。

梅雨が明けたおかげもあるのか、私の方もぼつぼつ復調しつつあります。
調子が悪いと言っても、寝込んでいたわけではなく、会社はほぼ毎日行っていました。
ただ身体のダルさや気の落ち込み、食欲不振、寝つきが悪い、食べ物飲み物の味がよくわからない、
不安や焦燥感など、そういったものには相当悩まされました。
特に夕方になると起こってくる不安感には悩まされました。

じっと座っておれない気持ちになり、妙にもの悲しく、家に帰れないよ、思うのです。
まぁ、普段が家事逃避型主婦ですので、家に帰りたくなかったのは事実かもしれない(笑)
仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、その日の夕食の献立がどうしても考え付かず、茫然として
店内を一時間ほども歩き回った挙句、不安で押しつぶされそうになり、ベンチに座ってベソを
かいたこともあります。その時はとーちゃんに電話して迎えに来てもらいました。
それも今では落ち着きつつありますが、一体もうなんなのよ、という感じです。

まぁ更年期障害だと言ってしまえばそれまでなんですけどね(笑)
なんだかだいぶと行動や発言がおかしかったらしく、心配した友人に「あなたすぐに病院行きなさい」と
勧められて生まれて初めてメンタル系のクリニックで受診しました。
お医者さんは「抑うつ型の適応障害ですねーちょっと過労なんじゃない?」と診断を付けてくださいましたが、その後必要あって受診した婦人科では、「適応障害?それ違うと思うな〜更年期的なものだと思いますよ」などととキッパリハッキリのたまってくださいました…よぉ言うた!って感じです。きっとワタクシを知る誰もが、そう思ってはいても、ワタクシを気遣い口に出すことを憚っていた、その一言を。
それをなんの衒いもなくビシズバと言ってしまうとは、さすが専門医…。
もう、なんでもいいんですけどね、適応障害でも更年期障害でも…ちなみにワタクシは満で37歳です。

実はこういうグダグダなことになってしまったのには、ちょっとしたキッカケがあり、それが
引き金となったのだろうという確信があるのです。
で、そのキッカケというのをみなさんに読んで頂くべ、と昨晩せっせと入力して記事UPしようと
しました。キッカケとなったであろう、ちょっとした事件と、それから発生してきたと思われる
諸々の現象などを、簡単にではありますがちょっと時間を掛けて書いたわけです。


ところが、決定ボタンを押すとエラーになってしまい、それで書いたものが全部消えてしまった。
ボーゼンとしましたね。ショックでした(笑)
それと同時に少し怖くもありました。その出来事には死人が絡んでいて、なんだかその人に書くなと
言われたような気がしました。書いている途中から首の後ろがチクチク痛くて仕方ありませんでした。

私にとって二か月に渡って尾を引くようなショッキングな出来事をですね、みなさんにも共有して
頂いて、ちょっとでも和らげようとした私の目論みは敢え無く崩れ去ってしまったのでありました。
もうあの記事をもう一度作りなおす気力は無いです。

でもね本当に怖かったのですよ。今まで生きてきた中で一番怖い出来事だったのです。
それ以降も様々なことが出てきて、ついて行けなくて適応障害ですよ。(更年期障害とも言う)
だいぶと腹が据わって、それならそれでよかろう、という気持ちにもなってきましたが、
事実を事実として受け入れることができるようになるまで、大変苦しかったです。

まぁそのうちおいおいと様子見ながら書くかもしれませんが。
そのときはお願いだからデンパって言わないでね(笑)それ言われたらなんだか傷つくから(笑笑)

トメ母
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