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素晴らしい朝に・・・

最近は、日が昇るのも早くなり4時30分過ぎには明るくなります。仕事の出勤のときに明るい日差しを感じると気分も良くなり、季節を感じます。
春になり、椿が咲き、桜が咲き、綺麗な花が咲き、春を感じ。
そして朝の日の明るさを感じることにより、更に心が和む。

そんな朝の出来事・・・

日が昇るころの時・・・
繁華街・・・
酔いどれた 人々が 朝の町を歩く
そこには 知ってはいけない 世界がある
触れては いけない 時間がある
その中を 彷徨い 快楽を 求める
待っている 人のことも 考えず
自分の 心だけが 先走る

お酒の 魔力は
人を 簡単に 狂わす
どんなに しっかりした人でも 時には 酒により 取り乱すことがある

楽しいひと時 そこに 悪魔が 潜んでいる
男と女 快楽 怒り 暴力 幻想・・・
何時しか 酒から 離れなくなる・・・
手は振るえ・・・
酒に頼り・・・
家庭は崩れ・・・
悲しみが訪れる・・・

夢に向って 精一杯 生きていた男がいた
酒好きであった
夢がうまく行かず 
挫折を味わった
それと共に 家庭を失った
ひとり孤独に
新たな仕事を始め
今 その付けを返すために 頑張っている
彼と共にいた女(ひと)は夜の街を彷徨う
彼の苦労も知らずに・・・

人は、自分のために生きるのか?
自分が楽しければそれでよいのか?

あなたにいたパートナー
互いに愛し合い
愛は時間共に薄れる・・・
思いも薄れる・・・
ありきたりの生活・・・
辛い思いばかり・・・
なぜ・・・

時間と共に忘れるものがある
そして 新たな 安らぎを 求めはじめる
そこには 同じ 失敗をした 人達が戯れる
答えを 知らないために 繰り返す・・・

人を思いやる心
それは 永遠である

夫婦とは神に選ばれたふたり
励ましあい 慰めあい 力を合わせる
苦しんでいるときに 一緒に苦しむ
そこに 永遠の愛が続く・・・

そして 最も大切なことは ふたりが 人生(みち)に迷った時に
道しるべを 指して下さる方がいるかです。

その方は、決して人間ではなく 「神」なのです・・・

良い未来

「悔い改める」 心を持てるものは

必ず 救われる・・・

導いてくださり・・・

忘年会のシーズンです。
1年前よりお酒の飲む量が変わってきました。
ここ半年以上、特別なことがない限りお酒は飲んではいない。
誘われ仕方なく飲むお酒がある。
飲んでも、ビールコップ2杯ぐらい。
あとは、お茶です。
2日前には、カラオケにも行ったが面白くなかった。
ストレスが溜まりそうです。
教会で賛美歌を歌った方が心が安らぎます。
2年前とは大違い。
あの頃までは、週末になると必ず飲みに行き、ひどい時には、昼間から飲んでいました。
私は、昼間から飲むお酒に抵抗を感じ始めていました。
しかし、反対に好んで飲んでいく人もいたのです。

いつもお酒と隣り合わせ・・・

虚しさを感じていました。

私は、そこから離れて行きました。

そして

誰かの呼ぶ声により・・・

そして愛する人との出逢い・・・

その先に待っていた、そして迎えてくれたイエス様との出会い・・・

そこに辿り着くまでは、遠い道のりでした。


天の父なるイエス様 あなたに感謝
我が生命を ひそかに導いてくださり
主の愛と恵を ほめ歌い続ける
主よ あなたが先に 愛してくれたから・・・

人間は弱い

昨日初めて私は、青年会の司会をやらさせていただきました。
青年会の時間は、聖書勉強会です。
今、私たちは「マタイの福音書」を勉強しています。
私の今回の担当は、「マタイの福音書26章」です。
初めての司会だったので、どのように進めたらよいのか悩みましたが、とにかく26章をいっぱい読んで、耳で聞きました。そして大きく何個かの章に分け、その中で解らないことを何点かメモをしておきました。
私たちの教会は、日本人(2%)より中国、台湾の方(98%)が多いため、進行をする際には必ず通訳がつきます。
今回は私が担当だったので、日本語から中国語に訳すというかたちになります。
そのため、私が進行しなくてならないのです。
私は、まだ周りの兄弟姉妹より経験が浅いので、進行の仕方を、私が解らない点などを質問をする方法を取りました。
そして、大きく7節に分けた節ごとに分かち合いました。
それにより、この章を一段と理解することができました。

この章に書かれている私たちに伝えようとしていること。

それは、「人間は弱い」と言うことです。

信仰がある12弟子でも、自分が危機に陥ると逃げ出してします。
信仰のない人たちも、同じように逃げ出してしまうでしょう。

そして、ここからの分かれ道があります。

信仰のあるものたちは、イエス様が自分の中に存在しているのです。

主をすべてのことに対して「絶対のもの」と思ったときから、信仰ある人たちは「悔い改める」のです。
ペテロのように・・・

残念ながら信仰を持たない人たちは、自分の中に存在するものが「自分」であるため、すべてに対しての絶対的なものがないので、不完全である「自分」及び「人」を頼ってしまうのです。
そのため、「悔い改める」ことに気づけないまま、金欲、性欲、地位欲などの欲に走ってしますのです。
ユダのように・・・

見えないもの

わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的なものであり、見えないものは永遠につづくのである。
コリント人への第2の手紙

人は、見えるものばかりに気にしすぎる。
見えるもののみが、現実でありそれ以外のことは、信じようとしない。
形にないものが存在する。
そこには、人の頭で考えられないことが起こるのである。
目の前で起きたことは、偶然であり運が良かったと思うだけで終わらせてしまう。
現実の起こりうることに人は、悩み続ける・・・

見えないものの存在を知った人は、幸せが永遠につづくのである・・・

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