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世の中には、はっきりと答えを出すことができないことが多いため、人間の考え方、捉え方が曖昧になっているような気がする。
算数のように1+1=2のように2以外の答えは、間違いであることはすぐに分かる。
しかし、人間の考え方、捉え方は、このようにいかない。
そこで、おかしくなってしまうのです。
はっきりとした答えがないため自分は、正しいと思ってやっている。
ちょっとした行動が、相手に対してそうようなつもりはないのに、相手が怒っているなどの捉え方をしてしまう。
明らかに、相手の考え方、捉え方が違うことを正してあげると、意外と理解をしない。
心の中に存在する、「自分は間違っていない。」というプライドの壁が邪魔をすることがある。
人は、人を裁くほど偉くはない。
人に謙虚でなくてはならない。
自分を愛するように周りの人も愛するように。
自分自身は、意外と自分の振る舞いが相手に対してどうなのか、気がつかないことが多いものです。
それを、神が人を通して教えてくれるのです。
そこに、正しいことを教えてくれる言葉もあれば、時に間違ったことを教える言葉もあるのです。しかし、それは人の心を惑わす悪魔です。
神は、人々を平等に見ています。
正しい御言葉を通して私たちに教えてくれるのです。
間違ったことを教える言葉は、悪の心であり悪魔です。
そこで、時に神が人を選び、その選ばれた人は、何時しかいろいろな方法で神と出会い、教会に行くようになり、求道者になり、祈り、御言葉を聞き、神を信じたものが悔い改め、過去に起こした罪を洗い流すために、バブテスマを受けさせて頂くのです。
過去の罪とは、人を裁いていた自分。謙虚さがなく傲慢だった自分。自分だけを愛し他人を愛さなかった自分。自分さえよければと言う考え方の自分。自分が、間違っていたことに気づくことができない自分。プライドを捨て素直な心を持っていなかった自分・・・。
罪とは、目に見える窃盗、殺人などの答えが解るものだけではなく、自分の心の中に存在する悪があり、それを人にばら蒔いたことにより罪の芽が開いたもののほうが多いのです。
自分では、なかなか気づかないことなのです。
気づき始めた人は、神を信じ、バブテスマを受けたことにより神が罪を洗い流してくださるのです。
それからは、自分は更に毎日祈り、神の御言葉を聞くことにより、表面だけの綺麗な皿ではなく、内面も綺麗に洗える心を持つことができるのです。
今の人々は、悩み苦しんでいる。
そのために、自分がどんどん苦しくなってくる。
この世の中には、1+1=2のように考える範囲が意外と狭い人が多い。だから相談する相手も、人間しかいない人が多いのではないでしょうか。
だから、答えが出せないままでいる。また、何かにぶつかりまた、悩み苦しむ・・・。
解ったつもりでも信じる神が存在しないため、自分が謙虚な気持ちを持っていないために、人を愛する心をもっていないため、悔い改めることができないのです。
世の中には、人の考えだけでは解らないことがたくさんあることを気づいていないのです。
だから、神を信じていない、信じられない人が多いのです。
人が、生きていく上でキリスト・イエス様は大切の存在なのです。
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